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38 将軍閣下と最終決戦④
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「どうなっているんだ」
「軍部の反乱らしいぞ」
「我々はいつ解放されるんだ」
口々に騒ぎ立てる人々を尻目に、パーシヴァルは壁に寄りかかってじっと周囲の様子を窺っていた。王太子が来賓たちの挨拶を受けるという話だったのでここで待たされていたのだが、いきなり扉を閉ざされて、危険だから出ないようにとだけ告げられた。
しばらく時間が経つが、どうやら反乱軍たちの目当ては来賓たちではないらしい。戦闘の中心は他の場所に移っているようだ。それでもこの部屋の扉は閉ざされたままだ。
もどかしい。だが、ここで出過ぎた真似をしても仕方ない。
パーシヴァルはストケシアの王宮であれば帯剣を許されていたが、ここは異国。剣はここに入る前に従者に預けてきた。
唯一良かったことはハルをここに連れてこなかったことだけだ。
一部の軍が王宮に攻め入って、王太子を捕らえようとしているらしい。
やり方が派手すぎる。こんなことで王太子を廃して第二王子が王位に就いたとしても受け入れられるものではないだろう。
それとも、反乱を起こした軍人たちは捨て駒で、彼らを第二王子が討った形にすれば……形式的には第二王子の評価が上がることになる。
もし、彼らが王太子派の兵力で鎮圧されれば、彼らの独断だったと言い逃れできるということか。
……どちらにしても末端の兵士たちが哀れだな。その反乱にしても誰かが唆したのだろうし。
前線にいた頃、パーシヴァルは苦い思いを幾度もさせられた。敵にも味方にも無能な上官がついていたために酷い死に方をした部隊がいた。捨てられるのはいつも末端だ。
気持ちが引きずられる。あの戦場にいた頃の自分に。獣のようにただ、生き延びるために頭を巡らせていた頃の。
……ハルはどうしているのか。
自分を引き戻してくれるのは彼だけだ。忙しく薬を配って回っているだろうか。
その姿を想像していれば、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「もしや、あなた様はフォレット将軍ではありませんか」
来賓の一人がパーシヴァルに声をかけてきた。癖のあるプロテア語だ。
「さすがの将軍閣下も災難ですなあ……」
男の周りにいた者たちもそう言って笑う。嫌な笑い方だ。
長く戦場にいたパーシヴァルには敵が多い。だから今まで外交にはあまり関わらなかった。腹の底で探り合いをするような外交や調停事は苦手だったのもある。
「お美しい奥方はどうなさったのですか? ストケシア国王の即位十周年式典でお連れになっていたそうですが」
「旅で疲れていたので馬車で待たせています」
パーシヴァルがそう答えた瞬間、彼らが一斉につかみかかってきた。
「それさえ聞けばあなたに用はない」
その言葉が聞こえた瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。男たちを力任せに振り払うと刺さっていた細剣を引き抜いた。その刃に何か塗りつけられているのに気づく。
「……毒か……」
剣の心得が全くなさそうな者たちだから、隙をついて切りつけるのが目的だったのか。
帯剣を許されない場で剣を持っているということは……これは王太子の手の者か。
全員を殴り倒して気絶させたところで、めまいがした。視界がだんだん狭まって暗くなる。そのまま床にへたり込んでしまった。
身体が痺れている。
動いたから毒が回ってしまったか。マズいな。
離れたところで見ていた他の来賓たちが、パーシヴァルが倒した男たちを捕まえて縛り上げた。毒という言葉も聞こえていたのか解毒薬を隠し持っていないか探っていたが、見つからなかったようだ。
「閣下。大丈夫ですか? 酷い汗が……」
声をかけてきた女性に見覚えがあった。舞踏会でクリスティアンに迫られていた外交官夫人だ。
そうか……自分を気にかけてくれる人もいるのか。
自分は父親からも見放されて、軍では氷壁将軍だのと恐れられ、家を継いだ後も呪われた公爵だのと遠巻きにされてきた。それが変わったのはハルに会ってからだ。
ハルが聞いたら自慢げに、パーシヴァル様は素敵な人ですから当然です、とか言ってくれそうだ。
ああ、ハル。彼に会いたい。なのにどうして身体が動かないんだ。
その時、締め切った部屋の中だというのに、頬を風が撫でていった。
……ハル?
あの柔らかな優しい歌声が耳を掠めた気がした。そのまま意識が遠のきそうになった瞬間、轟音とともに壮麗な装飾が描かれた天井が消し飛んだ。
おかしいな……空が見えるんだが……これも毒が見せる幻か?
パーシヴァルはそのまま目を伏せた。
* * *
ハルはバーニーとともに王宮の中で一番高い塔にいた。閉じこめられていた部屋には高い場所に明かり取りの窓があった。そこから風の精霊の力を借りて脱出してきた。
……パーシヴァル様を探さないと。
気持ちが焦って、集中できない。精霊に呼びかけないといけないのに。
「ハル。落ち着いて。ハルが狼狽えていたら精霊も狼狽えてしまうよ」
「師匠……」
「歌って。将軍閣下にも聞こえるように。精霊たちに伝わるように」
ここからなら、王宮が一望できる。このどこかにパーシヴァル様がいる。
見つけ出してみせる。
ハルは精霊に呼びかけるために大きく深呼吸して歌い始めた。
どうか力を貸して。ここに来て。
あの人を助けたい。僕の大事な人だから。
ハルの周りにいた風の精霊たちが歌声をさらに響かせる。一気に膨れ上がるように塔のまわりに精霊たちが集まってきたのがわかる。
どう言えば伝わるだろう。でも、早くしないと。
焦りで混乱していたハルは精霊たちにこう告げた。
「王宮の屋根全部ぶっ壊してもいいから、パーシヴァル様を見つけ出して」
背後でバーニーが目を瞠っていた。
「全部かあ……」
ハルはそれで思い出した。精霊たちは巫女の望みは必ず叶えるのだということを。
そして、すさまじい音とともに、王宮の屋根がことごとく破壊された。
「見つけたって」
バーニーがそう言うと、ハルをひょいと担いで塔の上から飛び降りた。
精霊たちが騒いでいる場所へ、風に運ばれて降り立つと人垣ができていて、その真ん中に仰向けに横たわったパーシヴァルがいた。
「パーシヴァル様」
慌てて駆け寄ると、唇の色が青くなって、呼吸も弱々しい。
脇腹の傷くらいしか外傷は見当たらないのに。どうして意識を失うようなことに。
「毒を塗った剣で斬られたのです」
側で付き添ってくれていた女性がそう教えてくれた。見ると雑に縛り上げられた男たちが転がっている。
毒の種類がわからなければ、解毒は難しい。だったら。
「……みなさん、離れていていただけますか」
ハルは両手を血の滲んだパーシヴァルの脇腹に当てた。
「ハル。それは危険だ。下手をすれば君に毒が回る」
バーニーがそう言っているのが聞こえたけれど、ハルは首を横に振った。
「もしそうなっても師匠ならその間に解毒剤作れるでしょう? よろしくお願いします」
「……無茶苦茶師匠使い荒いね、君」
自分の母も同じ力を持っていた。傷を治して元通りにする力。けれど、ハルたちを出産してから力が弱まった上にストケシア王国では精霊の加護が少ないからその力を発揮することは滅多になかった。
今なら自分の周りに無数の精霊たちがいて見守っている。
ここから入った毒を引っ張り出すのと同時に傷口を塞ぐ。毒に冒された神経も同時に治療する。順番を間違えたら毒を体外に出せなくなる。
自分が仕える手札全部を使ってでも、この人を助けたい。
「やります」
両手に意識を集中させる。
この治癒能力は人体の構造が頭に入っていないと上手く行かないと言われていた。だから必要な知識が身につくまでは使うのを禁じられていた。
……散々師匠に叩き込まれたから、今ならちゃんと使える。
痺れた身体から毒を集めて引き出す。そして治療。
ハルの周囲を取り囲むように精霊たちが集まって光を放つ。力を貸し与えてくれているのがわかる。
少しずつパーシヴァルの顔色に赤みが戻ってきた。傷口が塞がって出血も止まっている。
ハルの手のひらにべっとりと毒が付いていた。バーニーが濡らしてきたハンカチを差し出してそれを拭ってくれる。
「ちゃんと拭っておいて。毒の種類はわかったよ。後で念のために解毒剤を二人とも飲むんだよ? 全くもう。治癒能力で毒抜きするとかあり得ないことしないでほしいなあ」
「上手くいった?」
パーシヴァルの呼吸は安定している。脈も問題ない。
「すごいすごい。毒は抜けてるし、怪我も完治」
そう言われてハルはやっと頭が冷静になってきた。
何か、さっきから色々やらかしてないだろうか。
周囲を見ると、各国の来賓たちがすっかり石像のように固まっている。
「……師匠……」
助けを求めてバーニーに目を向けると、バーニーは大きく頷いた。
「よし。とりあえず馬車に戻ろうか」
そう言って風の精霊に呼びかけた。盛大に土埃が舞い上がる。
そのどさくさでハルとバーニーはパーシヴァルを連れてその場から逃げ出すことに成功した。
「……とりあえず、王太子に落とし前つけるのと第二王子のところから偽公爵夫人を助け出すのは後回しにして、全員と合流したらランドルフの所に行こうか」
公爵家の馬車を見つけて王宮から出ると、バーニーはそう言った。
「誰ですか?」
パーシヴァルを寝かせて顔を覗き込んでいたハルは思わず問い返した。
「大司祭。ハルのひいお祖父ちゃん」
「……大司祭ともお知り合いなんですね」
ハルは詮索を諦めた。いちいち驚いていたらこの師匠につきあうことはできない。
この人はカトカ王国の建国王なのだ、今さら誰と知り合いでも不思議じゃない。けど、顔広すぎ。
「王太子まで巫女に欲を出してきたんじゃ、この国で信用できる人はもうランドルフとレイラしかいないよ。そろそろレイラも大神殿に到着しているはずだ。明日の国葬は彼女が取り仕切るらしいから」
診療所に立ち寄ってハルたちを探していた護衛たちと合流して、馬車はそのまま大神殿に回った。
「やった。ちょうどいいよ。あれ、レイラの馬車だよ」
バーニーが大神殿に着いたばかりの馬車を見てそう言った。向こうもこちらに気づいたのだろう。従者を振り切ってこちらにすごい勢いで走ってくるレイラの姿が見えた。
何となく、レイラ伯母様って師匠と気が合いそう。
ハルはそう思いながらまだ目を覚まさないパーシヴァルの頬に触れた。
事情を聞くとレイラ司祭は公爵家一行を大神殿で賓客として受け入れると言ってくれた。国葬前日で慌ただしい中、部屋を用意してくれた。
王宮での反乱騒ぎは屋根が突然吹き飛ぶ騒ぎで戦意喪失して、全員投降して終わったという。王太子を捕らえようとしたから、精霊の怒りに触れたに違いないと怯えていたらしい。
第二王子派の思惑は逆に王太子の正当性を高める結果に終わってしまった。
「偉いわ。どうせやるのならとことんやるのが我がアストリー一族の家訓よ」
ハルたちの部屋を訪ねてきたレイラは、王宮の屋根を破壊したのがハルだと聞いてそう言ってくれた。両親は平民だったので姓を名乗らなかったが、アストリーは父方の家名だった。
「モーリス……あなたのお父さんは真面目で面白くない人だったけど、いざ駆け落ちとなったら頑張って逃げたんだから、偉かったと思うわ」
「そうですね……」
父が母を連れて逃げなかったら、自分は生まれていないのだ。
「あなたも疲れたでしょう。明日に備えて休みなさい。将軍閣下のお側にいて差し上げなさい」
レイラはそう言うと、ハルの頭を撫でてくれた。
この人も本当なら王族に連なる立場でありながら謀反人の娘として神殿で生きてきた。きっと楽な生き方ではなかったはずだ。なのにずっと離れていた甥のことを忘れずにいてくれた。
「あなたは確かにこの国の生まれだけど、それを背負う必要はないわ。あなたはあなたのしたいことをとことんやりなさい」
その強気な笑顔でハルは思い出した。
ハティの葬儀の日、祈りの言葉を唱えてくれた女性司祭。別れ際に泣いていた僕を抱き上げてくれた。あれはこの人だったんだ。
「……家訓には従います」
「あなたは本当にいい子ね」
ハルはやっと少し安心して、笑うことができた。
『なかなか目を覚まさないねえ。おとぎ話だとこういうとき、王子様のキスで目覚めるんだけどねえ』
様子を見に来たバーニーがそう言っていた。
……いやそれはお姫さまの場合だし。僕は王子様じゃないし。
それでも気になってそっと顔を近づけて、触れるだけのキスをした瞬間、ゆっくりと瞼が持ち上がって、淡い青い瞳がハルを見た。
「……パーシヴァル様?」
「ハル? さっき……天井が……」
ぼんやりとした口調でそう言ってから、やっと気がついたように周囲を見回す。それから自分の脇腹に目を向けて、もう一度ハルを見た。
「ここは?」
「大神殿の中です。レイラ司祭様の取り計らいでこちらに泊めていただけることになったんです」
「何だか妙な夢を見ていたような気がする。毒を塗った剣で腹を刺されて、倒れたところで……あるはずの天井がなくなって……空が見えたんだ」
「ごめんなさい。夢ではないです」
ハルは恥ずかしくて消え入りたい気分になった。自分が慌てて王宮の全部の屋根を壊すように口走ってしまったのが原因だ。
説明するとパーシヴァルは口元を押さえて笑い出した。
「……笑わないでください。僕、ホントに焦ってしまって……」
パーシヴァルが手を伸ばしてきて、ハルを抱き寄せた。
「すまない。ハルは私を案じてくれたのだな。とても嬉しい。それに貴重な力を使ってくれてありがとう。……だが、屋根を全部というのは……」
そう言ってまた思い出したように笑う。
「やっぱり笑う。酷いです……」
抗議しようと顔を見上げた瞬間に、唇が重なった。確かめるように触れると、口づけは深いものになる。息をつく暇も与えないほどに。
安堵感と触れ合える喜びとこみ上げてくる熱に、ハルの目から涙がこぼれた。
それに気づいたのかパーシヴァルが抱きしめる腕を少し緩めた。
「……すまない。浮かれているんだ。またハルをこの手に抱けるとは思わなかったから」
パーシヴァルは毒が回った時に最悪の事態を覚悟したのだろうか。彼は元々軍人だからそうした覚悟はどこかにあったのかもしれない。
「心配したんです。……パーシヴァル様まで……いなくなったらどうしようって……」
涙が止まらなくて、ハルは子供が駄々をこねるようにただ頭を横に振った。
こんな風に大泣きするのはいつぶりなのか。
宥めるように背中を撫でてくれる大きな手が嬉しくて、ハルはパーシヴァルの胸に顔を埋めて感情を吐き出すように泣き続けた。
「軍部の反乱らしいぞ」
「我々はいつ解放されるんだ」
口々に騒ぎ立てる人々を尻目に、パーシヴァルは壁に寄りかかってじっと周囲の様子を窺っていた。王太子が来賓たちの挨拶を受けるという話だったのでここで待たされていたのだが、いきなり扉を閉ざされて、危険だから出ないようにとだけ告げられた。
しばらく時間が経つが、どうやら反乱軍たちの目当ては来賓たちではないらしい。戦闘の中心は他の場所に移っているようだ。それでもこの部屋の扉は閉ざされたままだ。
もどかしい。だが、ここで出過ぎた真似をしても仕方ない。
パーシヴァルはストケシアの王宮であれば帯剣を許されていたが、ここは異国。剣はここに入る前に従者に預けてきた。
唯一良かったことはハルをここに連れてこなかったことだけだ。
一部の軍が王宮に攻め入って、王太子を捕らえようとしているらしい。
やり方が派手すぎる。こんなことで王太子を廃して第二王子が王位に就いたとしても受け入れられるものではないだろう。
それとも、反乱を起こした軍人たちは捨て駒で、彼らを第二王子が討った形にすれば……形式的には第二王子の評価が上がることになる。
もし、彼らが王太子派の兵力で鎮圧されれば、彼らの独断だったと言い逃れできるということか。
……どちらにしても末端の兵士たちが哀れだな。その反乱にしても誰かが唆したのだろうし。
前線にいた頃、パーシヴァルは苦い思いを幾度もさせられた。敵にも味方にも無能な上官がついていたために酷い死に方をした部隊がいた。捨てられるのはいつも末端だ。
気持ちが引きずられる。あの戦場にいた頃の自分に。獣のようにただ、生き延びるために頭を巡らせていた頃の。
……ハルはどうしているのか。
自分を引き戻してくれるのは彼だけだ。忙しく薬を配って回っているだろうか。
その姿を想像していれば、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「もしや、あなた様はフォレット将軍ではありませんか」
来賓の一人がパーシヴァルに声をかけてきた。癖のあるプロテア語だ。
「さすがの将軍閣下も災難ですなあ……」
男の周りにいた者たちもそう言って笑う。嫌な笑い方だ。
長く戦場にいたパーシヴァルには敵が多い。だから今まで外交にはあまり関わらなかった。腹の底で探り合いをするような外交や調停事は苦手だったのもある。
「お美しい奥方はどうなさったのですか? ストケシア国王の即位十周年式典でお連れになっていたそうですが」
「旅で疲れていたので馬車で待たせています」
パーシヴァルがそう答えた瞬間、彼らが一斉につかみかかってきた。
「それさえ聞けばあなたに用はない」
その言葉が聞こえた瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。男たちを力任せに振り払うと刺さっていた細剣を引き抜いた。その刃に何か塗りつけられているのに気づく。
「……毒か……」
剣の心得が全くなさそうな者たちだから、隙をついて切りつけるのが目的だったのか。
帯剣を許されない場で剣を持っているということは……これは王太子の手の者か。
全員を殴り倒して気絶させたところで、めまいがした。視界がだんだん狭まって暗くなる。そのまま床にへたり込んでしまった。
身体が痺れている。
動いたから毒が回ってしまったか。マズいな。
離れたところで見ていた他の来賓たちが、パーシヴァルが倒した男たちを捕まえて縛り上げた。毒という言葉も聞こえていたのか解毒薬を隠し持っていないか探っていたが、見つからなかったようだ。
「閣下。大丈夫ですか? 酷い汗が……」
声をかけてきた女性に見覚えがあった。舞踏会でクリスティアンに迫られていた外交官夫人だ。
そうか……自分を気にかけてくれる人もいるのか。
自分は父親からも見放されて、軍では氷壁将軍だのと恐れられ、家を継いだ後も呪われた公爵だのと遠巻きにされてきた。それが変わったのはハルに会ってからだ。
ハルが聞いたら自慢げに、パーシヴァル様は素敵な人ですから当然です、とか言ってくれそうだ。
ああ、ハル。彼に会いたい。なのにどうして身体が動かないんだ。
その時、締め切った部屋の中だというのに、頬を風が撫でていった。
……ハル?
あの柔らかな優しい歌声が耳を掠めた気がした。そのまま意識が遠のきそうになった瞬間、轟音とともに壮麗な装飾が描かれた天井が消し飛んだ。
おかしいな……空が見えるんだが……これも毒が見せる幻か?
パーシヴァルはそのまま目を伏せた。
* * *
ハルはバーニーとともに王宮の中で一番高い塔にいた。閉じこめられていた部屋には高い場所に明かり取りの窓があった。そこから風の精霊の力を借りて脱出してきた。
……パーシヴァル様を探さないと。
気持ちが焦って、集中できない。精霊に呼びかけないといけないのに。
「ハル。落ち着いて。ハルが狼狽えていたら精霊も狼狽えてしまうよ」
「師匠……」
「歌って。将軍閣下にも聞こえるように。精霊たちに伝わるように」
ここからなら、王宮が一望できる。このどこかにパーシヴァル様がいる。
見つけ出してみせる。
ハルは精霊に呼びかけるために大きく深呼吸して歌い始めた。
どうか力を貸して。ここに来て。
あの人を助けたい。僕の大事な人だから。
ハルの周りにいた風の精霊たちが歌声をさらに響かせる。一気に膨れ上がるように塔のまわりに精霊たちが集まってきたのがわかる。
どう言えば伝わるだろう。でも、早くしないと。
焦りで混乱していたハルは精霊たちにこう告げた。
「王宮の屋根全部ぶっ壊してもいいから、パーシヴァル様を見つけ出して」
背後でバーニーが目を瞠っていた。
「全部かあ……」
ハルはそれで思い出した。精霊たちは巫女の望みは必ず叶えるのだということを。
そして、すさまじい音とともに、王宮の屋根がことごとく破壊された。
「見つけたって」
バーニーがそう言うと、ハルをひょいと担いで塔の上から飛び降りた。
精霊たちが騒いでいる場所へ、風に運ばれて降り立つと人垣ができていて、その真ん中に仰向けに横たわったパーシヴァルがいた。
「パーシヴァル様」
慌てて駆け寄ると、唇の色が青くなって、呼吸も弱々しい。
脇腹の傷くらいしか外傷は見当たらないのに。どうして意識を失うようなことに。
「毒を塗った剣で斬られたのです」
側で付き添ってくれていた女性がそう教えてくれた。見ると雑に縛り上げられた男たちが転がっている。
毒の種類がわからなければ、解毒は難しい。だったら。
「……みなさん、離れていていただけますか」
ハルは両手を血の滲んだパーシヴァルの脇腹に当てた。
「ハル。それは危険だ。下手をすれば君に毒が回る」
バーニーがそう言っているのが聞こえたけれど、ハルは首を横に振った。
「もしそうなっても師匠ならその間に解毒剤作れるでしょう? よろしくお願いします」
「……無茶苦茶師匠使い荒いね、君」
自分の母も同じ力を持っていた。傷を治して元通りにする力。けれど、ハルたちを出産してから力が弱まった上にストケシア王国では精霊の加護が少ないからその力を発揮することは滅多になかった。
今なら自分の周りに無数の精霊たちがいて見守っている。
ここから入った毒を引っ張り出すのと同時に傷口を塞ぐ。毒に冒された神経も同時に治療する。順番を間違えたら毒を体外に出せなくなる。
自分が仕える手札全部を使ってでも、この人を助けたい。
「やります」
両手に意識を集中させる。
この治癒能力は人体の構造が頭に入っていないと上手く行かないと言われていた。だから必要な知識が身につくまでは使うのを禁じられていた。
……散々師匠に叩き込まれたから、今ならちゃんと使える。
痺れた身体から毒を集めて引き出す。そして治療。
ハルの周囲を取り囲むように精霊たちが集まって光を放つ。力を貸し与えてくれているのがわかる。
少しずつパーシヴァルの顔色に赤みが戻ってきた。傷口が塞がって出血も止まっている。
ハルの手のひらにべっとりと毒が付いていた。バーニーが濡らしてきたハンカチを差し出してそれを拭ってくれる。
「ちゃんと拭っておいて。毒の種類はわかったよ。後で念のために解毒剤を二人とも飲むんだよ? 全くもう。治癒能力で毒抜きするとかあり得ないことしないでほしいなあ」
「上手くいった?」
パーシヴァルの呼吸は安定している。脈も問題ない。
「すごいすごい。毒は抜けてるし、怪我も完治」
そう言われてハルはやっと頭が冷静になってきた。
何か、さっきから色々やらかしてないだろうか。
周囲を見ると、各国の来賓たちがすっかり石像のように固まっている。
「……師匠……」
助けを求めてバーニーに目を向けると、バーニーは大きく頷いた。
「よし。とりあえず馬車に戻ろうか」
そう言って風の精霊に呼びかけた。盛大に土埃が舞い上がる。
そのどさくさでハルとバーニーはパーシヴァルを連れてその場から逃げ出すことに成功した。
「……とりあえず、王太子に落とし前つけるのと第二王子のところから偽公爵夫人を助け出すのは後回しにして、全員と合流したらランドルフの所に行こうか」
公爵家の馬車を見つけて王宮から出ると、バーニーはそう言った。
「誰ですか?」
パーシヴァルを寝かせて顔を覗き込んでいたハルは思わず問い返した。
「大司祭。ハルのひいお祖父ちゃん」
「……大司祭ともお知り合いなんですね」
ハルは詮索を諦めた。いちいち驚いていたらこの師匠につきあうことはできない。
この人はカトカ王国の建国王なのだ、今さら誰と知り合いでも不思議じゃない。けど、顔広すぎ。
「王太子まで巫女に欲を出してきたんじゃ、この国で信用できる人はもうランドルフとレイラしかいないよ。そろそろレイラも大神殿に到着しているはずだ。明日の国葬は彼女が取り仕切るらしいから」
診療所に立ち寄ってハルたちを探していた護衛たちと合流して、馬車はそのまま大神殿に回った。
「やった。ちょうどいいよ。あれ、レイラの馬車だよ」
バーニーが大神殿に着いたばかりの馬車を見てそう言った。向こうもこちらに気づいたのだろう。従者を振り切ってこちらにすごい勢いで走ってくるレイラの姿が見えた。
何となく、レイラ伯母様って師匠と気が合いそう。
ハルはそう思いながらまだ目を覚まさないパーシヴァルの頬に触れた。
事情を聞くとレイラ司祭は公爵家一行を大神殿で賓客として受け入れると言ってくれた。国葬前日で慌ただしい中、部屋を用意してくれた。
王宮での反乱騒ぎは屋根が突然吹き飛ぶ騒ぎで戦意喪失して、全員投降して終わったという。王太子を捕らえようとしたから、精霊の怒りに触れたに違いないと怯えていたらしい。
第二王子派の思惑は逆に王太子の正当性を高める結果に終わってしまった。
「偉いわ。どうせやるのならとことんやるのが我がアストリー一族の家訓よ」
ハルたちの部屋を訪ねてきたレイラは、王宮の屋根を破壊したのがハルだと聞いてそう言ってくれた。両親は平民だったので姓を名乗らなかったが、アストリーは父方の家名だった。
「モーリス……あなたのお父さんは真面目で面白くない人だったけど、いざ駆け落ちとなったら頑張って逃げたんだから、偉かったと思うわ」
「そうですね……」
父が母を連れて逃げなかったら、自分は生まれていないのだ。
「あなたも疲れたでしょう。明日に備えて休みなさい。将軍閣下のお側にいて差し上げなさい」
レイラはそう言うと、ハルの頭を撫でてくれた。
この人も本当なら王族に連なる立場でありながら謀反人の娘として神殿で生きてきた。きっと楽な生き方ではなかったはずだ。なのにずっと離れていた甥のことを忘れずにいてくれた。
「あなたは確かにこの国の生まれだけど、それを背負う必要はないわ。あなたはあなたのしたいことをとことんやりなさい」
その強気な笑顔でハルは思い出した。
ハティの葬儀の日、祈りの言葉を唱えてくれた女性司祭。別れ際に泣いていた僕を抱き上げてくれた。あれはこの人だったんだ。
「……家訓には従います」
「あなたは本当にいい子ね」
ハルはやっと少し安心して、笑うことができた。
『なかなか目を覚まさないねえ。おとぎ話だとこういうとき、王子様のキスで目覚めるんだけどねえ』
様子を見に来たバーニーがそう言っていた。
……いやそれはお姫さまの場合だし。僕は王子様じゃないし。
それでも気になってそっと顔を近づけて、触れるだけのキスをした瞬間、ゆっくりと瞼が持ち上がって、淡い青い瞳がハルを見た。
「……パーシヴァル様?」
「ハル? さっき……天井が……」
ぼんやりとした口調でそう言ってから、やっと気がついたように周囲を見回す。それから自分の脇腹に目を向けて、もう一度ハルを見た。
「ここは?」
「大神殿の中です。レイラ司祭様の取り計らいでこちらに泊めていただけることになったんです」
「何だか妙な夢を見ていたような気がする。毒を塗った剣で腹を刺されて、倒れたところで……あるはずの天井がなくなって……空が見えたんだ」
「ごめんなさい。夢ではないです」
ハルは恥ずかしくて消え入りたい気分になった。自分が慌てて王宮の全部の屋根を壊すように口走ってしまったのが原因だ。
説明するとパーシヴァルは口元を押さえて笑い出した。
「……笑わないでください。僕、ホントに焦ってしまって……」
パーシヴァルが手を伸ばしてきて、ハルを抱き寄せた。
「すまない。ハルは私を案じてくれたのだな。とても嬉しい。それに貴重な力を使ってくれてありがとう。……だが、屋根を全部というのは……」
そう言ってまた思い出したように笑う。
「やっぱり笑う。酷いです……」
抗議しようと顔を見上げた瞬間に、唇が重なった。確かめるように触れると、口づけは深いものになる。息をつく暇も与えないほどに。
安堵感と触れ合える喜びとこみ上げてくる熱に、ハルの目から涙がこぼれた。
それに気づいたのかパーシヴァルが抱きしめる腕を少し緩めた。
「……すまない。浮かれているんだ。またハルをこの手に抱けるとは思わなかったから」
パーシヴァルは毒が回った時に最悪の事態を覚悟したのだろうか。彼は元々軍人だからそうした覚悟はどこかにあったのかもしれない。
「心配したんです。……パーシヴァル様まで……いなくなったらどうしようって……」
涙が止まらなくて、ハルは子供が駄々をこねるようにただ頭を横に振った。
こんな風に大泣きするのはいつぶりなのか。
宥めるように背中を撫でてくれる大きな手が嬉しくて、ハルはパーシヴァルの胸に顔を埋めて感情を吐き出すように泣き続けた。
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