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羽化前夜
好きだから
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「奥、座って」
「おー」
乗り込んだバスの、二人掛け席。窓側に座るように促せば、唯希はなんの疑いもなく、小さな体を座席に収めた。その隣に座って、終一はわざと、少し足を伸ばす。軽やかに、どこにだって行けてしまう太陽を閉じ込めるみたいに。窓の外に視線を向ける唯希の横顔に、そっと視線を向ける。
珍しく髪を右側だけ耳にかけているから、横からでも表情が良く見えた。縦に大きくて、少し目じりの上がった瞳も、別に太っているわけじゃないのに丸い頬も、少し先がとがった耳も、全部、よく、見える。触れられたらすぐ赤くなっちゃうお子様のくせに、どうしてそう、無防備に晒してしまうのか。
(耳、ピアス開けないかな)
どんな形が似合うだろう。考えながら、指先を伸ばす。耳たぶは人体で一番冷たい器官であるはずなのに、唯希のそれは熱かった。びくりと肩を震わせてこちらを向いたお子様は一瞬、目を見張った。それから、瞳が溶けるように優しく、目じりが下がる。
(そんな顔、ただの友達に向けないでよ)
あの部長会の日に告げられた言葉が、まだ、終一の心のやわいところに刺さっている。お前が居ればいいなんて言ったくせに、結局、友達なんて、唯希にとっては普遍的な関係に着地した、あの最悪の会話が。
「なーに」
今日、ご機嫌だね、唯希。
(俺と一緒だからって自惚れたら、また、痛い目みる?)
見ても、いいかも。お前が、そんなに楽しそうに笑ってくれるなら。
ここから先が地獄だって、飛び込むのになんの躊躇いも要らない。
「ピアス、開けないの?」
「ピアス?」
ふに、と指先でつまんだ耳たぶはそれほど厚くない。軟骨は薄い。
「なに、くすぐってーよ」
唯希が身じろぎながら、笑う。嫌なら振り払えばいいのに、彼はおとなしく、されるがままになっている。
「軟骨とかも似合うんじゃない」
「そうなん? よく分かんねーけど」
「……あけてあげよっか」
するりと耳の輪郭をなぞり、指先を放す。唯希はぱちりと瞬いて、また目じりをさげて笑った。
「卒業したら頼むわ」
「卒業したら?」
「今は、防具に引っかかるだろ、たぶん」
「あー……剣道の時だけ外せば?」
「ふぁーすとぴあす? は外しちゃいけねえんじゃねーの?」
「ダメだね」
「じゃあダメじゃん」
唯希が朗らかに笑う。顔をくしゃくしゃにして、肩を震わせて、声をあげて。いつも、別に怒っているわけじゃないし、笑っている顔の方が多いけれど、こんな風にちょっと幼く見える笑い方は、あんまり見たことがない。初めて喋ってから、もう四年近く経ったのに、まだ、知らないことがある。
(一生かかっても、全部知るなんて、きっとできない)
だって時間が経つほどに、人は変わっていくものだから。
同じ形で、同じ場所に、とどまってはくれない。
(変わっていく唯希を、全部見れたらいいのに)
それこそ、しわくちゃで、白髪だらけの、おじいちゃんになるまで。
「卒業したら、やめちゃうの? 剣道」
「んー、今のところ、そのつもり」
唯希の赤みがかった茶色の瞳が、わずかに陰りを帯びる。正面を向いて、目を伏せる。その横顔に落ちた影すら、とてもきれいだと思った。
「剣道強いとこって選ぶよりは、好きな勉強できるとこって選び方したいし、そうするとやっぱ、剣道部なかったりすんだよ」
「師範さんのとこに戻るのは?」
「行きたいとこ、県外だから」
毎日稽古のために戻ってくるわけにはいかない、と。それは確かに、やめる選択肢が一番上にくるだろう。剣道は家で勝手に、一人で出来るものじゃない。
「あぁ……そっか、あの大学、都内だっけ」
唯希にとっての剣道は、終一にとっての絵と同じなのだと、勝手に思っていた。
呼吸に必要なもので、生きるための、自分の軸になるもの。
だから、辞める日なんて、来ないのだと思っていた。
「うん」
頷く唯希は、きゅっと唇を引き結んでいる。眉間の皺も深い。笑ってほしくて、手を伸ばす。一筋、頬にかかった髪を指先で耳にかける。
「じゃあ、どっか借りて、二人でやる? 俺もどうせ都内だし」
唯希の視線が終一を向いた。引き結ばれていた唇が震えている。そんな顔になるくらい、手放し難いものなら、きっと、捨てるべきじゃない。どうか、今だけは、今だけでいいから、冷たく見られることの多い自分の顔が、唯希にとって優しく映ることを祈った。
「あるでしょ、別に。道場探して、借りて。道具は、まあ、揃えればいいし。さすがに毎日は無理だろうけど、週一くらいならできるんじゃない?」
都合がつけば、お金を払って、唯希の師範に来てもらってもいい。終一は何度か会ったことがあるだけだけど、あの人はきっと、そういう我儘は聞いてくれる。筋を通せと怒るわりに、唯希に甘いから。
「俺じゃ相手になんないだろうけど、まあ、一人よりマシでしょ」
唯希はぱちり、と二度、ゆっくりと瞬いた。それから、花が綻ぶように、笑みが広がる。口角があがって、目じりと眉がさがって、目が細くなって。息を吐くような、静かな笑い声が落ちる。
「……ほんと、終はなんでそんなやさしーの」
好きだから。
簡単な答えを、まるまる告げたら、このお子様はなんていうんだろう。きっと、色恋なんて一つも知らない、無垢な太陽は、どんな答えをくれるんだろう。何も伝わらないままでいい。何も知らないままでいいから。
それでいいから、ずっと、傍に居させて。
そんな願いも、喉を通る間に、別の言葉に化けてしまう。
「別に、優しいとかじゃなくて。そんな顔するくらいなら、やめなきゃいいんじゃないのって思っただけ。探せば、方法はいくらでもあるでしょ」
「はは、俺、そんな酷い顔してた?」
「今から遊びに行くなんて信じられないくらい辛気臭い顔してた」
「まじ? 今日楽しみにしてたのは嘘じゃねーよ?」
唯希が終一の顔を覗き込む。楽しみに、してたんだ。無防備にさらされた額を指の腹でぐっと押した。ちょっと今は、あんまり近づかないで欲しい。
「嘘だなんて言ってないでしょ」
強く鳴った心音が聞こえてしまわないように。上がったまま戻らない口角に気づかれてしまわないように。終一は唯希から遠い方の、通路側のひじ掛けに体重を預けた。
「おー」
乗り込んだバスの、二人掛け席。窓側に座るように促せば、唯希はなんの疑いもなく、小さな体を座席に収めた。その隣に座って、終一はわざと、少し足を伸ばす。軽やかに、どこにだって行けてしまう太陽を閉じ込めるみたいに。窓の外に視線を向ける唯希の横顔に、そっと視線を向ける。
珍しく髪を右側だけ耳にかけているから、横からでも表情が良く見えた。縦に大きくて、少し目じりの上がった瞳も、別に太っているわけじゃないのに丸い頬も、少し先がとがった耳も、全部、よく、見える。触れられたらすぐ赤くなっちゃうお子様のくせに、どうしてそう、無防備に晒してしまうのか。
(耳、ピアス開けないかな)
どんな形が似合うだろう。考えながら、指先を伸ばす。耳たぶは人体で一番冷たい器官であるはずなのに、唯希のそれは熱かった。びくりと肩を震わせてこちらを向いたお子様は一瞬、目を見張った。それから、瞳が溶けるように優しく、目じりが下がる。
(そんな顔、ただの友達に向けないでよ)
あの部長会の日に告げられた言葉が、まだ、終一の心のやわいところに刺さっている。お前が居ればいいなんて言ったくせに、結局、友達なんて、唯希にとっては普遍的な関係に着地した、あの最悪の会話が。
「なーに」
今日、ご機嫌だね、唯希。
(俺と一緒だからって自惚れたら、また、痛い目みる?)
見ても、いいかも。お前が、そんなに楽しそうに笑ってくれるなら。
ここから先が地獄だって、飛び込むのになんの躊躇いも要らない。
「ピアス、開けないの?」
「ピアス?」
ふに、と指先でつまんだ耳たぶはそれほど厚くない。軟骨は薄い。
「なに、くすぐってーよ」
唯希が身じろぎながら、笑う。嫌なら振り払えばいいのに、彼はおとなしく、されるがままになっている。
「軟骨とかも似合うんじゃない」
「そうなん? よく分かんねーけど」
「……あけてあげよっか」
するりと耳の輪郭をなぞり、指先を放す。唯希はぱちりと瞬いて、また目じりをさげて笑った。
「卒業したら頼むわ」
「卒業したら?」
「今は、防具に引っかかるだろ、たぶん」
「あー……剣道の時だけ外せば?」
「ふぁーすとぴあす? は外しちゃいけねえんじゃねーの?」
「ダメだね」
「じゃあダメじゃん」
唯希が朗らかに笑う。顔をくしゃくしゃにして、肩を震わせて、声をあげて。いつも、別に怒っているわけじゃないし、笑っている顔の方が多いけれど、こんな風にちょっと幼く見える笑い方は、あんまり見たことがない。初めて喋ってから、もう四年近く経ったのに、まだ、知らないことがある。
(一生かかっても、全部知るなんて、きっとできない)
だって時間が経つほどに、人は変わっていくものだから。
同じ形で、同じ場所に、とどまってはくれない。
(変わっていく唯希を、全部見れたらいいのに)
それこそ、しわくちゃで、白髪だらけの、おじいちゃんになるまで。
「卒業したら、やめちゃうの? 剣道」
「んー、今のところ、そのつもり」
唯希の赤みがかった茶色の瞳が、わずかに陰りを帯びる。正面を向いて、目を伏せる。その横顔に落ちた影すら、とてもきれいだと思った。
「剣道強いとこって選ぶよりは、好きな勉強できるとこって選び方したいし、そうするとやっぱ、剣道部なかったりすんだよ」
「師範さんのとこに戻るのは?」
「行きたいとこ、県外だから」
毎日稽古のために戻ってくるわけにはいかない、と。それは確かに、やめる選択肢が一番上にくるだろう。剣道は家で勝手に、一人で出来るものじゃない。
「あぁ……そっか、あの大学、都内だっけ」
唯希にとっての剣道は、終一にとっての絵と同じなのだと、勝手に思っていた。
呼吸に必要なもので、生きるための、自分の軸になるもの。
だから、辞める日なんて、来ないのだと思っていた。
「うん」
頷く唯希は、きゅっと唇を引き結んでいる。眉間の皺も深い。笑ってほしくて、手を伸ばす。一筋、頬にかかった髪を指先で耳にかける。
「じゃあ、どっか借りて、二人でやる? 俺もどうせ都内だし」
唯希の視線が終一を向いた。引き結ばれていた唇が震えている。そんな顔になるくらい、手放し難いものなら、きっと、捨てるべきじゃない。どうか、今だけは、今だけでいいから、冷たく見られることの多い自分の顔が、唯希にとって優しく映ることを祈った。
「あるでしょ、別に。道場探して、借りて。道具は、まあ、揃えればいいし。さすがに毎日は無理だろうけど、週一くらいならできるんじゃない?」
都合がつけば、お金を払って、唯希の師範に来てもらってもいい。終一は何度か会ったことがあるだけだけど、あの人はきっと、そういう我儘は聞いてくれる。筋を通せと怒るわりに、唯希に甘いから。
「俺じゃ相手になんないだろうけど、まあ、一人よりマシでしょ」
唯希はぱちり、と二度、ゆっくりと瞬いた。それから、花が綻ぶように、笑みが広がる。口角があがって、目じりと眉がさがって、目が細くなって。息を吐くような、静かな笑い声が落ちる。
「……ほんと、終はなんでそんなやさしーの」
好きだから。
簡単な答えを、まるまる告げたら、このお子様はなんていうんだろう。きっと、色恋なんて一つも知らない、無垢な太陽は、どんな答えをくれるんだろう。何も伝わらないままでいい。何も知らないままでいいから。
それでいいから、ずっと、傍に居させて。
そんな願いも、喉を通る間に、別の言葉に化けてしまう。
「別に、優しいとかじゃなくて。そんな顔するくらいなら、やめなきゃいいんじゃないのって思っただけ。探せば、方法はいくらでもあるでしょ」
「はは、俺、そんな酷い顔してた?」
「今から遊びに行くなんて信じられないくらい辛気臭い顔してた」
「まじ? 今日楽しみにしてたのは嘘じゃねーよ?」
唯希が終一の顔を覗き込む。楽しみに、してたんだ。無防備にさらされた額を指の腹でぐっと押した。ちょっと今は、あんまり近づかないで欲しい。
「嘘だなんて言ってないでしょ」
強く鳴った心音が聞こえてしまわないように。上がったまま戻らない口角に気づかれてしまわないように。終一は唯希から遠い方の、通路側のひじ掛けに体重を預けた。
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