そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

27連

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 エミレスは気を失ったまま、そのまま眠りについていた。
 嵐の中を無我夢中で走っていたせいかもしれない。
 ずぶ濡れになって凍える身体を無意識に縮ませながら、時折耳に入って来る男の独り言を聞きながら。
 静かに眠り続けた。

「何でこんな冷たいんだ…?」

 そうぼやいている男の腕もまた冷たくて。
 しかしそんな冷たいはずの彼の腕さえも今のエミレスには温かくて。
 無意識に体を男の方に寄せていく。

「っと、大丈夫かよ…?」

 とてつもない恐怖を抱いたはずの声だが、その声さえも今は何処か温かく聞こえてくる。
 エミレスは自身が頷いたか頷いていないかもわからず。
 意識も朦朧としたまま、連れ浚われていく。









「―――起きたか?」

 男の声でエミレスは目を覚ました。
 寝ぼけ眼の視界から映ったのは低い天井―――薄汚れた白地の幌だ。
 布団代わりなのか体にはいくつものマントや布が巻かれており、そのお陰で硬い床板の感触はなかった。
 だが、それでもいつものベッドとは比べものにならない程の寝心地に、エミレスは思わず顔顰める。
 と、そんなことをのんきに考えていた彼女は次の瞬間、全身硬直させる。

「ひゃ……!!」

 悲鳴にもならないような小さな声が出る。
 エミレスの目前には例の男が座り込んで様子を伺っていたのだ。

「そんな驚くこともないだろ? こちとら嵐の中アンタを運んでやったってのに」

 そう言って男は睨むような視線をエミレスに向ける。
 エミレスは恐怖のあまり、忘れていた震えが全身を巡っていく。

「ほら」

 と、怯え続けるエミレスへ、男は更に布地を被せた。
 直前まで彼が羽織っていた布地は、彼女が巻いていた他のものより幾ばくか温かかった。

「あー…ずぶ濡れのままで悪いな。着替えとか持ってなくてよ。きっとじいさんが持ってくると思うから…それまで待ってろよ」

 彼がどういった目的で自分を浚ったのか。
 自分に何をどうさせたいのか。
 何も知らないエミレスにとって、目の前の男は恐怖以外の何ものでもなかった。
 が、しかし―――。
 自身も雨でずぶ濡れだというのに、羽織っていた布をもエミレスに掛けてくれた温かさ。
 それだけが、彼女を恐怖から少しばかり引き戻してくれた。



 しばらくと時間が経った。
 外は雨が止んだらしく、雨音も聞こえなくなり、幌の向こうからは光が射し込んできている。
 その間も恐怖に怯えていたエミレスであったが、先ほどよりは少しばかり冷静さを取り戻していた。
 男が予想以上に何もしてこないお陰もあった。
 彼はといえば、エミレスに背を向けながら無言で座り込んでいた。
 男と視線が合わないことは唯一の救いであったが、声を掛ける勇気もなく。
 時ばかりが無駄に進んでいた。
 しかも進展がないのは男だけではない。
 恐らく荷馬車にエミレスは乗せられているわけなのだが、一向に出発する気配がない。
 外では時折馬の鳴き声が聞こえてくるものの、男は何をするわけでもなかった。

(じいさんってさっき言ってた…その人を待ってるの…?)

 もしかすると彼は下っ端か何かで、その『じいさん』という人物が首謀者なのかもしれない。
 そして、その人物と合流してから何処かへ連れて行くのかもしれない。

(行くって、何処に…もう、帰られないの…?)

 解らないという恐怖が再び、エミレスを襲う。
 彼女は物音を立てないように布団の中で蹲る。
 男は未だ背を向けたままであるため、逃げることは可能だろう。
 幌の出入り口は彼女の背後にもあった。
 が、そこまで解っていても、エミレスには動き出す勇気がなかった。
 感覚がないように、足が全く動かない。
 指先だけが震え続けて、また、涙が溢れ出そうになる。
 
(怖い…助けて、リャン、リョウ―――フェイケス…!)

 濡れたままの布地の心地悪さも忘れ、エミレスはその中で祈るように丸くなっていた。








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