そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~

20案

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「不思議だわ……出会った時間が誰よりも短い貴方に、こんな秘密を誰よりも話しているなんて…」

 おもむろにリデはそう言うとフフと笑みを零した。
 『彼女』によく似た笑い方に、彼女の声に。懐かしいその感覚に、思わずヤヲはそれを口にしてしまう。
 
「―――それは…僕もイニムだからかもしれない」

 この黒髪と黒い瞳に隠してしまった本当の姿を、捨ててしまった肩書きを、彼女へと告げる。
 それ自体には後悔していない。はずなのだが、ヤヲの顔は自然と顰められていく。

「…何となく、気付いていたわ」

 驚く様子のないリデに、ヤヲもまた驚くことはなく。
「そうか」と、だけ返す。

「だが僕はイニムを捨てた側の人間だ…だから君の言葉に賛同する立場も資格もない…」




 リデから感じる信頼自体には、ヤヲは悪い気はしなかった。
 同族だからというだけではなく。純粋に彼女の信頼に応えたいと思っている。
 だが、そう思えば思うほど。ヤヲの中では別の大切な感情が消えてしまいそうになる。
 果たそうと誓ったあの感情さえも、忘れてしまう気がして恐ろしくなるのだ。




「そんな難しく考えないで良いのよ? 私はただ同族だからじゃなく、貴方という人が信じられると思って話しているだけだから…」

 暗闇の世界から聞こえてくる声。
 その声が、どうしてもの声と被ってしまう。
 まるでが語っているような錯覚が、ヤヲにとって今一番の恐怖だった。
 
「昼間のやり取り…ニコとレグってまるで家族みたいだったでしょ? 本当はそんな組織じゃないことはわかってる…でも、私はそう思ってるの。組織の皆は大切な家族って……」

 不意に脳裏で浮かんでしまう、愛しい人の姿をヤヲは否定する。

「だから、本当は…嬉しかったのよ、貴方も仲間になってくれて…兵力としてだけじゃなくて…家族になってくれればって……」

 隣に居るのは愛しい人ではない。この言葉はまやかしだ。
 と、ヤヲはリデの言葉さえも否定する。
 そうして、彼は冷静を保ちながら、頭の中では必死に何度も何度も。彼女を否定し続けていた。








「あ~…おはよ~~」

 やがて、場内奥からあくび交じりの声が聞こえてきた。
 二人はその方へと視線を移す。

「おはようニコ。待ってて、今明かりを付けるから」

 寝起きであるニコは暗闇の中だというのに平然と起き上がろうとしている。
 それに気づいたリデは慌てて立ち上がると扉口の壁にあるスイッチへ手を掛けた。
 レバー式のそれがゆっくり降ろされると、天井に吊り下げられたランプに明かりが灯る。
 いくつもあるランプは、この訓練場を明るくするには十分すぎる量だった。

「あ、ヤヲ遅刻だよ! なんで来てくれなかったのー、もう!」

 寝ぼけ眼で瞼を擦っていたニコはヤヲの姿を見つけるなり、食指を指しながら声を張り上げた。
 掛けられた毛布を抛り投げ、頬を膨れさせながらヤヲたちの方へ駆け寄ってくる。
 彼女の無垢な睨みはリデにも向けられた。

「リデも! ヤヲが来たら起こしてって言ったのにー!」
「ごめんね。でも、あんまり気持ちよさそうだったから…つい、ね」

 それでもニコは不機嫌そうに膨れっ面を見せている。
 これ以上駄々を捏ねられては堪らないと、先手を打ったのはリデだった。

「代わりにまた今度、一緒に買い物へ行きましょう? 貴方が食べたがっていたお菓子も買ってあげるから」
「ホント!?」

 途端に目の色を変えたニコは、ランプの灯火に負けないような輝いた瞳を見せた。
 喉を鳴らす彼女からは、いつの間にか膨れっ面が消えている。
 リデは口角を上げ、ヤヲを一瞥した。

「良いでしょ?」

 突然話を振られて焦るヤヲであったが、彼は平常心を保ちながら頷いた。
 その返答にすっかりご機嫌となったニコは満足げに指折り数え口元を緩ませる。
 リデはそんなニコへ微笑み、静かに頭を撫でた。

「それじゃあ、まずは顔を洗って…訓練はそれからね?」
「は~い」

 まるで本当の姉妹のような彼女たちの風景。
 それを静かに眺めるヤヲ。
 彼女たちは扉の方へと向かい、と、思い出したようにヤヲの方へ手を振った。

「洗ってくるから待っててね~」
「…うん」

 と、手を振り返していたヤヲは自分の表情に気付く。
 自然と零れ出てしまった笑み。
 そんな自然な笑みなど、久方ぶりだった。
 あの日以来、もう出来なくなってしまったものだと思っていた。


『幸せを感じてるときって、人は自然と笑ってるもんだって聞いたから』


 昔聞いた、の口癖が脳裏を過る。
 このままではいけない―――あの苦しみを、悔しさを、忘れるわけにはいかない。
 のためにも。
 今一度、あの日の覚悟を思い出さなくてはいけない。
 ヤヲは笑顔の裏で、そう決心した。







    
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