そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

111項

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「で、でも。父さんはあたしに、ロゼを助けてやってくれって」
「父さんは全ての事情を把握しているわけではない。”灰燼の怪物”が王都内に潜伏してしまった現状だと、ソラの身に危険が及ぶ蓋然性だってあるし、ソラを守り切れるという保証もしてあげられない」
ジャスティン南支部の偉い人だって、信じて突き進めって……」
「良くも悪くも勝手な言葉は誰にだって言える。信じるかどうかは自由だけど、それを言い訳にしてはいけないよ」

 いつもよりもきつめの口調にソラの心が折れそうだった。
 彼女にとって大好きなセイランの言葉は、啓示と言っても過言ではなかったからだ。
 そもそもソラの意見をここまで強く反対したのは、セイランがアマゾナイトに入隊したとき以来のことだった。
 俯くソラの目頭は徐々に熱くなっていく。

「ロゼとは偶然出会ったひとときの思い出、の後の虹みたいなものだったんだよ。決して手の届かない、いずれは消えてしまう美しい幻影———夢のない現実を知るよりも、そう思って身を引いた方がソラにとっても美談で済むはずだよ」

 兄の言っていることは正しいと、ソラは思った。
 正論云々だけではなく、兄の言葉は何よりもソラを想っている。だからこその警告やさしさなのだと、ソラは感じていた。
 『足手まといだ』と率直に言わないところも、兄の優しさなのだろう。


 それほどまでに”ロゼ”という人物と関わり合うことは危険なのだ。
 事実、ロゼ自身も自覚していたからこそ、『来るな』と突き放すような別れを言ったのだろう。
 ソラの頭の中では、そこまで整理が出来た。理解した。
 ―――だが、しかし。
 それで納得するつもりはなかった。


「———そっか。ジャスティン南支部の偉い人にあたしを『嵐のような』って例えて言ったのって、父さんじゃなくて兄さんだったんだね」
「それがどうかしたのかい?」

 セイランに反論することは、ソラにとっては何よりも苦痛だった。
 だが、それでも。
 彼女は拳を更に強くにぎり締め、顔を上げて、真っ直ぐに兄を見つめる。

「だったら、兄さんだってもう解ってるでしょ。あたしは止まるつもりなんかない。ただの子供じみたわがままだったとしても、兄さんが大反対しても、凄く危険でもロゼが『来るな』って何度拒んでも、足手まといでしかなくても……」

 熱い目頭をそのままに、ソラは叫んだ。

「あたしはあたしが納得するため、絶対ロゼに会ってやる。だってロゼは、あたしの大切な友達なんだから……!」

 そこには、兄の言うこと鵜呑みにし続けていた妹の顔ではなく。何が何でも友達に会わんとする決意を固めた少女の顔があった。
 そんなソラの双眸を見つめた後、セイランは静かに笑みを浮かべた。



「……その言葉が聞きたかったんだ」
「え?」
「すまない。試した、というべきなのかな……でもロゼの複雑な事情を知るには、それほどの覚悟が必要なんだ。生半可な――それこそ、ただので知って良いような話ではない。ロゼの友達だと断言してくれるソラたちに、知ってもらいたいんだよ」

 そう言って話す姿はいつもの穏やかな兄のそれで。

「じゃあ、別に反対してるって、わけじゃあ……」
「勿論していないよ。是非とも友達になったロゼに会ってやってくれ」

 その言葉を聞いた途端。ソラは思わずソファの背に凭れ掛かり、深い息を吐いた。

「兄さんってばー。隠すこと試すこと多すぎだって。マジで怒ってんのかと思ったじゃん」
「どうしても全てを直ぐに話すわけにはいかなくてね。それに、もしもロゼに対する感情が、万が一にもに進んでいたならば……何が何でもソラを村に帰らせたかったからね」

 目が笑っていないセイランの笑み。そして目に見えない殺気にも似た気迫が、彼の心情を物語っている。
 だが、生憎とそれにソラは全く気付いてはおらず。
 
「え、何で?」

 と、きょとんとした顔で首を傾げていただけであった。



「それでさ、兄さんはロゼが今どこにいるか知ってるの? 手掛かりでもなんでもいいから、知ってることがあれば教えて、兄さん!」

 ソラは両手を合わせ、祈るようにセイランを見つめる。
 するとセイランは満足げな笑みを浮かべ、頷いた。

「ああ、ロゼの居場所はわかっているよ」
「ホント!?」

 セイランはおもむろに手書きの地図を取り出す。
 そこには王都の一区画、ソラとセイランが毎度利用しているカフェも記されており、ほど近い森林公園には丸印が刻まれていた。

「……悪いけど、ここでは話せなくてね。だから今夜、この場所で落ち合えないかな。事情も合流後に追々説明するから」

 記されている森林公園は、王都でも屈指の緑地の広い公園だ。休日でも静寂とした公園で、人目を避けるには都合の良い公園とも言える。
 地図を確認したソラはそれを受け取らずにセイランへ返した。

「持っていかなくて良いのかい?」
「大丈夫、行ったことある場所だし。もう覚えた」
「さすが、英雄の娘だね」

 微笑むセイランは、突き返された手製の地図を、マッチの火で燃やした。
 煙草を吸わないセイランの机に置かれた灰皿の上で、それはみるみるうちに灰へと変わる。
 
「まあね。それに、兄さんの妹でもあるしね!」

 ソラはそう返すと誇らしげに胸を張り、鼻息を荒くする。
 そうした姿はまだまだ青さはあるものの、それでもセイランから見れば以前会ったときよりも、少しばかり成長しているように見えた。
 南東部地方には『三日会わざれば刮目して見よ』という言葉があるが、まさにその通りだとセイランは人知れず複雑な表情を浮かべる。

「あ、そういえばカムフたちも来てるんだけど、一緒に来てもいいよね?」
「勿論だよ」
「わかった! じゃあ、また夜にね!」

 ソラはソファから立ち上がり、せわしなく執務室を出て行ってしまった。
 いつもならば兄との別れ際に見せる、あの後ろ髪を引かれるような様は、全く見せなかった。

(君との出会いは、ソラにとっても良い刺激になったようだよ、ロゼ……)

 そう思いながらセイランは静かに笑みを零した。


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