美しい希

みぽにょ

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初めての景色

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楽屋の扉を閉めたかなど知らず、私の足はオーディオが鳴り響くライブ会場の方に向く。
軽く足を上げ、私は翔也さんの前に出た。
オーディオから流れる彼の歌、重なるファンの騒がしい声。ライブはすでに、始まっているようだ。
翔也さんに誘導されながら着いた席は、前も横も視界を邪魔するものもなく彼のステージを百八十度眺められるスタンド席だった。
「実はな、アリーナよりもこっちの方がステージを見渡せたりするんだよな」と翔也さんは自慢まじりに教えてくれた。
ここは球場なのか、と私は会場に入って圧倒される。球場と思えないほどのステージの仕上がり。ランダムに光って動いているたくさんの照明。ドームの上には大きなスクリーン。そのスクリーンと連動にランダムに流れ出す彼の曲は、ファンたちの気持ちを徐々に高める。私もいつしかそのファンと同じような気分だった。
「初めてのライブでテンション上がってる?」
目を輝かせながらステージを見ていた私に、隣に座る翔也さんは言った。
あの彼の、雄人さんのステージを観る。
腕時計をチラチラ見ながら、無意識に彼のステージまでのカウントダウンをしてしまう。


三分前・・二分前・・一分前・・・


自分の中でカウントダウンがゼロになり、私の目線が時計からステージの方に向く。
会場の照明は一気に暗くなった。ファンの人たちの歓声が響き渡る。ステージからアップテンポな曲が流れ始め、突然バンッ!とライトが照らされた。すると同時に、輝かしい衣装を身に纏った彼が、ステージの下から勢いよく登場した。

「すごい!」
思わず叫んだ。圧倒的な彼の姿。バックミュージックの凄まじい音楽とともに、彼はマイクを口に当てて歌い出した。一曲目、二曲目と続き、三曲目での盛り上がりで会場は一気にライブ空間に包まれる。

「盛り上がっていこ~ぜ!」

彼の掛け声に、ファンは返事のごとく黄色の歓声をあげた。私の歓声もそれに飲み込まれた。体の奥まで彼の歌声が響き渡り、彼の歌声に呑まれていった。彼の姿、声に全てを持っていかれるようだった。ステージで放つ彼の輝きに一瞬にして眼を奪われ、約五万人のファンが彼の歌声に魅了される。さっきまで、数時間前まで、そこに、隣にいた人が、今、輝く舞台の中心に立っていた。
「弘本雄人」というアーティストは、日常とは切り離された世界を見事に作り上げていた。全十八曲。一瞬だった。ポップな曲だけでなく、ファンクやバラードといった様々な曲を歌う彼の姿。ギター一本に、マイクを通して聞こえる彼の引き立つ美声。どの一曲も、彼の才能が引き立っていた。それに合わせた豪華な演出やバンドの掛け合いがさらにテンションを高めさせ、いつしか彼を取り囲むダンサーやバンドたち、そしてファンたちが、ドームという大きなハコの中で一体となっていた。
前半・中盤・終盤とライブの間にMCがあった。その時が一番、彼がとても近い距離にいるようだった。同じ空間を共有することができる、ライブでしか味わえない感覚。普段テレビに映る彼が今、同じ空間で、同じ時間を共にしている幸せは、ファンにとってはこの上ないものだ。ステージの演出、構成、歌声を兼ね合わせた彼のライブ。ファンを一番に思い、音楽を存分に楽しもうとしていることがライブから感じ取れる。麻衣さんや翔也さんが最高だという理由が、如実に納得できる。
彼がステージ上から見えなくなるまで、ファンたちの歓声、拍手は止まることがなかった。立ち上がったまま、しばらくしてドームの明かりが点く。そこからしばらくして、私たちはかけられた魔法が解けたように我に戻った。
ドームはファンの熱気のせいか、暑く感じる。首筋には汗が垂れていた。
こんなにもライブは興奮するものなのか。今この瞬間、ライブのすごさに私は圧倒されてしまった。力が抜けるかのように重い音を立てて、私は椅子に座った。目先はステージ中央に集中し、数分前まで立っていた彼の姿が思い返される。


「......美希ちゃん、美希ちゃん!」
翔也さんの声が遠くから聞こえてきたようだった。頭の中はまだ三十分前のライブにいるような感覚だった。大音量で聞こえた音楽、それを生み出す彼の姿が耳目に焼き付いて離れない。目を閉じただけで、その映像が鮮明に蘇る。
「その様子だと、だいぶ心奪われたみたいだな」
「へぇ?あ、うん」
拍子抜けた声を出し、私は空になった目を斜上に向けて彼と合わせる。
彼はその素っ頓狂な私の表情を見て吹き出した。
「おいおい。マジじゃん。起きろ~!美希ちゃん」
彼の大きな両手で、私の両頬が押し当てられる。冷たい感触を得て、私は彼の目と焦点を戻した。
「どう?初めてのライブはいかがでしたでしょうか。ずっと目で雄人さんを追いかけるのに夢中だったみたいだけど」
「えーっと、とにかく、すごかったです」
なんだろ。感極まって、うまく言葉が出てこない。
「もう、なんか、予想以上のスケールすぎてびっくりです。雄人さんって、やっぱり、芸能人なんだなって改めて思ったっていうか。手には届かない人物なんだなっていうか。あんな輝いている人って、やっぱいるんだなって」
ライブを観た人はいつも、こんな感情になるのだな。周りの人がよく言う、『余韻』というものが今、ようやく身に染みて感じる。彼のいた舞台を、私はもう一度眺める。そこには、もういないはずの彼の姿が未だはっきりと浮かび上がってくる。
ここで見た情景、私一生忘れないだろうな。
「楽屋に戻ろっか。雄人さんと麻衣さん、いると思うし」
物思いに浸っていた私の肩を叩き、翔也さんは立ち上がる。
彼の言葉に頷き、私はゆっくりと席を立った。
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