88 / 150
狼狽と焦思と
しおりを挟む
青ざめたリチャードをからかうように、エレーナは突拍子もない行動に出た。そしてリチャードが何をされたのか頭の中で整理する前に、言葉を途中で途切れさせ、意識を失った。
その後は何度声をかけても返答はなかった。
何にも代えがたい最も大切な、愛しい存在。ずっと守ると決めていた相手。自分のせいで、こんなところで、巻き込んだ挙句の果てに、死なせる訳には行かなかった。そんなことになったら、自分自身を一生許せない。
頭を打っている時点で重症なのだが、左腕と足も悪い状態なのをリチャードは薄々感じ取っていた。
傷は浅いようだが、何故か血が止まらない。身体も熱い気がする。だらんと伸びた腕は力が入っていない。取り敢えず着ていたマントで彼女の体を覆った。持っていたハンカチで慰み程度だが、怪我をしている部分を縛った。
自分の腕の中でぐったりとしていたエレーナの呼吸が、命が、今にも止まってしまうのではないかと。馬を走らせながら、口元に耳を持って行って何度も呼吸を確認する。そして微かに聞こえる命の音に安堵して、王宮まで運んできた。
馬をつなぐ時間も惜しくて、飛び降りるように馬から降りる。近くにいた王宮の騎士に後は頼むと言い残し、全速力で医務室にエレーナを連れていこうとした。外とは違って明かりが灯っている王宮の廊下は、エレーナの腕と足から伝い落ちる血の道を鮮明に作っていたが、気にしている場合ではなかった。
1人の令嬢を抱えながら廊下を突っ切る王子殿下に、狩猟大会で何が起こったのか知らない王宮の者たちは困惑しながら道をあけていった。
「医務室じゃないわ! こっちよリチャード」
階段を登ればあと少しのところでミュリエルの声が廊下に響いた。みれば、そちらは王族であるリチャード達の寝室がある方で、信頼のおける者しか立ち入れない区域。リチャードは即座にミュリエルの意図を読んだ。
「侍医は!」
「もういるわ。早くっ!」
メイド達の目を憚る時間も惜しく、大声で返答し、ミュリエルの方へかけていった。
「生きているの? 動いていないようだけど……まさか──」
抱えられたエレーナを一瞬覗いたミュリエルは青くなる。
「生きてます。不謹慎なこと言わないでください。──死なせてたまるか」
まるで、死んでしまったの? というミュリエルの言い方に言葉使いが悪くなる。
中に入ってすぐさま寝台の上に優しく乗せた。エレーナの身体は軽く胸が上下するだけ。それ以外ピクリとも動かない。
「どいてください。ここからはわしらの出番です」
ミュリエルの指示で待機していた侍医と他の王宮医達が素早く出血箇所を診察していく。
ミュリエルは彼らのサポートをするよう使用人達を動かしていった。
医療の知識を持ち合わせていないリチャードができるのはここまでだった。あとは神に祈るか、端の方でじっとしているしかなかった。途中でミュリエルに追い出されるまでずっと扉の近くで立っていた。
だが、1日経ってもエレーナは目を覚まさなかった。
『──全力は尽くしました。ですが、最初に言った通り目覚めるかは……一応お覚悟を』
そんな風に言われていた彼女があの透き通った瞳をぱっちりと開けてこちらを見たのだ。掠れているが口を開いて、声を出している。
いま、自分の胸の中で彼女が動いている。生きている。
「──家ではないのですねここ」
耳元で囁くくらいの小さな声で、リチャードにとって最愛の人は言った。
「宮の中だ。こんなことしてる場合じゃないね。すぐに侍医と出勤しているルイス公爵達を呼んでくるから」
起きたのならば1回見てもらった方がいい。今のところ後遺症は無さそうに見えるが、医者が見たら変わってくるかもしれない。
リチャードは部屋を出て行こうとするのを引き止められる。
「待って、あの、お水を頂いても? 喉が乾いてて」
「もちろんだ。そこにあるから注ぐよ」
玻璃の水差しから置かれていたコップに水を注ぐ。
「動かなくていい。飲ませるよ。右手もそれほど動くわけではないだろう?」
受け取ろうとしたエレーナを遮り、上半身を起こすのを手伝う。
「ありがとうございます」
水を飲んだらガラガラだった声も幾らかいつもの声に戻ってきたようだった。
「これぐらい君を巻き込んでしまったことに比べたら…………早く呼んでくるよ」
そう言ってリチャードは扉を閉めた。そして背中を扉に合わせたまま、身体から力が抜けてズルズルと座り込んでしまった。
「良かった。本当に。神様……レーナを助けて下さりありがとうございます」
まだ、手には彼女を抱きしめた感触が残っている。微笑みかけてくれた彼女の表情が脳裏に焼き付いている。それが現実だと自覚させてくれる。
誰も通らないことをいいことに、座り込んだまま顔を覆った。目を覚ましてくれたのが嬉しくて、じわりと涙が出てくるのを強引に拭った。
安堵したことによって力が抜けてしまった己を叱咤し、起きるのを願っていた者たちにリチャードは知らせに行った。
その後は何度声をかけても返答はなかった。
何にも代えがたい最も大切な、愛しい存在。ずっと守ると決めていた相手。自分のせいで、こんなところで、巻き込んだ挙句の果てに、死なせる訳には行かなかった。そんなことになったら、自分自身を一生許せない。
頭を打っている時点で重症なのだが、左腕と足も悪い状態なのをリチャードは薄々感じ取っていた。
傷は浅いようだが、何故か血が止まらない。身体も熱い気がする。だらんと伸びた腕は力が入っていない。取り敢えず着ていたマントで彼女の体を覆った。持っていたハンカチで慰み程度だが、怪我をしている部分を縛った。
自分の腕の中でぐったりとしていたエレーナの呼吸が、命が、今にも止まってしまうのではないかと。馬を走らせながら、口元に耳を持って行って何度も呼吸を確認する。そして微かに聞こえる命の音に安堵して、王宮まで運んできた。
馬をつなぐ時間も惜しくて、飛び降りるように馬から降りる。近くにいた王宮の騎士に後は頼むと言い残し、全速力で医務室にエレーナを連れていこうとした。外とは違って明かりが灯っている王宮の廊下は、エレーナの腕と足から伝い落ちる血の道を鮮明に作っていたが、気にしている場合ではなかった。
1人の令嬢を抱えながら廊下を突っ切る王子殿下に、狩猟大会で何が起こったのか知らない王宮の者たちは困惑しながら道をあけていった。
「医務室じゃないわ! こっちよリチャード」
階段を登ればあと少しのところでミュリエルの声が廊下に響いた。みれば、そちらは王族であるリチャード達の寝室がある方で、信頼のおける者しか立ち入れない区域。リチャードは即座にミュリエルの意図を読んだ。
「侍医は!」
「もういるわ。早くっ!」
メイド達の目を憚る時間も惜しく、大声で返答し、ミュリエルの方へかけていった。
「生きているの? 動いていないようだけど……まさか──」
抱えられたエレーナを一瞬覗いたミュリエルは青くなる。
「生きてます。不謹慎なこと言わないでください。──死なせてたまるか」
まるで、死んでしまったの? というミュリエルの言い方に言葉使いが悪くなる。
中に入ってすぐさま寝台の上に優しく乗せた。エレーナの身体は軽く胸が上下するだけ。それ以外ピクリとも動かない。
「どいてください。ここからはわしらの出番です」
ミュリエルの指示で待機していた侍医と他の王宮医達が素早く出血箇所を診察していく。
ミュリエルは彼らのサポートをするよう使用人達を動かしていった。
医療の知識を持ち合わせていないリチャードができるのはここまでだった。あとは神に祈るか、端の方でじっとしているしかなかった。途中でミュリエルに追い出されるまでずっと扉の近くで立っていた。
だが、1日経ってもエレーナは目を覚まさなかった。
『──全力は尽くしました。ですが、最初に言った通り目覚めるかは……一応お覚悟を』
そんな風に言われていた彼女があの透き通った瞳をぱっちりと開けてこちらを見たのだ。掠れているが口を開いて、声を出している。
いま、自分の胸の中で彼女が動いている。生きている。
「──家ではないのですねここ」
耳元で囁くくらいの小さな声で、リチャードにとって最愛の人は言った。
「宮の中だ。こんなことしてる場合じゃないね。すぐに侍医と出勤しているルイス公爵達を呼んでくるから」
起きたのならば1回見てもらった方がいい。今のところ後遺症は無さそうに見えるが、医者が見たら変わってくるかもしれない。
リチャードは部屋を出て行こうとするのを引き止められる。
「待って、あの、お水を頂いても? 喉が乾いてて」
「もちろんだ。そこにあるから注ぐよ」
玻璃の水差しから置かれていたコップに水を注ぐ。
「動かなくていい。飲ませるよ。右手もそれほど動くわけではないだろう?」
受け取ろうとしたエレーナを遮り、上半身を起こすのを手伝う。
「ありがとうございます」
水を飲んだらガラガラだった声も幾らかいつもの声に戻ってきたようだった。
「これぐらい君を巻き込んでしまったことに比べたら…………早く呼んでくるよ」
そう言ってリチャードは扉を閉めた。そして背中を扉に合わせたまま、身体から力が抜けてズルズルと座り込んでしまった。
「良かった。本当に。神様……レーナを助けて下さりありがとうございます」
まだ、手には彼女を抱きしめた感触が残っている。微笑みかけてくれた彼女の表情が脳裏に焼き付いている。それが現実だと自覚させてくれる。
誰も通らないことをいいことに、座り込んだまま顔を覆った。目を覚ましてくれたのが嬉しくて、じわりと涙が出てくるのを強引に拭った。
安堵したことによって力が抜けてしまった己を叱咤し、起きるのを願っていた者たちにリチャードは知らせに行った。
350
あなたにおすすめの小説
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
私のことはお気になさらず
みおな
恋愛
侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。
そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。
私のことはお気になさらず。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください
LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。
伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。
真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。
(他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…)
(1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【本編完結】笑顔で離縁してください 〜貴方に恋をしてました〜
桜夜
恋愛
「旦那様、私と離縁してください!」
私は今までに見せたことがないような笑顔で旦那様に離縁を申し出た……。
私はアルメニア王国の第三王女でした。私には二人のお姉様がいます。一番目のエリーお姉様は頭脳明晰でお優しく、何をするにも完璧なお姉様でした。二番目のウルルお姉様はとても美しく皆の憧れの的で、ご結婚をされた今では社交界の女性達をまとめております。では三番目の私は……。
王族では国が豊かになると噂される瞳の色を持った平凡な女でした…
そんな私の旦那様は騎士団長をしており女性からも人気のある公爵家の三男の方でした……。
平凡な私が彼の方の隣にいてもいいのでしょうか?
なので離縁させていただけませんか?
旦那様も離縁した方が嬉しいですよね?だって……。
*小説家になろう、カクヨムにも投稿しています
逃した番は他国に嫁ぐ
基本二度寝
恋愛
「番が現れたら、婚約を解消してほしい」
婚約者との茶会。
和やかな会話が落ち着いた所で、改まって座を正した王太子ヴェロージオは婚約者の公爵令嬢グリシアにそう願った。
獣人の血が交じるこの国で、番というものの存在の大きさは誰しも理解している。
だから、グリシアも頷いた。
「はい。わかりました。お互いどちらかが番と出会えたら円満に婚約解消をしましょう!」
グリシアに答えに満足したはずなのだが、ヴェロージオの心に沸き上がる感情。
こちらの希望を受け入れられたはずのに…、何故か、もやっとした気持ちになった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる