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3章.困惑マインド

05.

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「今すぐやりな。創くんと」

穏やかな秋の日差しが降り注ぐ健全な大学構内で、臨床栄養学の尊い講義を拝聴し終わったところ、セレナ様が真顔で宣った。

「告白にOKもらって、付き合うことになって、デートするんでしょ? 何も問題ないじゃん。極めて順調じゃん。ガツンと一発決めて来なよ」

そうだけど。そうなんだけど、…

「10数年間うじうじ片想いし続けて、何回告白しても、1ミリも振り向いてもらえなかったのにな。すごいなぁナナセ効果。これぞあげチン‼ 一度あやかってみたい、…」

「セレナ、…っっ」

セレナ様はご発言があけすけでいらっしゃるから周りに気を遣う。ほらあ、退出しようとしていた栄養学の美登里みどり先生が一瞬ピクってなったじゃん。

「何? だってそうでしょ? 創くん、他のオトコとやったって分かって急に惜しくなったってことでしょ? いいじゃん。万々歳じゃん。乳出して迫っても相手にしてもらえなかったのに、向こうからくるなんて願ったり叶ったりじゃん」

セレナは周りを気にする風もなく、一息にまくしたてた。

「…そう、かもしれないけど。でも。…創くんは、私のこと好きなわけじゃないと思う。自分のせいで私がやけになったと思って、責任感じてるだけだと思う」

あんなに焦がれていた創くんが振り向いてくれたのに、まるで浮かれた気分になれない。なんか現実味がないっていうか、遠い世界のことのようっていうか、…

「何言ってんの‼ それがどうしたよ⁉ あのねぇ、つぼみ! 忘れたんじゃないよね? 他に好きな人がいても報われなくても、それでもいいから創くんが好きなんじゃなかったの? 10数年間、創くんしか好きになれなかったんでしょ。創くんならなんだっていいんでしょ。『責任』上等‼ 最後まできっちり責任取って、やってもらいなっ‼」

大教室の講義机に突っ伏してうだうだしていたら、バッチン‼と背中に喝を入れられた。

愛のムチが厳しい。

ジンジンする背中をさすって、セレナを見上げる。

「そうなんだけどさ。…ななせが隣にいると思ったら、…寝れない」

つまるところ。
今の私はそれでいっぱいいいっぱい。
浮かれられないのも眠れないのも、全部。ななせのせい。
創くんと付き合うとかデートするとか、他のことは何も考えられない。

「…まあ、確かにひどい顔だわ」

セレナをもってしても同情されるくらい、今日の私はひどい。肌のハリ艶から、目の隈、むくみ、髪のキューティクルまで、何もかもがひどすぎて目も当てられない。

リビングで、キッチンで、廊下で、お風呂で。ななせの気配を感じるたびに心臓がつかまれたみたいに締め付けられて痛くて、息が出来なくて、…なのに。ななせの気配を感じられることが飛び上がるくらい嬉しくて恋しくて。ななせの一挙一動を全身全霊で追いかけてしまう。

昨日の夜は一睡もできなかった。

ななせが隣の部屋に居てくれることが嬉しい。
私が作ったご飯を食べてくれることが涙が出るほど嬉しい。

「…重症だね」

セレナが気の毒そうな目で私を見ると、アセロラのど飴を投げてよこした。
口に入れたら甘酸っぱさが喉に沁みて泣きそうになった。

ななせの朝ごはん、作ってきたけど、起こしてこなかった。こんな顔見せたくないし、ななせの部屋に入る勇気がないし、…いや。入りたいけど。入りたいけども。

「でも、ななせは全然普通なの、…」

私と創くんが手をつないでいようとキスしていようと、ななせは全然いつも通り。

「…そりゃあまあ。あんたとは経験値が違うからな」
「言わないでっ、それ考えると死にそうになる…」

ななせとあんな風に過ごした女の子は山ほどいる。

あの目で、あの指で、あの声で、あんな風に優しく優しく触れて。あんな風に隙間なく抱きしめて。あの唇で身体中全部、余すところなく辿って、包み込んで、恍惚に誘う。究極の快感に繋がって混ざり合って溶け合う。

頭を講義机に打ち付けた。

「おーい、大丈夫か⁉︎」

痛い。痛いよ、ななせ。

ななせと過ごした女の子はみんな、こんな思いをしてるのかな。こんな風にななせのこと、忘れられなくなっちゃうのかな、…
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