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第一章 仕事とか
13.選択権
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「や。久しぶり」
唐突なそんな声に顔を上げれば、坂崎さんが片手を上げて立っていた。
坂崎さんは長期で入ることもある派遣さんで、会うのは二か月ぶりだった。
姉御肌でさばさばしていて、五歳上ながらもウマがあってよく話す。
私が会社関係の人で連絡先を交換している数少ない人である。
「お久しぶりです。またここに来ることになったんですか?」
「うん、産休でお休みの人が出た代わりだって。原田さんだっけ。前来た時には妊娠してたなんて全然気が付かなかったなあ」
さっぱりと笑って言ったが、坂崎さんは結婚しているものの、お子さんはいなかった。
前に、子供ができにくい体質で諦めていると話してくれたことがある。
「じゃあ今回は一年くらいいるんですか?」
「延長になるかもしれないけど、まずは半年だって」
「坂崎さんがまた来てくれて嬉しいです。よかったら今日、ランチ一緒にどうですか?」
「いいねー。ぜひぜひ」
私は坂崎さんとのお昼を楽しみに、その後の仕事を猛然と頑張った。
◇
会社のビルの地下一階に、レストラン街がある。
私達は手早く済ますためにいつもチェーンのラーメン屋さんを選ぶ。
食券を買って席に着くと、互いの近況を語り合った。
「この会社も相変わらずそうだね。しかし、あれはどうしたの? 内田さん、ずっとキレっぱなしじゃん。あんな余裕ない子だったっけ」
「あれは私のせいなんです」
私が田崎さんの教育係を下ろされたこと。
田崎さんが「合理的」を盾に全く仕事をやる気がないことなどを話すと、坂崎さんはげんなりと顔を歪めた。
「たまにいるよね、そういう面倒な新人。自分で考えて自分で行動する。それは素晴らしいことなんだけど、自分に心酔しちゃってて、物事の本質を見られてないんだろうね」
相変わらず坂崎さんはスパスパ言う。
うまく言葉にできなかったものが形をとると、とてもスッキリする。
無駄は極力省きたいのは私も同じだ。
私もこれまで既存のやり方を改善できないかと模索してきた。自分なりに効率的なやり方を考えて実践してきた。
それは時に「達成感」と「やりがい」という快感を伴う。
それが本当に効果的であれば、である。
何が無駄か判断するためには、「何のための作業なのか」「何故そのやり方をしてきたのか」の二つを考える必要があると私は思っている。
それを怠ると、周囲に迷惑をかけるか二度手間になる。
「彼女の考え方は、ある意味正しいと思うんです。だけど彼女はよく考えもせず、先を見据えもせず、その場の感覚と思いつきだけで無駄だからと断じてやりたがらない。浅いんですよ。だから周囲に迷惑をかけるし、本人も成長しないし、結果として成果も上がって来ない」
効率化とはなにか。効率的に成果をあげることである。
省いた無駄の中に必要な作業があったり、結果として成果が上がらなければ愚策でしかない。
そんなことを熱弁している間にカウンターの向こうからラーメンがドンと置かれた。
割り箸をパキリと割りながら、坂崎さんはうんうんと頷いた。
「いや、私もそれほど彼女をよく見てるわけじゃないけどさ。あれは内田さんかわいそうだね。かといって、塩原さんのせいってことでもないでしょ。家の都合で休まざるをえなかったんだし、そもそも時短勤務の人に教育任せるのもどうかと思うよ」
そう言われると、複雑なところがある。
時短勤務だから限りある時間を会社のために効率よく使わねばならない。そこに教育が入ってくると手一杯になるのは確かだ。
だが、時短だからと言って皆が必ず通る道を通れないのは、周囲に対して不公平というだけでなく、私のキャリア上にも問題がある。
私が成長できない。スキルも、昇給資格も得られないままになるのだ。
時短なんだからそんなこと言える立場じゃないと言われるかもしれない。
だが、私の時短勤務はいつ終わるかもわからない。
何年も時短勤務が続くうちに、スキルアップの機会が失われていくのでは、私はこの仕事を一生の仕事としていけなくなる。
転職しても新人からやり直すことはできない。それこそ、「前の会社で何してきたの?」と問われることになる。
また次に同じような機会が得られるかはわからない。
だが内田さんにいらぬ負荷をかけてしまったことは事実だ。
先の事より、まずはそこをなんとかせねばならない。
私は頭を切り替えて、ラーメンを呑み込んだ。
「できるだけ内田さんの仕事を手伝って、負荷を軽くしたいとは思ってるんですが。他にどうしたらいいのかさっぱりわからなくて」
もう一度私に担当を戻してもらったとしても結果は変わらないだろう。
内田さんが特別教えるのが下手なわけでもないから、他の人に替えてもまた同じことが起きるだけだ。
「田崎さんに本当の教育が施されない限りは、まあ、事態は変わらないでしょうね」
本当の教育。
だがそれは骨が折れることだ。
彼女が正しいと思い込んでいること。もしかしたら信念とさえ思っているかもしれないことに切り込まなければならないのだから。
「まあ私はここの社員じゃないからさ。差し出がましいことも言えないんだけどさー」
そう言って坂崎さんはずるりとラーメンをすすった。
◇
一か月後、田崎さんは会社を辞めた。
入社直後から転職活動をしていたらしい。
覚える気もやる気もなかったのは、この会社に留まる気がなかったからだろう。
彼女の同期たちは、「上昇志向が強いね」と感嘆していた。
先輩社員たちは内田さんとのやり取りから彼女が『うちの会社では使えない社員』というのはわかっていたようだったが、それでも、うちで新人教育を受けながら転職活動をしていたことを、二股をかけられたようだともやもやとしているようだった。
一番腹を立てたのは内田さんだ。
「私が今まで教えてきたことって何だったんです? 採用と新人教育、田崎さんにうちの会社がいくらかけたと思ってるんだって話ですよ。時間泥棒、経費泥棒ですよ。私と塩原さんがこれまで自分の仕事を犠牲にしてきたのはなんだったの? 本当ありえない。他の会社に行ったってやってけるわけない」
効率化って言えば仕事してるように見えるとでも思ってんのか、と内田さんはまくしたてた。
トイレでもなく廊下でもなく、執務フロアで堂々と。
周りがみんな味方だと思っているからその場で言えたことだと思う。
「でも、意外と他の会社にいったら目覚ましい成長を遂げる人もいるからね。この会社とはウマが合わなかったのは確かだし、今回の彼女の転職はお互いにとって最上の選択だったわけだから、よかったんじゃないかな」
「うちの会社も口だけの人を見極めるスキル養わないとねー。また来年同じような新人入って来たらやだなー」
そこかしこから、ハハハと乾いた笑いが響いた。
その後の彼女がどうなったかと言うと、半年後に彼女の同期が言っていた。
「田崎さん、実家に戻って起業するらしいですよ」
何の会社かまでは知らない。
何故実家に戻って起業なのかも知らない。
「本当、上昇志向が強い人ってすごいですよね。私は堅実に生きたいしこの仕事嫌いじゃないのでこのまま働きますけどね。面倒だし、就活のとき以上に苦労するのなんて嫌だし、彼女みたいになりたいとは思いません」
そう彼女の同期が言った。
どんな人生がいいかは人それぞれ。
自分の人生を選べる人は、そうすればいい。
選べない私は、ただ今の場所で生きながらえることを考えていくしかない。
◇
「ただいまー」
いつものように玄関のドアを開けて声をかけると、「遅い!」と怒声が返った。
会社での戦いがひと段落しても、私の戦いは終わらない。
田崎さんみたいに、これまでかけられたコストとか恩とかを考えず、ただ自分のために所属先を簡単に捨てられたらいいのに。
彼女みたいになりたいと思うけど、私にはできない。
「いつまでも、どこをほっつき歩いてんのよ! さっさとご飯作って働きなさいよ。まったく」
家族なんて重荷でしかない。
それでも簡単には捨てられないのが家族だ。
唐突なそんな声に顔を上げれば、坂崎さんが片手を上げて立っていた。
坂崎さんは長期で入ることもある派遣さんで、会うのは二か月ぶりだった。
姉御肌でさばさばしていて、五歳上ながらもウマがあってよく話す。
私が会社関係の人で連絡先を交換している数少ない人である。
「お久しぶりです。またここに来ることになったんですか?」
「うん、産休でお休みの人が出た代わりだって。原田さんだっけ。前来た時には妊娠してたなんて全然気が付かなかったなあ」
さっぱりと笑って言ったが、坂崎さんは結婚しているものの、お子さんはいなかった。
前に、子供ができにくい体質で諦めていると話してくれたことがある。
「じゃあ今回は一年くらいいるんですか?」
「延長になるかもしれないけど、まずは半年だって」
「坂崎さんがまた来てくれて嬉しいです。よかったら今日、ランチ一緒にどうですか?」
「いいねー。ぜひぜひ」
私は坂崎さんとのお昼を楽しみに、その後の仕事を猛然と頑張った。
◇
会社のビルの地下一階に、レストラン街がある。
私達は手早く済ますためにいつもチェーンのラーメン屋さんを選ぶ。
食券を買って席に着くと、互いの近況を語り合った。
「この会社も相変わらずそうだね。しかし、あれはどうしたの? 内田さん、ずっとキレっぱなしじゃん。あんな余裕ない子だったっけ」
「あれは私のせいなんです」
私が田崎さんの教育係を下ろされたこと。
田崎さんが「合理的」を盾に全く仕事をやる気がないことなどを話すと、坂崎さんはげんなりと顔を歪めた。
「たまにいるよね、そういう面倒な新人。自分で考えて自分で行動する。それは素晴らしいことなんだけど、自分に心酔しちゃってて、物事の本質を見られてないんだろうね」
相変わらず坂崎さんはスパスパ言う。
うまく言葉にできなかったものが形をとると、とてもスッキリする。
無駄は極力省きたいのは私も同じだ。
私もこれまで既存のやり方を改善できないかと模索してきた。自分なりに効率的なやり方を考えて実践してきた。
それは時に「達成感」と「やりがい」という快感を伴う。
それが本当に効果的であれば、である。
何が無駄か判断するためには、「何のための作業なのか」「何故そのやり方をしてきたのか」の二つを考える必要があると私は思っている。
それを怠ると、周囲に迷惑をかけるか二度手間になる。
「彼女の考え方は、ある意味正しいと思うんです。だけど彼女はよく考えもせず、先を見据えもせず、その場の感覚と思いつきだけで無駄だからと断じてやりたがらない。浅いんですよ。だから周囲に迷惑をかけるし、本人も成長しないし、結果として成果も上がって来ない」
効率化とはなにか。効率的に成果をあげることである。
省いた無駄の中に必要な作業があったり、結果として成果が上がらなければ愚策でしかない。
そんなことを熱弁している間にカウンターの向こうからラーメンがドンと置かれた。
割り箸をパキリと割りながら、坂崎さんはうんうんと頷いた。
「いや、私もそれほど彼女をよく見てるわけじゃないけどさ。あれは内田さんかわいそうだね。かといって、塩原さんのせいってことでもないでしょ。家の都合で休まざるをえなかったんだし、そもそも時短勤務の人に教育任せるのもどうかと思うよ」
そう言われると、複雑なところがある。
時短勤務だから限りある時間を会社のために効率よく使わねばならない。そこに教育が入ってくると手一杯になるのは確かだ。
だが、時短だからと言って皆が必ず通る道を通れないのは、周囲に対して不公平というだけでなく、私のキャリア上にも問題がある。
私が成長できない。スキルも、昇給資格も得られないままになるのだ。
時短なんだからそんなこと言える立場じゃないと言われるかもしれない。
だが、私の時短勤務はいつ終わるかもわからない。
何年も時短勤務が続くうちに、スキルアップの機会が失われていくのでは、私はこの仕事を一生の仕事としていけなくなる。
転職しても新人からやり直すことはできない。それこそ、「前の会社で何してきたの?」と問われることになる。
また次に同じような機会が得られるかはわからない。
だが内田さんにいらぬ負荷をかけてしまったことは事実だ。
先の事より、まずはそこをなんとかせねばならない。
私は頭を切り替えて、ラーメンを呑み込んだ。
「できるだけ内田さんの仕事を手伝って、負荷を軽くしたいとは思ってるんですが。他にどうしたらいいのかさっぱりわからなくて」
もう一度私に担当を戻してもらったとしても結果は変わらないだろう。
内田さんが特別教えるのが下手なわけでもないから、他の人に替えてもまた同じことが起きるだけだ。
「田崎さんに本当の教育が施されない限りは、まあ、事態は変わらないでしょうね」
本当の教育。
だがそれは骨が折れることだ。
彼女が正しいと思い込んでいること。もしかしたら信念とさえ思っているかもしれないことに切り込まなければならないのだから。
「まあ私はここの社員じゃないからさ。差し出がましいことも言えないんだけどさー」
そう言って坂崎さんはずるりとラーメンをすすった。
◇
一か月後、田崎さんは会社を辞めた。
入社直後から転職活動をしていたらしい。
覚える気もやる気もなかったのは、この会社に留まる気がなかったからだろう。
彼女の同期たちは、「上昇志向が強いね」と感嘆していた。
先輩社員たちは内田さんとのやり取りから彼女が『うちの会社では使えない社員』というのはわかっていたようだったが、それでも、うちで新人教育を受けながら転職活動をしていたことを、二股をかけられたようだともやもやとしているようだった。
一番腹を立てたのは内田さんだ。
「私が今まで教えてきたことって何だったんです? 採用と新人教育、田崎さんにうちの会社がいくらかけたと思ってるんだって話ですよ。時間泥棒、経費泥棒ですよ。私と塩原さんがこれまで自分の仕事を犠牲にしてきたのはなんだったの? 本当ありえない。他の会社に行ったってやってけるわけない」
効率化って言えば仕事してるように見えるとでも思ってんのか、と内田さんはまくしたてた。
トイレでもなく廊下でもなく、執務フロアで堂々と。
周りがみんな味方だと思っているからその場で言えたことだと思う。
「でも、意外と他の会社にいったら目覚ましい成長を遂げる人もいるからね。この会社とはウマが合わなかったのは確かだし、今回の彼女の転職はお互いにとって最上の選択だったわけだから、よかったんじゃないかな」
「うちの会社も口だけの人を見極めるスキル養わないとねー。また来年同じような新人入って来たらやだなー」
そこかしこから、ハハハと乾いた笑いが響いた。
その後の彼女がどうなったかと言うと、半年後に彼女の同期が言っていた。
「田崎さん、実家に戻って起業するらしいですよ」
何の会社かまでは知らない。
何故実家に戻って起業なのかも知らない。
「本当、上昇志向が強い人ってすごいですよね。私は堅実に生きたいしこの仕事嫌いじゃないのでこのまま働きますけどね。面倒だし、就活のとき以上に苦労するのなんて嫌だし、彼女みたいになりたいとは思いません」
そう彼女の同期が言った。
どんな人生がいいかは人それぞれ。
自分の人生を選べる人は、そうすればいい。
選べない私は、ただ今の場所で生きながらえることを考えていくしかない。
◇
「ただいまー」
いつものように玄関のドアを開けて声をかけると、「遅い!」と怒声が返った。
会社での戦いがひと段落しても、私の戦いは終わらない。
田崎さんみたいに、これまでかけられたコストとか恩とかを考えず、ただ自分のために所属先を簡単に捨てられたらいいのに。
彼女みたいになりたいと思うけど、私にはできない。
「いつまでも、どこをほっつき歩いてんのよ! さっさとご飯作って働きなさいよ。まったく」
家族なんて重荷でしかない。
それでも簡単には捨てられないのが家族だ。
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