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㉑ 試されるお試しの妻 ダスティン視点
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「旦那様、お手紙が届いております」
執務室で仕事をしている俺に、クレイグが手紙を運んできた。
差出人を確認し、封を切って中身に目を通した俺は、思わず眉間に皺を寄せた。
「……カーターが、来る」
俺はクレイグに手紙を開いたまま渡し、読むように促した。
カーター・アディンセル。
俺の一歳年下の従弟で、隣国バンクスのアディンセル侯爵家の次男だ。
領地がアボットと国境を挟んで隣同士なので、国は違えど昔から交流がある。
それこそ、父の姉が嫁ぐくらいに。
カーターは俺が結婚したことを知り、様子を見に来るのだそうだ。
心配されているのはわかるが、あまり歓迎したい気分ではない。
「エメライン様にも、お知らせしておいたほうがよろしいでしょうね」
「そうだろうな……」
浮かない顔をする俺を、クレイグはじっと見つめた。
「エメライン様のことは、どのように説明なさるおつもりですか」
「正直に話すしかないだろう」
「お試しの結婚だと?」
「そうだ。他になにがある」
「エメライン様は、とても可愛らしいご令嬢です。
カーター様も心惹かれるかもしれませんなぁ」
俺は眉間の皺を深くし、クレイグを睨んだ。
「なにが言いたい」
「いえいえ、思ったことを言ったまでです。
深い意味はありませんよ。
それはそうと、エメライン様にもお手紙が届いておりました」
「エミーに手紙? イーノックからか?」
イーノックは現在、王都に出向いて温泉宿を建設するための設計士などの手配をしているところだ。
元伯爵で人気レストランの敏腕経営者だったイーノックはとても顔が広く、建築関係の伝手もいくつかあるのだそうで、なんとも頼もしいことだ。
「イーノック殿からと、ご実家からの合計二通です」
エミーの実家といえば、アシュビー侯爵家だ。
話に聞く限り、家族関係は極めて希薄だったようで、それを証明するようにエミーがここに来て三か月もたつのに、手紙が届くのはこれが初めてのはずだ。
もしかしたら、エミーが傷つくような心無い言葉が書き綴られているかもしれない。
いつもまっすぐに俺に恋情を伝えてくる碧の瞳が涙で濡れる様を想像すると、居ても立ってもいられなくて俺は立ち上がった。
「エミーはどこだ」
「サロンにいらっしゃいます」
俺は足早にサロンへと向かった。
「ダスティン様!」
俺がサロンに顔を出すと、エミーはぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。
そんなエミーを抱きしめて、額か頬にキスをするのが最近の俺の習慣になっている。
「エミー、手紙が届いたと聞いたが」
「イーノックが、最近名を上げつつある建築家に話をつけてくれたのだそうです。
それで、一度こちらに連れて来たいということなのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんだ。
俺も話をしてみたいから、屋敷に招待するよう伝えてくれ」
「ありがとうございます!
そのように返事を書きますわね」
きらきらと輝く瞳には、昏い影は見えない。
「実家からの手紙も届いたと聞いたが」
「ええ、届きましたわ」
どうぞ、と手渡された手紙にさっと目を通すと、エミーの父であるアシュビー侯爵ではなく、ブライアンという義弟からの手紙であることがわかった。
神経質そうな字で、『傷物でも受け入れてやるから、早く戻ってこい』というようなことが上から目線で書いてあり、俺はなんとも不快な気分になった。
義弟に嫌われているとエミーは言っていたが、それならなぜこんな手紙を送ってきたのだろうか。
出戻った義姉を政略結婚の道具にでもするつもりなのだろうか。
「この手紙にも返事を書くのか」
「そうですわね。
無視したいところですけど、それで探りをいれられたらまた面倒なことになりそうです。
ここでメイドとして働かせてもらっている、ということにでもしましょうか。
ブライアンはあの王太子殿下の側近でもありますから、正直に『幸せに暮らしています』なんて返事をするわけにはいきませんもの」
俺と茨姫を二人まとめて不幸にするために、御璽まで持ち出して無理やり結婚させた王太子だ。
俺たちが幸せに暮らしていると知ったら、またなにかしかけてくるかもしれない。
エミーを建前だけでもメイドにするなど気が進まないが、厄介事を避けるためにはしかたがないだろう。
その前に、俺には心配なことがある。
「エミー……無理をしていないか?」
俺の問いかけの意味がわからなかったようで、エミーは首を傾げた。
そんな仕草も子猫のようで可愛いらしい。
「この手紙には、それなりに酷いことが書いてあると思うのだが」
「ええ、そうですわね。
わりと酷い内容だと私も思いますわ」
エミーはあっけらかんとした笑顔で頷いた。
「私は、とっくの昔にブライアンを切り捨てております。
ブライアンがなにを言っても、隣の家の犬が吠えているくらいにしか思わないことにしたんです。
それは手紙であっても同じことです。
相変わらず偉そうね、としか思いませんわ。
あの子は私をどうにかして利用したいのでしょうけど、大人しく利用されてあげるほど私は殊勝な性格ではありませんから」
それはそうだ。
エミーは芯が強くはっきりとした意志を持っている。
義弟だからといって、いいように利用などできないだろう。
「ブライアンも、アシュビー侯爵家に引き取られたばかりの時は、可愛かったのですよ。
私も義姉として面倒をみていたのに、反抗期なのかなんなのか、私の悪口を吹聴するようになってしまって。
茨姫を演じていた私には好都合なことではありましたけど、当時は悲しかったですわ」
「そうか……」
血の繋がらない美しい義姉に、思春期特有のなにかを拗らせてしまったのかもしれない。
もしそうなら少し気の毒に思うが、だからといってエミーを悲しませたことは許せない。
「私は、アシュビー侯爵家にも家族にも、なんの未練もありません。
恨みを持つほどの関わりすらなかったので、赤の他人とほとんど同じです。
今後も私の家族関係のことでなにかあるかもしれませんけど、心配なさらないでくださいね」
「わかった。きみの言葉を信じよう」
後でコリーンにこの話が本当なのかどうか確かめようと思いつつ、俺は頷いた。
「ただし、問題があったらどんな小さなことでも必ず俺に相談してくれ。
できる限り力になるからな」
「ありがとうございます。
頼りにしておりますわ」
エミーなら大概のことは自分で解決してしまいそうだが、それでも頼ってくれたら嬉しい。
そんなことを思う自分に、我ながら人が変わったようだと内心で苦笑した。
エミーは俺に恋情を伝えてはくるが、それは眼差しや仕草からであって、言葉ではなにも言わない。
同じ言葉を返すことができるほど、俺の心がまだ定まっていないことがわかっているのだろう。
俺に夜這いするくらい大胆なのに、愛情をねだることはしないのだ。
亡くなった俺の両親は、仲のいい夫婦だった。
俺もいつか結婚したら、両親のようになりたいと思っていた。
そして、それが甘い考えだったということを、前の結婚で思い知らされた。
だから、もう二度と結婚などしたくないと思っていたのに、エミーとの生活が驚くほど心地よくて、手放したくないと思っている。
フランもエミーに懐いているし、使用人や領民たちもエミーを慕っている。
ロニー以外のグリフォンたちもすっかり懐き、エミーの姿を見つけると撫でろと甘えるようになった。
シーラも言っていたように、マクドゥーガル辺境伯夫人に相応しい令嬢と言えるだろう。
頭では、そうわかっている。
エミーの寛容さに甘えているという自覚もあるが、情けないことにどうにもまだ踏ん切りがつかないくて、お試しの結婚を続けている。
「そうだ、ダスティン様。
もう少しお時間ありますか?」
「ああ、時間は大丈夫だが」
「ハンドクリームの試作品ができたんです。
試してみてくださいませ」
エミーはアボットで採れる薬草を用いて、ハンドクリームや化粧水などをつくろうと熱心に研究している。
新しい温泉宿でお土産品として販売するのだそうだ。
「ジギルという薬草の精油を混ぜてみました。
傷薬になる薬草だそうですから、水仕事などで手が荒れる人に売れると思うんです」
説明しながら、エミーは俺の手にクリームを塗り広げていった。
「どうですか?」
手の甲を触ってみると、ベタベタすることもなく、しっとりと皮膚が潤っているのを感じた。
「いい香りがするな。
使用感はいいと思うが、温泉宿の客は富裕層になる予定なのだろう?
水仕事をするような客はいないんじゃないか?」
「あ~……言われてみれば、そうですわね……」
エミーは傍に控えいるコリーンと顔を見合わせた。
ジギルは薬草ではあるが、ケアード山の麓では雑草扱いされるほどたくさん生えている。
それが有効活用できるなら、ありがたいことだ。
「これをつくるには、高価な材料が必要なのか?」
「いいえ、精油と蜜蝋と植物油だけですので、そう高価なものではありません」
「それなら、試しに宿場町で売ってみてはどうだ。
宿やレストランなら水仕事もたくさんあるだろうから、効果があるならきっと喜ばれるぞ」
俺の提案に、エミーはぱっと顔を輝かせた。
「それはいいですわね!
安価な瓶をつかえば、平民でも手が出しやすい価格にできると思います!」
「どれくらい効果があるのか検証する必要もあるだろう。
まずは屋敷の使用人たちに使わせて、意見を聞いてみるといい」
「私もそれをお願いしようと思っていたんです。
シーラたちのためにも、頑張りますわね!」
というわけで、ジギル入りハンドクリームの試作品は使用人たち全員に配られ、とくに洗濯や掃除をするメイドたちから大好評となった。
評判を聞きつけたグリフォン騎士団員も興味を示したので、エミーに頼んでこちらにも試作品を配ってもらった。
武器の手入れや訓練などでなにかと手が荒れることが多いこともあり、こちらでも大好評で、エミーの株は各方面で急上昇する結果となった。
カーターがやってきたのは、ちょうどそんな時だった。
「久しぶりだね、ダスティン!」
かっちりとした濃いグレーのフロックコートに細身の長身を包んだカーターは、いつもと同じ騎士服を着ている俺をぎゅっと抱きしめた。
「きみが結婚したって聞いて驚いたよ。
しかも、相手があの茨姫だというじゃないか!
心配で飛んできてしまったよ」
「結婚したのはもう三か月も前のことだぞ」
「ハウズ共和国に行ってて、先日やっと帰ってきたところなんだからしょうがないじゃないか。
これでも急いだんだからね」
ハウズ共和国というのは、バンクス王国の東側の海に浮かぶ島々で構成された新興国だ。
好奇心が強いカーターのことだから、なにか珍しいものがないか探しに行ったのだろう。
「それで、茨姫はどこにいるの?
まさか、修道院に送ったりしてないよね?」
「そんなことするわけないだろ。屋敷にいるよ。
ちゃんと紹介してやるから、その前に俺の話を聞いてくれ」
放っておいたら勝手知ったる屋敷内でエミーを探し回りそうな勢いのカーターを、俺は執務室に引きずりこんで、結婚した経緯から今までのことを説明した。
カーターは目を丸くしながら最後まで話を聞くと、紺色で切れ長の瞳をキラキラと輝かせた。
「あの茨姫がそんな面白い令嬢だったなんて!」
「……次に茨姫と言ったら、その口を縫いつけてやるからな」
「そんなに怒るなよ。
もう言わないってば。
それより、早く会わせてよ」
「お試し中ではあるが、エミーはマクドゥーガル辺境伯夫人だ。
そう思って接するんだぞ」
「わかってるよ!
女性に無礼な真似なんかしないよ!」
本当は会わせたくないのだが、そういうわけにもいかない。
渋々ながら、俺はカーターを連れてエミーが待つサロンへと向かった。
来客があることを知らせてあったので、今日のエミーはいつもよりやや濃い目の化粧をしている。
これはこれで可愛いのだが、それが俺のためではなくカーターのためだと思うと、胸がムカムカしてきた。
「カーター・ アディンセルと申します。
以後お見知りおきを」
「エメラインと申します。
こちらこそよろしくお願いいたします」
恭しくエミーの手を取りキスをするカーターに、エミーはきれいな笑顔を向けた。
それを横から見ていた俺は、さらに胸がムカムカするのを抑えきれなかった。
カーターはなかなかの美丈夫で、国元ではそれなり浮名を流しているそうだ。
俺の従兄弟なのに、黒髪なところ以外はなにも似ていない。
「ダスティンから事情は聞いています。
大変な思いをなさいましたね」
「大変なこともありましたけど、それも今の幸せのための布石だったのだと思っております。
ダスティン様には、本当にとてもよくしていただいておりますの」
にこやかに応えるエミーに、カーターはチラリと俺に意味深な視線を向けた。
「お茶をお淹れしますわ。
どうぞお掛けください」
俺はできることならエミーをどこかに隠してしまいたいと思いながら隣に座り、細い腰に腕を回して抱き寄せた。
こうしておかないと、どうにも安心できない。
エミーは少し驚いた顔で俺を見上げたが、なにも言わずに好きなようにさせてくれた。
「あれれ? このクッキー、塩味がしますね」
シンプルな見た目の焼き菓子を一口齧ったカーターが、また紺色の瞳を丸くした。
「塩味が甘味を引き立てるのです。
ダスティン様も大好きなクッキーなのですよ」
「もしかして、エメライン嬢がつくったのですか?」
「はい。フランと一緒に」
「へぇ、フランもお菓子づくりをするんですね」
「カーターおじ様に食べさせるんだって、張り切っていましたわ。
あとで美味しかったと伝えてあげてくださいね」
「もちろんですとも!」
フランはカーターにも懐いていて、カーターが訪ねてくることを伝えるととても喜んでいた。
カーターも、フランのことを可愛がってくれている。
「フランとも仲良くされているんですね」
「ええ、友達になりましたの」
さりげなく探るような視線を向けるカーターに、エミーは笑顔を崩さない。
「私は心からフランのことを可愛いと思っております。
前妻の子だからといって、虐げるようなことはいたしませんから、ご安心ください。
私が今後ダスティン様の子を授かったとしても、マクドゥーガル辺境伯家の嫡男はフランだということは動きません」
「……我が子に家を継がせたい、とは思わないのですか?」
「私に子ができたら、ほしいものは自力で手に入れるようにと言い聞かせようと思っています。
もし私の子がフランを押しのけてマクドゥーガル辺境伯家を継ぎたいというなら、周囲を納得させられるだけの能力を身に着けるように言いますわ。
それができるかどうかは、本人の努力次第です」
そんなことを考えていたのか。
俺は、漠然とエミーに似た子ができたら可愛いだろうなくらいにしか考えていなかったというのに。
やはり、エミーはしっかりものだ。
だからこそ、イーノックたちのような忠臣を得ることができたのだろう。
カーターの瞳が、好奇心にキラキラと輝いた。
案の定、この男もエミーが気に入ったようだ。
「僕はしばらくこの屋敷に滞在する予定です。
僕とも仲良くなってくださると嬉しいです」
「ええ、もちろんですわ」
カーターは、エミーが俺の嫁として相応しいかどうか親族目線で見定めようとしていて、エミーもそれを察してカーターを受け入れている。
そうとわかっていても、この二人が仲良くなるのはなんとも嫌な気分だった。
そして、俺はこのムカムカが生まれて初めて抱く嫉妬という感情をであることに気がついた。
エミーが他の男と話しているのを見ると、どうにもムカムカすると以前から思っていたが、まさかこの俺が嫉妬することがあるなんて、自分でも驚きだ。
カーターは魅力的な男だ。
もしかしたら、エミーは俺よりもやつのことを好きになってしまうかもしれない。
そうなったら、俺は黙って身を引くことができるだろうか。
想像するだけで、こんなにも胸が痛むというのに……
カーターは馴染みの使用人たちにエミーのことを聞いて回り、全員から「とてもいい奥様です」と異口同音な返答を得ると、フランとジェフにもエミーのことをどう思うか尋ねた。
「エミーは僕たちのお友達だよ!」
「僕が生まれたのはエミー様のおかげだって、おじいちゃんたちがいつも言ってます」
「ジェフと僕がお友達になれたのも、エミーのおかげだよ!」
「僕たち、エミー様が大好きです!」
幼い子供たちの清らかな笑顔に、真っ黒に汚れたカーターの心も少しは浄化されるといいのだ。
一通り調査を終えると、やつはエミーの後をついて回るようになった。
エミーは面倒な男がくっついていても構うことなく、普段通りにハンドクリームや化粧水の試作をして、料理をして、フランとジェフと遊んで、グリフォンたちと戯れ、領民たちと笑顔で会話をした。
本当は俺もエミーにくっついていたかったのだが、仕事があるからそうもいかず、信頼できる騎士を護衛につけて見張らせ、なにがあったか全て報告させた。
カーターはエミーをさりげなく誘惑しようとし、エミーは少しも靡かずあっさりと躱し続けているのだそうだ。
「そろそろ気が済んだのではないか?」
「まだまだ! あの子、面白すぎるよ!」
そんな日々が十日ほど続き、いい加減に家に帰れと促したのに、やつはまだ居座る気なようだ。
困ったものだと思っているところに、イーノックが建築家を連れて戻ってきた。
「アボットに温泉宿をつくるの⁉
その話、僕も混ぜて!」
当然ながらカーターは瞳をキラキラとさせながら首を突っ込んできた。
そして一通り話を聞くと、
「ハウズ共和国には温泉がたくさんあって、それを利用した公衆浴場がつくられてるんだ。
その方面の専門家と知り合いになったから、協力してくれるよう頼んでみるよ!」
ということで、再びハウズ共和国に飛んで行ってしまった。
「すまないな。カーターは昔から騒がしいんだ」
「とても楽しい方ですわね。
面白い話をたくさんしてくださいましたわ」
エミーが他の男のことを話すだけで、胸がムカムカする。
「私のことは、ダスティン様の妻として認めてくださったのでしょうか」
「なにも言わなかったから、認めたということなのだろう」
カーターから、バンクスにいる伯母にも話が伝わるはずだ。
しばらく会っていないが、伯母は俺とフランのことを気にかけてくれている。
エミーがアボットに来てすぐ、簡単に事情を説明した手紙を送ったが、心配されていることはわかっていた。
これで安心してくれるといいのだが。
「ダスティン様」
エミーが両手で俺の頬を包んだ。
微かに甘い香りがするのは、新しいハンドクリームの香りなのだろうか。
「カーター様は素敵な方ですけど、ダスティン様はもっともっと素敵です。
私は心変わりなどしていませんからね!」
頬を膨らませて抗議するエミー。
俺が疑って嫉妬していたこともしっかり伝わっていたようだ。
カーターが滞在している間、俺のエミーに対する態度がどうしてもぎこちなくなってしまっていたから、俺の考えなど筒抜けだったことだろう。
「すまない、エミー。
きみを試すようなことをしてしまった」
「ダスティン様は私の初恋で、初恋はまだ終わっていません。
今のところ、私が死ぬまでずっと続く予定です。
信じてくださいますか?」
「信じる。信じるよ」
俺はエミーをぎゅっと抱きしめた。
お試しの結婚が期限切れとなり、俺が結婚しないという決断を下したら、温泉宿が完成し軌道に乗った後、エミーはアボットを離れ今度こそバンクスに行くのだそうだ。
そうなったら、絶対にカーターがちょっかいを出すだろう。
いや、それ以前に。
彼女がくれるこの心地よい温もりを手放すなんて、俺にできるとは思えない。
彼女がいない生活など、もう考えられない。
他の男が彼女に触れることを考えるだけで、血が沸騰しそうになるというのに。
「……寝室に行かないか」
まだ陽が高い時間だが、今すぐ彼女がほしくなってしまった。
カーターという不安因子が去り、彼女は俺の元に留まってくれた。
それが心の底から嬉しい。
彼女は驚いたように碧の瞳を見開き、それから頬を赤く染めて頷いた。
俺はその華奢な体をさっと抱き上げると、足早に寝室へと向かった。
執務室で仕事をしている俺に、クレイグが手紙を運んできた。
差出人を確認し、封を切って中身に目を通した俺は、思わず眉間に皺を寄せた。
「……カーターが、来る」
俺はクレイグに手紙を開いたまま渡し、読むように促した。
カーター・アディンセル。
俺の一歳年下の従弟で、隣国バンクスのアディンセル侯爵家の次男だ。
領地がアボットと国境を挟んで隣同士なので、国は違えど昔から交流がある。
それこそ、父の姉が嫁ぐくらいに。
カーターは俺が結婚したことを知り、様子を見に来るのだそうだ。
心配されているのはわかるが、あまり歓迎したい気分ではない。
「エメライン様にも、お知らせしておいたほうがよろしいでしょうね」
「そうだろうな……」
浮かない顔をする俺を、クレイグはじっと見つめた。
「エメライン様のことは、どのように説明なさるおつもりですか」
「正直に話すしかないだろう」
「お試しの結婚だと?」
「そうだ。他になにがある」
「エメライン様は、とても可愛らしいご令嬢です。
カーター様も心惹かれるかもしれませんなぁ」
俺は眉間の皺を深くし、クレイグを睨んだ。
「なにが言いたい」
「いえいえ、思ったことを言ったまでです。
深い意味はありませんよ。
それはそうと、エメライン様にもお手紙が届いておりました」
「エミーに手紙? イーノックからか?」
イーノックは現在、王都に出向いて温泉宿を建設するための設計士などの手配をしているところだ。
元伯爵で人気レストランの敏腕経営者だったイーノックはとても顔が広く、建築関係の伝手もいくつかあるのだそうで、なんとも頼もしいことだ。
「イーノック殿からと、ご実家からの合計二通です」
エミーの実家といえば、アシュビー侯爵家だ。
話に聞く限り、家族関係は極めて希薄だったようで、それを証明するようにエミーがここに来て三か月もたつのに、手紙が届くのはこれが初めてのはずだ。
もしかしたら、エミーが傷つくような心無い言葉が書き綴られているかもしれない。
いつもまっすぐに俺に恋情を伝えてくる碧の瞳が涙で濡れる様を想像すると、居ても立ってもいられなくて俺は立ち上がった。
「エミーはどこだ」
「サロンにいらっしゃいます」
俺は足早にサロンへと向かった。
「ダスティン様!」
俺がサロンに顔を出すと、エミーはぱっと笑顔になって駆け寄ってきた。
そんなエミーを抱きしめて、額か頬にキスをするのが最近の俺の習慣になっている。
「エミー、手紙が届いたと聞いたが」
「イーノックが、最近名を上げつつある建築家に話をつけてくれたのだそうです。
それで、一度こちらに連れて来たいということなのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろんだ。
俺も話をしてみたいから、屋敷に招待するよう伝えてくれ」
「ありがとうございます!
そのように返事を書きますわね」
きらきらと輝く瞳には、昏い影は見えない。
「実家からの手紙も届いたと聞いたが」
「ええ、届きましたわ」
どうぞ、と手渡された手紙にさっと目を通すと、エミーの父であるアシュビー侯爵ではなく、ブライアンという義弟からの手紙であることがわかった。
神経質そうな字で、『傷物でも受け入れてやるから、早く戻ってこい』というようなことが上から目線で書いてあり、俺はなんとも不快な気分になった。
義弟に嫌われているとエミーは言っていたが、それならなぜこんな手紙を送ってきたのだろうか。
出戻った義姉を政略結婚の道具にでもするつもりなのだろうか。
「この手紙にも返事を書くのか」
「そうですわね。
無視したいところですけど、それで探りをいれられたらまた面倒なことになりそうです。
ここでメイドとして働かせてもらっている、ということにでもしましょうか。
ブライアンはあの王太子殿下の側近でもありますから、正直に『幸せに暮らしています』なんて返事をするわけにはいきませんもの」
俺と茨姫を二人まとめて不幸にするために、御璽まで持ち出して無理やり結婚させた王太子だ。
俺たちが幸せに暮らしていると知ったら、またなにかしかけてくるかもしれない。
エミーを建前だけでもメイドにするなど気が進まないが、厄介事を避けるためにはしかたがないだろう。
その前に、俺には心配なことがある。
「エミー……無理をしていないか?」
俺の問いかけの意味がわからなかったようで、エミーは首を傾げた。
そんな仕草も子猫のようで可愛いらしい。
「この手紙には、それなりに酷いことが書いてあると思うのだが」
「ええ、そうですわね。
わりと酷い内容だと私も思いますわ」
エミーはあっけらかんとした笑顔で頷いた。
「私は、とっくの昔にブライアンを切り捨てております。
ブライアンがなにを言っても、隣の家の犬が吠えているくらいにしか思わないことにしたんです。
それは手紙であっても同じことです。
相変わらず偉そうね、としか思いませんわ。
あの子は私をどうにかして利用したいのでしょうけど、大人しく利用されてあげるほど私は殊勝な性格ではありませんから」
それはそうだ。
エミーは芯が強くはっきりとした意志を持っている。
義弟だからといって、いいように利用などできないだろう。
「ブライアンも、アシュビー侯爵家に引き取られたばかりの時は、可愛かったのですよ。
私も義姉として面倒をみていたのに、反抗期なのかなんなのか、私の悪口を吹聴するようになってしまって。
茨姫を演じていた私には好都合なことではありましたけど、当時は悲しかったですわ」
「そうか……」
血の繋がらない美しい義姉に、思春期特有のなにかを拗らせてしまったのかもしれない。
もしそうなら少し気の毒に思うが、だからといってエミーを悲しませたことは許せない。
「私は、アシュビー侯爵家にも家族にも、なんの未練もありません。
恨みを持つほどの関わりすらなかったので、赤の他人とほとんど同じです。
今後も私の家族関係のことでなにかあるかもしれませんけど、心配なさらないでくださいね」
「わかった。きみの言葉を信じよう」
後でコリーンにこの話が本当なのかどうか確かめようと思いつつ、俺は頷いた。
「ただし、問題があったらどんな小さなことでも必ず俺に相談してくれ。
できる限り力になるからな」
「ありがとうございます。
頼りにしておりますわ」
エミーなら大概のことは自分で解決してしまいそうだが、それでも頼ってくれたら嬉しい。
そんなことを思う自分に、我ながら人が変わったようだと内心で苦笑した。
エミーは俺に恋情を伝えてはくるが、それは眼差しや仕草からであって、言葉ではなにも言わない。
同じ言葉を返すことができるほど、俺の心がまだ定まっていないことがわかっているのだろう。
俺に夜這いするくらい大胆なのに、愛情をねだることはしないのだ。
亡くなった俺の両親は、仲のいい夫婦だった。
俺もいつか結婚したら、両親のようになりたいと思っていた。
そして、それが甘い考えだったということを、前の結婚で思い知らされた。
だから、もう二度と結婚などしたくないと思っていたのに、エミーとの生活が驚くほど心地よくて、手放したくないと思っている。
フランもエミーに懐いているし、使用人や領民たちもエミーを慕っている。
ロニー以外のグリフォンたちもすっかり懐き、エミーの姿を見つけると撫でろと甘えるようになった。
シーラも言っていたように、マクドゥーガル辺境伯夫人に相応しい令嬢と言えるだろう。
頭では、そうわかっている。
エミーの寛容さに甘えているという自覚もあるが、情けないことにどうにもまだ踏ん切りがつかないくて、お試しの結婚を続けている。
「そうだ、ダスティン様。
もう少しお時間ありますか?」
「ああ、時間は大丈夫だが」
「ハンドクリームの試作品ができたんです。
試してみてくださいませ」
エミーはアボットで採れる薬草を用いて、ハンドクリームや化粧水などをつくろうと熱心に研究している。
新しい温泉宿でお土産品として販売するのだそうだ。
「ジギルという薬草の精油を混ぜてみました。
傷薬になる薬草だそうですから、水仕事などで手が荒れる人に売れると思うんです」
説明しながら、エミーは俺の手にクリームを塗り広げていった。
「どうですか?」
手の甲を触ってみると、ベタベタすることもなく、しっとりと皮膚が潤っているのを感じた。
「いい香りがするな。
使用感はいいと思うが、温泉宿の客は富裕層になる予定なのだろう?
水仕事をするような客はいないんじゃないか?」
「あ~……言われてみれば、そうですわね……」
エミーは傍に控えいるコリーンと顔を見合わせた。
ジギルは薬草ではあるが、ケアード山の麓では雑草扱いされるほどたくさん生えている。
それが有効活用できるなら、ありがたいことだ。
「これをつくるには、高価な材料が必要なのか?」
「いいえ、精油と蜜蝋と植物油だけですので、そう高価なものではありません」
「それなら、試しに宿場町で売ってみてはどうだ。
宿やレストランなら水仕事もたくさんあるだろうから、効果があるならきっと喜ばれるぞ」
俺の提案に、エミーはぱっと顔を輝かせた。
「それはいいですわね!
安価な瓶をつかえば、平民でも手が出しやすい価格にできると思います!」
「どれくらい効果があるのか検証する必要もあるだろう。
まずは屋敷の使用人たちに使わせて、意見を聞いてみるといい」
「私もそれをお願いしようと思っていたんです。
シーラたちのためにも、頑張りますわね!」
というわけで、ジギル入りハンドクリームの試作品は使用人たち全員に配られ、とくに洗濯や掃除をするメイドたちから大好評となった。
評判を聞きつけたグリフォン騎士団員も興味を示したので、エミーに頼んでこちらにも試作品を配ってもらった。
武器の手入れや訓練などでなにかと手が荒れることが多いこともあり、こちらでも大好評で、エミーの株は各方面で急上昇する結果となった。
カーターがやってきたのは、ちょうどそんな時だった。
「久しぶりだね、ダスティン!」
かっちりとした濃いグレーのフロックコートに細身の長身を包んだカーターは、いつもと同じ騎士服を着ている俺をぎゅっと抱きしめた。
「きみが結婚したって聞いて驚いたよ。
しかも、相手があの茨姫だというじゃないか!
心配で飛んできてしまったよ」
「結婚したのはもう三か月も前のことだぞ」
「ハウズ共和国に行ってて、先日やっと帰ってきたところなんだからしょうがないじゃないか。
これでも急いだんだからね」
ハウズ共和国というのは、バンクス王国の東側の海に浮かぶ島々で構成された新興国だ。
好奇心が強いカーターのことだから、なにか珍しいものがないか探しに行ったのだろう。
「それで、茨姫はどこにいるの?
まさか、修道院に送ったりしてないよね?」
「そんなことするわけないだろ。屋敷にいるよ。
ちゃんと紹介してやるから、その前に俺の話を聞いてくれ」
放っておいたら勝手知ったる屋敷内でエミーを探し回りそうな勢いのカーターを、俺は執務室に引きずりこんで、結婚した経緯から今までのことを説明した。
カーターは目を丸くしながら最後まで話を聞くと、紺色で切れ長の瞳をキラキラと輝かせた。
「あの茨姫がそんな面白い令嬢だったなんて!」
「……次に茨姫と言ったら、その口を縫いつけてやるからな」
「そんなに怒るなよ。
もう言わないってば。
それより、早く会わせてよ」
「お試し中ではあるが、エミーはマクドゥーガル辺境伯夫人だ。
そう思って接するんだぞ」
「わかってるよ!
女性に無礼な真似なんかしないよ!」
本当は会わせたくないのだが、そういうわけにもいかない。
渋々ながら、俺はカーターを連れてエミーが待つサロンへと向かった。
来客があることを知らせてあったので、今日のエミーはいつもよりやや濃い目の化粧をしている。
これはこれで可愛いのだが、それが俺のためではなくカーターのためだと思うと、胸がムカムカしてきた。
「カーター・ アディンセルと申します。
以後お見知りおきを」
「エメラインと申します。
こちらこそよろしくお願いいたします」
恭しくエミーの手を取りキスをするカーターに、エミーはきれいな笑顔を向けた。
それを横から見ていた俺は、さらに胸がムカムカするのを抑えきれなかった。
カーターはなかなかの美丈夫で、国元ではそれなり浮名を流しているそうだ。
俺の従兄弟なのに、黒髪なところ以外はなにも似ていない。
「ダスティンから事情は聞いています。
大変な思いをなさいましたね」
「大変なこともありましたけど、それも今の幸せのための布石だったのだと思っております。
ダスティン様には、本当にとてもよくしていただいておりますの」
にこやかに応えるエミーに、カーターはチラリと俺に意味深な視線を向けた。
「お茶をお淹れしますわ。
どうぞお掛けください」
俺はできることならエミーをどこかに隠してしまいたいと思いながら隣に座り、細い腰に腕を回して抱き寄せた。
こうしておかないと、どうにも安心できない。
エミーは少し驚いた顔で俺を見上げたが、なにも言わずに好きなようにさせてくれた。
「あれれ? このクッキー、塩味がしますね」
シンプルな見た目の焼き菓子を一口齧ったカーターが、また紺色の瞳を丸くした。
「塩味が甘味を引き立てるのです。
ダスティン様も大好きなクッキーなのですよ」
「もしかして、エメライン嬢がつくったのですか?」
「はい。フランと一緒に」
「へぇ、フランもお菓子づくりをするんですね」
「カーターおじ様に食べさせるんだって、張り切っていましたわ。
あとで美味しかったと伝えてあげてくださいね」
「もちろんですとも!」
フランはカーターにも懐いていて、カーターが訪ねてくることを伝えるととても喜んでいた。
カーターも、フランのことを可愛がってくれている。
「フランとも仲良くされているんですね」
「ええ、友達になりましたの」
さりげなく探るような視線を向けるカーターに、エミーは笑顔を崩さない。
「私は心からフランのことを可愛いと思っております。
前妻の子だからといって、虐げるようなことはいたしませんから、ご安心ください。
私が今後ダスティン様の子を授かったとしても、マクドゥーガル辺境伯家の嫡男はフランだということは動きません」
「……我が子に家を継がせたい、とは思わないのですか?」
「私に子ができたら、ほしいものは自力で手に入れるようにと言い聞かせようと思っています。
もし私の子がフランを押しのけてマクドゥーガル辺境伯家を継ぎたいというなら、周囲を納得させられるだけの能力を身に着けるように言いますわ。
それができるかどうかは、本人の努力次第です」
そんなことを考えていたのか。
俺は、漠然とエミーに似た子ができたら可愛いだろうなくらいにしか考えていなかったというのに。
やはり、エミーはしっかりものだ。
だからこそ、イーノックたちのような忠臣を得ることができたのだろう。
カーターの瞳が、好奇心にキラキラと輝いた。
案の定、この男もエミーが気に入ったようだ。
「僕はしばらくこの屋敷に滞在する予定です。
僕とも仲良くなってくださると嬉しいです」
「ええ、もちろんですわ」
カーターは、エミーが俺の嫁として相応しいかどうか親族目線で見定めようとしていて、エミーもそれを察してカーターを受け入れている。
そうとわかっていても、この二人が仲良くなるのはなんとも嫌な気分だった。
そして、俺はこのムカムカが生まれて初めて抱く嫉妬という感情をであることに気がついた。
エミーが他の男と話しているのを見ると、どうにもムカムカすると以前から思っていたが、まさかこの俺が嫉妬することがあるなんて、自分でも驚きだ。
カーターは魅力的な男だ。
もしかしたら、エミーは俺よりもやつのことを好きになってしまうかもしれない。
そうなったら、俺は黙って身を引くことができるだろうか。
想像するだけで、こんなにも胸が痛むというのに……
カーターは馴染みの使用人たちにエミーのことを聞いて回り、全員から「とてもいい奥様です」と異口同音な返答を得ると、フランとジェフにもエミーのことをどう思うか尋ねた。
「エミーは僕たちのお友達だよ!」
「僕が生まれたのはエミー様のおかげだって、おじいちゃんたちがいつも言ってます」
「ジェフと僕がお友達になれたのも、エミーのおかげだよ!」
「僕たち、エミー様が大好きです!」
幼い子供たちの清らかな笑顔に、真っ黒に汚れたカーターの心も少しは浄化されるといいのだ。
一通り調査を終えると、やつはエミーの後をついて回るようになった。
エミーは面倒な男がくっついていても構うことなく、普段通りにハンドクリームや化粧水の試作をして、料理をして、フランとジェフと遊んで、グリフォンたちと戯れ、領民たちと笑顔で会話をした。
本当は俺もエミーにくっついていたかったのだが、仕事があるからそうもいかず、信頼できる騎士を護衛につけて見張らせ、なにがあったか全て報告させた。
カーターはエミーをさりげなく誘惑しようとし、エミーは少しも靡かずあっさりと躱し続けているのだそうだ。
「そろそろ気が済んだのではないか?」
「まだまだ! あの子、面白すぎるよ!」
そんな日々が十日ほど続き、いい加減に家に帰れと促したのに、やつはまだ居座る気なようだ。
困ったものだと思っているところに、イーノックが建築家を連れて戻ってきた。
「アボットに温泉宿をつくるの⁉
その話、僕も混ぜて!」
当然ながらカーターは瞳をキラキラとさせながら首を突っ込んできた。
そして一通り話を聞くと、
「ハウズ共和国には温泉がたくさんあって、それを利用した公衆浴場がつくられてるんだ。
その方面の専門家と知り合いになったから、協力してくれるよう頼んでみるよ!」
ということで、再びハウズ共和国に飛んで行ってしまった。
「すまないな。カーターは昔から騒がしいんだ」
「とても楽しい方ですわね。
面白い話をたくさんしてくださいましたわ」
エミーが他の男のことを話すだけで、胸がムカムカする。
「私のことは、ダスティン様の妻として認めてくださったのでしょうか」
「なにも言わなかったから、認めたということなのだろう」
カーターから、バンクスにいる伯母にも話が伝わるはずだ。
しばらく会っていないが、伯母は俺とフランのことを気にかけてくれている。
エミーがアボットに来てすぐ、簡単に事情を説明した手紙を送ったが、心配されていることはわかっていた。
これで安心してくれるといいのだが。
「ダスティン様」
エミーが両手で俺の頬を包んだ。
微かに甘い香りがするのは、新しいハンドクリームの香りなのだろうか。
「カーター様は素敵な方ですけど、ダスティン様はもっともっと素敵です。
私は心変わりなどしていませんからね!」
頬を膨らませて抗議するエミー。
俺が疑って嫉妬していたこともしっかり伝わっていたようだ。
カーターが滞在している間、俺のエミーに対する態度がどうしてもぎこちなくなってしまっていたから、俺の考えなど筒抜けだったことだろう。
「すまない、エミー。
きみを試すようなことをしてしまった」
「ダスティン様は私の初恋で、初恋はまだ終わっていません。
今のところ、私が死ぬまでずっと続く予定です。
信じてくださいますか?」
「信じる。信じるよ」
俺はエミーをぎゅっと抱きしめた。
お試しの結婚が期限切れとなり、俺が結婚しないという決断を下したら、温泉宿が完成し軌道に乗った後、エミーはアボットを離れ今度こそバンクスに行くのだそうだ。
そうなったら、絶対にカーターがちょっかいを出すだろう。
いや、それ以前に。
彼女がくれるこの心地よい温もりを手放すなんて、俺にできるとは思えない。
彼女がいない生活など、もう考えられない。
他の男が彼女に触れることを考えるだけで、血が沸騰しそうになるというのに。
「……寝室に行かないか」
まだ陽が高い時間だが、今すぐ彼女がほしくなってしまった。
カーターという不安因子が去り、彼女は俺の元に留まってくれた。
それが心の底から嬉しい。
彼女は驚いたように碧の瞳を見開き、それから頬を赤く染めて頷いた。
俺はその華奢な体をさっと抱き上げると、足早に寝室へと向かった。
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