王子殿下の慕う人

夕香里

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飛び降りたその先に

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「おいっ! 貴様何をっ」

身体が傾いていく中、エレーナは悪女のように嘲って笑った。

「なにって? 貴方たちに捕まらないよう落ちるのよ。ばいばい」

その言葉と同時に地面を失った身体は一瞬宙に浮き、重力によって下へと加速していく。

──運が良ければこれで追っ手から逃げられる。

しかし3階建てほどの高さから飛び降りたのだ。無傷でいられるはずがない。打ちどころが悪ければそのまま死んでしまう。死ぬ確率の方が高いだろう。でもこの方法しか打開策を持っていないエレーナには残ってなかったのだ。

彼らからしたらエレーナは弱い女で、そんな女がまさか崖から飛び降りるなんて思わなかったらしい。驚きで目を見張り、赤くなった手を覆い、口を開けて呆然と突っ立っていた。

もう男たちの姿は見えない。

(……月が綺麗だなぁ)

雲ひとつない漆黒の帳が降ろされた世界。その中で輝いている。

ふぅと深く息を吐いて瞳を閉じれば走馬灯がよぎる。友人や家族との思い出も出てくるが、それよりも溢れてくるのはリチャード殿下との思い出だった。

初めて出会ったあの庭園からリー様と呼んだ日、一緒にお茶をした日、デビュタントの日。色んな記憶がコマ切れによぎった。

「あーあ、こんな呆気なく死ぬんだったら、巻き込まれるんだったら、言えばよかった」

エレーナは助かると思っていなかった。奇跡が起きて、無傷で落下したとしてもこの傷では歩くこともままならない。

メイリーンは助けが来ると言っていたがそれはあくまで見つかりやすい場所にいた場合。こんな崖下に助けなんか来ない。

ビュウビュウと耳元で風の音がする。左右に木々が見えてきた。地面はすぐそこだろう。

最後に自分を貫くであろう痛みに備えると、馬の音が微かに聞こえた。右に視線を向ければ暗くて良く見えないが、フードを被った人間が馬を走らせていた。

(まさか……下にも追っ手がいたの!? わたしの……決死の身投げは意味なかった……?)

絶望が駆け巡る。上からはようやく動きだしたらしい男達の怒号が聞こえてくる。

そんな中エレーナは襲う衝撃に再び身を固くした。

背中に何かが当たる衝撃はあった。

だが、想像よりも痛くない。意識もはっきりでは無いがある。ぼんやりだが目も見える。
変な方向に身体が曲がっていたり、怪我した部分以外に痛みがある訳でもない。

(即死? ここは黄泉の国? それとも奇跡的に上手く落下できた?)

「レーナ」

ドクンッと何かを考えるより先に心臓が反応した。

不意に聞こえた己の名前を呼んだ者を探す。

(なんで……ここにあなたがいるの……)

エレーナが想像した者は居なく、居たのは先程見えたフードの人物。その顔が間近にあった。

でも自分がの声を間違えるはずがない。

「でん……か?」

ほぼ声を伴わず、口が動いただけなのに背中に回された腕に力が入った。

「良かった……間に合った。君を……失うかと。まさか崖から落ちてくるなんて。僕が間に合わなかったらどうしていたんだ。死んでしまうじゃないか」

涙を浮かべてこちらを見ている顔。見間違えるはずもない。震える手を伸ばしてフードを落とした。彼の金髪が顕になり、月夜に照らし出される。小刻みに殿下は震えていた。

どうやらエレーナはリチャード殿下の腕の中にいるようだ。落下地点とフードの人物──リチャード殿下までの距離は結構あったはずだ。相当馬を急がせなければ間に合わないだろうに。

(地面にたたきつけられたあと、抱き抱えられたのかしら?)

にしては全身の痛みが少ないように感じる。感覚が麻痺しているだけの可能性もあるけど。

夢か。錯覚か。最後に神が哀れに思って温情で見せてくれた幻想なのか。

(なんでもいい。幻であっても。それなら……)

今、この瞬間は現実ではないはずだ。だって彼はここにいるはずがない人だから。

なら最後に、大胆なことをしても死んだ者なら残らないだろう。許してくれるだろう。

死ぬと思ってより一層強くなった後悔。それをさらけ出しても────

彼の頬に手を添えて、気力を振り絞って身体を起こす。

「レーナ、まだ起きてはいけ────」

リチャード殿下が言い終わるより前に、エレーナは己の唇で彼の口を塞いだ。ぐっと押し付けるように、リチャード殿下が逃れられないように、息ができないほどに。

2人の距離は睫毛と睫毛が触れ合いそうなほど近い。

そのせいか自分よりも相手の鼓動が聞こえてくるような気がした。

時間にしてはそれほど長くないだろう。でも、エレーナにとっては永遠のような時だった。

艶かしい吐息をつきながら、エレーナは唇を離した。まぼろしのはずなのに彼の唇は柔らかくて、感触があって、不思議な感じだ。

リチャード殿下は驚いて、何が起こったのかわからなくて、エレーナを抱いた腕に力は篭っているのに、口は開けては閉じてを繰り返している。言葉が出てこないらしい。

それはエレーナが予想していた通りの表情で、ふふっと微かに笑った。幻だが、まさかこの場で、このような状況で、こんなことが起こるなんて誰にもわかるはずがない。

(神様もう少しだけいいものを見させてください。言わせて)

左腕と足を筆頭に燃えるように全身が熱い。上手く空気を身体の中に取り込めない。意識が朦朧としてくる。殿下の頬に沿わせていた手から力が抜けていく。

「あのね、リーさま。ずっと前からお兄様のようではなくて、1人の────」

「レーナっ!」

最後まで言い切ることはなく、エレーナはリチャードの腕の中で意識を手放した。
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