149 / 150
番外編
大切だから(2)
しおりを挟む
「どうして笑うの……! 真面目に話しているのよ」
「ええ、分かってるわ。分かっているのだけど、なんというか……殿下はますます過保護になっているのね」
瞳に浮かんだ涙を拭きながらエリナは言う。
「そうみたいだわ。もうね、一人でいる時間が無いに等しいのよ。だから私もたまにはリー様が執務している間に一人で庭園を歩きたいって伝えたのよ」
「それで?」
「──却下されたわ。前、私がこっそり一人で散歩して倒れたからって」
その日は吐き気が収まらず、気分転換に外の空気を吸おうと誰にも告げずに自室を抜け出したのだ。そもそも部屋の眼下にある場所が中庭なので、私室からは目と鼻の先。誰かに行き先を告げなくとも平気だろうと思ってしまったのだ。
結果は最悪。中庭で貧血と寝不足による立ちくらみで倒れたところを発見され、リチャードにはもちろん叱られ、ミュリエルにも心配をかけてしまった。
これは完全にエレーナが悪く、自分の考えが甘かったと猛反省しているのだが……。
(護衛をつけてもダメって言われるんだもの)
エレーナの行動範囲はリチャードの目の届く範囲までに縮小していた。目の届く範囲とは比喩ではなく、言葉通りだ。つまり、本当に、リチャードの視界から片時も外れることを許されないのである。
その話をエリナにすると、彼女はまた笑い出す。
「じゃあ、殿下と一緒に外に出ればいいんじゃない?」
「今、彼は忙しいの……」
きっとお願いすれば快く付き合ってくれるだろう。だが、執務の邪魔をしたくないのだ。ただでさえ自分が体調不良で執務を行えず、その分が彼に回っている。
申し訳なく思い、エレーナも印を押すくらいはしようと書類に手を伸ばせば、没収されてしまう。
──よく食べて、よく寝て、安静にする。
主にリリアン、メイリーン、リチャード。たまに泣きそうなギルベルトから口を酸っぱくして言われる。
ギルベルトの場合はエレーナの心配よりも、主であるリチャードがエレーナの体調によって執務を放棄するのを防ぎたいからだろう。
つわりがいちばん酷かった時期なんて、エレーナが起きている時間は常に隣にいて、眠っている間に書類を捌き、外出しなければならない公務は全て予定を変更させていた。おかげで彼の側近であるギルベルトが埋め合わせのために死ぬ物狂いで働いていた。
「殿下ならそんなこと気にしないと私は思うわ。むしろ作業効率が上がると思う」
「そうなのかしら。元々の執務量が私の比ではないから……」
下手したらエレーナの通常の量の三倍くらいをこなしている。うだうだと言い訳を口にするエレーナに、エリナは呆れた眼差しを向ける。
「ねえレーナ、話を聞いている限り、殿下の行動はちょっと重たすぎるきらいもあるけれど、殿下が頑ななのはきちんと理由があってのこと。貴女の体を心配して強く言ってるのよ。最近はそうでもないけれど、私から見ても痩せすぎだったし、いつ倒れてもおかしくないと不安だったから殿下の心情もよく分かるわ。だから今回は貴女が譲歩するべきだと思うわ」
エリナに諭され、しゅんとしてしまう。
「そうよね。頭ごなしに否定されてついカッとなってしまったの。私が悪いわね」
「……あの、私から一言よろしいですか?」
ここまで二人の話を聞き役に回っていたリリアンがおそるおそる手を挙げる。
「殿下は今回の件で大切に思うあまり、エレーナ様の気持ちを尊重せず、押しつけてしまったことを反省されています。今日私がここに寄越されたのも、エレーナ様がご満足されるまで公爵邸に滞在を許可するという言伝と、身の回りの世話をしてあげてほしいと。後ほどメイリーンも参ります。それと……」
そこまで話して、リリアンは少し言いづらそうに目を伏せる。
「それで?」
「殿下はエレーナ様が王宮に戻るかどうかはエレーナ様の意思にお任せするとのことです」
その言葉に、エレーナは思わず息を飲んだ。
リチャードがそんなことを言うなんて。最近の彼を考えれば、すぐに迎えを寄越して無理やりでも連れ戻そうとするはずだし、彼にはそれが出来るのに。
「……そうなると私は帰らないわよ? まだ許していないもの」
頬を膨らませながらも、彼の変化が嬉しくないわけではない。ただ、ここで安易に許して戻るのも癪だった。
そんなエレーナの気持ちを察したのか、エリナが小さく笑う。
「正式な許可がでたのなら、しばらくは実家でのんびりするといいわ。せっかく公爵邸に戻ってきたんですもの、久しぶりに家族に甘えてもいいんじゃない?」
「……そうね」
エレーナは少しだけ考え込むように視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「リリアン、リー様に伝えてちょうだい。私はもう少しここで過ごすつもりだって。でも、私に何か弁明したいことがあるのなら、聞く用意はあるから公爵邸にお越しくださいって」
「かしこまりました」
リリアンは深く頭を下げた。
(……リー様はどんな顔をするのかしら。話したいことがあるならこっちに来てと上から目線で呼びつけるのはやりすぎかもしれないわ……。ただ私も言い過ぎてしまったけど、やっぱりリー様も悪いと思うの。これくらい許されるわよね?)
──と、ちょっぴり罪悪感を抱えながら久しぶりに家族との団欒を楽しむことにしたのだった。
「ええ、分かってるわ。分かっているのだけど、なんというか……殿下はますます過保護になっているのね」
瞳に浮かんだ涙を拭きながらエリナは言う。
「そうみたいだわ。もうね、一人でいる時間が無いに等しいのよ。だから私もたまにはリー様が執務している間に一人で庭園を歩きたいって伝えたのよ」
「それで?」
「──却下されたわ。前、私がこっそり一人で散歩して倒れたからって」
その日は吐き気が収まらず、気分転換に外の空気を吸おうと誰にも告げずに自室を抜け出したのだ。そもそも部屋の眼下にある場所が中庭なので、私室からは目と鼻の先。誰かに行き先を告げなくとも平気だろうと思ってしまったのだ。
結果は最悪。中庭で貧血と寝不足による立ちくらみで倒れたところを発見され、リチャードにはもちろん叱られ、ミュリエルにも心配をかけてしまった。
これは完全にエレーナが悪く、自分の考えが甘かったと猛反省しているのだが……。
(護衛をつけてもダメって言われるんだもの)
エレーナの行動範囲はリチャードの目の届く範囲までに縮小していた。目の届く範囲とは比喩ではなく、言葉通りだ。つまり、本当に、リチャードの視界から片時も外れることを許されないのである。
その話をエリナにすると、彼女はまた笑い出す。
「じゃあ、殿下と一緒に外に出ればいいんじゃない?」
「今、彼は忙しいの……」
きっとお願いすれば快く付き合ってくれるだろう。だが、執務の邪魔をしたくないのだ。ただでさえ自分が体調不良で執務を行えず、その分が彼に回っている。
申し訳なく思い、エレーナも印を押すくらいはしようと書類に手を伸ばせば、没収されてしまう。
──よく食べて、よく寝て、安静にする。
主にリリアン、メイリーン、リチャード。たまに泣きそうなギルベルトから口を酸っぱくして言われる。
ギルベルトの場合はエレーナの心配よりも、主であるリチャードがエレーナの体調によって執務を放棄するのを防ぎたいからだろう。
つわりがいちばん酷かった時期なんて、エレーナが起きている時間は常に隣にいて、眠っている間に書類を捌き、外出しなければならない公務は全て予定を変更させていた。おかげで彼の側近であるギルベルトが埋め合わせのために死ぬ物狂いで働いていた。
「殿下ならそんなこと気にしないと私は思うわ。むしろ作業効率が上がると思う」
「そうなのかしら。元々の執務量が私の比ではないから……」
下手したらエレーナの通常の量の三倍くらいをこなしている。うだうだと言い訳を口にするエレーナに、エリナは呆れた眼差しを向ける。
「ねえレーナ、話を聞いている限り、殿下の行動はちょっと重たすぎるきらいもあるけれど、殿下が頑ななのはきちんと理由があってのこと。貴女の体を心配して強く言ってるのよ。最近はそうでもないけれど、私から見ても痩せすぎだったし、いつ倒れてもおかしくないと不安だったから殿下の心情もよく分かるわ。だから今回は貴女が譲歩するべきだと思うわ」
エリナに諭され、しゅんとしてしまう。
「そうよね。頭ごなしに否定されてついカッとなってしまったの。私が悪いわね」
「……あの、私から一言よろしいですか?」
ここまで二人の話を聞き役に回っていたリリアンがおそるおそる手を挙げる。
「殿下は今回の件で大切に思うあまり、エレーナ様の気持ちを尊重せず、押しつけてしまったことを反省されています。今日私がここに寄越されたのも、エレーナ様がご満足されるまで公爵邸に滞在を許可するという言伝と、身の回りの世話をしてあげてほしいと。後ほどメイリーンも参ります。それと……」
そこまで話して、リリアンは少し言いづらそうに目を伏せる。
「それで?」
「殿下はエレーナ様が王宮に戻るかどうかはエレーナ様の意思にお任せするとのことです」
その言葉に、エレーナは思わず息を飲んだ。
リチャードがそんなことを言うなんて。最近の彼を考えれば、すぐに迎えを寄越して無理やりでも連れ戻そうとするはずだし、彼にはそれが出来るのに。
「……そうなると私は帰らないわよ? まだ許していないもの」
頬を膨らませながらも、彼の変化が嬉しくないわけではない。ただ、ここで安易に許して戻るのも癪だった。
そんなエレーナの気持ちを察したのか、エリナが小さく笑う。
「正式な許可がでたのなら、しばらくは実家でのんびりするといいわ。せっかく公爵邸に戻ってきたんですもの、久しぶりに家族に甘えてもいいんじゃない?」
「……そうね」
エレーナは少しだけ考え込むように視線を落とし、ゆっくりと頷いた。
「リリアン、リー様に伝えてちょうだい。私はもう少しここで過ごすつもりだって。でも、私に何か弁明したいことがあるのなら、聞く用意はあるから公爵邸にお越しくださいって」
「かしこまりました」
リリアンは深く頭を下げた。
(……リー様はどんな顔をするのかしら。話したいことがあるならこっちに来てと上から目線で呼びつけるのはやりすぎかもしれないわ……。ただ私も言い過ぎてしまったけど、やっぱりリー様も悪いと思うの。これくらい許されるわよね?)
──と、ちょっぴり罪悪感を抱えながら久しぶりに家族との団欒を楽しむことにしたのだった。
335
あなたにおすすめの小説
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
私のことはお気になさらず
みおな
恋愛
侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。
そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。
私のことはお気になさらず。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
真実の愛のお相手様と仲睦まじくお過ごしください
LIN
恋愛
「私には真実に愛する人がいる。私から愛されるなんて事は期待しないでほしい」冷たい声で男は言った。
伯爵家の嫡男ジェラルドと同格の伯爵家の長女マーガレットが、互いの家の共同事業のために結ばれた婚約期間を経て、晴れて行われた結婚式の夜の出来事だった。
真実の愛が尊ばれる国で、マーガレットが周囲の人を巻き込んで起こす色んな出来事。
(他サイトで載せていたものです。今はここでしか載せていません。今まで読んでくれた方で、見つけてくれた方がいましたら…ありがとうございます…)
(1月14日完結です。設定変えてなかったらすみません…)
嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜
みおな
恋愛
伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。
そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。
その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。
そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。
ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。
堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・
【完結】愛したあなたは本当に愛する人と幸せになって下さい
高瀬船
恋愛
伯爵家のティアーリア・クランディアは公爵家嫡男、クライヴ・ディー・アウサンドラと婚約秒読みの段階であった。
だが、ティアーリアはある日クライヴと彼の従者二人が話している所に出くわし、聞いてしまう。
クライヴが本当に婚約したかったのはティアーリアの妹のラティリナであったと。
ショックを受けるティアーリアだったが、愛する彼の為自分は身を引く事を決意した。
【誤字脱字のご報告ありがとうございます!小っ恥ずかしい誤字のご報告ありがとうございます!個別にご返信出来ておらず申し訳ございません( •́ •̀ )】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる