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5章.さんかく片想い
04.
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大粒の雨が髪に顔に降りかかる。髪から雫が滴り落ちて、上着がぐっしょり濡れて重い。靴の中にも水が入って歩くたびに音を立てるから、もう水溜まりも敢えて避けない。
「創くん、今日は帰るね」
「つぼみ。ちょっと待て、…」
創くんは止めてくれたけど、
「つーちゃん。ごめんね」
繊細で、今にも壊れてしまいそうな叶音ちゃんにとっては、私は居ない方がいいに決まってる。
切羽詰まった様子の叶音ちゃんはあまりにも儚くて、悲しいくらい創くんを必要としているし、創くんにとって叶音ちゃん以上に大切なものなんてない。
叶音ちゃんを創くんに任せてマンションを後にした。そこに一緒にいる権利も、勇気も、私にはなかった。
タクシーや電車を使うことも、傘を買ってさすことも出来たのに、敢えてずぶ濡れで歩いているのは、ちょっと頭を冷やしたかったから。こんな風にやけくそに雨に打たれるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
おあつらえ向きじゃないか。
私のために降る雨のようだ。
バチは当たるんだな。
私ごときが創くんに慰めてもらったり。
ななせの特別になりたい、なんて。
なんだかんだ、調子に乗ってた。
ななせも創くんも優しいから、勘違いしてた。
どんなに泣いても雨に埋もれる。
今なら。俯いて歩いていても雨に紛れる。
ただ。どうしようもなく泣きたい。
私。何一つ、上手く出来ない…
「ちょっとぉ―――っ⁉ 何これ、びしょびしょじゃないの⁉」
絞れるほどぐっしょり濡れて帰り、お風呂場に直行したら、寝室から母が出てきて水の滴り落ちた床を見て悲鳴を上げた。
「ごめんっ、拭いとく‼」
お風呂場から叫んだけれど、
「あんた、傘持ってなかったの? 創くんと一緒なんじゃなかったの⁉」
アホなことをしでかした娘の声は届かなかったらしく、母は喚きながら掃除をしてくれているようだった。
「…ごめんね」
みんなに迷惑かけてばかり。何一つ、まともに出来ない…
追い炊き中の冷めた湯船に顔まで沈む。泣き過ぎた肌に湯水が沁みた。
「…今日はごめんな。叶音、ちょっと夫婦げんかして不安定になったみたい」
夜更けに創くんから着信があった。
「もう、家に帰したから」
頭の後ろが重くて、こめかみが痛くて、布団の中に潜り込んだまま、どこか現実離れした創くんの声を聞いた。
「ううん。私もごめんね」
創くん。謝らなくていいんだよ。
謝ってもらう資格、ないんだよ。
どんなに湯船につかっても寒気は拭えなかった。もう何も考えたくなくて、頭から布団を被った。
「つぼみ? 大丈夫なの? もう。あんなに濡れて帰るから」
翌朝。
ちょっと調子が悪いから寝てる、と言うと、母が心配してバタバタと出入りしながらまくし立てていった。
「お母さん、今日夜勤だから帰れないけど、一人で大丈夫? 何かあったら連絡ちょうだいね?」
出勤前の慌ただしさが部屋にこだまして頭に響く。
「うん。ありがとう。大丈夫」
「ご飯、冷凍庫にあるから、起きられるならお粥作って、薬飲んでおきなさい。場所分かるわね。水分取って温かくして、病院に来られそうなら言って。タクシー呼ぶのよ」
「…うん」
一通り言うだけ言って母が出て行くと、部屋が静けさに包まれ、我慢できずにトイレに駆け込んで吐いた。動いたら、頭が割れそうに痛くなって、ひどい悪寒が込み上げてきた。吐くものがないのに吐き気が収まらない。目の前に黒い靄がかかって白い光が点滅する。生理的な涙をそのままに、しばらくトイレに籠って動けずにいた。
どのくらいたったのか、何とかベッドに這い戻ったものの、布団の中で身体を丸めて襲い掛かってくる苦痛に耐えながら、やばいかもしれない、と思った。
こんな風になるのはいつ以来だろう。ほとんど記憶にない。もしかしたら初めてかもしれない。冷たい雨に打たれるなんて慣れないことをするものじゃない。少しくらい調子が悪くても、温かくして水分を取って寝ておけば大抵どうにか治まるのに、頭痛と眩暈と身体の重さと吐き気が同時に襲ってきて尋常じゃない。
病院。行った方がいいかもしれない。
と思うものの、どうにも動く気力がない。
苦しい。苦しい。苦しい、…
「…創くんと帰ったんじゃねえのかよ」
ふいに。額に優しい手の温もりを感じた。
滑らかな手。焦がれた温度。大好きな声。
「バカだな、…」
唇を柔らかく塞がれて、清らかな水を注ぎこまれる。
飲み込むと、涙の味がした。
ずっと求めていたものに触れ、嘘みたいに身体が軽くなる。身体中に安堵が溢れ、細胞の隅々まで安らぎが浸透して、急激な眠りに落ちていった。
「創くん、今日は帰るね」
「つぼみ。ちょっと待て、…」
創くんは止めてくれたけど、
「つーちゃん。ごめんね」
繊細で、今にも壊れてしまいそうな叶音ちゃんにとっては、私は居ない方がいいに決まってる。
切羽詰まった様子の叶音ちゃんはあまりにも儚くて、悲しいくらい創くんを必要としているし、創くんにとって叶音ちゃん以上に大切なものなんてない。
叶音ちゃんを創くんに任せてマンションを後にした。そこに一緒にいる権利も、勇気も、私にはなかった。
タクシーや電車を使うことも、傘を買ってさすことも出来たのに、敢えてずぶ濡れで歩いているのは、ちょっと頭を冷やしたかったから。こんな風にやけくそに雨に打たれるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
おあつらえ向きじゃないか。
私のために降る雨のようだ。
バチは当たるんだな。
私ごときが創くんに慰めてもらったり。
ななせの特別になりたい、なんて。
なんだかんだ、調子に乗ってた。
ななせも創くんも優しいから、勘違いしてた。
どんなに泣いても雨に埋もれる。
今なら。俯いて歩いていても雨に紛れる。
ただ。どうしようもなく泣きたい。
私。何一つ、上手く出来ない…
「ちょっとぉ―――っ⁉ 何これ、びしょびしょじゃないの⁉」
絞れるほどぐっしょり濡れて帰り、お風呂場に直行したら、寝室から母が出てきて水の滴り落ちた床を見て悲鳴を上げた。
「ごめんっ、拭いとく‼」
お風呂場から叫んだけれど、
「あんた、傘持ってなかったの? 創くんと一緒なんじゃなかったの⁉」
アホなことをしでかした娘の声は届かなかったらしく、母は喚きながら掃除をしてくれているようだった。
「…ごめんね」
みんなに迷惑かけてばかり。何一つ、まともに出来ない…
追い炊き中の冷めた湯船に顔まで沈む。泣き過ぎた肌に湯水が沁みた。
「…今日はごめんな。叶音、ちょっと夫婦げんかして不安定になったみたい」
夜更けに創くんから着信があった。
「もう、家に帰したから」
頭の後ろが重くて、こめかみが痛くて、布団の中に潜り込んだまま、どこか現実離れした創くんの声を聞いた。
「ううん。私もごめんね」
創くん。謝らなくていいんだよ。
謝ってもらう資格、ないんだよ。
どんなに湯船につかっても寒気は拭えなかった。もう何も考えたくなくて、頭から布団を被った。
「つぼみ? 大丈夫なの? もう。あんなに濡れて帰るから」
翌朝。
ちょっと調子が悪いから寝てる、と言うと、母が心配してバタバタと出入りしながらまくし立てていった。
「お母さん、今日夜勤だから帰れないけど、一人で大丈夫? 何かあったら連絡ちょうだいね?」
出勤前の慌ただしさが部屋にこだまして頭に響く。
「うん。ありがとう。大丈夫」
「ご飯、冷凍庫にあるから、起きられるならお粥作って、薬飲んでおきなさい。場所分かるわね。水分取って温かくして、病院に来られそうなら言って。タクシー呼ぶのよ」
「…うん」
一通り言うだけ言って母が出て行くと、部屋が静けさに包まれ、我慢できずにトイレに駆け込んで吐いた。動いたら、頭が割れそうに痛くなって、ひどい悪寒が込み上げてきた。吐くものがないのに吐き気が収まらない。目の前に黒い靄がかかって白い光が点滅する。生理的な涙をそのままに、しばらくトイレに籠って動けずにいた。
どのくらいたったのか、何とかベッドに這い戻ったものの、布団の中で身体を丸めて襲い掛かってくる苦痛に耐えながら、やばいかもしれない、と思った。
こんな風になるのはいつ以来だろう。ほとんど記憶にない。もしかしたら初めてかもしれない。冷たい雨に打たれるなんて慣れないことをするものじゃない。少しくらい調子が悪くても、温かくして水分を取って寝ておけば大抵どうにか治まるのに、頭痛と眩暈と身体の重さと吐き気が同時に襲ってきて尋常じゃない。
病院。行った方がいいかもしれない。
と思うものの、どうにも動く気力がない。
苦しい。苦しい。苦しい、…
「…創くんと帰ったんじゃねえのかよ」
ふいに。額に優しい手の温もりを感じた。
滑らかな手。焦がれた温度。大好きな声。
「バカだな、…」
唇を柔らかく塞がれて、清らかな水を注ぎこまれる。
飲み込むと、涙の味がした。
ずっと求めていたものに触れ、嘘みたいに身体が軽くなる。身体中に安堵が溢れ、細胞の隅々まで安らぎが浸透して、急激な眠りに落ちていった。
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