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第一章 仕事とか
12.贅沢の使い道
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これが世間で最も有名な高級焼き肉のお店か。
店構えからして想像をはるかに超えた庶民を撥ねつけてしまうような格を感じさせる。
けれど光沢のある質感はなめらかでするりと人を招き入れるような流れをも持っている。高級でありながら人を引き付ける魅力がこういうところにも表れているような気がする。
今日は外部研修を受けに会社から二駅先に来ていた。
普段なら研修なんて受けられないが、この研修は十五時には終わるから時短勤務の私でも受けられた。だからこうして平日の昼間に外を歩くのも久しぶりのことだ。
昼休みが一時間あったから、普段は食べられないものをゆっくり食べるチャンスだと前々からこの日を指折り数えて待っていた。
寸前まで悩んでいたけれど、結局このお店を選んだのは、今来なかったら一生来ないかもしれないと思ったからだ。
死ぬ前には一度、社会人が時々しているという贅沢を私もしてみたい。
勇気を振り絞りつつ何食わぬ顔を装って入店し、どぎまぎと案内された席まで進む。
平日のランチだからか、少し時間がピークから外れているからか、人はそれほどいない。
テーブルにスマホを置き、時間を確認する。
よし、肉を焼くだけの時間はしっかりある。
「Aランチが四千五百円。Cランチが二千五百円か。悩む」
A、B、Cと三つある選択肢のうち、最も優しい価格のCランチは一種類の肉と海老を食べることができるからそれでも十分に思う。Cでも十分高い。
だがこのような最高級のお店には二度と来ることはないだろう。そう思えば最高級のお店の最高級の肉というのはどのようなものなのか、食べておかなければ後悔しそうだ。
しかしどうしても四千五百円というランチの価格には勢いだけでふんぎることのできない高みがあった。
一人ぶつぶつと迷い続ける姿に呆れたのか、メイコは軽くため息を吐くとあっさり言いきった。
「ここは迷わずAでしょ」
「いや、そうしたいのはやまやまなんだけどさあ」
「そうしたいならすればいいじゃない。何も悩むことないでしょう」
やっぱりこんなときに付き合ってくれるのはメイコだけで、一人で悩み続ける私にあっけらかんと言ってくれるのだが。
それでもなかなか決められない。
「だって、やっぱりランチにそれだけの支出をぱっとは決められないよ。いつもワンコインのランチにだって惜しいと思いながらお財布を開いてるのに、それが九日分だよ? そんな無駄遣いしていいのかなって、そりゃ悩むでしょ」
「無駄遣いって。じゃあ何に使ったら無駄じゃないのよ」
「そりゃ、生きるために必要な物を買うためでしょ」
「ご飯こそまさに生きるために必要なものでしょ。血肉になるんだから何も無駄じゃないじゃない」
「だから、生きるために食べるだけだったら五百円のランチでいいわけでしょ? それをよんせんごひゃくえんなんて……」
「だから、そこだって。アンコは何のために生きてるのよ」
「何のためって。そりゃあ……」
言葉が続かなかった。
何のために生きているのか。それはもっぱら模索中だからだ。
「ひとまずは、死にたくないから生きてる、かな」
「うん。で、何で死にたくないわけよ。それは生きてたら楽しいことがあるのを知ってるからでしょ? 惜しいからでしょ」
そう言われれば確かにその通りなのだが、一言で語られてしまうと何だかそれだけで片づけてしまいたくない気持ちがあり、はっきりと頷けないのだが説明できる言葉もない。
「そのさ、生きるために必要なのって本当は食べ物でも住む家でもなくて、『楽しいこと』だと私は思うわけよ。だからまず人間は楽しまなきゃいかんわけよ。そこにお金を支出するのはまっとうなことじゃない?」
またまたそう言われれば確かにその通りなのだが、やっぱりそれだけで片づけられない複雑な思いが胸に渦巻いている。それをうまく言葉にできる表現力がないのがもどかしい。
確かに楽しいことがなければ生きている意義を感じられず、生きていられないと思う。まさに今の私がそういう状態に陥りかけてもいた。
けれどだからと言って悩まずにランチに大金をつぎ込めるかというと、それもまた違うのだ。
大袈裟に言えば、刹那的な楽しさのみを追い求めれば生活が破綻する。
たったの一回くらいならいいじゃないかとも思うが、贅沢の使いどころがここでいいのかどうかが、判断つかないのだ。
この高級ランチが生きる力になるであろうことは想像に難くないのだが、それに見合う収入もないのにここで楽しさを取って、後で苦しむことにはなるまいかとも思う。
楽しいことは大切だが、お金をかけなくとも他に楽しいこと、おいしいものはたくさんあるのだから。
そんなこともすべてばっさりと切り払って、楽しさのため、生きるために迷わずAを選ぶことができるのがメイコだ。
だけど、ただ楽観的であるだけの自分になりたいと心底から思えなかったから、慎重にあらゆる可能性を考え尽くす今の自分がいる。そして自分を嫌だと言いながらも、そんな自分を誇りに思ってもいるのだ。
だから私は私なんだ。
そう思ったら逆にすっきりして、手を高く上げ店員さんを呼んだ。
「お決まりでしょうか」
「Aランチをお願いします」
そこまで慎重に考える私が、それでもAランチを捨てきれないと思うのだからこれは食べなければ絶対に後悔するコースだ。
食べずにする後悔より、食べて後悔する方が得るものがある。
なんか偉い人もそう言っていた気がする。
メイコが笑った。
「結局Aかい」
「うん。今日は食べる!」
大丈夫。慎重な私はここで贅沢してもこの後財布の紐を締められる。
田崎さんのことも、まだもやもやは残っている。
だからこそ、明日を生きるために今日は食べよう。
店構えからして想像をはるかに超えた庶民を撥ねつけてしまうような格を感じさせる。
けれど光沢のある質感はなめらかでするりと人を招き入れるような流れをも持っている。高級でありながら人を引き付ける魅力がこういうところにも表れているような気がする。
今日は外部研修を受けに会社から二駅先に来ていた。
普段なら研修なんて受けられないが、この研修は十五時には終わるから時短勤務の私でも受けられた。だからこうして平日の昼間に外を歩くのも久しぶりのことだ。
昼休みが一時間あったから、普段は食べられないものをゆっくり食べるチャンスだと前々からこの日を指折り数えて待っていた。
寸前まで悩んでいたけれど、結局このお店を選んだのは、今来なかったら一生来ないかもしれないと思ったからだ。
死ぬ前には一度、社会人が時々しているという贅沢を私もしてみたい。
勇気を振り絞りつつ何食わぬ顔を装って入店し、どぎまぎと案内された席まで進む。
平日のランチだからか、少し時間がピークから外れているからか、人はそれほどいない。
テーブルにスマホを置き、時間を確認する。
よし、肉を焼くだけの時間はしっかりある。
「Aランチが四千五百円。Cランチが二千五百円か。悩む」
A、B、Cと三つある選択肢のうち、最も優しい価格のCランチは一種類の肉と海老を食べることができるからそれでも十分に思う。Cでも十分高い。
だがこのような最高級のお店には二度と来ることはないだろう。そう思えば最高級のお店の最高級の肉というのはどのようなものなのか、食べておかなければ後悔しそうだ。
しかしどうしても四千五百円というランチの価格には勢いだけでふんぎることのできない高みがあった。
一人ぶつぶつと迷い続ける姿に呆れたのか、メイコは軽くため息を吐くとあっさり言いきった。
「ここは迷わずAでしょ」
「いや、そうしたいのはやまやまなんだけどさあ」
「そうしたいならすればいいじゃない。何も悩むことないでしょう」
やっぱりこんなときに付き合ってくれるのはメイコだけで、一人で悩み続ける私にあっけらかんと言ってくれるのだが。
それでもなかなか決められない。
「だって、やっぱりランチにそれだけの支出をぱっとは決められないよ。いつもワンコインのランチにだって惜しいと思いながらお財布を開いてるのに、それが九日分だよ? そんな無駄遣いしていいのかなって、そりゃ悩むでしょ」
「無駄遣いって。じゃあ何に使ったら無駄じゃないのよ」
「そりゃ、生きるために必要な物を買うためでしょ」
「ご飯こそまさに生きるために必要なものでしょ。血肉になるんだから何も無駄じゃないじゃない」
「だから、生きるために食べるだけだったら五百円のランチでいいわけでしょ? それをよんせんごひゃくえんなんて……」
「だから、そこだって。アンコは何のために生きてるのよ」
「何のためって。そりゃあ……」
言葉が続かなかった。
何のために生きているのか。それはもっぱら模索中だからだ。
「ひとまずは、死にたくないから生きてる、かな」
「うん。で、何で死にたくないわけよ。それは生きてたら楽しいことがあるのを知ってるからでしょ? 惜しいからでしょ」
そう言われれば確かにその通りなのだが、一言で語られてしまうと何だかそれだけで片づけてしまいたくない気持ちがあり、はっきりと頷けないのだが説明できる言葉もない。
「そのさ、生きるために必要なのって本当は食べ物でも住む家でもなくて、『楽しいこと』だと私は思うわけよ。だからまず人間は楽しまなきゃいかんわけよ。そこにお金を支出するのはまっとうなことじゃない?」
またまたそう言われれば確かにその通りなのだが、やっぱりそれだけで片づけられない複雑な思いが胸に渦巻いている。それをうまく言葉にできる表現力がないのがもどかしい。
確かに楽しいことがなければ生きている意義を感じられず、生きていられないと思う。まさに今の私がそういう状態に陥りかけてもいた。
けれどだからと言って悩まずにランチに大金をつぎ込めるかというと、それもまた違うのだ。
大袈裟に言えば、刹那的な楽しさのみを追い求めれば生活が破綻する。
たったの一回くらいならいいじゃないかとも思うが、贅沢の使いどころがここでいいのかどうかが、判断つかないのだ。
この高級ランチが生きる力になるであろうことは想像に難くないのだが、それに見合う収入もないのにここで楽しさを取って、後で苦しむことにはなるまいかとも思う。
楽しいことは大切だが、お金をかけなくとも他に楽しいこと、おいしいものはたくさんあるのだから。
そんなこともすべてばっさりと切り払って、楽しさのため、生きるために迷わずAを選ぶことができるのがメイコだ。
だけど、ただ楽観的であるだけの自分になりたいと心底から思えなかったから、慎重にあらゆる可能性を考え尽くす今の自分がいる。そして自分を嫌だと言いながらも、そんな自分を誇りに思ってもいるのだ。
だから私は私なんだ。
そう思ったら逆にすっきりして、手を高く上げ店員さんを呼んだ。
「お決まりでしょうか」
「Aランチをお願いします」
そこまで慎重に考える私が、それでもAランチを捨てきれないと思うのだからこれは食べなければ絶対に後悔するコースだ。
食べずにする後悔より、食べて後悔する方が得るものがある。
なんか偉い人もそう言っていた気がする。
メイコが笑った。
「結局Aかい」
「うん。今日は食べる!」
大丈夫。慎重な私はここで贅沢してもこの後財布の紐を締められる。
田崎さんのことも、まだもやもやは残っている。
だからこそ、明日を生きるために今日は食べよう。
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