美しい希

みぽにょ

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ライブ

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この状況に追いついていないのは私だけなのか?

困惑と不安と驚きで絡まる感情が解けていない。実際、いまだに今の自分の立場が信じ切れていなかった。なにしろ私は今、弘本雄太と車に乗っているのだ。隣には、頰に手をのせ肘を傾けて窓の景色を眺めている彼がいる。
 
「俺のライブに美希ちゃんを連れて行かせてください」
三十分前、彼はおばさんに私を大阪に連れて行きたいと懇願した。その誘いに対しておばさんは無論、再び目を瞬かせて凝固させた。一般の私たちの目の前に彼が現れ、ライブを観にきてくれませんかと誘われるという状況を、私たちが瞬時に安易に飲み込めるわけがない。
しかし、おばさんは数秒して忽然と拍子抜けたことを言った。
「––いいですよ」と快諾したのだ。私にはその事に驚きが上だった。おばさんの返事に、私は「へぇ?」と思わず力の抜いた声を漏らした。
「なんでしたら、美希を夏休み期間中預かってもらって結構ですよ」
「ちょっとおばさん、何言って」
さすがにそれは冗談がすぎるってば。第一、彼は多忙な芸能人さんなんだし、そんな話、乗るわけないじゃん。
そう思っていたのだが、これもまた想定外の返事が返ってきた。
「いいんですか」と彼は渋い顔一つせず、乗り気で応えたのだ。
まさか、二人が意気投合して軽々と了解するとは。おばさんに至っては、私を一人で遠出させることを許否していたのに。それなのにあっさりと「ぜひ」と口に出すとは驚きすぎる。
そうした事もあり、私の大阪ゆきは自身で考える時間すらないほどあっさりと決まったのであった。了承を得た彼と麻衣さんは近くに停めた車を取りに行き、その間に私はおばさんと必要な荷物をまとめてスムーズに準備を終えた。
おばさんに軽く別れの挨拶を交わして、開店準備を急ぐようにと促した。その後、店の裏にある家玄関から回って家を出ると、目の前には黒のベンツがすでに停まっていた。
後部座席の扉が自動で開くと、長い脚を組んで座っている弘本雄人の姿が目に映る。座っている隣の席を軽く叩き、彼は「どうぞ」と声をかける。背中が少し熱くなったのを感じながら、私は慎重に彼の隣に座った。
何とも言えない心のざわめきは、乗ってからも止むことがなかった。パン屋が見えなくなり、見慣れた商店街、住宅地を過ぎていく。お尻と背中から感じるふかふかの席は、一層私の心を踊らせた。しばらくして、車は大通りへと抜けた。高層ビルが立ち並び、前後左右に人が大量発生している。お洒落を纏った人たちの姿に目を奪われる。微小に開いた窓からは横断歩道の音や歩く靴の音が四方八方で聞こえてくる。
似たような人たちがたくさんいるのだな、と私は隣で寝ている彼を見ながら思う。まあ、それは表面だけのことだが。
腕を組み、窓に頭をつけながら、息音を微かに鳴らしている彼。目を閉じていても、どこからか吸い込まれそうなオーラを纏っていた。滑り落ちそうな綺麗な肌に上カーブのかかった長いまつげ。横から見ると、女の子のように見えなくもなかった。
目的地到着までの四十分間、私にとってはあっという間だった。
 
 
「着いたわよ」
麻衣さんがフロントミラーから後ろ二人の顔を覗かせた。ハンドルを回し、車はスムーズに白線上で停留した。
ドアを開けて外を見ると、そこは羽田空港だった。第一ターミナルと第二ターミナルの二つの大きな建物が目の前に建ち、そこから続々と人が出入りしていた。キャリーケースを持った観光客やビジメスマンが大半だ。さすが夏休み期間だ。空港ってこんなに賑やかだったっけ。そんなことを考えながら、私は旅行から帰ってきた人やこれから行こうとしている人が行き交っている様子を眺める。修学旅行で北海道に行った時以来、今回で二度の羽田空港だが、あの時とはまた違う、異妙な感情が胸の中で迫り上がってきた。
「うーん?もう着いたんかぁ?」
車から降りようとすると、彼が両腕を上げて大きなあくびをした。
「はい、着きましたよ」地面につけた足を車に引っ込めて、体を彼に向けて応える。
「美希ちゃん、ずっと起きてたん?」
彼は目を擦って車の中から周囲を見渡した。
「はい。まったく睡魔が来ませんでした」
事実、私は眠気を全く感じていない。慣れないことの連続で、私の興奮がおさまっていないかもしれない。心臓の音は鳴り止むことなく高まり続けている。
「そっか。俺めちゃ爆睡しててんけど」
「ちょっと雄人。ゆっくりしている暇ないわよ。はやく目を冷まして、移動しないとといけないでしょうが。十二時二十分発よ。さっさと起きてください」
麻衣さんがトランクから荷物を下ろしながら促す。
「うわっ、やばいやん。後十五分しかあらへん」彼は腕時計を確認し、そそくさと車から降りる。
車から荷物を全て取り出し、私は麻衣さんの横に並ぶ。麻衣さんの肩には黒のショルダーバッグが下げられ、右手にはシンプルな白のキャリーバック、左手には本日のスケジュールと書かれたA4のファイルを手にしていた。
「私、何か持ちますよ」
「大丈夫よ。これくらいの荷物、平気よ。美希ちゃんは自分の荷物をしっかりと持っていて」
負担の多い荷物を苦にしない麻衣さんの様子に、「ほぉ」と軽くため息が出た。こんな華奢で綺麗な格好をしているのに、すごい体力のある人なのだな。
「ほな、行こか」
反対車の方から、帽子を深く被り、丸ふちメガネをかけた彼が合図した。漆黒のキャリーケースを持ちながら、ポケットの中からマスクを取り出す。
「あの、この車をどうするんですか」
「車は任せてあるから。さ、行きましょ」
任せる、の意味とは。駐車されたままの車を振り返って見る。
「そんな心配な顔しなくて大丈夫よ。事務所のスタッフの人が回収してくれるから安心して。放置するわけじゃないから」
私の気持ちを読み取った麻衣さんが可笑しそうに微笑んだ。
「なるほど」安堵の表情を浮かべ、私は正面に体を直す。
芸能事務所には色々な仕組みがあるんだな。スピーディーに物事を動かさなければいけないという芸能の仕事に対して、勝手な関心を抱く。
「こっちよ」
国内線第一ターミナルのロビーに入り、麻衣さんは彼の前に立って誘導をし始めた。
「人がウジャウジャおるからはぐれんようにな」
彼は私の位置を確認すると、手を伸ばして私の手を取った。握った手を離さずに、私は彼の後ろ姿を追った。スムーズに搭乗口へと進んでいく。
いくつかの搭乗手続きを順々に済ませ、私たちは搭乗口十五と書かれた場所についた。搭乗口に行く間、私は一言も言葉を発することなく、ただ黙ったまま二人の行動に倣った。迷惑をかけることだけは避けたかった。彼の斜め後ろを歩き、麻衣さんの行う手順を見真似ながら歩くので精一杯だった。
以前来た時と違う雰囲気、緊張感で私は目をキョロキョロと泳がせる。周りにほとんど、いや全くと言っていいほど騒音が聞こえない。さっきの人混みはどこに行ったんだと思うほど、すれ違う人の数はごくわずかだった。
「これがチケットよ」
麻衣さんが搭乗口前でチケットを渡した。それを搭乗口前に設置されたセンサーにかざし、飛行機先頭の扉の方に向かった。
中に入り、チケットと座席を交互に見る。
「あ、ここだ」
席を見つけると、どうやら三人とも同じ列のようだった。
「私の席も取ってくれてたんですね」
「もともと、空きで抑えていたからね。用意しておいてよかったわ」
さすがは麻衣さんだ。急な追加だったはずなのに。
「私、ちょっと電話してくるわね。座ってゆっくりしてて」
麻衣さんは手に持っていた荷物を全て荷棚に入れると、ビーズデザインの可愛らしいポシェットを手に持って携帯を耳に付けて席から離れていった。
その後ろを見つめていると、不意に私の耳横近くからCAが「お荷物、上にお入れしますね」と声をかけた。
「あ、はい。お願いします」
突っ立っていた私の肩がびくっと震え、私は体を屈めて席奥に入った。
窓際席にはすでに、彼がシートベルトを締めて着席している。
「美希ちゃん、大丈夫?緊張してる?なんか顔が挙動不審やぞ」
彼は頭に被っていた帽子を脱ぎながら言った。
「そりゃしますよ。でも、緊張っていうよりかは興奮の方がしっくりくるかも。次々と初めてのことが多すぎて、周りキョロキョロしちゃいます。今だって、飛行機に乗っていることが私にとっては現実離れしてますし」
「そりゃそうよ。世界が一転した気分になって当たり前よね」
麻衣さんが電話から戻ってきた。彼女は私の言葉に再度頷きながら、隣座席に腰を下ろした。
「それ、ブランケットですか」
「さっきCAの方にもらったの。これがあると、とても落ち着くから」
手に持っていた茶色のブランケットを膝に広げた。長めのブランケットで、優しく私の膝までかけてくれた。

「美希ちゃん、もしや飛行機初めて?」
窓から滑走路を眺めていた彼が振り返り、思いついたように尋ねてきた。
「いや、中学の修学旅行の時に乗ったことあります。でも、それ以来乗ったことなかったですし、その時はこんな座席じゃなかったはずです」
「そっか」彼は私の話を聞くと、顔を見て、嬉しそうな笑みを浮かべた。
 目の前に設置された蛍光時計が一二時十五分を指し、飛行機はゆっくりと滑走路に沿って動き出した。そして、CAのアナウンスが数回流され「それでは離陸いたします」と合図を出すと、速度をあげて空へと飛んだ。少し浮遊感を感じたが、慣れていない飛行機の感覚に対応しながら、私は二回唾を飲む。
しばらくして、飛行機の飛行が一安定すると、シートベルトのランプマークが消え、CAがドリンクサービスをし始めた。
「はい、これ。お腹減ったでしょ」
 麻衣さんはアイスコーヒーを一口すすると、座席下から茶色がかったビニール袋を取り出した。袋を広げると、ミニサイズの紙弁当が三段積み重なっていた。
「お弁当、買ってくれてたんですか」
麻衣さんが一箱ずつ慎重に袋から取り出している姿に、私は目を丸める。
「搭乗口前にあった売店で買ったのよ。ほら、搭乗する前に雄人と美希ちゃんがお手洗いに行ってたでしょ。あの間にね」
お弁当まで用意してくれていたなんて、麻衣さんってどこまで完璧なんだ。こんな人がマネージャーに就いていたら、何も心配することないな。
「はい、ハンバーグ弁当」
麻衣さんは私の前に腕を伸ばし、雄人のテーブルに弁当箱を置いた。
「お、サンキュ」
窓に映る雲の情景を眺めながら、彼は返事をする。
「ありがとうございます。お弁当まで買っていただいて」
「どうぞどうぞ、召し上がれ」
お弁当ふたを開ける。そこには、きれいに敷き詰められた白ごはんの横に、デミグラスソースがかかったハンバーグ、ローストビーフ、ポテトサラダが綺麗に盛り付けられていた。
私は箸を止めることなく食を頬張った。その様子に、隣からは「はぁ~、すげーな」と呆れを漏らす声が聞こえた。
「これも食べるか?」
彼は目の前の机に置かれたままの弁当を軽く持ちあげ、指をさした。彼の料理を見ると、ハンバーグはまだ四分の三残っている状態でポテトサラダに至っては手も付けていなかった。
「いや、それは雄人さんの分ですよ。食べてください。…お腹、空いてないんですか」
「なんかなぁ、箸が進まへんねん」
彼はスケジュール用紙を細かく確認しながら、手前に置かれたオレンジジュースに手を伸ばした。最後の一口を残さず啜ると、再び用紙を一枚一枚凝視していた。
「ライブ前の雄人はいつも食欲がないのよ。今回は過去一だと思うわ。雄人の大好物のハンバーグすら食べる気を起さないくらいだから、よほどね」
「ライブが心配なんですね」
横目で用紙を覗くと、そこにはぎっしりと注意事項やポイントなどがラインマーカーで目立つように書かれていた。
想像している以上に、ライブを行うのは大変なことなのだろうな。彼のようなものでも緊張しているのだから。
「でも、雄人さん。体力はつけておいた方が」
「そうやな。ありがとう」
彼は一瞬私の目を見て微笑んだが、またすぐに真剣な目で用紙に目を向けた。本番に対する彼の思いは、誰よりも強いに決まっている。だからこそ、直前になった今、彼は自分を追い込んでライブに挑もうとしているのかもしれない。
「美希ちゃん。改めてだけど、ありがとうね」
勝手な想像をしていると、不意に麻衣さんが私の耳に手を当てて囁いた。
「それから、急に大阪に連れて行きたい、っていう雄人の我儘を押しつけてしまってごめんなさいね。マネージャーの立場としては、あの場で彼の提案を止めるべきだったんだけど、彼の私情に免じて止める気もなれなくて」
「そんなことないです。確かに、急なことで驚きはしましたけど、嬉しい気持ちの方が大きいです。おかげで夢のような時間を過ごさせてもらっているので」
謝罪の面を向けられ、私はすかさず否定をした。

彼が私を誘ったのには何か思惑があるのかもしれない。麻衣さんの言う「彼の私情」の我儘が、その思惑に含まれているだろう。でも、今はそれが何なのか尋ねようとはしない。この夢のような時間を過ごさせてもらっているんだ。誘ってくれたことに、単純に嬉しく思っておきたい。

「そう思ってくれてありがとう。雄人ったら自由人すぎるから、私も手に余るのよね。いつも振り回されちゃう」
彼のこれまでの行動を思い出しているのか、麻衣さんは顔に呆れを浮かべ、ため息をついた。
「むしろ、私の方こそ申し訳ないです。ライブ直前だというのに、私、足手まといですよね」
「そんなことないわよ。第一、誘ったのはこっちなんだから。本当、ありがとうね」
麻衣さんの笑顔に、私はなんとなく大丈夫だと思ってしまう。
優しく自然なこの微笑み。どことなく誰かと似てる。想起される女性が誰か、それは考える間もなく分かることだった。軽く鼻を鳴らし、楽しかったお母さんとの思い出を回想する。自然と閉じた広角が上がっていく。
…このままいい夢へ落ちていけそうだ。
あくびの声を押し殺し、瞼を閉じる。ご飯を食べたからか、今更ながら眠気がさしてきた。大阪に着いてもいい夢が続くことを願い、私は軽く仮眠を取ることを決めきった。


 大阪と東京の空気は飛行機を降りるなり感じはしなかった。ただ、「伊丹空港」と書かれた看板を見て、なぜか気持ちの高揚が収まらなかった。
メガネに帽子、さらにマスクをつけた彼の後に麻衣さんと私が続いた。あくびでずれてくるマスクを三度直しながらも、彼はキリッとした姿勢を保っていた。伊丹空港は成田空港と同等の人混みだった。それを通り過ぎ、エスカレーターでタクシー乗り場があるロータリに着くと、そこには白の商用車が一台停まっていた。
その車の方にまっすぐ歩いて行く二人にとりあえずついていく。白いバンの前に足が止まると、運転席の窓から男性が顔を出した。ジーパンに白Tといったカジュアルな服装。彼よりも随分若く、色白で鼻の高い整った顔立ちだった。麻衣さんが男性に駆け寄り何やら話をすると、男性は後ろに立っていた私を見て軽く会釈した。
「この子が、浜宮美希ちゃん」
麻衣さんが私の肩に手を置いて彼の方に押し出した。やられるがままに、私は男性の方へ半歩前に出た。
「電話で話した通り、ライブ会場に着いたら美希ちゃんのそばに付いていて欲しいの。私と雄人はライブ終演までバタバタだし」
「了解っす」
男性は麻衣さんのお願いを安易に受け入れた様子だった。運転席から降りると、ドアを軽く閉めると、私の前に立って微笑んだ。
「滝石翔也です。麻衣さんと同じく健人先輩のマネージャーです。よろしく」
言葉遣いからして、几帳面な人だという印象だった。爽やかというワードが合う雰囲気。おでこから奥二重の目の横にできた大きな傷痕が少し気になるが、今は見過ごしておこう。彼の笑みに私も同じように微笑み返した。
「浜宮美希です。よろしくお願いします」
一八〇センチほどだろうか。高身長な彼の姿を下から見上げたのち、軽く挨拶をした。
「荷物もらうね。車乗って」
翔也さんに荷物を預け、私は頭から入った。
出発を待っていると、隣に座った彼が「疲れてないか」と心配そうに顔をのぞかせてきた。
「ライブ、ワクワクしてきました」
東京にいた時よりもライブへの期待が高まり、体に全く疲れはない。大阪到着時の若干眠気が消え去っていた。
「じゃあ、出発しますね。三十分くらいで着きますんで」
翔也さんの声が運転席から聞こえる。みんなが彼の声に返事をすると、車はナビの作動と同時に動き出した。
 

 車に乗ってから三十分が経ち、私は三人とたわいもない話で盛り上がり徐々に彼らに対して気軽に話をして打ち解けるようになった。自分のプライベートのことまでは踏み込んで話はできていないが、それでも十分といえるものだった。
カーテンの隙間から見えた景色に驚く。
「もうすぐドームが見えますよ」
 雄也さんが運転席から声をかけた。バックミラーで後部座席に座る三人を見たのち、彼はゆっくりとアクセルを緩めた。
 閉めていたカーテンを開け、彼が窓の前方を指差す。示す先には想像以上の大きな大阪京セラドームが建っていた。
「多分この人たちも、ドームに向かっているわね」
 前席に座っていた麻衣さんも、カーテンを開けて前方の横断歩道を歩く人たちを覗いていた。麻衣さんの言う通り、歩道を歩いている人は皆、同じ方向に止めどなく続々と歩いている。それにしても、ライブまでまだ四時間あるというのに人が多すぎないか。なぜこんなに大勢の人が来ているんだろう。
「もうこんなに人がいるんですね」
「ファンの人たちはグッズを買うためにライブ開始前からドームに集まるからね。観客の入り時間は本番が始まる三十分前。でも本番は六時からだから、一時から始まるグッズ販売を先に買うの。売り切れになっちゃうグッズが多いから、それ目当てに多くの人が早くに集まるのよ」
淡々と、麻衣さんは自然と列で歩く人たちの様子を見ながら言った。
「グッズってどんな?」
「今年はな、ペンライトとTシャツ、タオルとペットボトル入れと、…あとは何やっけ」
「あと、エコバックとスマホケースよ」
ライブグッズってタオルとペンライトぐらいかと思っていたけど、それ以上にたくさんあるんだな。ファンの中にはこれら全部買い漁る人がいるんだろうな、と熱烈なファン像を思い浮かべる。
「雄人のファンは年代層が広いから、美希ちゃんぐらいの人も多いわよ。親子連れの人とかもいるの。それに雄人のファンはね、女性だけじゃなくて男性も多いのよ。それも結構熱狂の人たちが。雄人は歌のうまさも武器にしてるから、歌に惚れるファンもいるのよ。ライブになると、泣いて帰るファンも少なくないからね」
つっかえることなく、前のめりになりながら分析する麻衣さんの姿こそ、オタク混じり口調のファンのようにみえる。
「お前の舌は、ほんまよう回るな。アイドルオタクスタイルが出てるぞ~」
彼は饒舌の彼女の姿に「いつものこと」のように呆れていた。私はその呆れる彼の姿をただただ微笑ましく見ていた。
 車が裏口ドーム地下に入ると、そこには数人の係員がすでに入り口にスタンバイしていた。
 車のドアがピーッという音を立てながら開くと、外から一人の男性係員が見えた。おそらく係員のチーフのような人だろう。
「ほな、いこっか」
 彼は隣に置いていた手荷物を持ち、車から飛び降りた。男性と軽く挨拶を交わし、誘導されるままにドーム内に入っていた。
 私と麻衣さん、そして翔也さんも順に車から降りると、彼の後ろについて歩いた。
空港の時と同様、私は周りを見渡し、興味津々だった。人の声があちこちに飛び交い、レシーバーで指示を出しながら機械をセットしている人や楽器を運んでいる人とすれ違う。麻衣さんの姿を見失ってしまったら、確実に迷子状態になるだろうな。私の顔が思わず引きつった。
 
 階段、廊下を歩いてステージの手前に行くと、音合わせをしているバンドの人たちのギターやドラムなどがドームに響き渡って聞こえてくる。一人の人がギターを弾くと、それに合わせるように自然とドラムやベース、コーラスがセッションする。それを楽しむかのように、賑やかなリハーサルが始まっていた。
 こうやってリハーサルが行われているんだな。ライブの裏側ってすごいな。
目を輝かせながら、辺りを夢中で見てしまう。一人勝手に彼らの様子に感嘆して見ていると、いつのまにか両隣にいたはずの二人の姿が消えていた。

.......やばい。逸れた。

我に戻り、私は背中から冷や汗を感じる。
とにかくここから離れた方が良さそうだ。でも、どこが出口か分からない。地図も分からず、複雑なドームの中でどうやって麻衣さんたちを見つけられるだろうか。
挙動不審になりながらおどおどしていると、近くで雑談をしていた二人のスタッフが私に気付いて近づいてきた。
「どうされましたか?関係者以外は立ち入り禁止のはずですが」
「いや、あの」即座の反応が出来ずに、出し抜けな裏声が出てしまった。
「どうやって入ったんだろ?」
「ファンの子か?」
スタッフ二人が顔を見合わせる。二人の呟きが異常に耳に入ってきた。
「とりあえず、こちらの方に来てください」

まずい。どうしよう。

 私は焦りが迫り迫ってたまった唾を飲み込む。
 二人は不審な目で見ながら、胸ポケットから電話を取り出した。
「すいません。すいません」
逃げ出したいと思った矢先、後ろから大きな手で私の頭を掴んできた。
「この子、僕の連れです」
後ろを振り向かずとも彼の声だと分かった。その声に安堵し、止めていた息を吐き出す。
すんなりと言った彼の発言に、スタッフは「そうなんですか」と口々に驚いた。
「そうとは知らず、申し訳ありません」
そういうと、彼らは気まずそうに階段を上っていった。
頭を掴まれながら、私は彼の顔を見上げる。
彼はさっきまでまとっていた服装から、ラフなジャージに着替えていた。ジャージでもおしゃれに見えるのには変わりない彼。首にはタオルを巻きつけ、リハーサルに行く準備が整った様子だった。
「美希ちゃん、これからリハやから、ライブ後まで会われへんわ」
「頑張ってください。客席で雄人さんの姿を見るの、楽しみにしています」
私の返事を聞いた彼は、私の頭から手を離した。
「ありがとう。コンサート、存分に楽しんで」
彼がスタッフの人とステージ上に登る姿を眺めながら、私は元気に頷いた。
ステージ上からたくさんの楽器の音が響く中で、彼の挨拶の声がマイクを通して大きく聞こえてくる。その音に、私の鼓動は、少し早くなり始めた。
彼と別れ、私はようやく彼の楽屋にたどり着いた。
『弘本様』と書かれた部屋に入ると、麻衣さんがスタッフの人との話し合いをしながら彼の衣装や荷物の整理をしていた。
「美希ちゃん!よかった。途中で見失っちゃったから心配しちゃったわよ」
私に駆け寄り、顔を覗かせた。
「すみませんでした。リハーサルの様子に目を取られていたら足を止めちゃって。完全に迷子になるところでした」
「ここのドームでかいから、初めての人だったら確実に迷子になるよな」
椅子に座っていた翔也さんも私に近寄って言った。
早々迷惑をかけてしまったことに反省し、私は二人に「すみませんでした」と頭を下げる。
迷惑はかけないってあれほど言い聞かせていたのに。自分の行動に自己嫌悪する。
「大丈夫やって。そりゃ初めての光景で夢中になっちゃうよな」
私の肩に手を置き、フォローしてくれる翔也さんの優しい言葉に安堵し、やや涙目になってしまう。ゆっくり顔をあげ、両頬にエクボを作る翔也さんと目を合わせた。
「そうよ。謝る必要なんてないわよ。初めてなことにワクワクすることはいいことよ」顔をあげた私の頰を、隣に立つ麻衣さんが指で優しくタップした。
「それじゃあ、これから俺とドーム内散策しに行こうぜ」
「え、いいんですか!行きたいです!」
翔也さんの提案に私は思わず歯を見せる。
「それいいじゃない。私は今からスタッフと話があるし。翔也、美希ちゃんをお願い」
「はいよー」
翔也さんが軽く手をあげ、腰を浮かした。
「二十分前くらいに戻ってきてくれたらいいから。頼んだわよ」
その言葉に、翔也さんは親指を立てて返事をした。
「それから、これ。美希ちゃんはこれをぶら下げていたら大丈夫よ」
麻衣さんは自分の持っていた名札を外し、私の首に下げた。
首から下げる名札を見て、密かに気持ちが向上する。メダルでももらったかのように、私は首にかけた名札を手に持っては満足な表情を浮かべた。
「じゃ、美希ちゃん行こっか」
翔也さんの誘いに頷き、私はスキップ気味の足踏みで翔也さんの隣に並ぶ。名札を揺らしながら、翔也さんとの散策に私の体も上機嫌に揺らしていた。
 
 
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