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39 将軍閣下と最終決戦⑤

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「……えーと、昨日はお盛んだったのかな?」
「「違います」」
 パーシヴァルとハルの声が揃ってしまった。
 朝早くバーニーが朝食を届けに来たのだが、ハルの目が腫れぼったくなっているのを見てにやにやしていた。
 大泣きしてパーシヴァルに抱きついたまま寝落ちしてしまったらしい。治癒能力を使った余波もあったのかもしれない。色々感情が昂ぶってしまって自分でもどうにもできなかった。
 それに、パーシヴァルに赤子をあやすように抱きしめてもらって安心してしまった。
 目が覚めるとパーシヴァルは甲斐甲斐しくハルの着替えを手伝ってくれた。
 今も彼の膝の上で食事を摂らされている有様だ。これではどちらが介抱されているのかわからない。
「まあ、今日はヴェール被るから誤魔化せるか。それとも『ハリエット』は欠席なのかな?」
「いや、こうなったら隠し立てしてもしかたないだろう。それから、王宮に入る前に報告があって、キャサリン嬢たちの居場所もほぼわかっている。すでに手の者を行かせている。だからハルと別行動する理由はない」
 今回の道中、国王アーティボルトはこの国に放った密偵を使う権限をパーシヴァルに与えた。元々傍系王族でもある彼もそうした者たちの扱いを心得ていたらしい。
「昨日の王宮での騒ぎは多くの来賓たちが目撃している。王子二人が王位争いをしていることと、まるで天罰のように王宮が破壊されたこと」
「ついでに毒に倒れた将軍閣下が精霊の御使いに連れ去られたこともね」
「え? 昨日のあれ、そんなことになってるの?」
 どうやらハルが目覚める前に彼らは情報を集めていたらしい。
「ってことは、パーシヴァル様は生死不明扱いになってる……?」
「そうらしいよー。王宮が破壊されたのは市街地からも見えていたし。とうとうこの国は精霊に完全に愛想尽かされたんじゃないかともっぱらの噂だよ。女王の崩御で市民は不安に思っていたはずだからそれに拍車をかけちゃったというか。……まあ元々この国にはほとんど精霊は残ってなかったんだけどねえ」
 バーニーはそう言うと、パーシヴァルにチラリと目を向ける。
「さて、将軍閣下、どうしようか?」
 パーシヴァルは膝に乗せたハルを背中から抱きしめたまま力強く答えた。
「売られた喧嘩は買う。だが必要以上に買うつもりはない。この国には自力で立ち直ってもらう。他国に援助を頼み、媚びるために頭を下げねばならない。そうやって精霊たちにしてきたことの罰を受ければいい。……それでいかがですか?」
 強国の支配をうけるよりも、それは茨の道になる。異国からの来賓たちが精霊の力を目の当たりにしてしまったのだから、この国に援助しようとする国は少ないだろう。今でも穀物などの食料を輸入に頼っているというのに。
「まあ、妥当だね。王太子にはちょっと痛い目に遭って反省してもらうかな。精霊たちも暴れ足りないって言ってるし」
「あれだけ破壊したのに……」
「いやー。あれ、屋根って限定したのは良かったよ。してなかったら王宮は更地になってたね。さすが我が弟子、いい仕事だったよ」
 バーニーがそう言うと、パーシヴァルが笑い出した。
「だからもう……それ言わないで下さいってば。パーシヴァル様も笑わないで」
 ハルは精一杯の抗議をしたけれど、二人とも聞き入れてはくれなかった。

*  *  *

 女王の国葬のために大神殿には大勢の参列者が詰めかけていた。
 黒い喪服を纏ったパーシヴァルが小柄な銀色の髪の夫人を連れて会場に入ると、周囲からざわめきが起きた。
 おそらく昨日のあの場に居合わせた人々だろう。
 反乱騒ぎの件は知れ渡ってしまっているらしく、本来なら厳粛な国葬であるはずの場はどこか落ち着かない空気を纏っている。
 パーシヴァルが来賓に混じっていた刺客に刺されて死にかけていたと聞いた者は信じられないだろうし、そして今まで王都で表に出ていなかった夫人も注目されるだろう。
 夫人の顔立ちは黒いレースのヴェールではっきりとは見えない。あの時ハルは執事の服装のままだったと聞いているので、精霊の御使いと同一人物とは思わないだろう。
 少し離れたところで、灰色の民族衣装を纏ったバーニーもいた。彼はカトカの使者として参列しているらしい。
 王族たちの席に目をやれば、王配、王太子夫妻、そして王太子の息子二人。その隣に第二王子、第三王子と降嫁した王女夫妻という順番で会話もなく並んでいる。
 王配は神殿で騒動を起こしたために取り調べの最中だったが、国葬の間だけ釈放されたらしい。そのせいか疲労の色が見えている。
 こうやって見ると、明らかに王配と似ているのは第二王子だけだ。彼も反乱騒ぎが不発に終わったせいかどことなく顔色が悪い。
「……宰相閣下がいません」
 ハルが小声でそう指摘した。確かに。宰相は宿場で別れてから一度も見かけていないし、こちらに接触もしてこない。けれど、王太子の側にいたわけでもない。
 ハルたちの話では、王太子はハリエットがパーシヴァルに同行していることを知らなかった。宰相はハリエットが変装してパーシヴァルについていくことを知っていたのに、王太子は小柄なハルを見ても疑いすら持たなかった。
 知らせる方法はあったはずだ。宰相は彼に故意に情報を渡さなかったのだろうか。
 だが、宰相は女王の腹心であり、王太子の実の父親だとされている。その彼が王太子を訳なく裏切るとは考えにくい。
「とりあえず、計画通り進めるしかないな」
 楽団が荘厳な音楽を奏でると、白一色の衣装を纏ったレイラ司祭が祭壇の前に進み出る。
 精霊信仰での葬儀は、精霊たちによる祝福によって死出の旅に送り出す儀式だとパーシヴァルは聞いていた。
 かつては王族の葬儀には必ず精霊の巫女が参加して祈りを捧げ、祝福の光が降り注いだのだという。けれどこの国には巫女が不在になって久しく、その奇跡を知る者はほとんどいなくなってしまったらしい。
 そのために神殿の権威は揺らぎ、ますます王族たちは精霊信仰を軽んじるようになった。
 淡々と祈りの言葉を続けたあと、音楽が途切れた瞬間にレイラは朗々とした声で告げた。
「プロテアの偉大なる女王の旅に精霊の祝福のあらんことを」
 その瞬間聖堂の高い天井からキラキラと光の粒が降り注いだ。人々から歓声が上がる。
 王子たちも愕然とした表情でそれを見つめている。
「この祝福は遠くアルテアの地から贈られた女王陛下への餞です。アルテアの新たな巫女が立ち、その力により浄化がこの地にももたらされることになりました。精霊はいつも我らの行いを見ています。何者にも恥じぬ振る舞いを心がけ、精霊の御心に応えましょう。そうしていつの日かこの地に再びこの光が戻りますように」
 精霊の祝福を言祝ぐ歌を神官たちが歌い始める。プロテアの王族や貴族たちは一様にこれがアルテアの巫女の力と知らされて顔を強ばらせている。
 彼らはアルテアを滅ぼし人々から搾取してきた上に、今も再び支配しようと兵を向けていたのだ。これほどの力を持つ巫女が立ったことは彼らにとって恐怖でしかないだろう。
 パーシヴァルはそっとハルの膝にあった手を握った。

 この光を引き起こしているのはハルが連れてきた精霊たちだ。
 レイラ司祭とバーニーが考えた作戦だ。
 王都の人々が昨日の反乱騒ぎや王宮破壊に不安を覚えていることから、司祭の祈りに合わせて光を降らせる。
 精霊が女王を祝福することで、彼らを落ち着かせることができるだろう。
 そしてこれはあくまでアルテアの巫女が行ったことと伝えれば、今後手を出せばどうなるか、という牽制にもなる。
 プロテアはまだ精霊の加護から遠ざかっていることを聞いて、彼らがまだ下らない権力争いを望むかどうか。
『まあ、彼らも昨日の一件で精霊なんて迷信だとか言えなくなってるだろうから、この際思いっきり釘刺しておかないとね』
 ハルも光を降らせるくらいなら誰も怪我しないから、と了承した。

 小さな光の粒が舞う会場の中は歌声が途切れた後しばらくの静寂に包まれた。
 国葬の最後に、新国王の宣言が行われることになっている。
「新たなるプロテアの太陽、グレゴリー・マーカス・プロテア王陛下のお言葉である」
 その声に新国王となるグレゴリー・マーカスが歩み出る。
 彼はゆっくりと会場を見回すように視線を向けた。一瞬パーシヴァルたちのところで目線が止まったように見えたが、すぐに正面に向き直った。
 彼が口を開こうとした瞬間でハルが小さく何かを呟いた。それと同時に場内に降り注いでいた光が消え失せた。
 ……まるで精霊が新国王には興味がないと、立ち去ってしまったかのように。
 グレゴリーもこれが偶然ではないことを理解したのだろう。自分を落ち着かせるように胸元に手をやったあとで、口を開いた。
 おさまらないざわめきの中、新国王となることを宣言するグレゴリーの顔色は最後まで冴えなかった。
 そして退場の時、王族の席に着いていた第二王子がいきなりふらりと倒れた。どうやらあまり気丈ではない性格だったようで、よほど精霊の怒りが怖かったのだろう。
 王配クリスティアンも気力を使い果たしたかのような足取りで去って行った。
 まあ当然だろうな。王宮の屋根を吹き飛ばすような精霊がまだ近くにいると思えば恐ろしくもなるだろう。
 精霊が怒りを向けたのは王族や貴族たちの精霊を蔑ろにした振る舞いであり、この国全てに対してではない。各地に浄化の兆しがあるのはアルテアの巫女の力によるもので、王族や貴族たちの功績ではない。
 それを突きつけられた新国王たちがこれからどうするのか。
 これでもまだハルやアルテア領に手を出すなら、次はパーシヴァル自身が軍を率いてたたきのめすつもりだ。
 自分が相手の技量を甘く見て刺されたことでハルをあれほど動転させてしまったのだ。次は容赦しない。

「終わりましたね」
 ハルはレイラと打ち合わせた通りできたことに満足した様子でパーシヴァルに微笑みかけてきた。
「上出来だ」
「パーシヴァル様がお元気なのを見て驚いてたし、精霊が光るのを止めたから動揺してたし、いい気味です」
 会場を出る人々に混じって歩き出すと、二人に近づいてくる者がいた。
「ラークスパー公爵閣下でいらっしゃいますね。レミントン宰相からこれを」
 差し出された書状にはきちんとした字でパーシヴァルの名が書かれていた。男の上着のカフスに目をやってからパーシヴァルは小さく頷いた。
 手紙を渡すと男はふっとかき消えるように人混みの中に消えていった。あれは国王の密偵の一人だ。カフスにストケシア王の意匠である百合が彫られていた。

「お手紙には何と書かれていたのですか?」
 大神殿の部屋に戻ってからハルが問いかけてきたので、パーシヴァルはそのまま書状を手渡した。
 手紙の内容は、ノールズ侯爵が領地の城に捕らえていた偽夫人ことキャサリンたちを救出したことと、彼らを王都まで連れて戻るので国葬には出られないこと、新国王がパーシヴァルにしでかしたことの謝罪はかならずさせる、という内容だった。
 ……では、やはりあの刺客は第二王子派ではなく、あの王太子こと新国王グレゴリーの仕業だったのか。ハルからも彼が何か企んでいたと聞いていたから、予想はしていたが。
 宰相は王都に戻ってすぐにキャサリン嬢の救出に動いたらしい。偽物ではあっても自国の人間が捕らえられていては、パーシヴァルたちが動きにくいと考えたのだろうか。
 それとも、薬を手配してくれたハルへの恩返しなのか。
「それではキャサリン様たちは無事なんですね。それなら良かった。僕に間違えられたせいで辛い目に遭っていなければいいんですけど」
「そうだな。まあ、巫女と勘違いされていたのなら酷い目には遭っていないだろう」
 ハルはキャサリン嬢のことを気にかけていたのだろうか。パーシヴァルは全く関心がなかったし、無事ならいいという程度にしか思っていなかった。
 けれどハルがまだ何か考え込むような仕草をしているので問いかけてみた。
「……何かあったのか?」
「今朝、師匠が精霊たちが仕事がしたいと騒いでいるから何か頼み事をするように言ってきて。ノールズ侯爵の屋敷に悪戯するくらいなら……そうしたらキャサリン様たちに手出ししないかもって思ったので……」
「悪戯……?」
「……もう宰相閣下が救出したのなら、ちょっと遅かったですね」
 どうやら精霊たちはこの国の王位争いにハルが巻き込まれたことに相当な怒りを抱えていたらしい。それこそ、王宮の屋根を吹き飛ばしたくらいでは満足しないくらいに。
 けれど、これ以上王宮を壊すのは忍びなかったので、騒動の原因を作ったノールズ侯爵なら構わないかと許可してしまったらしい。
「……何を頼んだんだ?」
 ハルは恥ずかしそうに顔を俯かせてしまう。
「屋敷の全ての出入り口の前に大きな岩を置いてくるようにと……」
 パーシヴァルは思わず吹き出してしまった。
 何かを破壊するわけでも人を怪我させるわけでもなく、それでいて確実に困るだろうし気味が悪くて恐ろしくなるであろう嫌がらせだ。
 もしかしたら今日の国葬で第二王子派の貴族たちに何も動きがなかったのはそれが原因だろうか。第二王子が怯えていたのもおそらく同じだろう。
「……さぞ侯爵は家から出るのに難儀しただろうな」
 パーシヴァルが笑いながらそう返すと、ハルは笑われたのが不服だったのだろう、薄緑色の瞳でこちらを睨んできた。
 いや、そんな愛らしい顔で睨まれても。
 パーシヴァルは内心微笑ましく思いながらも、可愛い妻の機嫌をどうやって取ろうかと頭を巡らせた。

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