【完結済】999本のひまわりを君に

こゆき

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 写真立てを見つめながら、廊下を歩く。

 レリアから貰った写真の中で、ラーレは笑っている。
 ほんのりと頬を赤らめ、嬉しそうに目じりを下げて。

 陰ることもない、大好きな笑顔で。

 そこまで考えて、ピタリと足を止める。

「……大好きな?」

 何故そんなことを考えた?
 だって、俺は──

 ドン。

「わ!」
「あ……」

 思わず立ち止まってしまったところは、廊下の十字路の手前で。
 明らかにそんなところで突っ立ていた俺が悪いのに、ぶつかってしまった神父様は慌てて俺の様子をうかがう。

 反動で転んでしまったのは、神父様なのにも関わらず。

「すいません、イキシア! 怪我はありませんか?」
「……神父様」

 いつもなら。
 いつもなら、自分が悪いのだからすぐに謝罪をして、逆に神父様に怪我はないか確かめる。
 いつもなら、転んでしまった神父様に手を差し伸べて、立ち上がるのをお手伝いするのに。

 なのに、今の俺は、呆然と突っ立っていることしかできない、でくの坊だ。

 そんな俺に、神父様はほんの少し目を瞬いて、それから小さく微笑んだ。

「……イキシア、私の部屋においで。いい茶葉を町の方からいただいたんだ」

 皆には内緒だよ、なんて。
 優しく笑って手を差し出してくださる神父様に、幼い日に、泣いて教会を飛び出した日のことを、ぼんやりと思い出した。

 ああ、やはり、フリージア神父は、俺たちの神父様なんだ、と。
 彼の手を握り返しながら、ほんの少しにじんだ視界を、うつむくことで無理やり隠した。



「それで、どうしたんだい?」
「……急ですね」

 神父様のお部屋は、俺たちの部屋とそう変わらない広さだ。
 難しそうな本が本棚にたくさん並んでいて、幼いころはここがとても神聖な場所に感じていた。

 今でもそれは変わらないが……本棚に並ぶ聖書や経典、歴史書に混じって、『正しい子育ての秘訣』やら『パパになるための百の約束』やら『これであなたも立派な農夫!』なんんて本が並んでいるのを知れば、ほんのりと親しみやすくなるのが神父様のお部屋だ。
 ちらりと見た本棚にはまた『セクハラにならい部下との会話』なんて本が追加されていて、場違いにも少し笑ってしまった。

「いつもなら、言ってくれるのを待つんですけどね。君には、なんとなくぐいぐい行った方がいい気がしたんです」
「ぐいぐい……」
「ええ、こう、ぐいぐいと」

 ぐっと拳をつくる神父様に、肩の力が抜けていく。
 いつも通りの彼に、いつの間にか混乱していた気持ちが落ち着いていくのが分かった。

 ……この人には、一生敵わないのだろうな。

 差し出された紅茶は暖かく、両手でカップを包むように持つと、じんわりとその熱が手のひらから全身へと広がっていく。
 そのぬくもりに背中を押されるように、俺は口を開いた。

「……最近、なんだかおかしいんです」

 黙って、けれども俺のことを真っすぐに見つめながら聞いて下さる神父様の目は、とても柔らかい。

「とある人のことを、俺は知らないはずなのに、知っているような気がして……撮った覚えもない写真が出てきたり、色んなものが『お前は知っているはずだ』と、訴えてくるんです」

 主語もないめちゃくちゃな感情の吐露は、止まらない。
 内容も支離滅裂で、きっとちっとも伝わってないんだろう。
 それでも、言葉にして、誰かに聞いてもらうこと。

 それだけで、胸の奥に積もっていた靄が、ほんの少し晴れた気がした。

「……ふぅ」

 一気に喋ったせいで、喉が渇いた。
 手の中のカップを傾けると、ぬるくなった紅茶が喉を滑り落ちるのが心地良い。

 部屋の中には、窓の外で小鳥がさえずる微かな音と、時計の秒針が刻むリズムだけが聞こえていた。
 静かなこの空気は、嫌いじゃない。

「……イキシアが知らないはずの方は、ラーレであっていますか?」
「! なんで、知って……」

 その静寂を破ったのは、神父様の静かな一言だった。

 思わず顔を上げれば、神父様は、その優しい紫の瞳に悲痛な色を載せ、椅子から立ちあがるところだった。

 テーブルの引き出しを開け戻ってきた彼の手には、見覚えのある細長い箱が入っていた。

「実は、私も少しおかしいんですよ」

 その箱には、鮮やかな黄色いリボンが掛けられていた。
 手袋をした神父様の手が、ゆっくりとそれを解いていく。

 中から出てきたのは、小さな黄色い宝石のついた、小ぶりのロザリオだった。

「これは……」
「ええ、皆さんの成人の誕生日にお渡ししている、ロザリオです」

 高価なものではないので、いつも申し訳ないのですが……、と眉を下げる神父様にひとつ首を横にふり、それを見る。

 そのロザリオにはチェーンがついており、首から下げて持ち歩けるようになっている。
 俺も、数年前の誕生日に頂いたものだ。
 今も服の下にある、俺のお守り。

 ひとりひとり意匠が違っていて、俺のものには黒い宝石がついていた。
 同室のザンカのロザリオは赤い宝石だった気がする。

 神父様曰く、宝石は規格外のものだからそれほど価値はないらしいが、そんなことは関係なかった。

 眼前の箱に静かに横たわるのロザリオの中心の彩るのは、柔らかい黄色の宝石で。
 それは、とある少女の髪色を彷彿とさせた。

「これはね、ラーレに上げるはずだったんですよ」

 ロザリオを撫でるフリージア神父の声に、いつもの柔らかさはない。
 あるのは、心苦しい悲痛なそれだけだ。

「私は、ここにいる皆のことを、我が子のように思っています」
「……知っています」

 よく、知っている。

「ありがとう。……だから、誰一人の誕生日も忘れたことはなかったんです。──なのに、私は、彼女の誕生日を忘れていた」

 彼女が亡くなって、荷物の整理をしている時に、たまたま見つけて思い出したんですよ。

 そう告げる神父様の姿は、懺悔室で悔いを告白する人々になんとなく似ていた。
 きっと、さっきの俺も、似たような姿だったんだろう。

「その他にも、日記には君とラーレのことがたくさん書かれていました。──けれど、私にはその記憶がないのです」

 ぽつりと呟くようにこぼれ出た言葉は、ひどく乾いたもので。

「不思議ですね。──これが、神の思し召しなのでしょうか」

 もし、そうだというのなら。
 俺のループが、ラーレを忘れていることが、神の采配なのだとしたら。

「──私は、聖職者失格なのかもしれません」

 神なんてクソくらえ、と
 きっと、言葉は違うけど、俺もフリージア神父も、同じことを考えている。

 苦笑しようとして失敗した、という表現がよく似合う顔で、神父様は微笑んだ。

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