山猿の皇妃

夏菜しの

文字の大きさ
37 / 47

35:ライヘンベルガー式

しおりを挟む
 内乱の終わった後から、帝城にあった一つの風習が消えた。
 私流の言い方をするのならば、『山猿の宴』であろうか?
 要するにヘクトールと将軍たちの晩餐が無くなったと言う事だ。

 唐突な話で、『今後は皇妃レティーツィアの祖国ライヘンベルガー王国の風習を取り入れる事にする』と当のヘクトールが言い始めた。
 ライヘンベルガー王国の風習と言えば、家族で揃ってご飯を食べるという奴だ。そんな訳で、私は帝城の食堂でヘクトールと二人きりで食事を取る事になったらしい。

「おはようございます」
「おはようレティーツィア」
 挨拶を交わしてからは食事を取る音だけが聞こえる静かな食卓。
 正直に言えば息が詰まる。
 しかし私から逃げてやるつもりは無いので、毎食しっかりと食後のお茶まで飲んでから席を立っている。

 今日も食器が下がるとテーアがお茶を淹れてくれた。
 うん美味しい。
 城に来てからは、自腹から解放されているのでお茶の葉をケチる必要は無し、テーアもここに住み始めて随分と経つから、城にいる本物の侍女からお茶の淹れ方や化粧の仕方、それにドレスの着せ方にその修繕方法などと色々と指導を受けている。
 最近では侍女見習いくらいの腕前にはなっているんじゃないかしら?
 お茶を飲み終えて、「美味しかったわ」と言って席を立ち自室に引き上げる。
 ここまでが毎朝の変わらぬ流れだ。

「レティーツィア少し良いか?」
 私はその声に眉を顰める。
 いつもの変わらぬ流れに、本日は何か余計な濁流が混じったらしい。
 しかし振り返るときには笑みを浮かべて、
「どうかなさいましたか?」と返した。

「今日は街に出てみないか?」
「街の視察でしょうか?」
「いやそうではない。ただ俺が貴女と一緒に居たいだけだ」
「あら私と街を歩けば、皇帝陛下が貧相な子供を連れていると言う良からぬ噂が流れますわ。本当によろしいのですか?」
「いいや違うな。皇帝と皇妃が仲良く歩いていた言う微笑ましい噂が流れるはずだ」
 どうだかと、逡巡したのは一瞬のこと。
「分かりました準備いたします」
「ああ頼む」
 話が終わったようでヘクトールは食堂を出て行った。



 私の護衛侍女はロザムンデに、双子のヴィルギニアとシャルロッテが加わって三人になった。お茶は屋敷の頃からの名残りでテーアが淹れているから、彼女たちの仕事は私の身嗜みと護衛。
 ちなみに城に住み始めてから生活費はすっかり戻っているのだが、またいつなんどき何が起きるか分からないので、私はドレスや貴金属を買う様な浪費はしていない。
 少しは買い足してくださいと、ロザムンデを筆頭に愚痴を言われるが知った事か。
 コツコツ貯金あるのみだ!

 と言う訳で身嗜みの仕事は無く彼女たち三人は護衛が主な仕事になっている。そしてその護衛も、屋敷なら兎も角、今は城に住んでいるし、おまけに内乱が終わり敵も居なくなったのですっかり暇だ。
 そんな訳で彼女たちは側仕えと別室待機と非番の交代制勤務になった。でも別室待機もほぼ出番が無いから非番二人と言ってもいいかしら?


 食堂でも一緒に聞いていただろうが改めて言うのも大切だ。部屋に戻るや、
「ヘクトール様から誘われたわ。準備をお願い」
 すると今日の当番・・・・・のヴィルギニアが口を真一文字にして難色を示した。
 あ~あ。今日の担当がシャルロッテだったら良かったのに。
 煩い順にロザムンデ、ヴィルギニア、シャルロッテなので今日は真ん中だ。
「皇妃様。そろそろドレスを新調して頂きたいのですが?」
「またその話なの?
 別に困っていないのだから無くても構わないでしょう」
 身長が伸びていた頃は勿体ないで済んだ話だったのだが、私の身長はどうやらここが限界らしく変わらなくなった。
 それ以来この手の話題は何度も上がっている。
 せめて胸だけでも成長すれば、まだ勿体ないと言えるのに……残念ながら胸の成長も止まったらしい。

「現にいま困っています」
「あら私は困っていないわよ」
「皇妃様がドレスの一つも持っていないのかと嗤われますよ」
「本当の事だから仕方がないわね。好きに笑わせておきましょう」
「他国から賓客が来たらどうなさるのですか!?」
「それは困るわね」
「でしょう、ですからドレスくらいは」
「その時にはエルミーラにお願いして、また熱の出るお薬を買うわね」
「皇妃様~?」
「はいはい時間が無いのよさっさと準備して頂戴」
「分かりました。ですが三日に二度も非番と言うのは心苦しいのです。是非ともご考慮をお願いいたします」
 うっ最後の奴が一番堪えたかも……

 最近購入した、と言うかさせられたドレスの衣装を着て、私は城の玄関に向かった。
 玄関に降りるとヘクトールは既に待っていた。
「お待たせしましたか?」
「ほんの五分だな」
 普通の男ならばそうでもないと言う所をこの人は馬鹿正直に答えてくる。後ろに控える真面目なヴィルギニアは難色を示すが、私は彼のこういう素直な所は嫌いではない。
 何も考えていない可能性は、まぁこの際はいいでしょう。


 馬車が通ると城の跳ね橋はガラガラと音を立てて再び上がって行った。あれさえ無ければもっと気軽に街に出られると言うのに、忌々しい跳ね橋め!
 とか思って睨んでいたら、
「後ろを気にしてどうした?」
「いえ別になんでもございませんわ。それで今日はどちらに?」
「世の男性と言うのは女性にドレスや装飾品を贈るそうだ。
 俺もそれに習って見ようかと思ってな」
 私の前に座るヴィルギニアの眼がクリリンと輝いた。きっと彼女の中でヘクトールの評価が数段階上がったのではないだろうか?
「それはどうもありがとうございます」
「あまり嬉しそうではないな」
「いいえ嬉しい・・・ですよ。ですが私はもう手放しに喜ぶような年齢でもございません」
 と言うのはもちろん社交辞令だ。
 ドレスなど送って貰っても国庫の無駄にしか思えない。同時にたかがドレスの一着を節約しても意味が無い事も知っている。
 だから嬉しくもないし、反対もしないのだ

 しばしの間、まるで着せ替え人形の様な気分を味わって、空と同じ色のドレスを買って貰った。
 折角買って貰ったのだ。
 たまには彼の為に着てあげるくらいの事はしてみようかしら?


 それから数日後、商人のエルミーラが訪ねて来た。
 身を削って食事を買ったりする必要はもう無いから、彼女から買うのは情報が多い。
「今日は微笑ましくも面白い噂と悪いニュースを持って参りました」
「まさか噂に代金を取るなんて言わないわよね」
「ええ勿論です」
 噂はたわいもない話だろうから後回しにして、先に悪いニュースの方を聞いた。

「先日の事ですが、修道院から若い女性が一人消えています」
「どこぞの貴族にでも無理やり連れて行かれたのね」
 まことに残念な話だが、若く見てくれが良い女性だと、貴族や商人が身請けと称して本人の意思を無視して勝手に連れ帰ることがしばしばある。
 その様に連れて行かれても末路は知れているから、嫌がる娘が多い。
「確かにその可能性も無いとは言えませんが、わたしは別の見解を持っています」
「どういう事?」
「消えた女性は、名をリブッサと言います」
「えっ……」
「リブッサならば連れ去られる容姿には間違いないでしょうが、わたしにはそうは思えませんでした」
「確かにそうね。この話はヘクトール様とラースはご存知かしら?」
「リブッサには監視が付いていたはずですから、恐らくは……」
「なら良いわ」
 確かに悪いニュースに違いなかったと溜め息を吐いた。

 私のため息の後、エルミーラの口調はすっかりと変わり、
「街では皇帝陛下と皇妃様が仲良くお買い物をしていたと言う噂で持ちきりですよ」
「何を言っているのか分からないわ」
 あの日、私の顔にはほとんど笑みが浮かんでいなかったと言うのに、庶民の眼は節穴なのかしらね?
「祖国と違う街並みに緊張する皇妃様に、皇帝陛下が大層お優しく接しておられたそうですね。
 美男美女の二人の子供はさぞかし美形であろうと……」
「ちょっとエルミーラ!?
 どうせ言うなら最後まで笑わずに言いなさいな」
 この男装商人、祖国から戻って距離が縮まって以来遠慮が無くなり、先ほどなど「く、くくくっ」と耐え切れずに笑い始める始末だ。
「失礼しました。
 いやぁわたしもお二人の仲睦まじい姿を見たかったですねぇ」
「お断りよ!」
 ここに来てからそろそろ二年か……
 きっと二年前ならば、『仏頂面の子供の相手をさせられて皇帝陛下がおいたわしい』とでも流れたことだろう。
 二年前に比べて私の評価がとても上がったのだなと実感できたけどね?
 しかしこの噂は赤面ものだわ!
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

お嬢様のために暴君に媚びを売ったら愛されました!

近藤アリス
恋愛
暴君と名高い第二王子ジェレマイアに、愛しのお嬢様が嫁ぐことに! どうにかしてお嬢様から興味を逸らすために、媚びを売ったら愛されて執着されちゃって…? 幼い頃、子爵家に拾われた主人公ビオラがお嬢様のためにジェレマイアに媚びを売り 後継者争い、聖女など色々な問題に巻き込まれていきますが 他人の健康状態と治療法が分かる特殊能力を持って、お嬢様のために頑張るお話です。 ※ざまぁはほんのり。安心のハッピーエンド設定です! ※「カクヨム」にも掲載しています ※完結しました!ありがとうございます!

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

離婚から玉の輿婚~クズ男は熨斗を付けて差し上げます

青の雀
恋愛
婚約破棄から玉の輿の離婚版 縁あって結婚したはずの男女が、どちらかの一方的な原因で別れることになる 離婚してからの相手がどんどん落ちぶれて行く「ざまあ」話を中心に書いていきたいと思っています 血液型 石女 半身不随 マザコン 略奪婚 開業医 幼馴染

【完結】ロザリンダ嬢の憂鬱~手紙も来ない 婚約者 vs シスコン 熾烈な争い

buchi
恋愛
後ろ盾となる両親の死後、婚約者が冷たい……ロザリンダは婚約者の王太子殿下フィリップの変容に悩んでいた。手紙もプレゼントも来ない上、夜会に出れば、他の令嬢たちに取り囲まれている。弟からはもう、婚約など止めてはどうかと助言され…… 視点が話ごとに変わります。タイトルに誰の視点なのか入っています(入ってない場合もある)。話ごとの文字数が違うのは、場面が変わるから(言い訳)

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

身代りの花嫁と軍服のこじれた初恋

絵麻
恋愛
 藐野清華は幼くして両親を失くした。厳しい叔母夫婦は甘えを許してくれず、清華は離れで一人で過ごした。  叔母夫婦の一人娘・愛華に代わり、園遊会に出席したことから清華の運命が変わる。  園遊会であった長谷川鏡弥が、清華を見初めたのだ。  従姉を所望する長谷川家に対して、姪の清華を寄越す鳳夫妻。バレたらただでは済まないと怯えながら、清華は鏡弥が暮らす邸に向かう。  鏡弥は初めから清華を希望しており、清華は安堵する。

えっ私人間だったんです?

ハートリオ
恋愛
生まれた時から王女アルデアの【魔力】として生き、16年。 魔力持ちとして帝国から呼ばれたアルデアと共に帝国を訪れ、気が進まないまま歓迎パーティーへ付いて行く【魔力】。 頭からスッポリと灰色ベールを被っている【魔力】は皇太子ファルコに疑惑の目を向けられて…

やっかいな幼なじみは御免です!

ゆきな
恋愛
有名な3人組がいた。 アリス・マイヤーズ子爵令嬢に、マーティ・エドウィン男爵令息、それからシェイマス・パウエル伯爵令息である。 整った顔立ちに、豊かな金髪の彼らは幼なじみ。 いつも皆の注目の的だった。 ネリー・ディアス伯爵令嬢ももちろん、遠巻きに彼らを見ていた側だったのだが、ある日突然マーティとの婚約が決まってしまう。 それからアリスとシェイマスの婚約も。 家の為の政略結婚だと割り切って、適度に仲良くなればいい、と思っていたネリーだったが…… 「ねえねえ、マーティ!聞いてるー?」 マーティといると必ず割り込んでくるアリスのせいで、積もり積もっていくイライラ。 「そんなにイチャイチャしたいなら、あなた達が婚約すれば良かったじゃない!」 なんて、口には出さないけど……はあ……。

処理中です...