美しい希

みぽにょ

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過去

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二十分ほど経ち、ドーム内を一周した私たちは今、一階の裏入り口で足を止めた。
「結構歩いたな。ちょっと休憩しよっか」
「そうですね。思った以上に、ドームって広いんですね。一周しただけで足が疲れちゃいました」
「俺、ジュース買ってくるわ。炭酸とか飲める?」
「ありがとうございます。炭酸大好きです」
「じゃあ、そこの席で待ってて」廊下の横に設置された長椅子を指差すと、近くの自動販売機へと走っていた。
翔也さんはドーム内を案内しながら私にたくさんの話を振ってくれた。初めは気まずくなるのではないかと危惧していたのだが、彼はルックスの印象以上に気さくな人柄だった。話して十分程で自然と心を打ち解けるようになり、固まっていた表情は和らいだ。雄人さんや麻衣さんよりも歳が近いせいかもしれないが、彼らに抱くような緊張感を彼と話していても感じない。
「お待たせしましたぁ。オレンジジュースでよかったかな」
彼は二本の炭酸オレンジジュースを手に持って私の隣に座る。
「ありがとうございます。喉、乾いてたので助かります」
一本を手に取ると、私は勢いよく蓋を回した。隙間からプシュっという音が漏れる。飲むと炭酸の刺激が喉から伝わってきた。少し疲れた体を覚醒させてくれる痺れだ。
「うっま」音を立てながら勢いよくジュースを飲んだ翔也さんは、口に手を当てて軽くげっぷをした。
「翔也さんも喉乾いてたんですね。一気に半分も飲んじゃってるし」その仕草に思わず失笑してしまう。
「いや~、やっぱ炭酸は思いっきり飲むのが一番うまい」
彼は再度小さなげっぷを出して一息ついた。
「……それにしても、芸能界ってやっぱりすごいんですね」
喉を十分に潤わせると、私はドーム散策中に話した話題を繋げた。それは翔也さんの芸能話。いや、翔也さんが芸能人だった頃の話だった。
徐々に打ち解けてきたあたりで、彼は自分のことを打ち明けてくれた。彼の口から出てくる経歴に、私は種類豊富のため息が漏れた。
何よりびっくりしたのが、彼は数年前まで、雄人さんと同じ事務所の後輩として活躍していた俳優だったということだ。一七歳の時に道端でスカウトされて芸能界入り。その一年後には地上波のドラマに出演。会社としては彼を期待の星として注目・期待していたそうだ。だが、それが一転。彼は二十歳の途中で忽然と辞めてしまった。彼は理由を言うことを躊躇っていたが、私にはその理由を聞かなくてすぐに分かった。
「……その傷が、原因ですか」
私は彼の顔を見ながら慎重に尋ねた。その言葉に、彼は軽くため息をついて頷いた。
「ひどい交通事故に遭ってね、見事に顔をね、やっちゃったんだ」自分の顔に指を差し、彼は苦笑いした。
「俳優にとって顔は命だってのに、それなのに、自分の不注意でこんな大きな傷を作っちゃったんだ。––今はだいぶマシにはなったんだけど、当時は傷痕がかなり酷かったんだ」
縫われた額をなぞりながら、彼は低いトーンを保っていた。
「俺さ、ショックでしばらく家に引きこもるようになったんだ。事務所の人たちがなんとか復帰させようとしてくれたんだけど、カメラに顔を向ける自信すら持てなくなっちゃって。それで、芸能界からは退けたんだ」
彼は身を縮ませ「情けないよな」と自分の過去を虚しげに笑っていた。
慰めるべきか。かける言葉が見つからなかった。ただ、翔也さんを見つめるしかなかった。
「……でも、そんな時に雄人先輩がそばに来てくれて俺を救ってくれたんだ」
翔也さんの思いに同情していると、翔也さんは哀愁含む笑みから高揚の笑みを浮かべて言った。
「雄人さんが?」
「そう。『人生どうでもいいとかしょーもないこと考えてる暇あったら、俺のマネージャになれ。マネージャーになって骨削って働いてみろ』って」
当時を思い出すかのように、翔也さんは天井に顔を上げながら言葉を続けた。
「俺、その言葉聞いた瞬間号泣しちゃってさ。思い返したら恥ずかしいけど、あのおかげで今があるんだよな。だから、雄人さんは僕の人生の恩人だな。ずっと家に引きこもって生き甲斐のかけらも持たない抜け殻状態だった俺を、雄人さんは変えてくれた人。尊敬しても仕切れない人だよ。そんな人に、俺は一生ついて行く」
宣言した翔也さんは、固く握りしめた拳を胸の位置に上げた。彼の姿はさっきと一転して、凛々しく感じられた。 
健人さんが、彼が翔也さんを助けた。翔也さんのエピソードから想像できる彼の姿に、思わず表情が綻びる。雄人さんと翔也さんの二人の関係に、私は聞いているだけでなぜか心が熱くなった。
「芸能界は、テレビで見る以上にハードな仕事だよ。その考えは当たってる。でも、それを雄人さんたちは楽しんでやってるよ。俺自身も忙しかったけど、最高に楽しい仕事だぜ。まあ、今はそれに負けないくらい、いやそれ以上に楽しみながら仕事できてるけどな」
ペットボトルのラベルに目を落としながら、彼は薄く笑窪を見せた。それに合わせて、私も嬉しい笑顔を見せる。
「こんな話、人にちゃんと話したのって、何気に美希ちゃんが初めてかも」
その言葉を聞くと、不思議と特別感を抱かれたように感じて嬉しくなった。
翔也さんは自分をオープンにして話してくれた。距離を縮めることを目的に、自分のことを打ち明けてくれたのかもしれないが、それならそれで嬉しくないわけがなかった。
「てかさ、」
何かを思い出した表情を見せ、翔也さんは前屈みに私の目を見つめてきた。
「美希ちゃん、歌がすげー上手いっていう麻衣さんの話はまじっすか?」
話を転換させたかと思えば、自分の話題に私の肩が思わず上がった。
「前に雄人さんが丘で美声を響かせる女の子がいるって言ってたんだけど、それって美希ちゃんのことだったんだよね?」彼は拳をマイクに見立てて私の口に当ててきた。
「いや、まあ」
雄人さん、翔也さんにも丘のこと話していたのか。私の歌を、異常に過大評価している彼の姿を想像すると、照れくささと同時に嬉しさが込み上がった。自然と鼻の下を伸びてしまう。広角が上がる自分の顔を反射的に下にした。
「すげーじゃん。めちゃ聴きてー。その美声とやらを」
「雄人さんが言ってくれたんです。初めて丘で会った時に『声が綺麗だね』って。最初は知らないおじさんに声をかけられたことにビビって逃げようかと思ったんですけど、褒めてくれたことが嬉しくて。これまで誰かに歌を褒められることなんてなかったから。母以外の人に歌を聞いてもらって、褒めてもらったことがすごく嬉しかったんです」
口に出してみると、あの時の記憶が自然と思い出された。今思えば、あの開放された空間で、心地良い風が吹いていた丘に、わたしは導かれていったのかもしれない。本当は、誰かに、自分の歌を聞いてほしかったのかもしれない。そしてその思いを、彼が。
「その話聞いたら余計に聴きたくなっちゃった。今度ぜひ聴かせてくれよぉ~。あの雄人さんが褒めるってことは相当上手いってことだからなぁ、歌姫ちゃん」
歌姫、というワードは軽薄口ではないかと思いながらも、そのお世辞にまたまた自然と鼻が伸びた。
「いやぁ、あんまり人に歌ったことないんですけど。…でも、翔也さんには今度機会があったら聞いてもらいたいです」
「言ったな。じゃあ、約束」拳を握りしめ、翔也さんは私の正面に突き出した。そして、私も拳を握り、彼の拳にぶつけて笑みを見せる。
「まもなく、入場を開始いたします。列にお並びになってもうしばらくお待ちください」
窓の奥から、スタッフの叫び声が聞こえてくる。
「おっと。もう入場時間か。そろそろだな」
彼はジュースを飲み干すと、席から自動販売機隣のゴミ箱に向かってベットボトルをシュートした。
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