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7.祭りのあと
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我が操縦研の企画展に戻ると人で溢れていた。入りきらなかった人たちが廊下から爪先立ちで眺めている。柳田先生は受付でてんてこ舞いだった。ヨウジロウとマドカは実験の準備につきっきりで、殺到する観覧者の対応をしている暇はない。OBたちもアクションフィールドに上がろうとする幼稚園児たちと格闘し、雑司ヶ谷はお面をかぶった子供に太ももを殴られ、付き添いの保護者にキレている。
こりゃお祭りだな、と愉快に思いつつも、らしくない弱音を吐いた華山先輩が心配だった。先輩に目をやると、いつも通りの何を考えてるのかわからない顔で、アクションフィールドの真ん中に立つ。マドカに渡された紙袋の中から、ウエアラブルデバイスを取り出すと、軽く点検をして身につけた。
さっきまで学級崩壊した教室みたいだった会場は、華山先輩の様子を認めると、途端に静かになった。不思議なものだ。皆が先輩を注視している。老若男女問わず。
今日は4人、相互にコミュニケーションがとれる環境にあったので、ヘッドセットは必要ない。僕はいつも通り、アクションフィールドから少し離れたところに立って、実験を見守ることにする。実験の開始予定時刻まであと5分となった。華山先輩はコートを脱ぐと、フィールドの外に投げた。マドカが拾って畳む。決まったルーティンの通り、フィールドの真ん中にあぐらを組んで瞑想を始めた。
退屈を始めた子供達が騒ぎ出す。騒ぎ出すとは言ったが、大人しいもので授業中に先生の目を盗んでおしゃべりするくらいの囁き声。子供なりに空気を読んでいる。
開始時間が3分まで迫った頃、僕は用意していた前口上を述べる。これから行うのは医療実験であること。アクションフィールド内には絶対に入らないこと。写真、動画の撮影は禁止であること。などなど。皆、真剣な表情で耳を傾けてくれたので安心する。この間もヨウジロウとマドカはソ対機と連絡を取りながら、仮想フィールドの状況確認、フィールドの同期に余念がない。
ヨウジロウとマドカが激しく情報をやり取りする。予備実験を盛んに行なっていた頃は見慣れた光景だったが、このところ先輩の付き添いが多かったので、この夫婦喧嘩みたいなやりとりを見るのは懐かしくさえある。ひとりの子供が「けんかしてるの?」と母親に尋ねる。
予定時間が過ぎた。そろそろアミラルβ線にソレウス構造体がおびき寄せられる頃だろう。今日の患者は韓国の病院に入院しているとのこと。観覧者たちの緊張がピークに達した頃、マドカが叫んだ。
「来ます……っ!」
華山先輩が動き出した。小刻みなフットワーク。僕はアクションフィールドの向こうに設置されたスクリーンに目をやる。仮想フィールドの映像が投影されていた。今日は観覧者に掃討実験のリアルを見てほしかった。タブレットでイントゥ・ブラッドの映像を同時視聴なんてしてほしくない。だから僕らが用意したリアルタイムの仮想フィールド映像を投影することにしたのだ。
華山先輩がアクションフィールド内を素早く跳ね回る理由がわかった。今回のソレウス構造体はとても好戦的だった。動きが速すぎる。仮想ヴィジュアルの飾りに過ぎない羽根が、ソレウス構造体の動きについていけず、歪んだり、かすれたりする。流体内でこれだけの動きができるとは想定外だった。
しかし反面、安心もしていた。前回のソレウス構造体のように臆病で、フィールドの天井で耐えてばかりいる個体より戦いやすい。ベイリー所長の予想も外れた形になる。
とは言え、ここまで苦戦する華山先輩を見ているのはつらい。腕を縛られたように、先輩の両腕は身体にぶら下がっているだけ。攻撃を繰り出す隙を与えてくれない。仮想フィールド映像では大きな醜いアゲハ蝶が長い触覚をソレウスキラーの胴体に突き立てる。辛うじてかわし続けてはいるが、万が一捕まったら最後、鋭い口吻が装甲を突き破り、ソレウスキラーは機能停止に陥る。
先輩の予感は当たるかもしれないなんて不謹慎なことを思う。しかし、アクションフィールド内を舞う先輩は汗一つかかず、息も乱れず冷静だった。諦めたような表情はかけらもない。ヨウジロウは想定外の動きをみせるソレウス構造体に翻弄されつつも、パラメータを調整し、敵の挙動を捉える。マドカもソ対機と交信しながら現状の把握に努める。いつも通りだ。彼らは優秀で、失敗する要素なんて見つからない。
残り時間が2分ほどに迫った頃。ソレウス構造体の動きが一瞬止まった。あまりに唐突な出来事だったので、僕は同期にラグが生じたのかと思った。しかし、華山先輩はその瞬間を見逃さない。右手を突き出し、ソレウス構造体を捕捉した。ラグではなかった。スクリーンの中でソレウスキラーが不気味な蝶の首根っこを掴んでいる。黙って実験の行く末を見守っていた人々が息を飲む。決着がつく瞬間を見逃すまいと、誰もが集中を絶やさない。
その時、ひとりの男がアクションフィールドに侵入した。オックスフォードシャツの中年の男。男は華山先輩に向かって走る。気づいた僕も人だかりをかきわけ走った。華山先輩はまだ気づいていない。目の前で蠢くソレウス構造体を無感情な目で見つめていた。先輩がソレウス構造体の腹に右ストレートを叩き込もうとした瞬間、男が先輩に掴みかかる。
一瞬が長く感じる。間に合わない。そう思った時、先輩が侵入者に気づいた。腕を引っ込め、突進してくる男を冷静に足払いした。男が派手に転んだ。
どうにか間に合った僕が男を取り押さえる。男は抵抗することなく、さめざめと泣いていた。OBたちと共に男をフィールドの外に出した。ざわつく会場。華山先輩はしばらく唖然とした表情で立っていた。けたたましいビープ音が会場を包む。スクリーンを見ると、ソレウス構造体がマイクロマシンにまとわりついていた。機体は動かない。実験は失敗だった。
混乱している観覧者たちを外に出し、企画展の扉を施錠する。男は椅子に座って呆然としていた。警察に突き出すべきかと思うが、とりあえず話を聞くことにして語りかけたものの、どうにも話が通じない。彼は韓国人だった。韓国語に堪能な柳田先生が通訳に買って出る。
少しずつ彼の行動の理由が明らかになった。彼は今日、僕らが担当した掃討実験の患者の息子だった。患者は72歳の女性。彼は仕事をクビになって、困窮していた。ソレウス構造体に寄生された母の保険金や国からの医療助成金で生活していたらしい。ソレウス構造体の掃討が成功してしまうと、生活の術が絶たれてしまうため、こういう行動に至ったらしい。
基本的に掃討実験の場所を知ることは不可能だ。でも僕らは公開で掃討実験を行ってしまった。僕らから日時を公開していたわけではないが、漏れないわけがない。こうして人が集まっていたのも、噂が広まっていたからだろう。彼はネット上に流れていた情報と、自分の母親の掃討実験の日にちが重なっていることに気づき、わざわざ日本まで来たらしい。日本までの旅費が出せるのか、と呆れはしたが、彼を全面的に責められなかった。僕らにも非はある。
結局、男を帰し、警察には何も言わなかった。ソ対機にはどうせバレることなので、正直に報告した。もちろん、しこたま怒られた。「今後の掃討実験の参加については追って連絡する」とのこと。まあ、契約は今回までの3連戦で終わりだったし、更新されるかは五分五分ってところだったから契約を切られたとしても仕方あるまい。
華山先輩は自分が言い出したことが発端となって、こういう事態を引き起こしてしまったことに罪悪感があったようで、ひたすら謝っていたが、僕らは華山先輩に怪我がなかったことに安心していたので先輩を慰める。
ショックではあった。いろんな考えや境遇の人がいて、僕らがやっていることが絶対的な正義ではなかったと気付かされた。今まで僕らを支えて来たモチベーションが少し揺らぐ。
確かにあの男の行動理由は身勝手で、実の母親のことなんて微塵も考えてなくて肯定はできないけれど、人間なんて追い詰められたら何をするかわからない。みんな自分は人殺しなんてしないと思っているけれど、殺人を犯すのはどこにでもいる“ふつう”の人間だ。確かにシリアルキラーなんていう人もいるけれどそれはごく少数で、大抵の殺人は身近な人物に対して起こる。家族や恋人、友人。
人間は脆いものでちょっとボタンを掛け違うと、自分でも思ってもみない行動をとってしまう。人間なんてそんなものだ。
こんなことが起きては続けるわけにもいかず、企画展は早めの閉展となった。僕らは講義室に持ち込んでいた掃討実験のデバイスたちを部室に運んだ。まだ外は明るくて、人で賑わっていた。
部室に入った途端、ヨウジロウがもう我慢ならないといった様子で、タバコに火をつける。紫煙が部室を満たした。
「今日で終わりかもしれないですね」
マドカが言った。華山先輩がごめん、と呟いたが、「そういう意味じゃないです」とマドカが微笑む。
「どっちにしろ、今日の実験で契約は一旦終了ですし。あー、楽しかったな」
「不謹慎だろ、楽しかったなんて」
ヨウジロウは灰皿がわりの缶コーヒーにタバコを突っ込みながら言ったが、口元が笑っていた。僕も同じ気持ちだった。達成感。確かにあんなことがあったのは残念だったが、反面、刺激的な出来事に対しての興奮もあった。華山先輩が無事だったからこそこんなことを思えるわけだが。
「でも私が勝てば、もっと言えば、あんな馬鹿げた思いつきを言わなければ、もっとみんなと戦えたのに」
「違いますよ、先輩。誰も反対しなかったじゃないですか。僕らがみんなで決めたことです」
俯いたままの華山先輩に僕は言った。ヨウジロウとマドカが頷く。
「あの足払いすごかったですよ」
ヨウジロウが柔道の“支え吊り込み足”みたいな動きをする。みんな笑った。不謹慎かな。医療実験に参加していながら勝手な行動をとり、挙句、失敗した。今回の患者の家族は掃討を望んでいなかったけれど、患者やソ対機の人たちのことを思うと、もっと深刻な雰囲気でいるのが正しいかもしれない。
でも僕らは重責から(一旦)解放され安堵していたし、気の置けない仲間たちと1つのことを成し遂げた達成感に満ち足りていた。少しくらいのスリルは青春に不可欠だと自己を正当化する。反省会は後回しだ。
「せっかく早く閉めたわけだし、学園祭を楽しみましょー」
マドカの掛け声で僕らは部室の鍵を閉めた。
最後の追い込みをかける売り子を憐れみ、大幅に値下げされた焼きおにぎりや焼き鳥を買う。食べながら、学園祭のフィナーレを飾る花火を観た。実行委員だってお金があり余っているわけではないから数も規模も小さかったが、見慣れたキャンパスに煌びやかな光が拡散する様子は美しい。隣に立つ華山先輩の白い頬が赤や緑の光を反射する。
華山先輩の予感は当たった。イレギュラーな出来事に起因したとは言え、今回の実験は失敗に終わった。
今回の予感に限らず、先輩は超能力者なんじゃないかとたまに思うことがある。掃討実験はネット回線を通じて同期している。“7G”の超高速回線による通信の低遅延化、そして最先端のメディア同期技術によって、ラグは人間の感覚では掴めないほどの水準に達している。しかし、情報は光の速さを超えることはできない。限りなくゼロに近いラグであっても、ラグなど関係ない生身のソレウス構造体を相手とする掃討実験では障害となりうる。
実際、ラグが原因で実験に失敗したチームもあった。けれど先輩はラグなど全く影響ないように、驚異的な反射神経を見せる。超能力以外考えられなかった。僕は予感とか虫の知らせなんてものを信じたことはなかったが、この人については例外なのかも知れないと思う。
今日は祝勝会はない。マドカが「反省会しましょー」とか言い出すかと思っていたが、どうも疲れが溜まっているらしく、愛車の茶色のミニベロで帰っていった。まあ今日は色々ありすぎた。疲れるのは当然だった。
ヨウジロウとしばらくしゃべっていたが、飲み終えた缶コーヒーをキャパシティオーバーのゴミ箱に無理やり突っ込むと、「じゃあ」の一言で帰路につく。キャンパスの真向かいにある学生寮に帰って、今日もカップ麺を食べて寝るのだろう。気づけば華山先輩も居なくなっていて、僕は1人、駐輪場に立っていた。
バイク用の駐輪場はキャンパスの上手にあって、少しずつ片付けられてゆく学園祭の名残を眺めることができた。やっぱり祭りの後は寂しい。
原付のエンジンをかける。やっぱり僕のオンボロ原付は今晩もご機嫌斜めだった。これから秋がやってくる。そろそろ買い替えどきかもしれないなあ、と思いながら、街灯に飽きることなく体当たりする大きな蛾を見ていた。
こりゃお祭りだな、と愉快に思いつつも、らしくない弱音を吐いた華山先輩が心配だった。先輩に目をやると、いつも通りの何を考えてるのかわからない顔で、アクションフィールドの真ん中に立つ。マドカに渡された紙袋の中から、ウエアラブルデバイスを取り出すと、軽く点検をして身につけた。
さっきまで学級崩壊した教室みたいだった会場は、華山先輩の様子を認めると、途端に静かになった。不思議なものだ。皆が先輩を注視している。老若男女問わず。
今日は4人、相互にコミュニケーションがとれる環境にあったので、ヘッドセットは必要ない。僕はいつも通り、アクションフィールドから少し離れたところに立って、実験を見守ることにする。実験の開始予定時刻まであと5分となった。華山先輩はコートを脱ぐと、フィールドの外に投げた。マドカが拾って畳む。決まったルーティンの通り、フィールドの真ん中にあぐらを組んで瞑想を始めた。
退屈を始めた子供達が騒ぎ出す。騒ぎ出すとは言ったが、大人しいもので授業中に先生の目を盗んでおしゃべりするくらいの囁き声。子供なりに空気を読んでいる。
開始時間が3分まで迫った頃、僕は用意していた前口上を述べる。これから行うのは医療実験であること。アクションフィールド内には絶対に入らないこと。写真、動画の撮影は禁止であること。などなど。皆、真剣な表情で耳を傾けてくれたので安心する。この間もヨウジロウとマドカはソ対機と連絡を取りながら、仮想フィールドの状況確認、フィールドの同期に余念がない。
ヨウジロウとマドカが激しく情報をやり取りする。予備実験を盛んに行なっていた頃は見慣れた光景だったが、このところ先輩の付き添いが多かったので、この夫婦喧嘩みたいなやりとりを見るのは懐かしくさえある。ひとりの子供が「けんかしてるの?」と母親に尋ねる。
予定時間が過ぎた。そろそろアミラルβ線にソレウス構造体がおびき寄せられる頃だろう。今日の患者は韓国の病院に入院しているとのこと。観覧者たちの緊張がピークに達した頃、マドカが叫んだ。
「来ます……っ!」
華山先輩が動き出した。小刻みなフットワーク。僕はアクションフィールドの向こうに設置されたスクリーンに目をやる。仮想フィールドの映像が投影されていた。今日は観覧者に掃討実験のリアルを見てほしかった。タブレットでイントゥ・ブラッドの映像を同時視聴なんてしてほしくない。だから僕らが用意したリアルタイムの仮想フィールド映像を投影することにしたのだ。
華山先輩がアクションフィールド内を素早く跳ね回る理由がわかった。今回のソレウス構造体はとても好戦的だった。動きが速すぎる。仮想ヴィジュアルの飾りに過ぎない羽根が、ソレウス構造体の動きについていけず、歪んだり、かすれたりする。流体内でこれだけの動きができるとは想定外だった。
しかし反面、安心もしていた。前回のソレウス構造体のように臆病で、フィールドの天井で耐えてばかりいる個体より戦いやすい。ベイリー所長の予想も外れた形になる。
とは言え、ここまで苦戦する華山先輩を見ているのはつらい。腕を縛られたように、先輩の両腕は身体にぶら下がっているだけ。攻撃を繰り出す隙を与えてくれない。仮想フィールド映像では大きな醜いアゲハ蝶が長い触覚をソレウスキラーの胴体に突き立てる。辛うじてかわし続けてはいるが、万が一捕まったら最後、鋭い口吻が装甲を突き破り、ソレウスキラーは機能停止に陥る。
先輩の予感は当たるかもしれないなんて不謹慎なことを思う。しかし、アクションフィールド内を舞う先輩は汗一つかかず、息も乱れず冷静だった。諦めたような表情はかけらもない。ヨウジロウは想定外の動きをみせるソレウス構造体に翻弄されつつも、パラメータを調整し、敵の挙動を捉える。マドカもソ対機と交信しながら現状の把握に努める。いつも通りだ。彼らは優秀で、失敗する要素なんて見つからない。
残り時間が2分ほどに迫った頃。ソレウス構造体の動きが一瞬止まった。あまりに唐突な出来事だったので、僕は同期にラグが生じたのかと思った。しかし、華山先輩はその瞬間を見逃さない。右手を突き出し、ソレウス構造体を捕捉した。ラグではなかった。スクリーンの中でソレウスキラーが不気味な蝶の首根っこを掴んでいる。黙って実験の行く末を見守っていた人々が息を飲む。決着がつく瞬間を見逃すまいと、誰もが集中を絶やさない。
その時、ひとりの男がアクションフィールドに侵入した。オックスフォードシャツの中年の男。男は華山先輩に向かって走る。気づいた僕も人だかりをかきわけ走った。華山先輩はまだ気づいていない。目の前で蠢くソレウス構造体を無感情な目で見つめていた。先輩がソレウス構造体の腹に右ストレートを叩き込もうとした瞬間、男が先輩に掴みかかる。
一瞬が長く感じる。間に合わない。そう思った時、先輩が侵入者に気づいた。腕を引っ込め、突進してくる男を冷静に足払いした。男が派手に転んだ。
どうにか間に合った僕が男を取り押さえる。男は抵抗することなく、さめざめと泣いていた。OBたちと共に男をフィールドの外に出した。ざわつく会場。華山先輩はしばらく唖然とした表情で立っていた。けたたましいビープ音が会場を包む。スクリーンを見ると、ソレウス構造体がマイクロマシンにまとわりついていた。機体は動かない。実験は失敗だった。
混乱している観覧者たちを外に出し、企画展の扉を施錠する。男は椅子に座って呆然としていた。警察に突き出すべきかと思うが、とりあえず話を聞くことにして語りかけたものの、どうにも話が通じない。彼は韓国人だった。韓国語に堪能な柳田先生が通訳に買って出る。
少しずつ彼の行動の理由が明らかになった。彼は今日、僕らが担当した掃討実験の患者の息子だった。患者は72歳の女性。彼は仕事をクビになって、困窮していた。ソレウス構造体に寄生された母の保険金や国からの医療助成金で生活していたらしい。ソレウス構造体の掃討が成功してしまうと、生活の術が絶たれてしまうため、こういう行動に至ったらしい。
基本的に掃討実験の場所を知ることは不可能だ。でも僕らは公開で掃討実験を行ってしまった。僕らから日時を公開していたわけではないが、漏れないわけがない。こうして人が集まっていたのも、噂が広まっていたからだろう。彼はネット上に流れていた情報と、自分の母親の掃討実験の日にちが重なっていることに気づき、わざわざ日本まで来たらしい。日本までの旅費が出せるのか、と呆れはしたが、彼を全面的に責められなかった。僕らにも非はある。
結局、男を帰し、警察には何も言わなかった。ソ対機にはどうせバレることなので、正直に報告した。もちろん、しこたま怒られた。「今後の掃討実験の参加については追って連絡する」とのこと。まあ、契約は今回までの3連戦で終わりだったし、更新されるかは五分五分ってところだったから契約を切られたとしても仕方あるまい。
華山先輩は自分が言い出したことが発端となって、こういう事態を引き起こしてしまったことに罪悪感があったようで、ひたすら謝っていたが、僕らは華山先輩に怪我がなかったことに安心していたので先輩を慰める。
ショックではあった。いろんな考えや境遇の人がいて、僕らがやっていることが絶対的な正義ではなかったと気付かされた。今まで僕らを支えて来たモチベーションが少し揺らぐ。
確かにあの男の行動理由は身勝手で、実の母親のことなんて微塵も考えてなくて肯定はできないけれど、人間なんて追い詰められたら何をするかわからない。みんな自分は人殺しなんてしないと思っているけれど、殺人を犯すのはどこにでもいる“ふつう”の人間だ。確かにシリアルキラーなんていう人もいるけれどそれはごく少数で、大抵の殺人は身近な人物に対して起こる。家族や恋人、友人。
人間は脆いものでちょっとボタンを掛け違うと、自分でも思ってもみない行動をとってしまう。人間なんてそんなものだ。
こんなことが起きては続けるわけにもいかず、企画展は早めの閉展となった。僕らは講義室に持ち込んでいた掃討実験のデバイスたちを部室に運んだ。まだ外は明るくて、人で賑わっていた。
部室に入った途端、ヨウジロウがもう我慢ならないといった様子で、タバコに火をつける。紫煙が部室を満たした。
「今日で終わりかもしれないですね」
マドカが言った。華山先輩がごめん、と呟いたが、「そういう意味じゃないです」とマドカが微笑む。
「どっちにしろ、今日の実験で契約は一旦終了ですし。あー、楽しかったな」
「不謹慎だろ、楽しかったなんて」
ヨウジロウは灰皿がわりの缶コーヒーにタバコを突っ込みながら言ったが、口元が笑っていた。僕も同じ気持ちだった。達成感。確かにあんなことがあったのは残念だったが、反面、刺激的な出来事に対しての興奮もあった。華山先輩が無事だったからこそこんなことを思えるわけだが。
「でも私が勝てば、もっと言えば、あんな馬鹿げた思いつきを言わなければ、もっとみんなと戦えたのに」
「違いますよ、先輩。誰も反対しなかったじゃないですか。僕らがみんなで決めたことです」
俯いたままの華山先輩に僕は言った。ヨウジロウとマドカが頷く。
「あの足払いすごかったですよ」
ヨウジロウが柔道の“支え吊り込み足”みたいな動きをする。みんな笑った。不謹慎かな。医療実験に参加していながら勝手な行動をとり、挙句、失敗した。今回の患者の家族は掃討を望んでいなかったけれど、患者やソ対機の人たちのことを思うと、もっと深刻な雰囲気でいるのが正しいかもしれない。
でも僕らは重責から(一旦)解放され安堵していたし、気の置けない仲間たちと1つのことを成し遂げた達成感に満ち足りていた。少しくらいのスリルは青春に不可欠だと自己を正当化する。反省会は後回しだ。
「せっかく早く閉めたわけだし、学園祭を楽しみましょー」
マドカの掛け声で僕らは部室の鍵を閉めた。
最後の追い込みをかける売り子を憐れみ、大幅に値下げされた焼きおにぎりや焼き鳥を買う。食べながら、学園祭のフィナーレを飾る花火を観た。実行委員だってお金があり余っているわけではないから数も規模も小さかったが、見慣れたキャンパスに煌びやかな光が拡散する様子は美しい。隣に立つ華山先輩の白い頬が赤や緑の光を反射する。
華山先輩の予感は当たった。イレギュラーな出来事に起因したとは言え、今回の実験は失敗に終わった。
今回の予感に限らず、先輩は超能力者なんじゃないかとたまに思うことがある。掃討実験はネット回線を通じて同期している。“7G”の超高速回線による通信の低遅延化、そして最先端のメディア同期技術によって、ラグは人間の感覚では掴めないほどの水準に達している。しかし、情報は光の速さを超えることはできない。限りなくゼロに近いラグであっても、ラグなど関係ない生身のソレウス構造体を相手とする掃討実験では障害となりうる。
実際、ラグが原因で実験に失敗したチームもあった。けれど先輩はラグなど全く影響ないように、驚異的な反射神経を見せる。超能力以外考えられなかった。僕は予感とか虫の知らせなんてものを信じたことはなかったが、この人については例外なのかも知れないと思う。
今日は祝勝会はない。マドカが「反省会しましょー」とか言い出すかと思っていたが、どうも疲れが溜まっているらしく、愛車の茶色のミニベロで帰っていった。まあ今日は色々ありすぎた。疲れるのは当然だった。
ヨウジロウとしばらくしゃべっていたが、飲み終えた缶コーヒーをキャパシティオーバーのゴミ箱に無理やり突っ込むと、「じゃあ」の一言で帰路につく。キャンパスの真向かいにある学生寮に帰って、今日もカップ麺を食べて寝るのだろう。気づけば華山先輩も居なくなっていて、僕は1人、駐輪場に立っていた。
バイク用の駐輪場はキャンパスの上手にあって、少しずつ片付けられてゆく学園祭の名残を眺めることができた。やっぱり祭りの後は寂しい。
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