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3章. ゆい

machi.34

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「翔、あのクマさん、握手してもらうか」

「うん」

今日は朝から晴天で、大きすぎるマフラーを巻いた翔は、珍しくはしゃいでいた。
遊園地が織りなす、不思議で心躍る世界を楽しんでいるようだった。

着ぐるみのクマさんから風船をもらって、満面に笑顔を浮かべている翔の手を、結城先生が引いている。

「ちょっと休憩かな。飲み物買ってくるから待ってて」

ベンチに荷物を置いて、売店に向かおうとする結城先生の手を

「かけるもいく」

翔が離さなかった。

朝の冷え込みは厳しかったけれど、その分昼間の日差しは良好で、なかなかの遊園地日和。
結城先生に抱っこや肩車をしてもらう翔は嬉しそうだ。

多分。

私に必要な幸せはここにある。

翔がペットボトルのゆず茶を持って戻ってきた。

「翔は意外なもん、好きなんだな」

翔のペットボトルを開けてから、先生が湯気の立つカフェオレを私にくれた。

「ありがとう」

あの日、悠馬がくれた『ハチミツゆず茶』を目ざとく見つけた翔が欲しがり、一緒に飲んだ。
あの甘さとほのかな酸っぱさにやられたらしい。

私はしばらく飲めそうにない。

大切すぎて、まだ目を向けるのが痛い。

「翔は、他に乗りたいものあるか?」

意外と器用にペットボトルを飲む翔に、結城先生が優しいまなざしを向ける。

「おおきいの」

翔が指さす先には、観覧車が見える。

「うん。じゃあ、お昼ご飯食べて、ショー見たら、最後は観覧車に乗ろうな」

「うん」

これでよかったんだと思う。
これが正解だったんだと思う。

カフェオレは、ほろ苦くて甘い。

結城先生が、私の頭に手を乗せて、静かに言葉を手渡す。

「…そばにいるから」

どうして。
先生は何でもわかっちゃうんだろう。

私の中はまだ溢れそうなくらい悠馬への気持ちでいっぱいなこと、
どうして全部わかってるみたいなの。

不覚にも泣いてしまいそうになり、

「今日は、太陽の匂い」

「え…?」

「先生は、…時々、タバコの匂いがする」

言いがかりを付けると、頭に手を乗せたまま、先生が固まった。

「ゆいのくせに、生意気」

そして私の髪をぐちゃぐちゃにかき回す。

文句を言いながら髪を直す私を見て、翔が笑う。

「…もう、吸わない」

笑い声が落ち着いた頃、結城先生が私をまっすぐに見つめた。

「ゆいと、翔のそばにいるから、もう吸わないよ」

「先生…」

それは、翔が小児喘息だから。
…責めるつもりじゃなかったのに。

私の眼に、困惑が映っていたのだろう、先生は優しく目を細めて、

「外でまで『先生』とか言われたくね―――っ」

おどけてみせる。

「リョウにぃ~~~」

翔が可愛らしく呼ぶと

「お―――っ」

先生が元気に返事をする。

「…稜、にい?」

それなりにまじめに考えた呼び方だったのに、

「ば~か」

一蹴された。

「…じゅあ、稜じぃ」

「……」
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