茨姫は辺境の地で花開く

鈴木かなえ

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⑮ お試し夫婦のお茶会

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「……エメライン嬢。あちらに、茶の準備がしてある。つきあってくれるか」

「はい、辺境伯様」

 昼間に二人だけになるのは初めてだ。
 私は夜とは違う意味でドキドキしながら、辺境伯様にエスコートされて歩きだした。

「フランはとてもきみに懐いているな」

「ええ。可愛いですわね」

「俺もそう思ってはいるんだが、小さい子供にどう接したものかわからなくて……
 いつの間にやら距離ができてしまった」

「フランは辺境伯様のことが大好きです。
 少しずつ一緒に過ごす時間をとってみてはいかがですか?
 二人だけでは間が持たないというなら、私とかデリックを交えてでも構いません。
 きっと、今よりもっと懐いてくれると思いますよ」

「……そうだな。そうしてみようか」

 しばらく歩くと、木陰にテーブルと椅子が置かれていて、その横にシーラが控えているのが見えた。
 私たちが席につくと、シーラはお茶を淹れて一礼して去って行った。

「これは、シーラからの提案なのでしょうか」

「シーラとデリックだな。
 俺たちは二人だけの時間が必要だと言われて、こうなった」
 
 周囲がこうも協力的なのは、とてもありがたい。
 私も、こうしてちゃんと向き合って会話をする時間がほしいと思っていた。

「その……王太子殿下と婚約破棄したあと、出奔するつもりだったと言っていたな」

「はい、その通りです」

「どこか行く当てがあったのか?」

「当てがあったわけではありませんが、アボットに寄ってからバンクスに向かおうと思っていました」

「バンクスを選んだ理由がなにかあるのか?」

「いいえ、特に理由はありません。
 しいて言えば、アボットと国境を接しているから、ということになりますね。
 当初の予定では、王都を出たら真っすぐアボットに向かい、最後に一目だけでも辺境伯様を眺めてから出国するつもりでした」

「は? なぜそんなことを?」

 彼は、わけがわからないという顔で私を見ている。

「なぜって、辺境伯様が私の初恋の君だからですわ」

 私にとっては当然のことなのだが、彼にはまだ信じられないようだ。

 確かに彼の容貌はこの国の一般的な貴族令嬢の好みからは外れているが、何事にも例外があるものだ。

 私の瞳には、彼はこの上なくいい男にしか見えない。
 なんだったら、今すぐ寝室に引きずり込みたいくらいだ。

「だが……きみは俺と、会ったことすらなかっただろう?
 それなのに、なぜそこまで俺のことを?」

 それは、当然の疑問だと思う。
 
「簡単に言いますと、私の一目惚れです」

「ひ、ひとめぼれ⁉」

「ええ。そんなに不思議なことでもないと思いますけど」

 彼が、化け物を見るような目で私を見ている。

 榛色の凛々しい瞳に見つめられると、昨夜の熱と快楽を思い出して、腹の奥が疼いてしまう。
 
「私は婚約者だった殿下が大嫌いでした。
 それは、中身だけのことではありません。
 あの方の容姿も含めて、なにひとつ好みではなかったのです。 
 殿下はひょろっとしていて、いかにも頼りなさそうな体形でしょう?
 王妃殿下に似て顔立ちは整っていますけど、それを鼻にかけて傲慢な態度をとられたら、顔も見たくなくなりますわ」 
 
 恋をしていたわけではないが、あんな態度では百年の恋も冷めるというものだ。
 
「初めて辺境伯様をお見かけしたのは、戦役が終息したあとに王城で開かれた叙勲式でのことでした。
 それまでもお名前は存じておりましたけど、こんなに素敵な方だったなんて、と驚きましたわ。
 辺境伯様は、とても堂々としていらして、見るからに強そうで……私が知っている男性とは全く違うということが遠くから見ただけでわかりました。
 肌の色のことを言っているのではありませんよ?
 なんというか、存在感があって、目が離せなくて……辺境伯様の周りだけ光輝いているように見えたのです。
 できることなら、そのあとの祝賀会でお声をかけたいところでしたが、私は婚約していましたし、辺境伯様も奥様がいらしたので、傍に近寄ることすらできませんでした。
 とても残念に思っていましたわ」

 あの時の彼は、厳しく引き締まった表情で、どこか荒んだような雰囲気を纏っていた。
 終戦から間もない時期だったから、まだ前線のピリピリした空気の名残を引きずっていたのだろう。

 王城にも騎士はたくさんいたが、彼のような騎士は見たことがなかった。

 私は目も心も奪われ、そしてその日のうちにその初恋を諦めた。

 当時も私は茨姫に擬態して婚約破棄に向けて動いてはいたが、だからといって既婚者の彼とどうにかなりたいとまでは思わなかったのだ。
 
 私は彼の面影を目に焼きつけ、大切な初恋の思い出として心の奥にしまいこんだ。
 そして、そのことを知っているのは、現在私を追いかけてアボットに向かっているはずのメイドと、ごく少数の私が信頼している人たちだけだ。

「今の話が本当だということは、私のメイドが証言してくれます。
 信じられないというのなら、尋ねてくださって構いません」

「……いや……とても信じられない話だとは思うが……きみを、信じることにする」
 
 彼は赤い顔でそう言った。
 
「それで、バンクスに行ったあとは、どうするつもりだったのだ」

「しばらくバンクスを旅行してまわって、住むのによさそうな街を探そうと思っていました。
 見つからなかったら、また別の国に行って、住む場所が決まるまで気ままな旅をするのです。
 それはそれで楽しそうでしょう?」

「だが、女性の二人旅など危険ではないか」

「それがそうでもないのです。
 私のメイドは元女性騎士で、その辺の男なんかよりよほど強いのですよ。
 それに、馬車にも高価な防犯魔法具をつけてありますから、危険なことなことなどありませんわ」

 私と男装したメイドで、新婚夫婦を装って旅をするつもりだった。
 女二人だと目立つが、夫婦の旅行者は珍しいものでもないし、仮に追手がかかっても攪乱することもできる。
 そうやって、準備万端整えてあったのだ。
 
「場所を決めたら、そこでお店を開くつもりでした」

「店? どんな店だ?」

「辺境伯様は、プリンというお菓子をご存じですか?」

「プリン?」

「もしくは、アイスクリーム。どちらも王都で人気のレストランの看板メニューです」

「生憎俺はそういったものには詳しくないのだが……そういえば、珍しい料理をだすとかで人気のレストランがあるとか聞いたことがあるが」

「それと同じレストランだと思いますよ。
 黄金の女神亭といいまして、私が出資しているんです」

「きみが? レストランに出資しているのか?」

「貴族が資産運用するのは普通のことですわ。
 開業にかかる費用を全て私の資産から出したのですけど、出資金は二年で全て回収しました」

「ほう、それはすごいことだな」

「ふふふ、そうでしょう?
 出資だけではなく、新しい料理のレシピ開発のお手伝いもしました。
 プリンとアイスクリームは、私が考えたレシピなのですよ」
 
 もちろん、お菓子だけでなく食事になる料理のレシピもたくさん考案した。
 とはいえ、私ができる料理は基礎的なものでしかないので、それを元にプロの料理人たちが試行錯誤を重ね美味しく仕上げてくれたのだ。

「きみは料理までできるのか」

「料理も、美味しいものを食べるのも大好きですわ。
 なので、メイドと二人で小さなカフェかなにかを経営しながら、のんびり暮らそうと思っていました」

 レストランが人気店になったこともあり、実は私はかなりお金を持っている。
 一生働かなくても生活に困らないのだが、それはなんだか性に合わない。
 というわけで、食材や内装にこだわった、完全に私の趣味のカフェを開くつもりだったのだ。

「辺境伯様は、甘いものはお好きですか?」

「あまり食べないが、嫌いではない」

「私がプリンかアイスクリームを作ったら、食べてくださいますか?」

「ああ、もちろんだ」

「ふふふ、よかった。楽しみにしていてくださいね。
 子供にも人気のお菓子ですから、フランも気に入ってくれると思いますわ」

 なんだったら、フランと一緒につくってみようかな。
 包丁を使わないし、作り方自体は単純だから大丈夫だろう。

 男性の心を掴むために、胃袋から掴むというのもよくある手段だ。

 私が作った料理を食べる辺境伯様……
 それもなんだか淫靡ではないか。

 早くそれを実現したくて料理人たちに頼むと、その翌日にキッチンを使わせてもらうことになった。
 ありがたいことに王都の人気料理に興味津々な料理人たちは、とても協力的だった。
 エプロンと三角巾をつけたフランも大張り切りだ。

 料理をするのは初めてだというフランは卵をいくつか握り潰してしまったが、最後には上手に割ることができるようになった。
 真剣な顔で卵と牛乳と砂糖を混ぜ合わせるフランは可愛くて、見守る全員が頬を緩めていた。

 そうして作ったプリンは、卵も牛乳も王都のより上質なこともあり、とても美味しく仕上がった。
 フランはまた大喜びで、料理人たちだけだなくシーラや使用人たちも珍しい食感のお菓子に目を丸くしていた。

 その日の夕食のデザートとして給仕されたプリンに、辺境伯様も同じように目を丸くた。
 スプーンで掬って口に運ぶのを期待をこめてじっと見ていると、凛々しい薄い唇の口角が少し上がった。

「これがプリンというものか。
 ……なんとも不思議な食感だが、美味いな。
 王都で人気になるのも当然だな」

 私の肌に夜毎赤い痕をつけるあの口が、私が作ったプリンを食べている……

 私とどっちが美味しいですか?

 なんて不埒な質問が脳裏をよぎったが、口には出さなかった。

「よかったです。皆さんにも好評だったのですよ」

「父上! 僕も、たくさんお手伝いをしました!」

 フランもプリンをパクパクと食べながら得意気だ。
 
「そうね、フランはとても頑張ってくれたわ。
 またなにか一緒に作りましょうね」

「うん!」

 この日作ったプリンは、食べた人たち全員を笑顔にすることができた。 
 私の株は爆上がりで、料理人たちとも仲良くなれて、いいことづくめだ。

「きみには驚かされてばかりだな。
 他にもまだなにか、驚くようなことがあるのではないか?」

「ふふふ、それはどうでしょうね。
 このまま夫婦として暮らしていたら、そのうちわかるのではないでしょうか」

 辺境伯様との仲も少し縮まったと思う。

 もちろんこの日も夜這いをかけて、たっぷりと彼を味わってから幸せな気分で眠りについた。
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