604 / 840
4 聖人候補の領地経営
793 シャトー・ラーゼン
しおりを挟む
793
カラリナ・ラーゼン男爵令嬢が召使いに命じて取り出したのは〝シャトー・ラーゼン〟とエチケットに書かれた一本の赤ワインだった。
エチケットとはそのワインに関する情報が書かれた表書きで、それぞれのワインの名前、産地、生産者、作られた年号といったワインを選ぶ上で必要な情報をわかりやすく見られるよう共通化したものだ。
これまではワインにそうした情報は書かれておらず、売り手を信用して買うか、小さな木製タグに手書きされた共通性のない情報を頼りに選ぶのが普通だったそうだ。だが、もうこの世界でも安価な紙がしっかり流通しているので、いい機会だと思い、こうした取り組みも〝研究所式ワイン醸造〟のマニュアルに組み込むことにした。
やはりこうしてみるとエチケットには作り手の個性がよく反映されており、カラリナ嬢の手にしたワインのラベルも板木を使った朴訥な黒一色の印刷ながら小さくお城が描かれていたり、年号部分が手書きだったりと、初々しい小さなワイナリーらしい個性に溢れている。
「おお、そうですか。ご領地ではいよいよ出荷できる品質のワインができたのでございますね。それはぜひとも味わせていただきたいですな」
そこで私はカラリナ嬢が何を言わんとしているのか納得がいった。それはおじさまとサイデム商会に対する感謝だ。
おじさまは〝ラボ〟の生産が可能になり、それが爆発的に受け入れられたあと、ワインビジネスのコンサルタント業を開始した。もちろんノウハウに関する資料は〝イス研究所〟がしっかり作ってくれてあったので、土地による差異はあってもワイン醸造の再現性に問題はない。もちろん土地は選ぶし、どこでもまったく同様にできるわけではないが、しっかり品種改良をしてあるので、ある程度のクオリティと量産性は保証できるし、軌道に乗るまでのアフターケアもしっかり行われている。
(そうした資料が研究所へフィードバックされることで、さらに研究が進むしね)
おじさまはこのビジネスについて契約時のコンサルタント料をとても安く設定した。それは貴族用牧場ビジネスのぼったくり……もとい高額商品ゆえの契約価格からすると何十分の一という激安価格だった。
これは私の意向を反映させてくれたもので、なるべく貧しい領地に普及させてほしいとお願いしたから。ではどこで利益を出すのかといえば、領内消費分を除いたワインはすべてサイデム商会の流通ルートで販売するという付帯契約によってだ。ワインを適正価格でサイデム商会が引き取り、そうして集められた良質なワインの卸売りを一手に行うことで収益を確保する。
つまり、サイデム商会と契約した領地でいいワインが多く生産されるようになれば、領地もおじさまも儲かるという仕組みだ。決して商売が上手くない貴族たちにとっては、生産さえしっかり行えば確実な利益が保障され、面倒な流通はプロに任せられるというこの契約は、願ったり叶ったりだろう。
そしていまテーブルに置かれた〝シャトー・ラーゼン〟は、このご当地ワイン生産プロジェクトの成果のひとつということらしい。
「私どもの領地には、特産品と呼べる品物があまりなく、お恥ずかしいお話ではございますが、領民からの基本税すら毎年予想を下回るような状況にございます。とはいえ、何をすべきなのか……もちろん考えてこなかった訳ではございません。ですが、祖父の代も父の代になってからも、試みた施策はことごとく失敗し、赤字を出すばかりで、これまで誇れるものは何ひとつ作り出せませんでした……」
貴族の令嬢が、自分にとって恥となるような状況を人前で話すのはとても勇気のいることだし、家の失敗を開示することにもある。にもかかわらず、カラリナ嬢は一切の躊躇いを感じさせることなく、力強い口調で話を続けた。
「ですが、ここに私の領地の新しい名産品ができました。サイデム様が私どもの領地でも取り組むことが可能だとおっしゃってくださり、懇切丁寧にご指導くださったおかげでございます。正直、そこまで丁寧にご指導いただけるとは期待していなかったと、父や兄は申しておりました。それがなければ、きっとこのワインもこんなに早く出来上がりはしなかったことでしょう」
カラリナ嬢の目はキラキラしている。彼女にとってはサイデム商会とおじさまは領地の危機を救った尊敬できる人物なのだろう。おじさまもいい仕事をしたものだ。
他のお嬢様方からも拍手が上がり、ルミナーレ様も満足げな表情を浮かべられている。
「シドに新しき味がこれからたくさん生まれそうですわね。楽しみだこと。サイデム商会は良い仕事をしておりますわね。これは是非とも皇宮の皆様にもお伝えしなくては。サイデムは〝帝国の代理人〟に相応しい仕事をしているとね」
「恐れ入ります。すべては神々のご加護でございましょう。商売の神ヘステストに感謝を。そして皇帝陛下の素晴らしき善政にさらなる感謝を」
「そうですね。では、神々と皇帝陛下にこの〝シャトー・ラーゼン〟の若々しい葡萄酒で乾杯を捧げましょう」
そして私を除く皆様はワインのグラスを掲げで乾杯された。
(やっぱり飲みたかったな……新物のワイン……うー)
自分で自分に課した〝お酒は二十歳になってから〟というこの世界ではあまり意味のない制限を破れない自分の頑固さに呆れながら、私はなんとか笑顔を保っていた。
カラリナ・ラーゼン男爵令嬢が召使いに命じて取り出したのは〝シャトー・ラーゼン〟とエチケットに書かれた一本の赤ワインだった。
エチケットとはそのワインに関する情報が書かれた表書きで、それぞれのワインの名前、産地、生産者、作られた年号といったワインを選ぶ上で必要な情報をわかりやすく見られるよう共通化したものだ。
これまではワインにそうした情報は書かれておらず、売り手を信用して買うか、小さな木製タグに手書きされた共通性のない情報を頼りに選ぶのが普通だったそうだ。だが、もうこの世界でも安価な紙がしっかり流通しているので、いい機会だと思い、こうした取り組みも〝研究所式ワイン醸造〟のマニュアルに組み込むことにした。
やはりこうしてみるとエチケットには作り手の個性がよく反映されており、カラリナ嬢の手にしたワインのラベルも板木を使った朴訥な黒一色の印刷ながら小さくお城が描かれていたり、年号部分が手書きだったりと、初々しい小さなワイナリーらしい個性に溢れている。
「おお、そうですか。ご領地ではいよいよ出荷できる品質のワインができたのでございますね。それはぜひとも味わせていただきたいですな」
そこで私はカラリナ嬢が何を言わんとしているのか納得がいった。それはおじさまとサイデム商会に対する感謝だ。
おじさまは〝ラボ〟の生産が可能になり、それが爆発的に受け入れられたあと、ワインビジネスのコンサルタント業を開始した。もちろんノウハウに関する資料は〝イス研究所〟がしっかり作ってくれてあったので、土地による差異はあってもワイン醸造の再現性に問題はない。もちろん土地は選ぶし、どこでもまったく同様にできるわけではないが、しっかり品種改良をしてあるので、ある程度のクオリティと量産性は保証できるし、軌道に乗るまでのアフターケアもしっかり行われている。
(そうした資料が研究所へフィードバックされることで、さらに研究が進むしね)
おじさまはこのビジネスについて契約時のコンサルタント料をとても安く設定した。それは貴族用牧場ビジネスのぼったくり……もとい高額商品ゆえの契約価格からすると何十分の一という激安価格だった。
これは私の意向を反映させてくれたもので、なるべく貧しい領地に普及させてほしいとお願いしたから。ではどこで利益を出すのかといえば、領内消費分を除いたワインはすべてサイデム商会の流通ルートで販売するという付帯契約によってだ。ワインを適正価格でサイデム商会が引き取り、そうして集められた良質なワインの卸売りを一手に行うことで収益を確保する。
つまり、サイデム商会と契約した領地でいいワインが多く生産されるようになれば、領地もおじさまも儲かるという仕組みだ。決して商売が上手くない貴族たちにとっては、生産さえしっかり行えば確実な利益が保障され、面倒な流通はプロに任せられるというこの契約は、願ったり叶ったりだろう。
そしていまテーブルに置かれた〝シャトー・ラーゼン〟は、このご当地ワイン生産プロジェクトの成果のひとつということらしい。
「私どもの領地には、特産品と呼べる品物があまりなく、お恥ずかしいお話ではございますが、領民からの基本税すら毎年予想を下回るような状況にございます。とはいえ、何をすべきなのか……もちろん考えてこなかった訳ではございません。ですが、祖父の代も父の代になってからも、試みた施策はことごとく失敗し、赤字を出すばかりで、これまで誇れるものは何ひとつ作り出せませんでした……」
貴族の令嬢が、自分にとって恥となるような状況を人前で話すのはとても勇気のいることだし、家の失敗を開示することにもある。にもかかわらず、カラリナ嬢は一切の躊躇いを感じさせることなく、力強い口調で話を続けた。
「ですが、ここに私の領地の新しい名産品ができました。サイデム様が私どもの領地でも取り組むことが可能だとおっしゃってくださり、懇切丁寧にご指導くださったおかげでございます。正直、そこまで丁寧にご指導いただけるとは期待していなかったと、父や兄は申しておりました。それがなければ、きっとこのワインもこんなに早く出来上がりはしなかったことでしょう」
カラリナ嬢の目はキラキラしている。彼女にとってはサイデム商会とおじさまは領地の危機を救った尊敬できる人物なのだろう。おじさまもいい仕事をしたものだ。
他のお嬢様方からも拍手が上がり、ルミナーレ様も満足げな表情を浮かべられている。
「シドに新しき味がこれからたくさん生まれそうですわね。楽しみだこと。サイデム商会は良い仕事をしておりますわね。これは是非とも皇宮の皆様にもお伝えしなくては。サイデムは〝帝国の代理人〟に相応しい仕事をしているとね」
「恐れ入ります。すべては神々のご加護でございましょう。商売の神ヘステストに感謝を。そして皇帝陛下の素晴らしき善政にさらなる感謝を」
「そうですね。では、神々と皇帝陛下にこの〝シャトー・ラーゼン〟の若々しい葡萄酒で乾杯を捧げましょう」
そして私を除く皆様はワインのグラスを掲げで乾杯された。
(やっぱり飲みたかったな……新物のワイン……うー)
自分で自分に課した〝お酒は二十歳になってから〟というこの世界ではあまり意味のない制限を破れない自分の頑固さに呆れながら、私はなんとか笑顔を保っていた。
303
あなたにおすすめの小説
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
【短編】花婿殿に姻族でサプライズしようと隠れていたら「愛することはない」って聞いたんだが。可愛い妹はあげません!
月野槐樹
ファンタジー
妹の結婚式前にサプライズをしようと姻族みんなで隠れていたら、
花婿殿が、「君を愛することはない!」と宣言してしまった。
姻族全員大騒ぎとなった
夫から『お前を愛することはない』と言われたので、お返しついでに彼のお友達をお招きした結果。
古森真朝
ファンタジー
「クラリッサ・ベル・グレイヴィア伯爵令嬢、あらかじめ言っておく。
俺がお前を愛することは、この先決してない。期待など一切するな!」
新婚初日、花嫁に真っ向から言い放った新郎アドルフ。それに対して、クラリッサが返したのは――
※ぬるいですがホラー要素があります。苦手な方はご注意ください。
他国から来た王妃ですが、冷遇? 私にとっては厚遇すぎます!
七辻ゆゆ
ファンタジー
人質同然でやってきたというのに、出されるご飯は母国より美味しいし、嫌味な上司もいないから掃除洗濯毎日楽しいのですが!?
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
オネエ伯爵、幼女を拾う。~実はこの子、逃げてきた聖女らしい~
雪丸
ファンタジー
アタシ、アドルディ・レッドフォード伯爵。
突然だけど今の状況を説明するわ。幼女を拾ったの。
多分年齢は6~8歳くらいの子。屋敷の前にボロ雑巾が落ちてると思ったらびっくり!人だったの。
死んでる?と思ってその辺りに落ちている木で突いたら、息をしていたから屋敷に運んで手当てをしたのよ。
「道端で倒れていた私を助け、手当を施したその所業。賞賛に値します。(盛大なキャラ作り中)」
んま~~~尊大だし図々しいし可愛くないわ~~~!!
でも聖女様だから変な扱いもできないわ~~~!!
これからアタシ、どうなっちゃうのかしら…。
な、ラブコメ&ファンタジーです。恋の進展はスローペースです。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。(敬称略)
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。