それでもお前を愛と呼びたい

甲池幸

文字の大きさ
15 / 30
羽化前夜

好きだから

しおりを挟む
「奥、座って」
「おー」
 乗り込んだバスの、二人掛け席。窓側に座るように促せば、唯希はなんの疑いもなく、小さな体を座席に収めた。その隣に座って、終一はわざと、少し足を伸ばす。軽やかに、どこにだって行けてしまう太陽を閉じ込めるみたいに。窓の外に視線を向ける唯希の横顔に、そっと視線を向ける。
 珍しく髪を右側だけ耳にかけているから、横からでも表情が良く見えた。縦に大きくて、少し目じりの上がった瞳も、別に太っているわけじゃないのに丸い頬も、少し先がとがった耳も、全部、よく、見える。触れられたらすぐ赤くなっちゃうお子様のくせに、どうしてそう、無防備に晒してしまうのか。
(耳、ピアス開けないかな)
 どんな形が似合うだろう。考えながら、指先を伸ばす。耳たぶは人体で一番冷たい器官であるはずなのに、唯希のそれは熱かった。びくりと肩を震わせてこちらを向いたお子様は一瞬、目を見張った。それから、瞳が溶けるように優しく、目じりが下がる。
(そんな顔、ただの友達に向けないでよ)
 あの部長会の日に告げられた言葉が、まだ、終一の心のやわいところに刺さっている。お前が居ればいいなんて言ったくせに、結局、友達なんて、唯希にとっては普遍的な関係に着地した、あの最悪の会話が。
「なーに」
 今日、ご機嫌だね、唯希。
(俺と一緒だからって自惚れたら、また、痛い目みる?)
 見ても、いいかも。お前が、そんなに楽しそうに笑ってくれるなら。
 ここから先が地獄だって、飛び込むのになんの躊躇いも要らない。
「ピアス、開けないの?」
「ピアス?」
 ふに、と指先でつまんだ耳たぶはそれほど厚くない。軟骨は薄い。
「なに、くすぐってーよ」
 唯希が身じろぎながら、笑う。嫌なら振り払えばいいのに、彼はおとなしく、されるがままになっている。
「軟骨とかも似合うんじゃない」
「そうなん? よく分かんねーけど」
「……あけてあげよっか」
 するりと耳の輪郭をなぞり、指先を放す。唯希はぱちりと瞬いて、また目じりをさげて笑った。
「卒業したら頼むわ」
「卒業したら?」
「今は、防具に引っかかるだろ、たぶん」
「あー……剣道の時だけ外せば?」
「ふぁーすとぴあす? は外しちゃいけねえんじゃねーの?」
「ダメだね」
「じゃあダメじゃん」
 唯希が朗らかに笑う。顔をくしゃくしゃにして、肩を震わせて、声をあげて。いつも、別に怒っているわけじゃないし、笑っている顔の方が多いけれど、こんな風にちょっと幼く見える笑い方は、あんまり見たことがない。初めて喋ってから、もう四年近く経ったのに、まだ、知らないことがある。
(一生かかっても、全部知るなんて、きっとできない)
 だって時間が経つほどに、人は変わっていくものだから。
 同じ形で、同じ場所に、とどまってはくれない。
(変わっていく唯希を、全部見れたらいいのに)
 それこそ、しわくちゃで、白髪だらけの、おじいちゃんになるまで。
「卒業したら、やめちゃうの? 剣道」
「んー、今のところ、そのつもり」
 唯希の赤みがかった茶色の瞳が、わずかに陰りを帯びる。正面を向いて、目を伏せる。その横顔に落ちた影すら、とてもきれいだと思った。
「剣道強いとこって選ぶよりは、好きな勉強できるとこって選び方したいし、そうするとやっぱ、剣道部なかったりすんだよ」
「師範さんのとこに戻るのは?」
「行きたいとこ、県外だから」
 毎日稽古のために戻ってくるわけにはいかない、と。それは確かに、やめる選択肢が一番上にくるだろう。剣道は家で勝手に、一人で出来るものじゃない。
「あぁ……そっか、あの大学、都内だっけ」
 唯希にとっての剣道は、終一にとっての絵と同じなのだと、勝手に思っていた。
 呼吸に必要なもので、生きるための、自分の軸になるもの。
 だから、辞める日なんて、来ないのだと思っていた。
「うん」
 頷く唯希は、きゅっと唇を引き結んでいる。眉間の皺も深い。笑ってほしくて、手を伸ばす。一筋、頬にかかった髪を指先で耳にかける。
「じゃあ、どっか借りて、二人でやる? 俺もどうせ都内だし」
 唯希の視線が終一を向いた。引き結ばれていた唇が震えている。そんな顔になるくらい、手放し難いものなら、きっと、捨てるべきじゃない。どうか、今だけは、今だけでいいから、冷たく見られることの多い自分の顔が、唯希にとって優しく映ることを祈った。
「あるでしょ、別に。道場探して、借りて。道具は、まあ、揃えればいいし。さすがに毎日は無理だろうけど、週一くらいならできるんじゃない?」
 都合がつけば、お金を払って、唯希の師範に来てもらってもいい。終一は何度か会ったことがあるだけだけど、あの人はきっと、そういう我儘は聞いてくれる。筋を通せと怒るわりに、唯希に甘いから。
「俺じゃ相手になんないだろうけど、まあ、一人よりマシでしょ」
 唯希はぱちり、と二度、ゆっくりと瞬いた。それから、花が綻ぶように、笑みが広がる。口角があがって、目じりと眉がさがって、目が細くなって。息を吐くような、静かな笑い声が落ちる。
「……ほんと、終はなんでそんなやさしーの」
 好きだから。
 簡単な答えを、まるまる告げたら、このお子様はなんていうんだろう。きっと、色恋なんて一つも知らない、無垢な太陽は、どんな答えをくれるんだろう。何も伝わらないままでいい。何も知らないままでいいから。
 それでいいから、ずっと、傍に居させて。
 そんな願いも、喉を通る間に、別の言葉に化けてしまう。
「別に、優しいとかじゃなくて。そんな顔するくらいなら、やめなきゃいいんじゃないのって思っただけ。探せば、方法はいくらでもあるでしょ」
「はは、俺、そんな酷い顔してた?」
「今から遊びに行くなんて信じられないくらい辛気臭い顔してた」
「まじ? 今日楽しみにしてたのは嘘じゃねーよ?」
 唯希が終一の顔を覗き込む。楽しみに、してたんだ。無防備にさらされた額を指の腹でぐっと押した。ちょっと今は、あんまり近づかないで欲しい。
「嘘だなんて言ってないでしょ」
 強く鳴った心音が聞こえてしまわないように。上がったまま戻らない口角に気づかれてしまわないように。終一は唯希から遠い方の、通路側のひじ掛けに体重を預けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

真空ベータの最強執事は辞職したい~フェロモン無効体質でアルファの王子様たちの精神安定剤になってしまった結果、執着溺愛されています~

水凪しおん
BL
フェロモンの影響を受けない「ベータ」の執事ルシアンは、前世の記憶を持つ転生者。 アルファ至上主義の荒れた王城で、彼はその特異な「無臭」体質ゆえに、フェロモン過多で情緒不安定な三人の王子たちにとって唯一の「精神安定剤」となってしまう。 氷の第一王子、野獣の第二王子、知略の第三王子――最強のアルファ兄弟から、匂いを嗅がれ、抱きつかれ、執着される日々。 「私はただの執事です。平穏に仕事をさせてください」 辞表を出せば即却下、他国へ逃げれば奪還作戦。 これは、無自覚に王子たちを癒やしてしまった最強執事が、国ぐるみで溺愛され、外堀を埋められていくお仕事&逆ハーレムBLファンタジー!

三ヶ月だけの恋人

perari
BL
仁野(にの)は人違いで殴ってしまった。 殴った相手は――学年の先輩で、学内で知らぬ者はいない医学部の天才。 しかも、ずっと密かに想いを寄せていた松田(まつだ)先輩だった。 罪悪感にかられた仁野は、謝罪の気持ちとして松田の提案を受け入れた。 それは「三ヶ月だけ恋人として付き合う」という、まさかの提案だった――。

【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~

上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。 ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。 「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」 そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。 完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか? 初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。

血のつながらない弟に誘惑されてしまいました。【完結】

まつも☆きらら
BL
突然できたかわいい弟。素直でおとなしくてすぐに仲良くなったけれど、むじゃきなその弟には実は人には言えない秘密があった。ある夜、俺のベッドに潜り込んできた弟は信じられない告白をする。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

もう観念しなよ、呆れた顔の彼に諦めの悪い僕は財布の3万円を机の上に置いた

谷地
BL
お昼寝コース(※2時間)8000円。 就寝コースは、8時間/1万5千円・10時間/2万円・12時間/3万円~お選びいただけます。 お好みのキャストを選んで御予約下さい。はじめてに限り2000円値引きキャンペーン実施中! 液晶の中で光るポップなフォントは安っぽくぴかぴかと光っていた。 完結しました *・゚ 2025.5.10 少し修正しました。

【完結】期限付きの恋人契約〜あと一年で終わるはずだったのに〜

なの
BL
「俺と恋人になってくれ。期限は一年」 男子校に通う高校二年の白石悠真は、地味で真面目なクラスメイト。 ある日、学年一の人気者・神谷蓮に、いきなりそんな宣言をされる。 冗談だと思っていたのに、毎日放課後を一緒に過ごし、弁当を交換し、祭りにも行くうちに――蓮は悠真の中で、ただのクラスメイトじゃなくなっていた。 しかし、期限の日が近づく頃、蓮の笑顔の裏に隠された秘密が明らかになる。 「俺、後悔しないようにしてんだ」 その言葉の意味を知ったとき、悠真は――。 笑い合った日々も、すれ違った夜も、全部まとめて好きだ。 一年だけのはずだった契約は、運命を変える恋になる。 青春BL小説カップにエントリーしてます。応援よろしくお願いします。 本文は完結済みですが、番外編も投稿しますので、よければお読みください。

処理中です...