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賑やかな旅路
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しおりを挟むケビンが取ったという宿は豪華というわけでも質素というわけでもない、至って普通の宿であった。
石煉瓦で造られたその内装は落ち着いた雰囲気がある。
階段を上った先、三階の一番奥が彼の泊まっている部屋だという。
「豪勢な部屋とは言えないが…」
そう言いながら開けられた扉の向こうはアスレイの想像以上に綺麗で整頓された空間が広がっていた。
ケビンに通されたアスレイは目を輝かせて周囲を見渡す。
「これのどこが豪勢じゃない部屋なんだよ」
整えられた大きなベッド。
花瓶が飾られてあるテーブルにソファ。
ちなみに一般的な宿部屋だと個室でもテーブルやソファが設置されている部屋はなかなか無い。簡素なベッドにランプ一つが用意されている程度だ。
「しかもトイレにシャワールームまで付いているじゃんか!」
アスレイが見つけた扉にはシャワールームの文字。
まるで子供のようにはしゃぎながらアスレイはその扉を開けようとした。
―――だが。
「ああ待て、そこには多分…ネールが…」
ケビンが忠告するよりも先に、握ろうとしたそのドアノブが突如、ゆっくりと回る。
勝手に開かれていく扉からは湯気と共に温かな空気が流れ込んでくる。
そして、そこから黒髪の女性が姿を現した。
「わ、わ、わーッッ!」
突然の登場にアスレイは驚き、叫び声を上げながら後退りしていく。
と、背後にあったベッドに気付かず躓いてしまい、思わずベッドの上で尻餅をついてしまったが。
それでも驚きを示すように彼は目の前の女性、ネールを指差し続けていた。
「普通は私の方が驚くべき所だと思うが…」
アスレイを見つめながら呆れたため息を漏らすネール。
と、彼女は事情説明を求めるべくケビンへと視線を移し、それに気付いた彼が口を開く。
「宿が取れず街中をさ迷ってたそうだ。だから一晩ベッドを貸そうと思ってな」
「なるほど…」
彼女は腕を組み、それからゆっくりと歩き出した。
開いた口が塞がらないままのアスレイを後目に、ネールはベッドへと移動していく。
アスレイが座っているベッドの隣には、よく見ると後二つベッドが並んでいた。
「ケビンがそう決めたのならば、私はそれで構わない」
そう言って彼女は何事もなかったかのように布団へと入り込んでいく。
それは如何にもこれからそのベッドで就寝しようとしているかのようで。
「明日は早くに発つ。君も早めに就寝した方が良い」
否、本当にネールはこのまま眠りに付こうとしていた。
あんぐりと口を開けた状態だったアスレイは思わず大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待て!」
彼の声にネールの視線がアスレイへと向けられる。
「そ、そこで寝る気なの?」
「そうだが…」
「正気かっ!」
「当然だ」
ネールは上半身を起こしつつ、乱れていたその黒髪を整える。眉を顰めているその顔は明らかに困惑しているようで。
と、アスレイは何故かベッドの上で正座に座り直すと、指先を突き立てて見せた。
「はい、問題です」
そう言うと彼はネールもベッドに座るよう促す。ため息を漏らしながらも彼女はアスレイに付き合うべく、渋々体を彼の方に向ける。
一方で。すっかり蚊帳の外となってしまったケビン。彼は二人の様子を見守りながら、買ってきた荷物を自分たちの鞄にまとめ始めた。
「俺と貴女の関係は何でしょうか」
まるで先生のような口振りでアスレイは尋ねる。だが問いの意図が読めないネールは依然として困惑した表情で彼を見つめる。
「何が言いたいんだ?」
アスレイの調子に合わせるわけでもなく、単刀直入にネールは聞き返した。
彼女が僅かに動く度に長い黒髪が揺れ、爽やかな良い香りと熱気がほんのりと風に乗って伝わってくる。
振り払うように大きく咳払いを一つ零し、アスレイは指先をずいっと近付けながら答えた。
「正解は、赤の他人…しかも男と女です」
と、予想外の解答にネールは思わずぽかんと口を開ける。それからようやくアスレイの意図を理解し、口元に笑みを浮かべた。
「ああそうか…君は私に少しは恥じらえと言うのか」
「当たり前だろ!」
思わず声を大にして突っ込むアスレイ。
いつの間にか正座を止めて立ち上がっていた。
そんな彼に対してネールは冷静なままでアスレイを見つめ、ため息を吐いた。
「だがな…宿で相部屋や雑魚寝など、旅をしている身の上ならばそれはやむを得ない事だ。一々他人を気にして恥じらっていてはきりがないだろう」
呆れた様子を見せながらネールはそう言う。確かに間違ってはいない彼女の意見に一瞬言葉を返せなくなるアスレイだったが、それでも負けじと体を乗り出し反論する。
「だ、だけど…いくら旅慣れしているっても、ほぼ初対面の男がいきなり部屋にやって来て一緒に寝るってなったら…少しは恥じらうのが女の子だろ。普通」
「その女の子に指を差し、大声で驚く男の方も不謹慎だと思うがな…」
流石にその言葉にはぐうの音も出ず。
顔を覗き込むように歩み寄ってきたネールに対して、アスレイは悔し気な敗者の顔を見せることしか出来ない。
片や彼女の顔には勝者のような笑み。その豊満な胸元では水晶の中に三日月型の宝石が埋め込まれたペンダントが光り輝いている。
アスレイは目のやり場に困り、思わず視線を逸らす。
一応彼には妹が二人もいるのだが、とはいえ、こういった対応には慣れていなかった。
と、ここでこれまで静観していたケビンが、ようやく口を開いた。
「そこまでにしてやれ、ネール。アスレイが困っているだろ」
ケビンの溜め息混じりの声にネールはその笑みを苦笑に変える。
「ああ、すまない」
そう言って彼女は自身に宛がわれているベッドへと戻っていく。
そして改めてアスレイを見つめた。
頬を赤らめながらも恨めしそうな顔で見つめている彼に苦笑し、それから一呼吸置いて口を開く。
「確かに君の意見も間違いではないし、解らない訳でもない。だが…旅先ではこういった状況になることも少なくはない。紳士でいるのは悪くないが、これからも旅を続けるつもりならばそうなる公算もしておいた方が良い」
最後にそんな忠告を残して、ネールは布団の中へと入っていった。
惨めにもポツンと残されたアスレイの視線は、自然とケビンの方に向けられる。
視線を感じたケビンは一瞬だけ眉を顰めた後、「すまない」と言って苦笑いを浮かべるだけ。ケビンとしてもその内心はアスレイに同調したい気持ちはある。が、ネールという人間の内面もよく知っているため、何も言えないのだ。
そんな彼の複雑な心境を察したわけではなかったが、アスレイはこれ以上どんな苦言を言っても無理なのだろうと諦める。
が、せめて最後の抵抗に―――紳士な対応を貫くと、彼はベッドから起き上がり、何やら作業を始めた。
「何をやっているんだ…?」
ベッドとベッドの間に椅子とテーブルを並べ、それを積み重ねていくアスレイ。
意図が読めずケビンは質問の声を出す。
するとアスレイはしてやったりという顔を見せて答えた。
「衝立」
そう言って満足げな顔を浮かべながら、彼はようやく布団に潜り込み、そのまま床についた。
こうしてようやく静まり返った室内を見遣り、ケビンは額に手を当てる。
一部始終を目撃していた彼は、誰に言う訳でもない独り言を漏らした。
「その信念というか頑固というか…案外似た者同士なのかもな」
しかし、それは呆れた、と言うよりは自然と笑みが零れてしまうような、喜びに近いものだった。
口元に手を添え、それからケビンは一人静かに荷造りを再開した。
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