420 / 840
4 聖人候補の領地経営
609 透き通ったスープ
しおりを挟む
609
私としたことが、なんという失態だ!
そういえば、クラバが何度か土産がどうのという話をしてきていた気もするが、そういったことはあれが気を利かせてやっておけばいいことだ。うちの使用人はどうも気働きが足りなくていかん。まぁ、確かに間に合わないないから訪問をもう少し先に変更しろとか、数日時間が欲しいとか言っていたのを振り切ったのは私だが……私もこんな格式の高いもてなしをされるとは思っていなかったのだ。
そもそも、最近までただの村人だったあの小さな娘に、ここまでしっかりと王侯貴族に対するもてなしをすることなどできるとは思わないのが当たり前だろう……やはりあの娘は、小さくともヴァイス・アーサー叔父上の娘、少し軽く見過ぎていたようだ。
私は少し気持ちを引き締め、案内されるまま晩餐会の会場へと向かった。
晩餐会の会場は、思ったよりずっとすっきりとした設えだった。建物そのものも、木材が多用されて豪華さには欠ける。だがそれなりに細工はしてあり、これも地方の味と言えなくもない。
「当地は木材の生産が盛んな土地でございまして、こういった美しい木目の木々がたくさん採れるのです。この土地の建造物はほとんど木製なのですよ。それに今日は使用人たちが頑張って、飾り付けてくれました」
メイロードの言う通り、ここにも美しい花がたくさん飾り付けられて、華やかに食卓を彩っている。もちろん“シルベスターローズ”も、そこかしこにさりげなく飾られ、公爵への歓迎の意を示すよう配置されていた。その品よく過不足ない見事な〝歓迎晩餐会仕様〟の飾り付けに、先ほど大恥をかいた私が文句をつける隙などなく、ただただ鷹揚な雰囲気に見えるよう、薄く引くつらぬよう笑みを浮かべて席へつくしかなかった。
着席して、少し落ち着くと、姿は見えないが、会場を覆う美しい調べにも気がついた。
(これは竪琴か……控えめだがなんという響きをしているのだろう。しかし見事な腕だな。このような名手がこんな田舎にいるとは……)
私はその竪琴のあまりに美しい音色に暫し魅了され、少し心が落ち着いてきた。その様子をメイロードは微笑んで見ている。
「公爵様は帝都パレスで、普段から美味しいものを食されていらっしゃることでしょう。そこで、この晩餐の食事では、あまりパレスでは食べられていない、少し変わったものをお出ししてみようと思っております」
そう言って、まず最初に供されたのは、薄茶色の液体。
そこにはなんの具もなく、ただ水っぽい茶色の液体だけが入っている。
「これは……食べ物なのか?」
私の問いにメイロードはうなずきながら、とても美味しい飲み物だというので、不思議な気持ちで恐る恐るスプーンを持ち口へと運んだ。
(なんだ、なんだこれは?!)
私はそのなにひとつ具が入っていないただの汁物を、夢中で口に運んでいた。なにもないはずのその茶色の汁を飲む度に口中に広がる鮮やかな味に、飲み終わるまでスプーンを置くことができなかった。
飲み終わって暫し恍惚としていた私に、メイロードが微笑みかける。
「お気に召していただけたようで、嬉しいですわ、公爵様」
「あ、ああ。大変美味であった。これは一体なんだ。この味はどうしたら……」
私の問いに、メイロードが答える。
「見た目には何も入っていないように見えますが、お肉と野菜がたっぷり入っております。とても滋養があるお料理です。〝コンソメ・スープ〟と呼んでいるのですが、それ以上の製法はお教えできません」
「秘伝ということか……」
現在のシド帝国の貴族の間では、お互いの文化度の高さを競い合うようになっている。領地の職人たちに美しい置物を金のあかせて作らせたり、お抱えの芸術家に描かせた立派な風景画などを家中に飾ったり、あらゆる手段でいかに自分たちが芸術に理解があり、美意識が高いかをアピールすることに躍起だ。料理に関しても新しい流行や斬新な美味を社交界に提供することで、高い評価を得ることにつながるようになっている。
最近ではドール侯爵家から発信された〝塩ラーメン〟という料理が一大ブームを巻き起こし、このところ上り調子のドール家の名前をさらに強めることになっていた。
(確かにあの〝塩ラーメン〟は美味だった。もし、この汁物をシルベスター公爵家から発表できれば、わが家の名もドール侯爵家のように上がるに違いないのだが……)
「では、この〝こんそめ〟とかいう汁物は、マリス家の味として発表されるおつもりなのだろうな」
振興の貴族が名を上げるには最高だと思われる素晴らしい美味だ。きっと発表の前に、試しに私に供してみせたに違いない。
「そうですね……いまのところそれは考えていません。公爵様にこの作り方をお教えしないのは、私の商人としての判断なのです。私の師匠というか後見人から〝お金になるものはモノだろうと情報だろうと絶対に軽々しく見せてはいけない〟ときつく言われておりますので……」
「商……人?」
私は、弟から聞いたメイロードの出自とこれまでの生活についての話を思い出していた。アーシアンもその全貌は掴めなかったと言っていたが、確か田舎で瓶詰を売って、生活費を稼いていたとか……
「私は六歳で両親を亡くしてから、商人として雑貨店を営み暮してまいりました。おかげさまでその仕事は大きくなり、その後は宝飾店やお菓子のお店などもパレスに開かせていただいております」
メイロードの言葉に私は別荘に並べられていた軽食を思い出してはハッとした。
「まさか、あのチョコレート……」
「ええ〝カカオの誘惑〟は私の店です」
(まさか、あの正妃リアーナ様命名のシド帝国、いやこの世界で唯一のチョコレート専門店をこの娘が!)
次に運ばれてきた20種以上の野菜をメインとした具材が緑のグラデーションを作る食べるのが惜しいほど美しい〝てりーぬ〟という料理を前に、私はこの娘の底力を完全に見誤っていたことを認めざるを得なくなっていた。
私としたことが、なんという失態だ!
そういえば、クラバが何度か土産がどうのという話をしてきていた気もするが、そういったことはあれが気を利かせてやっておけばいいことだ。うちの使用人はどうも気働きが足りなくていかん。まぁ、確かに間に合わないないから訪問をもう少し先に変更しろとか、数日時間が欲しいとか言っていたのを振り切ったのは私だが……私もこんな格式の高いもてなしをされるとは思っていなかったのだ。
そもそも、最近までただの村人だったあの小さな娘に、ここまでしっかりと王侯貴族に対するもてなしをすることなどできるとは思わないのが当たり前だろう……やはりあの娘は、小さくともヴァイス・アーサー叔父上の娘、少し軽く見過ぎていたようだ。
私は少し気持ちを引き締め、案内されるまま晩餐会の会場へと向かった。
晩餐会の会場は、思ったよりずっとすっきりとした設えだった。建物そのものも、木材が多用されて豪華さには欠ける。だがそれなりに細工はしてあり、これも地方の味と言えなくもない。
「当地は木材の生産が盛んな土地でございまして、こういった美しい木目の木々がたくさん採れるのです。この土地の建造物はほとんど木製なのですよ。それに今日は使用人たちが頑張って、飾り付けてくれました」
メイロードの言う通り、ここにも美しい花がたくさん飾り付けられて、華やかに食卓を彩っている。もちろん“シルベスターローズ”も、そこかしこにさりげなく飾られ、公爵への歓迎の意を示すよう配置されていた。その品よく過不足ない見事な〝歓迎晩餐会仕様〟の飾り付けに、先ほど大恥をかいた私が文句をつける隙などなく、ただただ鷹揚な雰囲気に見えるよう、薄く引くつらぬよう笑みを浮かべて席へつくしかなかった。
着席して、少し落ち着くと、姿は見えないが、会場を覆う美しい調べにも気がついた。
(これは竪琴か……控えめだがなんという響きをしているのだろう。しかし見事な腕だな。このような名手がこんな田舎にいるとは……)
私はその竪琴のあまりに美しい音色に暫し魅了され、少し心が落ち着いてきた。その様子をメイロードは微笑んで見ている。
「公爵様は帝都パレスで、普段から美味しいものを食されていらっしゃることでしょう。そこで、この晩餐の食事では、あまりパレスでは食べられていない、少し変わったものをお出ししてみようと思っております」
そう言って、まず最初に供されたのは、薄茶色の液体。
そこにはなんの具もなく、ただ水っぽい茶色の液体だけが入っている。
「これは……食べ物なのか?」
私の問いにメイロードはうなずきながら、とても美味しい飲み物だというので、不思議な気持ちで恐る恐るスプーンを持ち口へと運んだ。
(なんだ、なんだこれは?!)
私はそのなにひとつ具が入っていないただの汁物を、夢中で口に運んでいた。なにもないはずのその茶色の汁を飲む度に口中に広がる鮮やかな味に、飲み終わるまでスプーンを置くことができなかった。
飲み終わって暫し恍惚としていた私に、メイロードが微笑みかける。
「お気に召していただけたようで、嬉しいですわ、公爵様」
「あ、ああ。大変美味であった。これは一体なんだ。この味はどうしたら……」
私の問いに、メイロードが答える。
「見た目には何も入っていないように見えますが、お肉と野菜がたっぷり入っております。とても滋養があるお料理です。〝コンソメ・スープ〟と呼んでいるのですが、それ以上の製法はお教えできません」
「秘伝ということか……」
現在のシド帝国の貴族の間では、お互いの文化度の高さを競い合うようになっている。領地の職人たちに美しい置物を金のあかせて作らせたり、お抱えの芸術家に描かせた立派な風景画などを家中に飾ったり、あらゆる手段でいかに自分たちが芸術に理解があり、美意識が高いかをアピールすることに躍起だ。料理に関しても新しい流行や斬新な美味を社交界に提供することで、高い評価を得ることにつながるようになっている。
最近ではドール侯爵家から発信された〝塩ラーメン〟という料理が一大ブームを巻き起こし、このところ上り調子のドール家の名前をさらに強めることになっていた。
(確かにあの〝塩ラーメン〟は美味だった。もし、この汁物をシルベスター公爵家から発表できれば、わが家の名もドール侯爵家のように上がるに違いないのだが……)
「では、この〝こんそめ〟とかいう汁物は、マリス家の味として発表されるおつもりなのだろうな」
振興の貴族が名を上げるには最高だと思われる素晴らしい美味だ。きっと発表の前に、試しに私に供してみせたに違いない。
「そうですね……いまのところそれは考えていません。公爵様にこの作り方をお教えしないのは、私の商人としての判断なのです。私の師匠というか後見人から〝お金になるものはモノだろうと情報だろうと絶対に軽々しく見せてはいけない〟ときつく言われておりますので……」
「商……人?」
私は、弟から聞いたメイロードの出自とこれまでの生活についての話を思い出していた。アーシアンもその全貌は掴めなかったと言っていたが、確か田舎で瓶詰を売って、生活費を稼いていたとか……
「私は六歳で両親を亡くしてから、商人として雑貨店を営み暮してまいりました。おかげさまでその仕事は大きくなり、その後は宝飾店やお菓子のお店などもパレスに開かせていただいております」
メイロードの言葉に私は別荘に並べられていた軽食を思い出してはハッとした。
「まさか、あのチョコレート……」
「ええ〝カカオの誘惑〟は私の店です」
(まさか、あの正妃リアーナ様命名のシド帝国、いやこの世界で唯一のチョコレート専門店をこの娘が!)
次に運ばれてきた20種以上の野菜をメインとした具材が緑のグラデーションを作る食べるのが惜しいほど美しい〝てりーぬ〟という料理を前に、私はこの娘の底力を完全に見誤っていたことを認めざるを得なくなっていた。
364
あなたにおすすめの小説
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!
月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、
花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。
姻族全員大騒ぎとなった
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!
七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?
【完結】旦那様、どうぞ王女様とお幸せに!~転生妻は離婚してもふもふライフをエンジョイしようと思います~
魯恒凛
恋愛
地味で気弱なクラリスは夫とは結婚して二年経つのにいまだに触れられることもなく、会話もない。伯爵夫人とは思えないほど使用人たちにいびられ冷遇される日々。魔獣騎士として人気の高い夫と国民の妹として愛される王女の仲を引き裂いたとして、巷では悪女クラリスへの風当たりがきついのだ。
ある日前世の記憶が甦ったクラリスは悟る。若いクラリスにこんな状況はもったいない。白い結婚を理由に円満離婚をして、夫には王女と幸せになってもらおうと決意する。そして、離婚後は田舎でもふもふカフェを開こうと……!
そのためにこっそり仕事を始めたものの、ひょんなことから夫と友達に!?
「好きな相手とどうやったらうまくいくか教えてほしい」
初恋だった夫。胸が痛むけど、お互いの幸せのために王女との仲を応援することに。
でもなんだか様子がおかしくて……?
不器用で一途な夫と前世の記憶が甦ったサバサバ妻の、すれ違い両片思いのラブコメディ。
※5/19〜5/21 HOTランキング1位!たくさんの方にお読みいただきありがとうございます
※他サイトでも公開しています。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。
☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。
前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。
ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。
「この家は、もうすぐ潰れます」
家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。
手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。
オネエ伯爵、幼女を拾う。~実はこの子、逃げてきた聖女らしい~
雪丸
ファンタジー
アタシ、アドルディ・レッドフォード伯爵。
突然だけど今の状況を説明するわ。幼女を拾ったの。
多分年齢は6~8歳くらいの子。屋敷の前にボロ雑巾が落ちてると思ったらびっくり!人だったの。
死んでる?と思ってその辺りに落ちている木で突いたら、息をしていたから屋敷に運んで手当てをしたのよ。
「道端で倒れていた私を助け、手当を施したその所業。賞賛に値します。(盛大なキャラ作り中)」
んま~~~尊大だし図々しいし可愛くないわ~~~!!
でも聖女様だから変な扱いもできないわ~~~!!
これからアタシ、どうなっちゃうのかしら…。
な、ラブコメ&ファンタジーです。恋の進展はスローペースです。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。(敬称略)
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。