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弁当
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手持ち無沙汰から、三歩後ろをついて歩く幽霊に声をかけた。
「足、痛くない?」
「いいえ」
注意散漫気味だった視線を地べたに落とし、ガラスの破片なんかが落ちてないといいなァ、と思う。どうして靴を履かせてやらなかったんだろう。三途の川に続く道とて、何が落ちているかわかったものではないだろうに。
家の電気は点いていたが、母親は多分いないだろう。無用心だからと電気を点けっ放しのまま買い物に出ているはずだ。そしてそのまま塾へ迎えに行くのだ。
念のために覗いたガレージに、やはり車はなかった。
ロックを解除してドアを開いてやり、中へ入るように促しても、幽霊は玄関の前から動かなかった。そこで自分は玄関に入り、中からドアに隙間を作ってやると、幽霊はようやく中へ入った。
かかとを踏みつけながらスニーカーを脱ぎ捨て、玄関マットに上がる。弁当を探しても見当たらないので、きっとリビングにあるのだろう。リュックは廊下にぼとりと落とした。
「上がって」
言ってから考えた。幽霊というのは、情けをかけると憑くというが、どうだろう。家に入れてしまってからあれこれ考えても遅すぎるとは思うが、祟られたり、呪われたり、してしまうのだろうか。見ると、幽霊は困った顔をして一段低いところからこちらを見上げている。まぁ、こういうやつなら問題ないだろう、多分。
幽霊は裸足だったから、そのまま上がると玄関マットが汚れるとか、そういうことを気にしていたんだと思う。すぐに幽霊は解決策を見出した。玄関マットに膝をつくと、そのまま少しいざってからお馴染みの正座をした。そんな動きをする人間は旅館の仲居さんぐらいしか見たことがなかったので、軽いカルチャーショックを受けた。
テーブルの上から薄緑色の弁当の包みを持って戻ると、幽霊は行儀よく座っていた。その向かいにあぐらをかいて、二人の間で弁当の包みを開いた。
中身は思った通りだ。フタを開けなくとも、透明なタッパだからわかる。ちょっとばかり真空状態になったタッパを開けるのにややてこずってから、弁当箱を幽霊の方に押しやった。
「食べなよ」
するとどうだろう、小首を傾げていた幽霊は弁当を前に、三つ指揃えてお辞儀をした。
「頂きます」
やがて顔を上げた幽霊が何から手をつけるのか興味心津々で見ていると、幽霊は再び丁寧にお辞儀をした。
「ご馳走様でした」
呆気にとられる。何だ、今の。そうは思ったが、これも幽霊の事情ってヤツなんだろう。ホトケ様にお供えした食べ物だってそのままだし。
「うん。もういいの?」
「はい。有難う御座いました」
満足げに言われると、困る。
少し空腹だったので、おにぎりに手を伸ばした。無言のまま、食べるのをジッと見られていると居心地悪いことこの上ないので、例によって世間話をすることにした。
「何であそこにいたの?」
「わかりません」
ヒジキをつまんだ。
「何で泣いてたの?」
「わかりません」
シューマイをつまんで、幽霊に見せた。
「コレ、何だかわかる?」
「……わかりません」
最後に梨を口に放り込んだ。
「梨、好き?」
「水菓子は、あまり食べたことがございません。甘いのですね」
「まぁね」
濡れた指先を包みで拭ってからタッパをまとめた。それを脇に押しやって、さぁどうしよう。
「これからどうするの?」
「わかりません」
「どこへ行きたい?」
「わかりません」
幽霊の行きたいところなんて、大昔から相場は決まっている。極楽浄土、さもなきゃ天国だ。わからない、ってことはやはり、迷っているのかもしれない。
「悲しいの?」
「とても、とても悲しいです」
「何で?」
「それが……わからなくて。それでも悲しいのです」
「ふぅん」
悲しんでいるうちに何が悲しいのかわからなくなってしまうほど昔から幽霊だったのだろうか。そんなにずっとこんな状態だったら、そりゃもう悲しくもなるだろう、色んな意味で。
「忘れるぐらいなら、たいしたことないんじゃない?」
「え」
「一つ、思ったんだけど。本当に悲しいとき、悲しいって言わなくない?」
そんなことない、って幽霊のやつが取り乱すのを見たかったのかもしれない。けれど、幽霊はまた、深々と頭を下げた。
「本当に、有難う御座いました」
そう言うと、やつは目の前で、ようやく幽霊らしいところ見せた。幽霊の周りだけが無重力になったかのように、やつの身体が浮き上がったのだ。とてもゆっくりと。
とっさに幽霊の左手首をつかんだ。今日二度目だ。気のせいか、一度目よりも冷たくない気がした。
「ちょっと待ちなよ。どうしたんだよ」
幽霊は、笑っていやがった。
「もう、悲しくありませんから」
ああ、そうか。逝くんだな、と静かな気持ちで思っていたが。
「逝くな。おい、逝くな。勝手に逝くなよな」
身体はちぐはぐな行動を取り出して……、身体と魂とが人間にあるのだと思い知った。自分は両方持っていて、でもやつは魂だけで。やつの手をつかんでいられるのは、魂が魂をつかんでいるからなんだなー、なんて思ったりする。
「本当に感謝しておりますのに、何も出来ないこの身が辛い」
「馬鹿。そんなこと考えるな。落っこちたらどうすんだ。わかったよ、いいから逝け。逝っちまえ」
ついに幽霊は空中に逆立ちするような格好になっていた。こうなると背伸びをしないと、その手首をつかんでいられない。
「もう死ぬなよ」
なに笑ってんだか。幽霊が笑っていたから、ついうっかりつられて笑ったんだ。それで、手を離した。そうしたら、幽霊は消えた。
別に怖くもなんともない。あの暑い夏の日に出会った変な幽霊の話は、たったそれだけだ。
<了>
「足、痛くない?」
「いいえ」
注意散漫気味だった視線を地べたに落とし、ガラスの破片なんかが落ちてないといいなァ、と思う。どうして靴を履かせてやらなかったんだろう。三途の川に続く道とて、何が落ちているかわかったものではないだろうに。
家の電気は点いていたが、母親は多分いないだろう。無用心だからと電気を点けっ放しのまま買い物に出ているはずだ。そしてそのまま塾へ迎えに行くのだ。
念のために覗いたガレージに、やはり車はなかった。
ロックを解除してドアを開いてやり、中へ入るように促しても、幽霊は玄関の前から動かなかった。そこで自分は玄関に入り、中からドアに隙間を作ってやると、幽霊はようやく中へ入った。
かかとを踏みつけながらスニーカーを脱ぎ捨て、玄関マットに上がる。弁当を探しても見当たらないので、きっとリビングにあるのだろう。リュックは廊下にぼとりと落とした。
「上がって」
言ってから考えた。幽霊というのは、情けをかけると憑くというが、どうだろう。家に入れてしまってからあれこれ考えても遅すぎるとは思うが、祟られたり、呪われたり、してしまうのだろうか。見ると、幽霊は困った顔をして一段低いところからこちらを見上げている。まぁ、こういうやつなら問題ないだろう、多分。
幽霊は裸足だったから、そのまま上がると玄関マットが汚れるとか、そういうことを気にしていたんだと思う。すぐに幽霊は解決策を見出した。玄関マットに膝をつくと、そのまま少しいざってからお馴染みの正座をした。そんな動きをする人間は旅館の仲居さんぐらいしか見たことがなかったので、軽いカルチャーショックを受けた。
テーブルの上から薄緑色の弁当の包みを持って戻ると、幽霊は行儀よく座っていた。その向かいにあぐらをかいて、二人の間で弁当の包みを開いた。
中身は思った通りだ。フタを開けなくとも、透明なタッパだからわかる。ちょっとばかり真空状態になったタッパを開けるのにややてこずってから、弁当箱を幽霊の方に押しやった。
「食べなよ」
するとどうだろう、小首を傾げていた幽霊は弁当を前に、三つ指揃えてお辞儀をした。
「頂きます」
やがて顔を上げた幽霊が何から手をつけるのか興味心津々で見ていると、幽霊は再び丁寧にお辞儀をした。
「ご馳走様でした」
呆気にとられる。何だ、今の。そうは思ったが、これも幽霊の事情ってヤツなんだろう。ホトケ様にお供えした食べ物だってそのままだし。
「うん。もういいの?」
「はい。有難う御座いました」
満足げに言われると、困る。
少し空腹だったので、おにぎりに手を伸ばした。無言のまま、食べるのをジッと見られていると居心地悪いことこの上ないので、例によって世間話をすることにした。
「何であそこにいたの?」
「わかりません」
ヒジキをつまんだ。
「何で泣いてたの?」
「わかりません」
シューマイをつまんで、幽霊に見せた。
「コレ、何だかわかる?」
「……わかりません」
最後に梨を口に放り込んだ。
「梨、好き?」
「水菓子は、あまり食べたことがございません。甘いのですね」
「まぁね」
濡れた指先を包みで拭ってからタッパをまとめた。それを脇に押しやって、さぁどうしよう。
「これからどうするの?」
「わかりません」
「どこへ行きたい?」
「わかりません」
幽霊の行きたいところなんて、大昔から相場は決まっている。極楽浄土、さもなきゃ天国だ。わからない、ってことはやはり、迷っているのかもしれない。
「悲しいの?」
「とても、とても悲しいです」
「何で?」
「それが……わからなくて。それでも悲しいのです」
「ふぅん」
悲しんでいるうちに何が悲しいのかわからなくなってしまうほど昔から幽霊だったのだろうか。そんなにずっとこんな状態だったら、そりゃもう悲しくもなるだろう、色んな意味で。
「忘れるぐらいなら、たいしたことないんじゃない?」
「え」
「一つ、思ったんだけど。本当に悲しいとき、悲しいって言わなくない?」
そんなことない、って幽霊のやつが取り乱すのを見たかったのかもしれない。けれど、幽霊はまた、深々と頭を下げた。
「本当に、有難う御座いました」
そう言うと、やつは目の前で、ようやく幽霊らしいところ見せた。幽霊の周りだけが無重力になったかのように、やつの身体が浮き上がったのだ。とてもゆっくりと。
とっさに幽霊の左手首をつかんだ。今日二度目だ。気のせいか、一度目よりも冷たくない気がした。
「ちょっと待ちなよ。どうしたんだよ」
幽霊は、笑っていやがった。
「もう、悲しくありませんから」
ああ、そうか。逝くんだな、と静かな気持ちで思っていたが。
「逝くな。おい、逝くな。勝手に逝くなよな」
身体はちぐはぐな行動を取り出して……、身体と魂とが人間にあるのだと思い知った。自分は両方持っていて、でもやつは魂だけで。やつの手をつかんでいられるのは、魂が魂をつかんでいるからなんだなー、なんて思ったりする。
「本当に感謝しておりますのに、何も出来ないこの身が辛い」
「馬鹿。そんなこと考えるな。落っこちたらどうすんだ。わかったよ、いいから逝け。逝っちまえ」
ついに幽霊は空中に逆立ちするような格好になっていた。こうなると背伸びをしないと、その手首をつかんでいられない。
「もう死ぬなよ」
なに笑ってんだか。幽霊が笑っていたから、ついうっかりつられて笑ったんだ。それで、手を離した。そうしたら、幽霊は消えた。
別に怖くもなんともない。あの暑い夏の日に出会った変な幽霊の話は、たったそれだけだ。
<了>
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