王子殿下の慕う人

夕香里

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デヒュタントの令嬢

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「あのぉ」

部屋を出て直ぐにエレーナは呼び止められた。

「どうかしましたか」

廊下の奥──不安そうに胸元に手を当てながら佇む令嬢がいた。

ふんわりと靡くドレスの色が白。つまりデビュタントの子だろう。

(それにしても綺麗な顔立ちの子……)

アーモンド形の茶色い瞳に、頬は適度に赤く染まり、月に照らされる白銀の髪は艶やか以外の何物でもなかった。

その美しさはエレーナが見てきた令嬢達と比べても群を抜いていて、一瞬息をするのを忘れたぐらいである。

「リチャード殿下は何処ですか? 一緒に出ていかれましたよね」

鈴の音の様に透き通った声色。この子は外見だけでなく、内面までも美しい、透明な、庇護欲をそそる可愛らしい令嬢なのだろう。

──優しくて自分の意見を聞いてくれる人が良い

何故かリチャードが言っていた言葉が蘇ってドクンと心臓の音が大きくなる。

「ダンスフロアに戻られると仰ってましたが」

「そうですか。また後でと言われたのに……」

沈んだ面持ちでデビュタントの令嬢は言う。エレーナはこの令嬢を見たことがなかった。普通は社交界に出てきてない年齢でも、茶会の席などで顔ぐらいは見るのだが、その記憶もない。

「失礼ですがお名前をお聞きしても?」

「あっ名乗ってませんでした? 私はメイリーン・クロフォードです」

綺麗なカーテシーをしてメイリーンは頭を下げた。

いま、彼女はなんと名乗った? そしてサリア達が話してた内容は……

──クロフォード伯爵家にそれはそれはとても美しい少女がいて今度デビュタントを迎えるそうよ

脳裏にサリアの言葉が浮かぶ。

「なぜ殿下をお探しに?」

嫌な予感がしながらも尋ねないわけにはいかなかった。

このような場面状況は見たことがあった。
読んだことがあった。
沢山聞いてきた。

「話したいことがあるのです。先ほどもお話をさせていただいていたのですが……。〝今は忙しいからまた後で〟そう言われて途中で終わってしまったので」

「そ……うですか」

心臓が嫌な音を立てる。鈍く痛む。ぐるぐると頭の中に不快な想像が流れる。じわりと手が汗ばんで、手袋がそれを吸う。

(花嫁は……この子なの?)

ありえない。即座に頭の中で否定が入る。だけど考えてしまった。

口に出してしまえば本当になってしまいそうで、言えない。直接聞けない。

「エレーナさんって噂で流れてたリチャード殿下の花嫁様ですか?」

「違……うわ……」

尋ねたかったことを逆に聞かれて声がうわずる。

「リチャード殿下が抱き抱えて出ていかれたので、てっきりそうなのかと思ってました」

「あ……の……そもそものはなし……私はリチャード殿下の……何者でもないから」

カラカラに乾いた口の中は砂を含んだかのようだった。いっそ言葉が話せなければよかったのにと思うほど、何も言いたくなかった。話したくなかった。逃げだしたかった。

エレーナは何者でもないのだ。血縁関係があるわけでも、婚約者でも、友人とも……言えない。中途半端な存在。

立場的には──臣下。

その一言に尽きる者。

「……エレーナさんは〝薔薇の咲く頃王宮で〟という絵本を知っていますか?」

「知っているわ」

『薔薇の咲く頃王宮で』という本はこの王国の中でとても有名だ。みんな小さい頃に絶対一度は読んだことがある。特に女児は何回でも読み直す作品。

ストーリーは至って簡単。

幼い頃に王子であるエリオットと伯爵家に生まれたオリヴィアという令嬢が、薔薇の咲く庭園で運命的な出会いをする。そして名前も聞けないまま去っていってしまったオリヴィアをエリオットは探し続ける。しかし、伯爵家の令嬢であるはずなのにオリヴィアは見つからない。

何故ならオリヴィアは療養のために空気が澄んでいる、田舎の祖父の元にいたからだ。

元々他の人の前にほとんど顔を出さなかったオリヴィアは、貴族達に存在を覚えられてもおらず、療養していることも知っている者がいなかったのだ。

だから王子に聞かれても、貴族達は誰も答えられなかった。

それでも諦めきれなかったエリオット。解決の糸口として考えたのは、王宮で舞踏会を開き、招待客は国中の女性とすること。

エリオットは微かな願いをかけたのだ。オリヴィアが舞踏会に現れることを。そして名前も知らない彼女を見つけることができると。

賭けは成功した。薔薇の咲く月下の庭園に佇んでいたオリヴィアをエリオットは見つけた。
エリオットはオリヴィアに自分の気持ちを伝え、オリヴィアもそれを受け入れる。
そして二人は結婚して仲良く素晴らしい国をつくるシンデレラストーリー。

この本のヒットによって似たような派生作品も沢山市場に溢れてる。一時は薔薇も飛ぶように売れたらしい。

エレーナもセリフを覚えてしまうほど沢山読んだ。家には擦り切れているが今も本棚に残っている。

一度は誰でも夢見る。いつか自分も同じような王子様に出会って、結婚できると。エレーナの場合、本の中の王子様は現実世界でのリチャード殿下だった。

けれども小さい頃の絵本を読んで造られた世界は、儚く破れるものだ。絵本の世界は虚構の世界。現実の世界とは違う原理で成り立っているのだから。

現実では実現できなくても、虚構だから実現可能で、楽しめる。だから幼子は思いを馳せて物語の世界に入る。それは汚い、黒い、自由が利かないこの現実を知らない小さい子の特権だ。

エレーナはもう知っている。だから夢見がちな乙女ではない。きちんと現実を見なければならない。

だけど目の前の少女は────夢見る乙女のようだった。

純粋に綺麗な澄み切った世界しか知らないような。匣庭の世界に住んでいる住人。出会って間もないけれど、そうエレーナは勝手に感じたのだった。
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