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㉖ 思いがけない復讐劇
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はっとして振り返ったのは、南の方角。
「グリフォン騎士団だ!」
南側の窓の近くにいた誰かが叫んだ直後、大きく開け放たれたテラスに二頭のグリフォンがふわりと着地した。
あの二頭は……ダスティン様のロニーと、副官デリックのクレアだ。
その背後で、はっきりとした数はわからないが十頭以上のグリフォンたちが会場の外にある庭園へと降りていくのが見える。
周囲を威嚇しながら会場へと踏み込んでくる二頭の大きなグリフォンに、人々は悲鳴を上げた。
そんな騒ぎの中、遠くまでよくとおる雄々しい声が響いた。
「エメライン! エメラインはどこだ!」
ダスティン様だ。
ロニーに騎乗したまま、愛しい男が私の名を呼んでいる。
来てくれた。
ちゃんと、迎えに来てくれたのだ。
「ダスティン様! 私はここです」
重たいドレスの裾をたくし上げ、脇目もふらず駆けだした。
「エメライン! エミー!」
ダスティン様はひらりとロニーから飛び降りると、真っすぐに胸に飛び込んできた私をきつく抱きしめた。
「すまない、迎えに来るのが遅くなってしまった」
「ダスティン様……」
「一緒にアボットに帰ろう。
フランたちが心配している」
優しい声に頷きたいが、それはできない。
迎えに来てくれた。
嬉しい。とても嬉しい。
でも、もう遅い。
逞しい胸に顔を埋めたまま、涙がぽろぽろとこぼれた。
「ダスティン様……迎えに来てくださって、ありがとうございました……
とても、嬉しかったです」
「エミー?」
「私とブライアンの婚姻が、成立してしまいました。
私はもう……ダスティン様の妻にはなれません」
「……また御璽を使われたのか」
ダスティン様は、やれやれといった顔で溜息をついた。
「大丈夫だ。御璽だろうが王命だろうが、全て無効になる切り札を持ってきた。
カーター!」
「はーい! 僕の出番だね!」
カーター様は、デリックと二人乗りしていたクレアの背から飛び降りた。
「僕はカーター・アディンセル!
バンクス王国のアディンセル侯爵家次男で、そこにいるダスティン・マクドゥーガルの従兄弟にあたります。
それから、バンクス王国の王太子の従兄弟でもあります」
アディンセル侯爵家の現当主の奥方は、ダスティン様の伯母だ。
そして、バンクス王国の現王妃は、アディンセル侯爵家から輿入れしたカーター様の伯母なのだ。
というわけで、カーター様はバンクス王家とも強い繋がりを持っている。
「あちらの国王陛下にお願いして、ちょっとした書類に署名をいただいてきました。
どうぞご覧ください、ホールデンの国王陛下」
カーター様は懐から封筒を取り出し、そこにバンクス王家の紋章がはっきりと描かれているのが皆からよく見えるように掲げた。
国王陛下の護衛騎士が慌ててカーター様に駆け寄って封筒を受け取り、国王陛下に手渡した。
「な……これは……」
さっと封を開けて書類に目を通した国王陛下は、青ざめた顔で目を剝いた。
「我がマクドゥーガル家が治めるアボットは、今日この時をもってホールデン王国から独立し、新たにマクドゥーガル公国としてバンクス王国の属国となる!」
堂々と宣言したダスティン様を、私は信じられない気持ちで見上げた。
ゴドウィンの予想通り、アボットが独立する。
ということは、ダスティン様にはホールデン王国の御璽の効力は及ばないのだ。
「アボットの街道を商人たちが通過する際、これからは安価な通行料ではなく適正な関税を課すこととする」
アボットの街道は、バンクス王国だけでなく他の諸外国にも通じており、この街道を通らないとものすごく遠回りになってしまう国も複数ある。
そういった国との取引は、今後は経費が高額になり利益が出にくくなるのだ。
「それから、グリフォンの羽毛も今後は正規料金で買い取ってもらう。
独立したのだから、ホールデンに納める税などない」
ホールデン王国は、グリフォンの羽とそれからつくられる魔法具により大きな利益を得ている。
それを失うのは、国全体にとってかなりの痛手なはずだ。
ダスティン様が宣言したこの二点だけでも、ホールデン王国のほぼ全ての貴族家がなにかしらの影響を受けることになるだろう。
悲鳴混じりのざわめきが、夜会の会場に満ちていく。
「そんな……そんなことをされては困る!」
顔色をなくした国王陛下を、ダスティン様は鼻で笑った。
「知ったことか。
ホールデンは、もうマクドゥーガルが守護するに値しないということだ。
もしまた我が妻に手を出そうとするなら、グリフォン騎士団が相手になるということを忘れるな」
先の戦役は、ダスティン様が率いるグリフォン騎士団の功績によりホールデン王国は勝利を収めることができた。
その強大な戦力が、ホールデンのものではなくなってしまったのだ。
「頼む! 考え直してくれ!」
「くどい。もう決まったことだ。
見てのとおり、バンクス国王の署名もある。
不服というなら、我らと戦争でもするしかないな」
仮にもしアボットに攻め込んだとしたら、グリフォン騎士団だけでなくバンクス王国軍も相手にすることになる。
どう考えても、ホールデンに勝ち目はない。
「愚かな王太子と、その側近たちよ。
おまえたちのおかげで、俺はエメラインと出会うことができた。
それに免じて、八つ裂きにするのは勘弁してやろう。
感謝するがいい」
ロニーが鋭い嘴をガチンと噛み鳴らして王太子殿下たちを睨んだ。
「ひぃっ……!」
青ざめた殿下は側近たちの後ろに隠れようとし、側近たちは殿下を前に押し出そうとわちゃわちゃしていて、なんとも見苦しい。
殿下を始めとした貴族たちが騎士を野蛮だと蔑ろにし続けてきたことで、優秀な騎士の多くが辞職し、傭兵になったり他国で職を得たりしている。
優秀な騎士になる素質がある若者も、この状況では騎士の道を選択するはずがない。
そんなわけで、ホールデン王国では騎士の質が著しく低下しているのだが、グリフォン騎士団の戦力を失った今、先の戦役の時のようにまた攻め込まれたら、その騎士団だけで迎え撃たなくてはならない。
結果どうなるかは、その方面は素人の私でも予想がつくというものだ。
国王陛下が、さっきまでの私と同じような絶望の表情になった。
「ホールデン王国は……もう、終わりだ……」
がくりと膝をつく国王陛下。
この人は暗愚な王ではないのだが、息子の教育に失敗したことで大きく躓く結果となってしまった。
「エミー、あとできちんと全て説明する。
俺と一緒にアボットに戻ってくれるな?」
「はいっ……! もちろんです!
私をアボットに、連れ帰ってください!」
再び胸に飛び込んできた私を、ダスティン様は優しく抱きしめてくれた。
恋しくて仕方がなかった温もりに包まれ、私は喜びで涙が止まらなかった。
「あーっはっはっはっは!」
大きな笑い声が響いたのは、そんな時だった。
「この国も、ホールデン王家も!
もう全部終わりよ!
いい気味だわ!」
心の底から嬉しそうに顔を輝かせ笑っているのは、なんとシェリル王妃殿下だ。
「シェリル、おまえ……」
国王陛下が伸ばした手を、王妃殿下は汚物を見るような目をしながら払いのけた。
「知っているのよ。
あなたが私の夫を殺したことを!」
王妃殿下の夫?
よくわからないが、どうやらそれは国王陛下のことではなさそうだ。
「レヴィル伯爵のことを言っているのか?
あ、あれは事故で」
レヴィルという家名に聞き覚えはない。
おそらく、もう没落してしまった家なのだろう。
「嘘よ! 事故に見せかけて、あの人は殺された!
あなたがそうするように命じたのよ!
私を手に入れるために!」
私が生まれる前のことだから詳しくは知らないが、王妃殿下はかつて『傾国』と謳われたほどの美女で、国王陛下に強く望まれ妃となったというのは有名な話だ。
まさか、既婚者だった王妃殿下を手に入れるために、その夫を殺すなんて非道なことをしたのか。
「夫を亡くした悲しみで、お腹の子も流れてしまって……
あの時から、私は復讐のためだけに生きてきた。
それがついに叶ったのよ!
こんなに嬉しいことはないわ!」
「母上⁉ なにをおっしゃっているのです!」
混乱しつつも母を抑えようとした王太子殿下に、王妃殿下は憐れみの目を向けた。
「かわいそうなアルバート。
あなたの父親は、そこにいる男ではないわ」
これには、その場にいる全ての人が再び驚愕した。
「復讐のために体を好きにされるのは辛うじて耐えられたけど、憎い仇の子を孕むのだけは絶対に嫌だった。
だから、その男と同じ色の髪と瞳をした男娼から種をもらったの」
今まで疑問に思ったこともなかったが、言われてみれば王太子殿下は髪と瞳の色以外は国王陛下に似ているところはひとつもない。
銀髪も紫の瞳も、ホールデン王国ではそう珍しいものではないから、そういう男娼も探せば見つかるだろう。
たった一人しかいない王子に、まさかそんな出生の秘密があったなんて。
「私はあなたを大切に育てたわ。
いつかこの国を滅ぼしてくれる、愚かな王になるようにとね」
そういうことだったのか。
我儘を叱ることなく、ひたすらに甘やかし放題だったのは、息子を溺愛していたからではなかったのだ。
「あなたは私の期待通りに育ってくれたわ。
あなたのおかげで優秀な者は去り、要職についている騎士も文官も役立たずばかりよ。
本当にいい働きをしてくれたわね。
さすがは男娼の子だわ!」
国王陛下からの愛情を独占して他の女性と子を儲けるのを防ぎ、別の男との子を唯一の王子として暗愚な王に仕立て上げる。
すさまじく効果的な復讐だ。
そのために、王妃殿下は自分の全てを犠牲にしたのだ。
「そ、そんな……嘘だ……」
「嘘ではないわ。
ちゃんと証拠も残してあるから、後で見せてあげるわね」
成婚当時、王妃殿下は二十歳にもなっていなかったはずだ。
年若い少女が人生を捨てて復讐に身を捧げるほど、国王陛下とホールデンへの憎しみは深かったのだ。
王太子殿下も、青い顔でがくりと床に膝をついた。
いや、王家の血をひいていないのなら、もう王太子殿下ではないのだろう。
ホールデン王家には、王太子殿下以外の子はいない。
それなりに高齢で、ここ数年体調を崩しがちだった国王陛下が、新たに子を授かることができるとは考えにくい。
いろんな意味で、この国はこれから荒れるのは確定だ。
「エメライン!」
あまりのことに面食らい、涙も引っ込んでいた私を、王妃殿下は振り返った。
「もっと時間がかかるところだったけど、私の復讐は成ったわ。
しかも、あなたのおかげで想像以上に完璧な仕上がりよ!」
元から美しい王妃殿下は、今まで私が見た中で一番美しい満面の笑顔を浮かべていた。
「本当にありがとう。
いろいろと嫌な思いをさせて、ごめんなさいね。
あなたは幸せになりなさい。
元気でね」
「は、はい……」
気圧されながらも私は頷いた。
「エミー、もう俺たちにできることはない。
アボットに帰ろう」
ダスティン様に肩を抱き寄せられ、私は我に返った。
そうだ。ホールデンは、もう私たちの国ではなくなった。
ここでできることなどなにもないのだ。
「はい、ダスティン様。帰りましょうね」
「待て! エメラインを連れて行かないでくれ!」
追いすがろうとしたブライアンを、国王陛下の護衛騎士たちが羽交い絞めにして止めるのが見えた。
私はそんな義弟に背を向けて、ロニーに向き直った。
「迎えに来てくれてありがとう、ロニー。
また背中に乗せてちょうだいね」
ロニーは私の胸に頭をぐいぐいと押しつけてくる。
クルクルと喉を鳴らして甘える可愛い仕草に、私の頬が緩んだ。
それから、私はダスティン様とグリフォン騎士団とともにアボットへと帰還した。
空を駆けるロニーの背で、私はダスティン様のマントに包まれ、幸せを噛みしめていた。
そんなことがあってから間もなく、案の定ホールデンと西の隣国の間で再び戦が勃発した。
国王陛下も含め上層部が使い物にならないホールデン側がまともに応戦できるはずもなく、あっさりと白旗を揚げて降伏することになった。
ホールデンはそのまま西の隣国に一領地として併合され、公爵として封じられた隣国の王弟が治める領地となったのだそうだ。
王妃殿下の復讐は、こうして見事に幕を下したのだった。
という大雑把なこと以外、私はあれからのホールデンのことを知らない。
元婚約者や私の生家がどうなったかということも、なにも知らない。
ダスティン様を含む私の周囲の人々が、ホールデンに関する情報を私に教えないようにしているからだ。
私も自分で調べようとはしなかったし、知りたいとも思わなかったから、それでいいのだ。
一度だけ父から手紙が届いた。
ずっと使用人任せにしていたことの謝罪と、『こちらのことは気にしなくていいから、そっちで幸せになれ』という内容が書かれていた。
父も同じように使用人任せで育てられたから、そういうものだと思っていたのだそうだ。
私にまったく関心がないと思っていた父が、多少の情があるということがわかったので、もうそれだけで十分だ。
いろいろと言いたいこともあったが、返信はいらないと書いてあったので、もう過去のこととして全て忘れることにした。
かの国の王弟は頭脳明晰だと有名だったし、きっと父もなんとかなるだろう。
それ以降、二度と私が生家と関わりを持つことはなかった。
「グリフォン騎士団だ!」
南側の窓の近くにいた誰かが叫んだ直後、大きく開け放たれたテラスに二頭のグリフォンがふわりと着地した。
あの二頭は……ダスティン様のロニーと、副官デリックのクレアだ。
その背後で、はっきりとした数はわからないが十頭以上のグリフォンたちが会場の外にある庭園へと降りていくのが見える。
周囲を威嚇しながら会場へと踏み込んでくる二頭の大きなグリフォンに、人々は悲鳴を上げた。
そんな騒ぎの中、遠くまでよくとおる雄々しい声が響いた。
「エメライン! エメラインはどこだ!」
ダスティン様だ。
ロニーに騎乗したまま、愛しい男が私の名を呼んでいる。
来てくれた。
ちゃんと、迎えに来てくれたのだ。
「ダスティン様! 私はここです」
重たいドレスの裾をたくし上げ、脇目もふらず駆けだした。
「エメライン! エミー!」
ダスティン様はひらりとロニーから飛び降りると、真っすぐに胸に飛び込んできた私をきつく抱きしめた。
「すまない、迎えに来るのが遅くなってしまった」
「ダスティン様……」
「一緒にアボットに帰ろう。
フランたちが心配している」
優しい声に頷きたいが、それはできない。
迎えに来てくれた。
嬉しい。とても嬉しい。
でも、もう遅い。
逞しい胸に顔を埋めたまま、涙がぽろぽろとこぼれた。
「ダスティン様……迎えに来てくださって、ありがとうございました……
とても、嬉しかったです」
「エミー?」
「私とブライアンの婚姻が、成立してしまいました。
私はもう……ダスティン様の妻にはなれません」
「……また御璽を使われたのか」
ダスティン様は、やれやれといった顔で溜息をついた。
「大丈夫だ。御璽だろうが王命だろうが、全て無効になる切り札を持ってきた。
カーター!」
「はーい! 僕の出番だね!」
カーター様は、デリックと二人乗りしていたクレアの背から飛び降りた。
「僕はカーター・アディンセル!
バンクス王国のアディンセル侯爵家次男で、そこにいるダスティン・マクドゥーガルの従兄弟にあたります。
それから、バンクス王国の王太子の従兄弟でもあります」
アディンセル侯爵家の現当主の奥方は、ダスティン様の伯母だ。
そして、バンクス王国の現王妃は、アディンセル侯爵家から輿入れしたカーター様の伯母なのだ。
というわけで、カーター様はバンクス王家とも強い繋がりを持っている。
「あちらの国王陛下にお願いして、ちょっとした書類に署名をいただいてきました。
どうぞご覧ください、ホールデンの国王陛下」
カーター様は懐から封筒を取り出し、そこにバンクス王家の紋章がはっきりと描かれているのが皆からよく見えるように掲げた。
国王陛下の護衛騎士が慌ててカーター様に駆け寄って封筒を受け取り、国王陛下に手渡した。
「な……これは……」
さっと封を開けて書類に目を通した国王陛下は、青ざめた顔で目を剝いた。
「我がマクドゥーガル家が治めるアボットは、今日この時をもってホールデン王国から独立し、新たにマクドゥーガル公国としてバンクス王国の属国となる!」
堂々と宣言したダスティン様を、私は信じられない気持ちで見上げた。
ゴドウィンの予想通り、アボットが独立する。
ということは、ダスティン様にはホールデン王国の御璽の効力は及ばないのだ。
「アボットの街道を商人たちが通過する際、これからは安価な通行料ではなく適正な関税を課すこととする」
アボットの街道は、バンクス王国だけでなく他の諸外国にも通じており、この街道を通らないとものすごく遠回りになってしまう国も複数ある。
そういった国との取引は、今後は経費が高額になり利益が出にくくなるのだ。
「それから、グリフォンの羽毛も今後は正規料金で買い取ってもらう。
独立したのだから、ホールデンに納める税などない」
ホールデン王国は、グリフォンの羽とそれからつくられる魔法具により大きな利益を得ている。
それを失うのは、国全体にとってかなりの痛手なはずだ。
ダスティン様が宣言したこの二点だけでも、ホールデン王国のほぼ全ての貴族家がなにかしらの影響を受けることになるだろう。
悲鳴混じりのざわめきが、夜会の会場に満ちていく。
「そんな……そんなことをされては困る!」
顔色をなくした国王陛下を、ダスティン様は鼻で笑った。
「知ったことか。
ホールデンは、もうマクドゥーガルが守護するに値しないということだ。
もしまた我が妻に手を出そうとするなら、グリフォン騎士団が相手になるということを忘れるな」
先の戦役は、ダスティン様が率いるグリフォン騎士団の功績によりホールデン王国は勝利を収めることができた。
その強大な戦力が、ホールデンのものではなくなってしまったのだ。
「頼む! 考え直してくれ!」
「くどい。もう決まったことだ。
見てのとおり、バンクス国王の署名もある。
不服というなら、我らと戦争でもするしかないな」
仮にもしアボットに攻め込んだとしたら、グリフォン騎士団だけでなくバンクス王国軍も相手にすることになる。
どう考えても、ホールデンに勝ち目はない。
「愚かな王太子と、その側近たちよ。
おまえたちのおかげで、俺はエメラインと出会うことができた。
それに免じて、八つ裂きにするのは勘弁してやろう。
感謝するがいい」
ロニーが鋭い嘴をガチンと噛み鳴らして王太子殿下たちを睨んだ。
「ひぃっ……!」
青ざめた殿下は側近たちの後ろに隠れようとし、側近たちは殿下を前に押し出そうとわちゃわちゃしていて、なんとも見苦しい。
殿下を始めとした貴族たちが騎士を野蛮だと蔑ろにし続けてきたことで、優秀な騎士の多くが辞職し、傭兵になったり他国で職を得たりしている。
優秀な騎士になる素質がある若者も、この状況では騎士の道を選択するはずがない。
そんなわけで、ホールデン王国では騎士の質が著しく低下しているのだが、グリフォン騎士団の戦力を失った今、先の戦役の時のようにまた攻め込まれたら、その騎士団だけで迎え撃たなくてはならない。
結果どうなるかは、その方面は素人の私でも予想がつくというものだ。
国王陛下が、さっきまでの私と同じような絶望の表情になった。
「ホールデン王国は……もう、終わりだ……」
がくりと膝をつく国王陛下。
この人は暗愚な王ではないのだが、息子の教育に失敗したことで大きく躓く結果となってしまった。
「エミー、あとできちんと全て説明する。
俺と一緒にアボットに戻ってくれるな?」
「はいっ……! もちろんです!
私をアボットに、連れ帰ってください!」
再び胸に飛び込んできた私を、ダスティン様は優しく抱きしめてくれた。
恋しくて仕方がなかった温もりに包まれ、私は喜びで涙が止まらなかった。
「あーっはっはっはっは!」
大きな笑い声が響いたのは、そんな時だった。
「この国も、ホールデン王家も!
もう全部終わりよ!
いい気味だわ!」
心の底から嬉しそうに顔を輝かせ笑っているのは、なんとシェリル王妃殿下だ。
「シェリル、おまえ……」
国王陛下が伸ばした手を、王妃殿下は汚物を見るような目をしながら払いのけた。
「知っているのよ。
あなたが私の夫を殺したことを!」
王妃殿下の夫?
よくわからないが、どうやらそれは国王陛下のことではなさそうだ。
「レヴィル伯爵のことを言っているのか?
あ、あれは事故で」
レヴィルという家名に聞き覚えはない。
おそらく、もう没落してしまった家なのだろう。
「嘘よ! 事故に見せかけて、あの人は殺された!
あなたがそうするように命じたのよ!
私を手に入れるために!」
私が生まれる前のことだから詳しくは知らないが、王妃殿下はかつて『傾国』と謳われたほどの美女で、国王陛下に強く望まれ妃となったというのは有名な話だ。
まさか、既婚者だった王妃殿下を手に入れるために、その夫を殺すなんて非道なことをしたのか。
「夫を亡くした悲しみで、お腹の子も流れてしまって……
あの時から、私は復讐のためだけに生きてきた。
それがついに叶ったのよ!
こんなに嬉しいことはないわ!」
「母上⁉ なにをおっしゃっているのです!」
混乱しつつも母を抑えようとした王太子殿下に、王妃殿下は憐れみの目を向けた。
「かわいそうなアルバート。
あなたの父親は、そこにいる男ではないわ」
これには、その場にいる全ての人が再び驚愕した。
「復讐のために体を好きにされるのは辛うじて耐えられたけど、憎い仇の子を孕むのだけは絶対に嫌だった。
だから、その男と同じ色の髪と瞳をした男娼から種をもらったの」
今まで疑問に思ったこともなかったが、言われてみれば王太子殿下は髪と瞳の色以外は国王陛下に似ているところはひとつもない。
銀髪も紫の瞳も、ホールデン王国ではそう珍しいものではないから、そういう男娼も探せば見つかるだろう。
たった一人しかいない王子に、まさかそんな出生の秘密があったなんて。
「私はあなたを大切に育てたわ。
いつかこの国を滅ぼしてくれる、愚かな王になるようにとね」
そういうことだったのか。
我儘を叱ることなく、ひたすらに甘やかし放題だったのは、息子を溺愛していたからではなかったのだ。
「あなたは私の期待通りに育ってくれたわ。
あなたのおかげで優秀な者は去り、要職についている騎士も文官も役立たずばかりよ。
本当にいい働きをしてくれたわね。
さすがは男娼の子だわ!」
国王陛下からの愛情を独占して他の女性と子を儲けるのを防ぎ、別の男との子を唯一の王子として暗愚な王に仕立て上げる。
すさまじく効果的な復讐だ。
そのために、王妃殿下は自分の全てを犠牲にしたのだ。
「そ、そんな……嘘だ……」
「嘘ではないわ。
ちゃんと証拠も残してあるから、後で見せてあげるわね」
成婚当時、王妃殿下は二十歳にもなっていなかったはずだ。
年若い少女が人生を捨てて復讐に身を捧げるほど、国王陛下とホールデンへの憎しみは深かったのだ。
王太子殿下も、青い顔でがくりと床に膝をついた。
いや、王家の血をひいていないのなら、もう王太子殿下ではないのだろう。
ホールデン王家には、王太子殿下以外の子はいない。
それなりに高齢で、ここ数年体調を崩しがちだった国王陛下が、新たに子を授かることができるとは考えにくい。
いろんな意味で、この国はこれから荒れるのは確定だ。
「エメライン!」
あまりのことに面食らい、涙も引っ込んでいた私を、王妃殿下は振り返った。
「もっと時間がかかるところだったけど、私の復讐は成ったわ。
しかも、あなたのおかげで想像以上に完璧な仕上がりよ!」
元から美しい王妃殿下は、今まで私が見た中で一番美しい満面の笑顔を浮かべていた。
「本当にありがとう。
いろいろと嫌な思いをさせて、ごめんなさいね。
あなたは幸せになりなさい。
元気でね」
「は、はい……」
気圧されながらも私は頷いた。
「エミー、もう俺たちにできることはない。
アボットに帰ろう」
ダスティン様に肩を抱き寄せられ、私は我に返った。
そうだ。ホールデンは、もう私たちの国ではなくなった。
ここでできることなどなにもないのだ。
「はい、ダスティン様。帰りましょうね」
「待て! エメラインを連れて行かないでくれ!」
追いすがろうとしたブライアンを、国王陛下の護衛騎士たちが羽交い絞めにして止めるのが見えた。
私はそんな義弟に背を向けて、ロニーに向き直った。
「迎えに来てくれてありがとう、ロニー。
また背中に乗せてちょうだいね」
ロニーは私の胸に頭をぐいぐいと押しつけてくる。
クルクルと喉を鳴らして甘える可愛い仕草に、私の頬が緩んだ。
それから、私はダスティン様とグリフォン騎士団とともにアボットへと帰還した。
空を駆けるロニーの背で、私はダスティン様のマントに包まれ、幸せを噛みしめていた。
そんなことがあってから間もなく、案の定ホールデンと西の隣国の間で再び戦が勃発した。
国王陛下も含め上層部が使い物にならないホールデン側がまともに応戦できるはずもなく、あっさりと白旗を揚げて降伏することになった。
ホールデンはそのまま西の隣国に一領地として併合され、公爵として封じられた隣国の王弟が治める領地となったのだそうだ。
王妃殿下の復讐は、こうして見事に幕を下したのだった。
という大雑把なこと以外、私はあれからのホールデンのことを知らない。
元婚約者や私の生家がどうなったかということも、なにも知らない。
ダスティン様を含む私の周囲の人々が、ホールデンに関する情報を私に教えないようにしているからだ。
私も自分で調べようとはしなかったし、知りたいとも思わなかったから、それでいいのだ。
一度だけ父から手紙が届いた。
ずっと使用人任せにしていたことの謝罪と、『こちらのことは気にしなくていいから、そっちで幸せになれ』という内容が書かれていた。
父も同じように使用人任せで育てられたから、そういうものだと思っていたのだそうだ。
私にまったく関心がないと思っていた父が、多少の情があるということがわかったので、もうそれだけで十分だ。
いろいろと言いたいこともあったが、返信はいらないと書いてあったので、もう過去のこととして全て忘れることにした。
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