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世界でいちばん、美しい蝶
あいつにとっての神様で、太陽で、目の上のたんこぶ
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ふと足を止めたのは、心臓に突き刺さったままの名前を呼ぶ声が、聞こえたからだった。
昼休みがもうすぐ終わる時間の、特別棟の三階と本校舎の三階を繋ぐ渡り廊下のちょうど真ん中あたり。終一に予定通りクロワッサンを貢ぐことに成功し、朝の良い気分を保ったまま、午後一番の家庭科の授業に向かっている途中だった。
渡り廊下の左側に見える講堂の方から、その声が聞こえた。唯希は思わず渡り廊下の手すりから身を乗り出して、声のした方を覗き込む。別に、そこに本当に終一がいるなんて保証もないのに。
「しゅう先輩!!」
でっけえ声。
(その声量でよんだら、逆に逃げられるだろ)
あいつは、図体のデカい猫なので。
呼んでいるのは、見知らぬ生徒だった。赤茶色のブレザーを着ているから、学園の生徒であることは間違いない。遠いせいかもしれないけれど、背丈はそれほど高くないようだ。
(見たことねえし、中等部のやつか? 一年、にしてはでけえか)
上からでは、胸元の学年を示すバッチが見えず、判断がつかない。それでも確実に、唯希の知らない『誰か』だった。終一の交友関係は狭い。だから、誰と、どの程度仲がいいか、少なくとも学内については全て把握している、つもりだったのだけれど。
知らず、唯希の眉間に皺が寄る。
(誰だ、あいつ)
「――あぁ。あれは、瀬川くんだね。瀬川、始くん」
心の中でこぼした疑問に答えるように、背後から声がかかった。唯希は思わずビクリと肩を震わせてから、ゆっくりと後ろを振り返る。誰がいるのかは、顔が見えなくても分かった。世界で一番うつくしい蝶にとっての、神様で、太陽で、目の上のたんこぶだ。
振り返った視線の先、森純太が、…………ちょっと待て、なんだその髪型。
端的に言えば、頭から髪の毛の角が生えている。両耳の少し上、三角形のお団子が左右に一つずつ。唯希から見て右側の角からは細い毛束が落ちていて、毛先がくるんと巻いてあった。つけ毛なのか、毛先に向かって七色のグラデーションになっている。左の角自体は、昨日までと変わらず紫がかった黒色だ。右の角は、角自体が七色のグラデーションだ。どうやって染めたのか、皆目見当もつかない。
学外で見かけたら、というか、こいつが同寮で同じクラスの、まあ、定義を広げて言えば友達と言えなくもない関係性でなければ、学内でも絶対に近寄りたくない。見ているだけで、馬鹿が移る気がする。
唯希は露骨に嫌な顔をしながら――けれど、意地でも髪型については突っ込まないと決意して――森の言葉に答えた。
「せがわ? 誰だよ、そいつ」
「だから彼だよ。彼」
森が唯希と同じように身を乗り出して、講堂の傍で首をきょろきょろと左右に振っている『瀬川』を指さした。講堂の裏手に回ってみたり、植木の下を覗き込んだり。落ち着きなく終一を探す『瀬川』を目で追いながら、森の説明に耳を傾ける。
「高等部の一年生でね、美術科の新しい星、輝ける未来の一等星! なのさ。もちろん、この僕には劣るけれどもね!」
森は芝居がかった仕草で、胸に手を当てた。いちいち、大仰で鬱陶しいやつだ。
「そうかよ」
美術科の一年生。
つまりは、終一や森の、直属の後輩だ。
(美術科は、スポーツ科と違って、縦の関係、あんまないと思ってたけど)
熱心に終一を探す『瀬川』を見る限り、そうでもないらしい。
「まあ尤も、僕が彼を星と表現したのは、その芸術性のすばらしさを評してのことではないけれどね」
ぐるん、と首を回して、森が唯希の視界に無理やり入り込む。ほんの少し、いつもより低い、こいつの本来の声で、言葉が続く。台詞臭い言い回しはそのままに、けれど、いつもの道化染みた気配はない。
「彼はきっと、終一にとっての星になるよ。あぁ、そうだね、輝きは、太陽には遠く、あまりにも遠く及ばない。けれど、夜道を照らすには十分すぎる灯りだ。なんせ彼は、ちいさなライトひとつ、持ってはいないからね」
喉が、はりつく。言葉が出ない。煽られている、と自覚していた。喧嘩を売られている。森は、わざと唯希の嫌がる言葉を選んでいる。わざと斜めに切られた前髪の下、すっと猫目がほくそ笑む。
こいつは、『森純太』が終一にとっての太陽であることも、唯希が終一にとって、ほんの小さなライトにすら成れていないことも、ちゃんと知っている。全部、分かっている。
そのうえでの、この語り口だ。
飲み込まれるような極彩色の瞳に耐えられなくて、唯希は目を逸らした。
逸らした先で、強い、後悔に襲われる。
「そうやって悠長に構えていると、ねえ、分かるだろう?」
森の指先が、唯希の肩を滑った。その不快感を振り払うこともできずに、唯希は目の前の光景に釘付けになる。バカでかい声を、珍しく無視せずに『瀬川』の前に終一が現れる。なんの話をしているのかまでは分からない。ただ『瀬川』が、持っていた何かを見せた。終一はそれを見るために、体をかがめて『瀬川』の傍に寄る。
その距離を、許されているのは、俺だけだったはずなのに。
終一は簡単に唯希の知らない『誰か』にそれを許して。それから。口元に手をあてて、軽く笑った。
(なんで)
笑った顔を見られるのは、俺だけの、特権だったはずなのに。
傲慢な思い上がりを嘲るように、森のささやきが鼓膜を揺らす。
「君の大事な、大事な、いとしい小鳥が、星にかっさらわれてしまうよ。ねえ、唯希」
昼休みがもうすぐ終わる時間の、特別棟の三階と本校舎の三階を繋ぐ渡り廊下のちょうど真ん中あたり。終一に予定通りクロワッサンを貢ぐことに成功し、朝の良い気分を保ったまま、午後一番の家庭科の授業に向かっている途中だった。
渡り廊下の左側に見える講堂の方から、その声が聞こえた。唯希は思わず渡り廊下の手すりから身を乗り出して、声のした方を覗き込む。別に、そこに本当に終一がいるなんて保証もないのに。
「しゅう先輩!!」
でっけえ声。
(その声量でよんだら、逆に逃げられるだろ)
あいつは、図体のデカい猫なので。
呼んでいるのは、見知らぬ生徒だった。赤茶色のブレザーを着ているから、学園の生徒であることは間違いない。遠いせいかもしれないけれど、背丈はそれほど高くないようだ。
(見たことねえし、中等部のやつか? 一年、にしてはでけえか)
上からでは、胸元の学年を示すバッチが見えず、判断がつかない。それでも確実に、唯希の知らない『誰か』だった。終一の交友関係は狭い。だから、誰と、どの程度仲がいいか、少なくとも学内については全て把握している、つもりだったのだけれど。
知らず、唯希の眉間に皺が寄る。
(誰だ、あいつ)
「――あぁ。あれは、瀬川くんだね。瀬川、始くん」
心の中でこぼした疑問に答えるように、背後から声がかかった。唯希は思わずビクリと肩を震わせてから、ゆっくりと後ろを振り返る。誰がいるのかは、顔が見えなくても分かった。世界で一番うつくしい蝶にとっての、神様で、太陽で、目の上のたんこぶだ。
振り返った視線の先、森純太が、…………ちょっと待て、なんだその髪型。
端的に言えば、頭から髪の毛の角が生えている。両耳の少し上、三角形のお団子が左右に一つずつ。唯希から見て右側の角からは細い毛束が落ちていて、毛先がくるんと巻いてあった。つけ毛なのか、毛先に向かって七色のグラデーションになっている。左の角自体は、昨日までと変わらず紫がかった黒色だ。右の角は、角自体が七色のグラデーションだ。どうやって染めたのか、皆目見当もつかない。
学外で見かけたら、というか、こいつが同寮で同じクラスの、まあ、定義を広げて言えば友達と言えなくもない関係性でなければ、学内でも絶対に近寄りたくない。見ているだけで、馬鹿が移る気がする。
唯希は露骨に嫌な顔をしながら――けれど、意地でも髪型については突っ込まないと決意して――森の言葉に答えた。
「せがわ? 誰だよ、そいつ」
「だから彼だよ。彼」
森が唯希と同じように身を乗り出して、講堂の傍で首をきょろきょろと左右に振っている『瀬川』を指さした。講堂の裏手に回ってみたり、植木の下を覗き込んだり。落ち着きなく終一を探す『瀬川』を目で追いながら、森の説明に耳を傾ける。
「高等部の一年生でね、美術科の新しい星、輝ける未来の一等星! なのさ。もちろん、この僕には劣るけれどもね!」
森は芝居がかった仕草で、胸に手を当てた。いちいち、大仰で鬱陶しいやつだ。
「そうかよ」
美術科の一年生。
つまりは、終一や森の、直属の後輩だ。
(美術科は、スポーツ科と違って、縦の関係、あんまないと思ってたけど)
熱心に終一を探す『瀬川』を見る限り、そうでもないらしい。
「まあ尤も、僕が彼を星と表現したのは、その芸術性のすばらしさを評してのことではないけれどね」
ぐるん、と首を回して、森が唯希の視界に無理やり入り込む。ほんの少し、いつもより低い、こいつの本来の声で、言葉が続く。台詞臭い言い回しはそのままに、けれど、いつもの道化染みた気配はない。
「彼はきっと、終一にとっての星になるよ。あぁ、そうだね、輝きは、太陽には遠く、あまりにも遠く及ばない。けれど、夜道を照らすには十分すぎる灯りだ。なんせ彼は、ちいさなライトひとつ、持ってはいないからね」
喉が、はりつく。言葉が出ない。煽られている、と自覚していた。喧嘩を売られている。森は、わざと唯希の嫌がる言葉を選んでいる。わざと斜めに切られた前髪の下、すっと猫目がほくそ笑む。
こいつは、『森純太』が終一にとっての太陽であることも、唯希が終一にとって、ほんの小さなライトにすら成れていないことも、ちゃんと知っている。全部、分かっている。
そのうえでの、この語り口だ。
飲み込まれるような極彩色の瞳に耐えられなくて、唯希は目を逸らした。
逸らした先で、強い、後悔に襲われる。
「そうやって悠長に構えていると、ねえ、分かるだろう?」
森の指先が、唯希の肩を滑った。その不快感を振り払うこともできずに、唯希は目の前の光景に釘付けになる。バカでかい声を、珍しく無視せずに『瀬川』の前に終一が現れる。なんの話をしているのかまでは分からない。ただ『瀬川』が、持っていた何かを見せた。終一はそれを見るために、体をかがめて『瀬川』の傍に寄る。
その距離を、許されているのは、俺だけだったはずなのに。
終一は簡単に唯希の知らない『誰か』にそれを許して。それから。口元に手をあてて、軽く笑った。
(なんで)
笑った顔を見られるのは、俺だけの、特権だったはずなのに。
傲慢な思い上がりを嘲るように、森のささやきが鼓膜を揺らす。
「君の大事な、大事な、いとしい小鳥が、星にかっさらわれてしまうよ。ねえ、唯希」
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