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お手伝い
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それからぼくはずっとタケルの中にいた。
前みたいに、タケルが寝た時だけ起きられる。
だけどぼくが起きてたら、タケルが体を休めるために寝た意味がなくなっちゃうから、ぼくはいつも我慢していた。
お母さんもいつも我慢してるみたいだった。
タケルとぼくは年中さん。アカネは三歳になってもそれは変わらなかった。
それどころか、最近はアカネがぐずぐずイヤイヤをするから、お母さんはため息ばっかり。
体も心も疲れてるみたいなのに、お母さんには休む暇が全然ない。
今日は帰ってきたらそのままソファにぼすんと横になってしまった。
「ちょっとだけ休ませて」
そう言って腕で目を覆って暗くして、お母さんはすぐに何も言わなくなってしまった。
タケルとアカネはいつもみたいにテレビを見て待っていたけど、そのうちアカネがお腹空いたと泣いた。
「ええー。どうしよう」
タケルはお母さんの周りをうろうろして、お母さんの目が開いているか覗き込んでいたけど、全然ダメってわかって諦めた。
「アカネ、ちょっと待っててよ」
それからそう言って、タケルは台所に行った。
そこでもまたうろうろとして、何かないかなと探していたけど、うーん、と考え込んでから洗面所に行った。
持ってきたのは手を洗うときに使ってる踏み台で、それを棚の前に置いた。
それからそれに乗って、ボールをとると、またキョロキョロする。
お米を見つけてぱっと明るい顔をすると、ボールにお米をざざーっと入れた。
確かお母さんはいつも、透明な小さなコップでお米を入れている。
どれくらいいれればいいんだろう。
悩むように何度も首を傾げながらボールにざーざー何度も入れていると、急に大きな声がした。
「何してるの!」
驚いてタケルの肩がびくっと震えて、コップを落としてしまった。ざらぁっ、とお米が床に散らばる。
振り向くと、お母さんは真っ赤な顔で怒っていた。
「食べ物で遊んじゃいけないって何度も言ってるでしょ! それに台所は包丁とか火とか危ないものがいっぱいあるから入っちゃダメって言ったでしょ! 」
子供は何度言われてもわからないものだから「いつも言ってるでしょ」とか「何度も言わせないで」とか怒るのはいけない。そんな風に、お母さんがいつも見ている『ママのためのテレビ』では言っていた。
だけど、「そうなんだ」とは思っても咄嗟のときにはつい出ちゃうんだと思う。出ちゃうから、そう言っちゃいけないよってわざわざ言われるんだし。
それに、「何度も言ってるのに」というのは素直な気持ちだから仕方ないとぼくも思う。
だけど、タケルがお母さんの気持ちがわからないように、お母さんもタケルの気持ちはわからないんだ。
タケルはお母さんをじっと見上げたまま何も言わないけど、うまく言えないのが悔しくて唇を噛みしめている。
それをお母さんは、怒られてスネてると思ったんだと思う。
がみがみとお小言が始まったけど、タケルは涙をためて、ぐっと自分の中に溢れる言葉と戦っていた。
そこにアカネが怯えた声で両の手を握りしめながら懸命に「ごめんなさい」とお母さんの服を引っ張った。
「あかねがお腹すいたって言ったから。おかあさん、ごめんなさい」
「お腹すいたの? ならどうしてお母さんに言わないの」
「言ったけど、何もくれなかった……」
お母さんは、はっと息を呑んで言葉を止めた。お母さんは自分のことにいっぱいいっぱいでアカネの再三の訴えに気が付けなかったのだ。そのままソファに横になって寝てしまった。
タケルはいつもアカネの世話をすればお母さんが喜んでくれるのを知っていたから、ご飯を作ってあげようとしただけだったんだ。
お母さんは何て言おうか迷っていたけど、それでも苛々とした気持ちはなくならなかったみたいだった。
「それは――。ごめんなさい。確かにお母さんが悪かったわ。だけどタケル、ご飯はもう少し大きくならないと作るのは難しいのよ。パンだって買って置いてあったでしょう。どうしてそれをあげなかったの?」
もしかしたらタケルがパンを自分で食べたかったからあげなかったのかもと疑っているのかもしれない。お母さんはまだどうしようか悩んでるみたいにじっとタケルが答えるのを待っていた。
「夕飯の前には甘いものを食べない、夕方にお腹が空いてたらご飯を食べる、っていつもお母さんが言ってるから。だからアカネにご飯をあげようと思っただけ」
呑みこむ息もないというくらい息を止めながら、お母さんはやがてゆっくりと肩を下ろし、その息を吐き出した。
「そうだったわね。いつも言っているのにわからないのはお母さんの方ね。帰ってきたらすぐご飯の用意しなくちゃ、みんなお腹空いてるもんね」
お母さんは怒るのをやめたけど、今度は苦しそうな、悲しそうな顔になった。
お母さんには休む暇もない。
そんなことはアカネもタケルもわかってる。
だからお手伝いしようとしても、失敗してしまう。
みんなお母さんのことが好きで、助けたいと思ってるのに、結局怒られるようなことをしてばかりだ。
タケルも、アカネも、お母さんも。
誰もが悲しい顔をして、その日の夕ご飯は手早くインスタントラーメンになった。
散らばってしまったお米は、お母さんが「後で片付けるわ」と言っていたけれど、疲れ切ってそのまま寝てしまった。
だからタケルが寝てからこっそりぼくが起きて、そっとコップに集めていれておいた。
それもお母さんのためにしたつもりだった。
けれど、次の日の朝、コップのお米を見たお母さんは、「ごめんね……」と言って泣いた。
本当に子供なんていやなものだ。
早く大人になってお母さんを助けてあげたい。お母さんが頼れる大人に、早くなりたい。何度でも、ぼくはそう思う。
前みたいに、タケルが寝た時だけ起きられる。
だけどぼくが起きてたら、タケルが体を休めるために寝た意味がなくなっちゃうから、ぼくはいつも我慢していた。
お母さんもいつも我慢してるみたいだった。
タケルとぼくは年中さん。アカネは三歳になってもそれは変わらなかった。
それどころか、最近はアカネがぐずぐずイヤイヤをするから、お母さんはため息ばっかり。
体も心も疲れてるみたいなのに、お母さんには休む暇が全然ない。
今日は帰ってきたらそのままソファにぼすんと横になってしまった。
「ちょっとだけ休ませて」
そう言って腕で目を覆って暗くして、お母さんはすぐに何も言わなくなってしまった。
タケルとアカネはいつもみたいにテレビを見て待っていたけど、そのうちアカネがお腹空いたと泣いた。
「ええー。どうしよう」
タケルはお母さんの周りをうろうろして、お母さんの目が開いているか覗き込んでいたけど、全然ダメってわかって諦めた。
「アカネ、ちょっと待っててよ」
それからそう言って、タケルは台所に行った。
そこでもまたうろうろとして、何かないかなと探していたけど、うーん、と考え込んでから洗面所に行った。
持ってきたのは手を洗うときに使ってる踏み台で、それを棚の前に置いた。
それからそれに乗って、ボールをとると、またキョロキョロする。
お米を見つけてぱっと明るい顔をすると、ボールにお米をざざーっと入れた。
確かお母さんはいつも、透明な小さなコップでお米を入れている。
どれくらいいれればいいんだろう。
悩むように何度も首を傾げながらボールにざーざー何度も入れていると、急に大きな声がした。
「何してるの!」
驚いてタケルの肩がびくっと震えて、コップを落としてしまった。ざらぁっ、とお米が床に散らばる。
振り向くと、お母さんは真っ赤な顔で怒っていた。
「食べ物で遊んじゃいけないって何度も言ってるでしょ! それに台所は包丁とか火とか危ないものがいっぱいあるから入っちゃダメって言ったでしょ! 」
子供は何度言われてもわからないものだから「いつも言ってるでしょ」とか「何度も言わせないで」とか怒るのはいけない。そんな風に、お母さんがいつも見ている『ママのためのテレビ』では言っていた。
だけど、「そうなんだ」とは思っても咄嗟のときにはつい出ちゃうんだと思う。出ちゃうから、そう言っちゃいけないよってわざわざ言われるんだし。
それに、「何度も言ってるのに」というのは素直な気持ちだから仕方ないとぼくも思う。
だけど、タケルがお母さんの気持ちがわからないように、お母さんもタケルの気持ちはわからないんだ。
タケルはお母さんをじっと見上げたまま何も言わないけど、うまく言えないのが悔しくて唇を噛みしめている。
それをお母さんは、怒られてスネてると思ったんだと思う。
がみがみとお小言が始まったけど、タケルは涙をためて、ぐっと自分の中に溢れる言葉と戦っていた。
そこにアカネが怯えた声で両の手を握りしめながら懸命に「ごめんなさい」とお母さんの服を引っ張った。
「あかねがお腹すいたって言ったから。おかあさん、ごめんなさい」
「お腹すいたの? ならどうしてお母さんに言わないの」
「言ったけど、何もくれなかった……」
お母さんは、はっと息を呑んで言葉を止めた。お母さんは自分のことにいっぱいいっぱいでアカネの再三の訴えに気が付けなかったのだ。そのままソファに横になって寝てしまった。
タケルはいつもアカネの世話をすればお母さんが喜んでくれるのを知っていたから、ご飯を作ってあげようとしただけだったんだ。
お母さんは何て言おうか迷っていたけど、それでも苛々とした気持ちはなくならなかったみたいだった。
「それは――。ごめんなさい。確かにお母さんが悪かったわ。だけどタケル、ご飯はもう少し大きくならないと作るのは難しいのよ。パンだって買って置いてあったでしょう。どうしてそれをあげなかったの?」
もしかしたらタケルがパンを自分で食べたかったからあげなかったのかもと疑っているのかもしれない。お母さんはまだどうしようか悩んでるみたいにじっとタケルが答えるのを待っていた。
「夕飯の前には甘いものを食べない、夕方にお腹が空いてたらご飯を食べる、っていつもお母さんが言ってるから。だからアカネにご飯をあげようと思っただけ」
呑みこむ息もないというくらい息を止めながら、お母さんはやがてゆっくりと肩を下ろし、その息を吐き出した。
「そうだったわね。いつも言っているのにわからないのはお母さんの方ね。帰ってきたらすぐご飯の用意しなくちゃ、みんなお腹空いてるもんね」
お母さんは怒るのをやめたけど、今度は苦しそうな、悲しそうな顔になった。
お母さんには休む暇もない。
そんなことはアカネもタケルもわかってる。
だからお手伝いしようとしても、失敗してしまう。
みんなお母さんのことが好きで、助けたいと思ってるのに、結局怒られるようなことをしてばかりだ。
タケルも、アカネも、お母さんも。
誰もが悲しい顔をして、その日の夕ご飯は手早くインスタントラーメンになった。
散らばってしまったお米は、お母さんが「後で片付けるわ」と言っていたけれど、疲れ切ってそのまま寝てしまった。
だからタケルが寝てからこっそりぼくが起きて、そっとコップに集めていれておいた。
それもお母さんのためにしたつもりだった。
けれど、次の日の朝、コップのお米を見たお母さんは、「ごめんね……」と言って泣いた。
本当に子供なんていやなものだ。
早く大人になってお母さんを助けてあげたい。お母さんが頼れる大人に、早くなりたい。何度でも、ぼくはそう思う。
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