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6 謎の事件と聖人候補
1025 蕎麦打ち妖精
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1025
〝巨大暴走〟終結後の帝都パレスは、それはもう街中がお祭り騒ぎだったそうだ。
(きっと、ものすごくストレスを感じる状況だったんだろうね)
その発生が確実となりすべての人々に状況が明らかにされたときから、活気あるパレスの状況は一変し、街は静まり返っていった。強固な城壁に守られたこの街は、一度もそうした事態になったことがないそうで、初めての事態が人々の恐怖を余計に煽ったのかもしれない。
最悪の状況として、大量の魔物がパレスへ侵攻する事態も考えられたため、街には戒厳令が公布され、終結まで一ヶ月近く人々は、本当に息をひそめて暮らしていた。
それが大きな被害もなく〝終わった〟という知らせの開放感は凄まじく、パレスへ戻った兵士たちは沿道に集まった街中の人々にお祭り騒ぎで迎えられ、数日はその興奮冷めやらなかったという。
パレス中どこもかしこも、いかにして暴走する大量の魔物を撃ち倒したのかという話題で持ちきりとなり、なかでも突如現れた〝特級魔術師部隊〟とそれを指揮するグッケンス博士の活躍話は、どこでも受けに受けまくっているという。
吟遊詩人はその英雄譚をもう歌にし始め、新聞は大量の号外を刷り続け、この歴史的勝利を讃え続けている。
「どんなに持ち上げられたって、グッケンス博士はちっとも嬉しくないだろうなぁ……」
パレスの様子を偵察に行ってくれたソーヤの報告を聞きながら、私は複雑な気持ちになっていた。
グッケンス博士はすでにこの世界の超有名人だ。
素晴らしい功績をたくさん残してきた英雄的人物……であると同時にそれから遠ざかろうとしていた人でもあった。
本来博士の目的の主眼は農業であり、畜産であり、それらへ魔法を有効利用するための研究なのだ。
そんな博士が今回も一番目立つ立場に据えられているのは、私を匿うためだ。博士はメイロード・マリスの〝やらかし〟の隠れ蓑にずっとなってくれている。博士は『気にする必要はない』と言ってくれているが、今回も私の〝やらかし〟が博士を煩わせていると思うと、どうにもいたたまれない気持ちになる。
「すごく大事になってるみたいね。まさか、これでまた、博士が中央に引き戻されたり……そんなことないよね」
私は天ぷらの下準備のため、魚を捌き、野菜を切りながら不安な声を出してしまった。私の隣で蕎麦打ちの準備をしているソーヤが心配そうに私を見る。
するとキッチンのカウンターで、昼間から着流しでぬる燗に板わさと蕎麦がきという江戸っ子風の粋な昼飲みをしていたセイリュウが笑う。
「大丈夫だって、グッケンス博士は心得てるさ。それに、お偉い連中が一番恐れているのはまた博士が以前みたいに完全に姿を消しちゃうことだと思うよ」
「確かに……そうですね。望むようにしなかったら、博士は今度こそ完全に姿をくらますってみんな思ってますもんね」
「そうさ、だから安心おしよ、メイロード」
確かにセイリュウの言う通りだ。過去にグッケンス博士には、研究を邪魔される煩わしさに耐えかねて田舎の高原に《隠蔽魔法》を駆使して引きこもってしまった、という実績がある。
(あのころから、もうグッケンス博士の《隠蔽魔法》は完璧だったから、誰も探し当てられなかったんだよね、私がソーヤに導かれてたどり着くまで……)
博士を失ったことが各所に大騒動と多大な実害をもたらしたことを、シドのお偉い方々はきっと忘れていない。ならば、博士はきっとまた自由に研究を続けられるはずだ。
セイリュウの言葉に少し安心した私はソーヤに声をかける。
「それじゃ〝水まわし〟から始めてくれる?」
「はい、お任せくださいませ、メイロードさま」
今日はグッケンス博士のお気に入り〝日本蕎麦〟を中心に夕食を準備している。
一度教えたらソーヤはしっかり蕎麦の作り方を覚えてくれて、力持ちで料理スキルの高いソーヤの蕎麦は本当に美味しい。しかも手が早いので、大量の蕎麦打ちもお手のものだ。
「〝菊ねり〟も完璧ね。今日もいいお蕎麦になりそう」
水を含ませていくつかの小さなかたまりになった蕎麦粉を、異世界から購入した朱色が美しいこね鉢の中でまとめ、さらにリズミカルに織り込むような手つきで空気を抜いていく。ソーヤの手捌きは熟練の蕎麦職人そのものだ。
「はい、それじゃ打ち粉をしてっと」
長い綿棒を握ったソーヤは、素晴らしい手捌きでまたたく間に蕎麦生地の〝角出し〟を終え、綺麗な薄い四角になった伸ばした生地を折りたたむ。
そしてソーヤお気に入りの(もちろん異世界から購入した)〝蕎麦切り包丁〟で、とっても楽しそうに美しい細切りの蕎麦を切っていく。
「本日の蕎麦粉は〝シンシュウ〟の〝サラシナ〟でございますね。先日いただきました〝ヒキグルミ〟も大変美味しかったですが、この白いお蕎麦もいい香りがいたします」
「そうね、栄養価でいえば〝挽きぐるみ〟の方が高いけど、〝更科〟の繊細な風味もいいものよ。今度はもっと色の濃い〝田舎蕎麦〟も作ってみましょうね」
「それは楽しみです! ぜひ作りましょう、メイロードさま」
(ソーヤは〝本返し〟だって作れるし、出汁を引くのも上手だし、すぐにお蕎麦屋さんが開けそうね。でも、本人はいろんなお蕎麦を食べることに夢中みたいだけど)
グッケンス博士が現れたのは、ちょうど準備が整ったところだった。
「お帰りなさい、博士」
「ふぅ、面倒なことになったものよ」
今日からは研究に戻ると言っていた博士は、めんどくさげな表情だ。
「やっぱり、なにかあったんですね」
(イヤな予感、当たっちゃったのかな)
〝巨大暴走〟終結後の帝都パレスは、それはもう街中がお祭り騒ぎだったそうだ。
(きっと、ものすごくストレスを感じる状況だったんだろうね)
その発生が確実となりすべての人々に状況が明らかにされたときから、活気あるパレスの状況は一変し、街は静まり返っていった。強固な城壁に守られたこの街は、一度もそうした事態になったことがないそうで、初めての事態が人々の恐怖を余計に煽ったのかもしれない。
最悪の状況として、大量の魔物がパレスへ侵攻する事態も考えられたため、街には戒厳令が公布され、終結まで一ヶ月近く人々は、本当に息をひそめて暮らしていた。
それが大きな被害もなく〝終わった〟という知らせの開放感は凄まじく、パレスへ戻った兵士たちは沿道に集まった街中の人々にお祭り騒ぎで迎えられ、数日はその興奮冷めやらなかったという。
パレス中どこもかしこも、いかにして暴走する大量の魔物を撃ち倒したのかという話題で持ちきりとなり、なかでも突如現れた〝特級魔術師部隊〟とそれを指揮するグッケンス博士の活躍話は、どこでも受けに受けまくっているという。
吟遊詩人はその英雄譚をもう歌にし始め、新聞は大量の号外を刷り続け、この歴史的勝利を讃え続けている。
「どんなに持ち上げられたって、グッケンス博士はちっとも嬉しくないだろうなぁ……」
パレスの様子を偵察に行ってくれたソーヤの報告を聞きながら、私は複雑な気持ちになっていた。
グッケンス博士はすでにこの世界の超有名人だ。
素晴らしい功績をたくさん残してきた英雄的人物……であると同時にそれから遠ざかろうとしていた人でもあった。
本来博士の目的の主眼は農業であり、畜産であり、それらへ魔法を有効利用するための研究なのだ。
そんな博士が今回も一番目立つ立場に据えられているのは、私を匿うためだ。博士はメイロード・マリスの〝やらかし〟の隠れ蓑にずっとなってくれている。博士は『気にする必要はない』と言ってくれているが、今回も私の〝やらかし〟が博士を煩わせていると思うと、どうにもいたたまれない気持ちになる。
「すごく大事になってるみたいね。まさか、これでまた、博士が中央に引き戻されたり……そんなことないよね」
私は天ぷらの下準備のため、魚を捌き、野菜を切りながら不安な声を出してしまった。私の隣で蕎麦打ちの準備をしているソーヤが心配そうに私を見る。
するとキッチンのカウンターで、昼間から着流しでぬる燗に板わさと蕎麦がきという江戸っ子風の粋な昼飲みをしていたセイリュウが笑う。
「大丈夫だって、グッケンス博士は心得てるさ。それに、お偉い連中が一番恐れているのはまた博士が以前みたいに完全に姿を消しちゃうことだと思うよ」
「確かに……そうですね。望むようにしなかったら、博士は今度こそ完全に姿をくらますってみんな思ってますもんね」
「そうさ、だから安心おしよ、メイロード」
確かにセイリュウの言う通りだ。過去にグッケンス博士には、研究を邪魔される煩わしさに耐えかねて田舎の高原に《隠蔽魔法》を駆使して引きこもってしまった、という実績がある。
(あのころから、もうグッケンス博士の《隠蔽魔法》は完璧だったから、誰も探し当てられなかったんだよね、私がソーヤに導かれてたどり着くまで……)
博士を失ったことが各所に大騒動と多大な実害をもたらしたことを、シドのお偉い方々はきっと忘れていない。ならば、博士はきっとまた自由に研究を続けられるはずだ。
セイリュウの言葉に少し安心した私はソーヤに声をかける。
「それじゃ〝水まわし〟から始めてくれる?」
「はい、お任せくださいませ、メイロードさま」
今日はグッケンス博士のお気に入り〝日本蕎麦〟を中心に夕食を準備している。
一度教えたらソーヤはしっかり蕎麦の作り方を覚えてくれて、力持ちで料理スキルの高いソーヤの蕎麦は本当に美味しい。しかも手が早いので、大量の蕎麦打ちもお手のものだ。
「〝菊ねり〟も完璧ね。今日もいいお蕎麦になりそう」
水を含ませていくつかの小さなかたまりになった蕎麦粉を、異世界から購入した朱色が美しいこね鉢の中でまとめ、さらにリズミカルに織り込むような手つきで空気を抜いていく。ソーヤの手捌きは熟練の蕎麦職人そのものだ。
「はい、それじゃ打ち粉をしてっと」
長い綿棒を握ったソーヤは、素晴らしい手捌きでまたたく間に蕎麦生地の〝角出し〟を終え、綺麗な薄い四角になった伸ばした生地を折りたたむ。
そしてソーヤお気に入りの(もちろん異世界から購入した)〝蕎麦切り包丁〟で、とっても楽しそうに美しい細切りの蕎麦を切っていく。
「本日の蕎麦粉は〝シンシュウ〟の〝サラシナ〟でございますね。先日いただきました〝ヒキグルミ〟も大変美味しかったですが、この白いお蕎麦もいい香りがいたします」
「そうね、栄養価でいえば〝挽きぐるみ〟の方が高いけど、〝更科〟の繊細な風味もいいものよ。今度はもっと色の濃い〝田舎蕎麦〟も作ってみましょうね」
「それは楽しみです! ぜひ作りましょう、メイロードさま」
(ソーヤは〝本返し〟だって作れるし、出汁を引くのも上手だし、すぐにお蕎麦屋さんが開けそうね。でも、本人はいろんなお蕎麦を食べることに夢中みたいだけど)
グッケンス博士が現れたのは、ちょうど準備が整ったところだった。
「お帰りなさい、博士」
「ふぅ、面倒なことになったものよ」
今日からは研究に戻ると言っていた博士は、めんどくさげな表情だ。
「やっぱり、なにかあったんですね」
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