32 / 41
5章.さんかく片想い
04.
大粒の雨が髪に顔に降りかかる。髪から雫が滴り落ちて、上着がぐっしょり濡れて重い。靴の中にも水が入って歩くたびに音を立てるから、もう水溜まりも敢えて避けない。
「創くん、今日は帰るね」
「つぼみ。ちょっと待て、…」
創くんは止めてくれたけど、
「つーちゃん。ごめんね」
繊細で、今にも壊れてしまいそうな叶音ちゃんにとっては、私は居ない方がいいに決まってる。
切羽詰まった様子の叶音ちゃんはあまりにも儚くて、悲しいくらい創くんを必要としているし、創くんにとって叶音ちゃん以上に大切なものなんてない。
叶音ちゃんを創くんに任せてマンションを後にした。そこに一緒にいる権利も、勇気も、私にはなかった。
タクシーや電車を使うことも、傘を買ってさすことも出来たのに、敢えてずぶ濡れで歩いているのは、ちょっと頭を冷やしたかったから。こんな風にやけくそに雨に打たれるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
おあつらえ向きじゃないか。
私のために降る雨のようだ。
バチは当たるんだな。
私ごときが創くんに慰めてもらったり。
ななせの特別になりたい、なんて。
なんだかんだ、調子に乗ってた。
ななせも創くんも優しいから、勘違いしてた。
どんなに泣いても雨に埋もれる。
今なら。俯いて歩いていても雨に紛れる。
ただ。どうしようもなく泣きたい。
私。何一つ、上手く出来ない…
「ちょっとぉ―――っ⁉ 何これ、びしょびしょじゃないの⁉」
絞れるほどぐっしょり濡れて帰り、お風呂場に直行したら、寝室から母が出てきて水の滴り落ちた床を見て悲鳴を上げた。
「ごめんっ、拭いとく‼」
お風呂場から叫んだけれど、
「あんた、傘持ってなかったの? 創くんと一緒なんじゃなかったの⁉」
アホなことをしでかした娘の声は届かなかったらしく、母は喚きながら掃除をしてくれているようだった。
「…ごめんね」
みんなに迷惑かけてばかり。何一つ、まともに出来ない…
追い炊き中の冷めた湯船に顔まで沈む。泣き過ぎた肌に湯水が沁みた。
「…今日はごめんな。叶音、ちょっと夫婦げんかして不安定になったみたい」
夜更けに創くんから着信があった。
「もう、家に帰したから」
頭の後ろが重くて、こめかみが痛くて、布団の中に潜り込んだまま、どこか現実離れした創くんの声を聞いた。
「ううん。私もごめんね」
創くん。謝らなくていいんだよ。
謝ってもらう資格、ないんだよ。
どんなに湯船につかっても寒気は拭えなかった。もう何も考えたくなくて、頭から布団を被った。
「つぼみ? 大丈夫なの? もう。あんなに濡れて帰るから」
翌朝。
ちょっと調子が悪いから寝てる、と言うと、母が心配してバタバタと出入りしながらまくし立てていった。
「お母さん、今日夜勤だから帰れないけど、一人で大丈夫? 何かあったら連絡ちょうだいね?」
出勤前の慌ただしさが部屋にこだまして頭に響く。
「うん。ありがとう。大丈夫」
「ご飯、冷凍庫にあるから、起きられるならお粥作って、薬飲んでおきなさい。場所分かるわね。水分取って温かくして、病院に来られそうなら言って。タクシー呼ぶのよ」
「…うん」
一通り言うだけ言って母が出て行くと、部屋が静けさに包まれ、我慢できずにトイレに駆け込んで吐いた。動いたら、頭が割れそうに痛くなって、ひどい悪寒が込み上げてきた。吐くものがないのに吐き気が収まらない。目の前に黒い靄がかかって白い光が点滅する。生理的な涙をそのままに、しばらくトイレに籠って動けずにいた。
どのくらいたったのか、何とかベッドに這い戻ったものの、布団の中で身体を丸めて襲い掛かってくる苦痛に耐えながら、やばいかもしれない、と思った。
こんな風になるのはいつ以来だろう。ほとんど記憶にない。もしかしたら初めてかもしれない。冷たい雨に打たれるなんて慣れないことをするものじゃない。少しくらい調子が悪くても、温かくして水分を取って寝ておけば大抵どうにか治まるのに、頭痛と眩暈と身体の重さと吐き気が同時に襲ってきて尋常じゃない。
病院。行った方がいいかもしれない。
と思うものの、どうにも動く気力がない。
苦しい。苦しい。苦しい、…
「…創くんと帰ったんじゃねえのかよ」
ふいに。額に優しい手の温もりを感じた。
滑らかな手。焦がれた温度。大好きな声。
「バカだな、…」
唇を柔らかく塞がれて、清らかな水を注ぎこまれる。
飲み込むと、涙の味がした。
ずっと求めていたものに触れ、嘘みたいに身体が軽くなる。身体中に安堵が溢れ、細胞の隅々まで安らぎが浸透して、急激な眠りに落ちていった。
「創くん、今日は帰るね」
「つぼみ。ちょっと待て、…」
創くんは止めてくれたけど、
「つーちゃん。ごめんね」
繊細で、今にも壊れてしまいそうな叶音ちゃんにとっては、私は居ない方がいいに決まってる。
切羽詰まった様子の叶音ちゃんはあまりにも儚くて、悲しいくらい創くんを必要としているし、創くんにとって叶音ちゃん以上に大切なものなんてない。
叶音ちゃんを創くんに任せてマンションを後にした。そこに一緒にいる権利も、勇気も、私にはなかった。
タクシーや電車を使うことも、傘を買ってさすことも出来たのに、敢えてずぶ濡れで歩いているのは、ちょっと頭を冷やしたかったから。こんな風にやけくそに雨に打たれるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
おあつらえ向きじゃないか。
私のために降る雨のようだ。
バチは当たるんだな。
私ごときが創くんに慰めてもらったり。
ななせの特別になりたい、なんて。
なんだかんだ、調子に乗ってた。
ななせも創くんも優しいから、勘違いしてた。
どんなに泣いても雨に埋もれる。
今なら。俯いて歩いていても雨に紛れる。
ただ。どうしようもなく泣きたい。
私。何一つ、上手く出来ない…
「ちょっとぉ―――っ⁉ 何これ、びしょびしょじゃないの⁉」
絞れるほどぐっしょり濡れて帰り、お風呂場に直行したら、寝室から母が出てきて水の滴り落ちた床を見て悲鳴を上げた。
「ごめんっ、拭いとく‼」
お風呂場から叫んだけれど、
「あんた、傘持ってなかったの? 創くんと一緒なんじゃなかったの⁉」
アホなことをしでかした娘の声は届かなかったらしく、母は喚きながら掃除をしてくれているようだった。
「…ごめんね」
みんなに迷惑かけてばかり。何一つ、まともに出来ない…
追い炊き中の冷めた湯船に顔まで沈む。泣き過ぎた肌に湯水が沁みた。
「…今日はごめんな。叶音、ちょっと夫婦げんかして不安定になったみたい」
夜更けに創くんから着信があった。
「もう、家に帰したから」
頭の後ろが重くて、こめかみが痛くて、布団の中に潜り込んだまま、どこか現実離れした創くんの声を聞いた。
「ううん。私もごめんね」
創くん。謝らなくていいんだよ。
謝ってもらう資格、ないんだよ。
どんなに湯船につかっても寒気は拭えなかった。もう何も考えたくなくて、頭から布団を被った。
「つぼみ? 大丈夫なの? もう。あんなに濡れて帰るから」
翌朝。
ちょっと調子が悪いから寝てる、と言うと、母が心配してバタバタと出入りしながらまくし立てていった。
「お母さん、今日夜勤だから帰れないけど、一人で大丈夫? 何かあったら連絡ちょうだいね?」
出勤前の慌ただしさが部屋にこだまして頭に響く。
「うん。ありがとう。大丈夫」
「ご飯、冷凍庫にあるから、起きられるならお粥作って、薬飲んでおきなさい。場所分かるわね。水分取って温かくして、病院に来られそうなら言って。タクシー呼ぶのよ」
「…うん」
一通り言うだけ言って母が出て行くと、部屋が静けさに包まれ、我慢できずにトイレに駆け込んで吐いた。動いたら、頭が割れそうに痛くなって、ひどい悪寒が込み上げてきた。吐くものがないのに吐き気が収まらない。目の前に黒い靄がかかって白い光が点滅する。生理的な涙をそのままに、しばらくトイレに籠って動けずにいた。
どのくらいたったのか、何とかベッドに這い戻ったものの、布団の中で身体を丸めて襲い掛かってくる苦痛に耐えながら、やばいかもしれない、と思った。
こんな風になるのはいつ以来だろう。ほとんど記憶にない。もしかしたら初めてかもしれない。冷たい雨に打たれるなんて慣れないことをするものじゃない。少しくらい調子が悪くても、温かくして水分を取って寝ておけば大抵どうにか治まるのに、頭痛と眩暈と身体の重さと吐き気が同時に襲ってきて尋常じゃない。
病院。行った方がいいかもしれない。
と思うものの、どうにも動く気力がない。
苦しい。苦しい。苦しい、…
「…創くんと帰ったんじゃねえのかよ」
ふいに。額に優しい手の温もりを感じた。
滑らかな手。焦がれた温度。大好きな声。
「バカだな、…」
唇を柔らかく塞がれて、清らかな水を注ぎこまれる。
飲み込むと、涙の味がした。
ずっと求めていたものに触れ、嘘みたいに身体が軽くなる。身体中に安堵が溢れ、細胞の隅々まで安らぎが浸透して、急激な眠りに落ちていった。
あなたにおすすめの小説
絶交した幼馴染と大学の合コンで再会した。
孤独な蛇
恋愛
中学生の浅野春樹は上級生と喧嘩騒動を起こしたことがあった。
その上、目つきが悪く地毛は茶髪のため不良少年のような扱いを受けて学校では孤立していた。
そんな中、幼馴染の深瀬志穂だけは春樹のことをいつも気遣ってくれていた。
同じ高校に行こうと声を掛けてくれる志穂の言葉に応えたい一心で受験勉強にも力を入れていた。
春樹にとって、学校で孤立していることは問題ではなかった。
昔から志穂が近くにいてくれるから……。
しかし、3年生なってから志穂の態度がよそよそしくなってきた。
登下校も別々になり、学校で話しかけてくることも無くなった。
志穂の心が自分から離れていってしまっている気がした春樹は焦っていた。
彼女と話がしたい。笑った顔が見たい。
志穂と一緒に帰ろうと、彼女が部活動を行っている体育館へ向かったのだが……。
そこで春樹が耳にしたのは、自分の悪口を言って部活の友達と楽しそうにしている志穂の声だった。
その瞬間、春樹の中で志穂に対する想いや信頼は……消滅した。
半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?
とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。
高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。
明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!!
そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。
便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。
利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
【25th Anniversary CUP】にて、最終ランキング3位に入りました。投票してくださった皆様、読んでくださった皆様、ありがとうございました!
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
【完結】付き合ってもいないのに、幼なじみの佐藤がプロポーズしてきた
ぽぽよ
恋愛
「俺らさ、結婚しない?」
三十二歳、独身同士。
幼なじみの佐藤が、たこ焼きパーティの最中に突然言い出した。
付き合ってもないのに。
夢見てた甘いプロポーズじゃないけれど、佐藤となら居心地いいし、給料もあるし、嫁姑問題もないし、性格も知ってる。
断る理由が、ない。
こうして、交際0日で結婚することが決まった。
「とりあえず同棲すっか」
軽いノリで決まってゆく未来。
ゆるっとだらっと流れていく物語。
※本編は全7話。
※スパダリは一人もいません笑