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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
64連
しおりを挟む「―――何やってんだよ、オレは…」
湖の対岸から二人の様子を終始見ていたラライ。
会話は当然殆ど聞こえなかったが、彼の叫び声と、重なった唇だけはしかと目にしていた。
見てしまっていた。
「…もしかして…あれがフェイケスか? だとしたら何であんなとこにいる…贔屓の商人ってならあり得るが、だが…あんな都合よく……いや、そんなことじゃなくて」
そんな独り言を洩らした後、ラライは舌打ちを洩らした。
何故か募る苛立ちが、彼の判断を鈍らせていた。
その原因が何なのか、ラライには全く見当もついていなかった。
「くそっ…どのみち今夜はもう向こうに渡れん…あの野郎に色々聞きたいこともあるが…今日ははもうどうにもできん…」
エミレスの傍に駆けつけたくとも、架け橋が上げられたままである以上はどうすることも出来ない。
そんな歯がゆさも彼の苛立ちを助長する。
と、ラライがむしゃくしゃしていると、城内の正門から侍女や兵士たちが姿を見せた。
慌ただしく飛び出して来た彼女たちの目的は、その叫び声でラライにも直ぐに理解出来た。
「エミレス様――ッ!!」
雷雨の中でも届く声が、その必死さを物語っていた。
だが侍女たちのそうした様子も無理はない。
本来ならば、エミレスは眠りについているはずの時刻なのだ。
本来ならば、門番がいるはずの正門が開くはずがないのだ。
あのような事態が起こるはずが、なかったのだ。
「くそ…面倒だ……」
考えが上手く纏まらず未だ苛立っていたラライであったが、エミレスが従者たちに保護されるなり、どうでも良くなってしまった。
と、言うより、この場でこれ以上悩んでいても仕方がない、という判断に至ったのだ。
(とにかく…あの光景は何かが可笑しかった……明日朝一番でエミレスに聞くしかないか…)
ラライは後ろ髪を引かれる思いではあったが、エミレスが無事城内に戻ったところを見守った後、その場を去った。
その後、エミレスは侍女に連れられ、着替えた後、ベッドへと横になった。
全ての事情については明日聞くということになり、今はゆっくりと身体を休ませるべきと判断されたためだ。
しかし、床に就いたもののエミレスの興奮は冷めなかった。
放心状態であったが、胸の内はずっと熱く躍っているようであった。
あんなに恐ろしかった嵐の音も、哀しかった義姉の言葉も、今の彼女には何の苦痛でもなくなっていた。
(ありがとうフェイケス。貴方のお陰ね……私も、貴方を愛しています……)
そして同時に、彼との再会によりエミレスはようやく、はっきりと自分の気持ちに自覚した。
愛している。
その言葉が脳内で反芻される度、エミレスの胸は高鳴り、幸福に包まれていく。
そうして、エミレスは彼への想いを馳せているうちに、いつの間にか眠りについていた。
素敵な夢も、見たような気がした。
エミレスがこの王城にやって来てからこの日、最も心地良く眠れた夜となった。
吹き荒ぶ雷雨の中、その青年は扉を開け室内へと戻ってくる。
特徴的な蒼い髪は濡れ、衣服からもぼたぼたと雨水が音を立てて床を濡らす。
「お疲れ様、フェイケス」
そんな彼を出迎えたもう一人の青年は乾いた布を彼へと被せた。
「…これで良かったのか?」
赤い瞳を細め、目の前の青年を見つめるフェイケス。
すると青年―――リョウ=ノウは指先で丸を作りながら満面の笑みを浮かべた。
「遠目から観察させてもらったけど…完璧だったよ!」
まるで踊るような軽い足取りで彼はそう言うと近くのソファに座った。
堅牢な王城に隣接するいくつかの離宮。
そのうちの一つに彼らは匿われていた。
本来は従者たちに宛がわれた住処であるが、ベイルの計らいにより今は彼らの根城と化している。
「傑作だったよ。あれはもう君の虜になっちゃったね」
ソファ前のテーブルに置かれてあったワイングラスを手に取り、「リャンにも見せてあげたかったよ」と満足げに語る。
一方でフェイケスは彼を見つめることなく、濡れた身体を布で拭き続ける。
その唇も、熱心に拭う。
「君の演技も随分と迫真であったようだけど…感情入っちゃった?」
「冗談はよせ」
濡れたコートを捨てるように脱ぎ、濡れた布もそこに重ねる。
そうして肌を露わにしていくフェイケスの上半身。
彼は予め用意してあった着替えへと手を伸ばす。
「でもお陰で、準備は万端だよ…感謝しているよ、フェイケス」
と、フェイケスの背へリョウ=ノウの身体が重なった。
「運命の日まで後もう少し……父さん、待っててね」
背中越しにそう呟くリョウ=ノウ。
彼の双眸はこの漆黒の夜と引けを取らないほど暗く、嵐にも負けないほどの感情で渦巻いていた。
そんなリョウ=ノウを、フェイケスは眉を顰めたまま静観する。
「…僕が必ず……やってみせるからね…」
ゆっくりと彼の腕が自身の身体にまとわりつき始めても、フェイケスが声を出す事はない。
役目を終えたかのように、ただ静かに、その紅い瞳を閉じていくだけだった。
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