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ここから始まる僕らの物語

大森林に住まうものたち

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 大森林──

 この場所─いや、この大陸はそう呼ばれている。

 その陸地のほとんどを鬱蒼と繁った大木に覆われ、極々一部しか人の手が及んでいない未開の大地。

 森──とはいうが、その広大な森のなかには、川や湖、山に谷に洞窟に、南部には何処までも続く大砂漠もあれば、北部は極寒の白銀に覆われた死の世界までもがあるほど、途方もなく巨大な森だ。

 その森には『ゴブリン』だけでなく、様々な種族が暮らしている。

 ほら、そこの大樹の枝葉の影にも2つの姿が見える──



「おいっ。噂は本当なのか?」
「ああ。俺の知り合いが偵察隊にいてな。ガッチガチに武装した人間の集団が『ミドリ』共の棲みかの方に向かってたのを見たって言うんだよ」

 2人──いや、2匹の犬が話している。

 いや・・・言葉を話しているところを見ると純粋な犬ではないのか?そもそも2本足で立っているし、槍の様な武器や胸当ての様な防具も身に付けている。

「こりゃ、ミドリ共も終わったな。奴ら数だけは何処よりも多いが、頭は悪いし録な武器も持ってないだろうしな」
「ははっ!違えねえ。蛙や鳥共に気づかれない内に奴らの持っている資源を奪ったほうがいいんじゃないか?」
「どうやら、もう頭は出撃の準備を始めてるらしいぞ。まぁ見張りの俺らにゃどっちみち関係のない話だ」
「ははっ!違えねえ」

 この2匹──2人は『コボルト』という種族のようだ。

 見た目はまんま犬なのだが4本足で走ることはなく、その暮らしぶりは人間と然程違いはない。
 ただその習性は犬に近く、約300人程の集団を1頭・・・1人の強い力を持ったものが纏めており、基本的に皆従順であるようだ。

「は~~でも、近々猫や豚らと協力して『ウロコ』共と一戦交えるって話もあるらしいしな。俺らも何とか手柄を立てて早いとこ見張りなんてつまんねぇ仕事終わりにしてぇもんだな」
「ははっ!違えねえ」
「・・・おまえって、ほんとそれしか言わねえな」



 ◇◆◇◆



 湿った空気が漂う暗闇にポタ──ポタ──と、水滴が滴る音がこだまする。

 仄かに岩肌に淡い碧の光が灯る。それは隙間から射し込む陽の光ではなく、光虫が放つ明かりでもない。

 それらは、人為らざるものの力の源となる粒子を吸い輝く苔。その光に照らされた3つの影が暗闇に見える。



「──奴等の尻尾はまだ掴めんのか」

 どんな刃ですら弾く甲冑の様な緋黒い鱗に覆われた影の発した音が、耳を通り抜け腹の奥までをも揺らす。

「──案外、臆病な奴等でな。我輩らの姿を見るなり一目散に逃げおる。逃げ足だけは素晴らしい」

 ずんぐりとした体躯、何でも飲み込みそうな巨大な口を持った影が、ゲコゲコと喉を鳴らす。

「──ほほほ。アナタ方の足が遅いだけでは?」

 白磁の様な真っ白い鱗に包まれた、すらりと線の細い影が小さく嘲笑う。

「なんじゃと!『羽付き』共の寝ぐらを襲うだけの貴様等に言われる筋合いはないわ!」
「はんっ!アナタ方はただ呆っと虫が顔の前を通るのを待つだけじゃない?だからそんなに太るのよ!」

 互いに今にも目の前の相手を呑み込まんとその大口を開く。同じ目的を持ちこうして同じ卓に着いてはいるが、両者共にそれはというわけではなく、利害が関係する間だけのモノ──

「あぁんっ!?虫の前にテメェから丸呑みしたろか!」
「はんっ!その前に絞め殺してやるわっ!」

「やめいっ──!!仲間内で争っている場合か!!」

 緋黒い者から発せられた音は先程よりもさらに響きを増し、現実に身体を、空間をも揺らす。

「──っ!?」「ひっ──?!」

 大口と白磁もその迫力に呑まれ吐ききったはずの息を飲み込む。この場にいる3人の力関係が如実に見える。

「・・・ト、トカゲの旦那・・・。じ、冗談だ・・・まさか本気のわけがないだろう・・・?」
「そ、そうですわ。私達が狙うのは獣や鳥共・・・。これは、お、お互いに、そう!気合を入れただけですわ・・・」

 と呼ばれた者が放つ威圧に気圧され慌てて弁明をする。
 その姿は『蛇に睨まれた蛙』──いや、その姿は正に蛇と蛙なのだが・・・。

「・・・この森での戦いを勝ち抜き、覇を唱えるためには我等3種族の力を合わさねばならん。内に向ける余力があるならば『獣』や『羽付き』、それに『ミドリ』に向けろ。はそれからやれ」

「う、うむ・・・承知した」
「わ、分かりましたわ。・・・ですが、『獣』と『羽付き』はまだしも、『ミドリ』など放っておいても良いのでは・・・?ひっ!?」

 白蛇が溢した言葉にトカゲが鋭い視線を刺す。

「・・・奴等を侮るな。相対するときは全力を持って潰せ」

 そう言うとトカゲと呼ばれた者は奥の暗闇へと消えていった──



 ◇◆◇◆



 大森林──大陸の中央には、その森に多く伸びる大樹や巨木よりも一際大きな巨大樹が聳えている。

 それは人間が語り継ぐ伝説に記される『世界樹』や『生命の樹』のよう。その神聖で厳かな気配が周囲の色さえも変えて見せる。

 その太く雄大な枝葉の陰に、一枚の樹葉よりも小さな影が幾つも見え隠れしていた──



「──女王様。ご無理はなさらず、そろそろお休みになられたほうが・・・」
「──そうですとも。倒れでもされたらそれこそ一大事。御自愛下さいませ」 

 巨大樹の複雑に絡み合う枝の上に築かれた祭壇に、純白の一対の翼を広げ、瞳を閉じ、胸の前で翼同様に絹のような光沢を持った両手を組み祈りを捧げる1人の乙女が居た。

「──ええ。そうですね・・・でも、貴方達も感じているのでしょう?この、『セフィロト』を覆い隠さんとする邪なるものの気配を──」

 純白の乙女はその身を案じてくる2人にその眼差しを向けることはなく、祈りを続ける。

「・・・確かに、女王様ほど強く感じ取れるわけではありませんが、西の方角より自然のものではない、善からぬ臭いが漂って参るのは感じます・・・」

 大きめの眼を瞬かせ、首や顔自体をくるくると回しながら1人が応える。その表情にはとても愛嬌がある。

「・・・その臭いに血生臭さすら感じるのは気のせいではないでしょう・・・。緑人達の集落で何やら不遜な動きがあったとの報告もあります」

 鋭い眼光を備えた瞳でじっと乙女を見つめる。しかし、その刺線は決して獲物を捕らえるためではなく、真っ直ぐに揺るがない敬愛を表している。

「──貴方達の言うその臭いは、やがてこの森全てを呑み込むほど膨れ上がり、全ての生命を奪うことでしょう・・・。私に出来るのはただ樹霊に祈りを捧げ、平和を齎すものの誕生を願うことだけ──
 ・・・ですので今祈りを止めることは出来ません」

「・・・我等では止めることは叶いませぬか・・・。では、その者がより早く見つかるよう、微力ながら我等もお使いくださいますよう──」
「──ええ。飛ぶことの出来ない私の代わりに、森を巡り、手遅れになる前にその者をここへお連れ下さい」

「はっ。我等『梟族』、『隼族』のこの眼に誓って必ずや──」



この大森林には様々な生命が生きている──

まだ見ぬ生命もきっと隠れていることだろう。

これまで必要以上に混ざり合うことのなかった全ての生命は、否応なく混沌の渦に巻き込まれていく。

その中心には立つのは果たして──
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