王子殿下の慕う人

夕香里

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番外編

熱の中で(2)

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「旦那様、奥様、お嬢様が部屋にいらっしゃらないようなのですが」

 ここが泣き声の現場だとは思わなかったらしく、先に子供部屋を確認したデュークが険しい顔で部屋に入ってきた。
 ランプをドアの取っ手に引っ掛ける。

「デューク早くお医者様を呼んで。お願い」

 ヴィオレッタは切実さを滲ませながら懇願する。

「何故医者が必要で────ってお嬢様?!」

 デュークもエレーナの様子を見て驚いた。

「分かったでしょ? ね、早く」

「かしこまりました。すぐに手配致します」

 そう言ってデュークは医者を呼びに駆け出していった。

「リリアンはいるかしら」

「はい」

 使用人たちの人だかりからリリアンが出てくる。

「盥に張った氷水とタオルと飲み物に、エレーナの新しい服を持ってきてちょうだい。私が自分で看病するから」

「直ちに」

 踵を返してリリアンもその場をあとにした。


◇◇◇


 叩き起されたザリアルがやって来て診察をしてもらうとエレーナは重篤ではないとのこと。
 最悪の事態にはならずにほっと安堵したが、熱は下がらず、エレーナの意識は朦朧としていた。

 リリアンやヴィオレッタが夜通し看病している内に日が昇り、朝がやってくる。一日が始まりを迎え、普段と同様に邸内が騒がしくなる。

 そして刻々と迫る出勤時間にルドヴィッグは焦り始めた。

「ああ、やはり心配だ。今日は休んでしまおうか」

「馬鹿な事を言わないでくださいまし。今日は重要な会議があると前から言っていましたよね」

 エレーナの額に浮かぶ汗を拭きながら、出勤するよう促す。夫がいても役に立たないので、それなら国のために働いてもらった方がいいのだ。

「だが……」

「私が付きっきりで見ていますから。ほら、副官様がいらっしゃいましたよ」

 外から馬が馬車を引く音がする。

「閣下迎えにあがりました! 今回こそログウェアル様を黙らせましょう!」

 鼻息を荒くした副官がデュークに案内されて寝室に現れる寸前。ルドヴィッグは慌てて部屋の外に出て、彼を迎えた。

「閣下、どうしました? 早くしないと遅刻しますよ」

「ああ分かってるんだが……ううん。私は休も──」

「ほらほら」

 何も知らない副官は、ルドヴィッグが会議に出たくなくて渋っているのだと勘違いし、そのまま引きづるように連れて行ってしまった。

「……おかあさま。お水が飲みたいわ」

 エレーナは数時間ぶりに意識をはっきりさせた。喉が異様に乾いている。視界はぼやけていた。

「はい、どうぞ」

 輪郭を捉えられない。〝手〟らしきものからコップを受け取ろうとして、落としてしまう。

「ご、ごめんなさい」

「謝らないで。仕方ないわ」

 半泣きで項垂れている娘をあやし、ヴィオレッタは寝かしつける。

 温かい手を感じながら、ウトウトと微睡み始める。

(ああ、そういえば。今日はでんかに会えるはずだったのに)

 前々から約束していた日だった。時刻はお昼にさしかかろうとしている。殿下の元にはエレーナの体調不良の知らせが届けられているだろう。

(たのしみ……だったのに。なんで熱でちゃうのかなぁ)

 体力を奪われているエレーナは徐々に眠りに引き込まれる。

(おあいできなくて……ごめんなさい……しなきゃ……ぁ)

「おやすみレーナちゃん」

 ヴィオレッタが額にキスを落とす。
 そうしてエレーナは再び眠りについたのだったのだが────

 ふと、ひんやりとした感触が手を通して伝わってきた。

「おか……さま」

 エレーナは瞼を開ける。だが、誰も居ない。

「──レーナ」

 耳元で囁かれる。その声に聞き覚えがあった。
 一気に頭が覚醒する。

「うそっ?!」

 慌てて顔を右に向ける。

「やあ」

 リチャード殿下はエレーナの視界から外れるよう、しゃがんで寝台の横に隠れていた。

「で、殿下なんで……ここに……いらっしゃるので?」

 リチャード殿下はふっと笑った。

「ちょっとツテを使って来たんだ」

 王宮に来ていたギルベルトを脅したことは言うまでもない。

「不法侵入はしてないよ。公爵夫妻は知ってる」

 突然現れた王子殿下に一時、階下はパニックになったことは伏せる。

「でも……どうして?」

「今日会う約束していただろう? 会えないなら会いに行けばいいと思ったんだ」

「移ってしまいます」

 自分で言って、気がつく。

(早く殿下と距離をおかなきゃ)

 流行病は王子だから罹患しない、とはならない。咳き込みながら扉を指す。

「お帰り……くださいませ。移したくありません」

 頭がまたぼんやりとしてくる。薬が切れて、熱が上がってきているのだ。

「──かからないよ」
「──かかりますよ」

 少しの間両者ともに相手をじっと見つめた。

「分かった。こうしよう。レーナが薬を飲んで寝たら帰るよ」

 リチャードはさらりと嘘をついた。帰るつもりなど毛頭ない。

(帰ってと言う割には、ひとりにしないでって寝言を呟いてた。それ聞いたら無理だ)

 エレーナの本音がどちらなのかを見抜いていたのだ。
 今も熱で瞳が潤み、ぎゅぅぅっとリチャードの手を掴んで離さないのは、寂しさから来る甘えなのだろう。

 リチャードはサイドテーブルに置いてあった小瓶を手に取った。
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