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第三章:騎士学校・高等部
第54話 戦の気配
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谷を抜け、部族の集落に戻る途中、ふと足を止めて目を閉じた。
意識を内に向け、呼吸を深く整える。そしてゆっくりと瞼を開けると、視界のなかに淡く揺らめく燐光が浮かび上がった。
〈導き石〉――リーランド少尉が残した、魔力を帯びた小さ鉱石が、獣道の端にそっと置かれているのが見えた。
それは一見、ただの小石と変わらない。けれど、方法さえ知っていれば――その光は確かにそこにあった。まるで夜の海に浮かぶ灯台のように、確かな方向を示してくれる。
淡い光が足元から僕らを導いてくれている。あとは、道を踏み外さぬよう、ただ進むだけだった。
夜までには無事に集落に帰り着くことができた。
翌朝。灰色の霧が谷を這うように流れるなか、僕はナルと向かい合って立っていた。
彼女の額には、いつもと変わらぬ第三の眼の模様がある。けれど、その目はどこか寂しげで、すぐに視線を逸らしたくなるほどの儚さを湛えていた。
「また……会える?」
彼女はそう言って、まっすぐ僕の目を見つめる。
「またすぐに合えるけれど、今度は戦争とは関係なく、友人に会うために戻ってくるつもりだよ。約束する」
彼女の手を取って力強く握りしめたあと、そっと放した。
そこに、リーランド少尉が姿をあらわす。すでに荷をまとめていて、彼の顔にはいつもの冷淡な無表情が浮かんでいた。
「行くぞ。情報の価値は、早さで決まる」
簡潔な指示に僕はうなずきで答えて、それから小さく手を振ってナルと別れた。
帰路は、ふたりだけだった。兵士たちを集落に残したのは、万が一の敵襲に備えるためでもあったが、単純にその方が足が速いという理由もあった。
険しい山岳地帯を、僕らは獣のように駆けた。斜面を滑るように下り、石を蹴って飛び越え、導き石の燐光を頼りに、一歩も迷わず谷を抜けていく。
日の影が西に傾き始めたころ、砦の見張り櫓がようやく視界に入った。空には朱の縁が滲み、夜の帳がじわじわと降りかけていた。
砦の門が軋む音を聞きながら中に駆け込むと、すでに伝令が手早く動いていたのだろう。僕らが到着するなり、上級士官たちが待機している部屋へと案内された。
部屋は〈灯火〉の明かりだけで満たされ、重たい空気が漂っていた。
長机の向こうには、帝国の参謀らしき男たちが三名、無言で座っている。その中央に、微かにリーランド少尉が進み出ると、僕もそれに続いて姿勢を正した。
「敵の陣形と物資の配置、偵察した地点と時刻……すべて、記録しております」
彼は簡素に必要な情報だけを伝える。
僕はその傍らで、見たものを補足する形で口にしていく。天幕の数、火の位置、背後の地形、警備の手薄さ。そして、部族の提供した山道がどれほどの価値を持つか――
一通りの報告を終えると、部屋の奥に控えていた軍師のひとりが、重く唸ったように口を開いた。
「……充分だ。これだけあれば、作戦の骨格を仕上げられる。あとは天候と、兵士たちの士気しだいか」
それから少しの間、誰も口を開かない沈黙が流れた。けれどその沈黙のなかに、ハッキリと〝戦のにおい〟が感じられた。
作戦は、動き出す。外で吹き荒ぶ風の音すら鋭く感じられるほどの緊張のなかで、僕たちは明日を待つことになる――
作戦当日、砦の空は鈍く曇っていた。夜明け前の冷気が石造りの壁に染み込み、兵士たちの吐く息は白い。
砦の広場には、すでに数百の兵が整列していた。鎧を着込んだ者、弓を背にした者、荷車の準備をする者――各々が覚悟を胸に、無言のまま上官の指示を待っていた。
僕もその列の端に立ち、固く結ばれた荷縄を確認する。
軍が部族に提供する物資が積まれた木箱だ。干し肉、乾パン、水袋、簡易の医薬品に、冬用の毛布。いずれもこの地域では手に入りにくいものばかりだ。
これで、ミスティ族との約束は守られる……
そして砦の門がゆっくりと開かれ、先頭を行く兵士たちが地を蹴って出発した。
荷車を引く馬の蹄が、まだ霜の残る地面を打つ音が響き、列がじわじわと動き出す。僕たちも、そのあとに続くように歩き出した。
谷を抜け、導き石の光をたどりながら、再び山道へと入っていく。前回と違うのは、今回は兵の列が続いていることだ。
万が一、敵の斥候に見つかれば、すぐにでも戦いになるだろう。その張り詰めた空気のなか、僕らは慎重に移動する。
そして数時間後――
山間部にひっそりと広がる、ミスティ族の集落が見えてきた。粗末な柵の向こうには、いくつかの小屋が点在し、焚き火の煙がゆらゆらと昇っている。
子どもたちが警戒するように隠れ、大人たちは静かに武器を手に取った。すぐにナルが彼らの前に歩み出て、何事かを告げると、緊張の空気が少し和らぐ。
僕らは集落の外に陣を敷き、物資の荷下ろしを始めた。
帝国軍の兵士たちは規律正しく動き、木箱を慎重に並べていく。その様子を見ていた部族の女たちが、躊躇いがちに近づいてきて、手を差し出す。
言葉は交わさなくとも、静かな信頼の証だった。僕はその場から少し離れ、小高い岩の上に立った。
そこからは、集落の中心に立つ大きな天幕が見えた。その前に、帝国軍の上級士官たちが並び、部族の族長に深く頭を下げているのが見えた。
族長は飾りのない杖を握り、まっすぐに士官の目を見つめている。言葉ではなく、魂の重さを量るかのように。
……信頼を築くのは簡単なことじゃない。
それでも物資が運び込まれ、約束が果たされたことで、彼らの表情にはわずかながらも柔らかさが見え始めていた。
誰もが互いを完全に信用しているわけではない。けれど同じ空の下、同じ目的をもって動いているという事実だけは確かだった。
その瞬間、ふと風が吹き抜けた。山の匂い、焚き火の煙、乾いた木の皮の香り。そして――遠くに漂う戦の気配。いよいよ〈商業連邦〉との本格的な戦いが始まる。
意識を内に向け、呼吸を深く整える。そしてゆっくりと瞼を開けると、視界のなかに淡く揺らめく燐光が浮かび上がった。
〈導き石〉――リーランド少尉が残した、魔力を帯びた小さ鉱石が、獣道の端にそっと置かれているのが見えた。
それは一見、ただの小石と変わらない。けれど、方法さえ知っていれば――その光は確かにそこにあった。まるで夜の海に浮かぶ灯台のように、確かな方向を示してくれる。
淡い光が足元から僕らを導いてくれている。あとは、道を踏み外さぬよう、ただ進むだけだった。
夜までには無事に集落に帰り着くことができた。
翌朝。灰色の霧が谷を這うように流れるなか、僕はナルと向かい合って立っていた。
彼女の額には、いつもと変わらぬ第三の眼の模様がある。けれど、その目はどこか寂しげで、すぐに視線を逸らしたくなるほどの儚さを湛えていた。
「また……会える?」
彼女はそう言って、まっすぐ僕の目を見つめる。
「またすぐに合えるけれど、今度は戦争とは関係なく、友人に会うために戻ってくるつもりだよ。約束する」
彼女の手を取って力強く握りしめたあと、そっと放した。
そこに、リーランド少尉が姿をあらわす。すでに荷をまとめていて、彼の顔にはいつもの冷淡な無表情が浮かんでいた。
「行くぞ。情報の価値は、早さで決まる」
簡潔な指示に僕はうなずきで答えて、それから小さく手を振ってナルと別れた。
帰路は、ふたりだけだった。兵士たちを集落に残したのは、万が一の敵襲に備えるためでもあったが、単純にその方が足が速いという理由もあった。
険しい山岳地帯を、僕らは獣のように駆けた。斜面を滑るように下り、石を蹴って飛び越え、導き石の燐光を頼りに、一歩も迷わず谷を抜けていく。
日の影が西に傾き始めたころ、砦の見張り櫓がようやく視界に入った。空には朱の縁が滲み、夜の帳がじわじわと降りかけていた。
砦の門が軋む音を聞きながら中に駆け込むと、すでに伝令が手早く動いていたのだろう。僕らが到着するなり、上級士官たちが待機している部屋へと案内された。
部屋は〈灯火〉の明かりだけで満たされ、重たい空気が漂っていた。
長机の向こうには、帝国の参謀らしき男たちが三名、無言で座っている。その中央に、微かにリーランド少尉が進み出ると、僕もそれに続いて姿勢を正した。
「敵の陣形と物資の配置、偵察した地点と時刻……すべて、記録しております」
彼は簡素に必要な情報だけを伝える。
僕はその傍らで、見たものを補足する形で口にしていく。天幕の数、火の位置、背後の地形、警備の手薄さ。そして、部族の提供した山道がどれほどの価値を持つか――
一通りの報告を終えると、部屋の奥に控えていた軍師のひとりが、重く唸ったように口を開いた。
「……充分だ。これだけあれば、作戦の骨格を仕上げられる。あとは天候と、兵士たちの士気しだいか」
それから少しの間、誰も口を開かない沈黙が流れた。けれどその沈黙のなかに、ハッキリと〝戦のにおい〟が感じられた。
作戦は、動き出す。外で吹き荒ぶ風の音すら鋭く感じられるほどの緊張のなかで、僕たちは明日を待つことになる――
作戦当日、砦の空は鈍く曇っていた。夜明け前の冷気が石造りの壁に染み込み、兵士たちの吐く息は白い。
砦の広場には、すでに数百の兵が整列していた。鎧を着込んだ者、弓を背にした者、荷車の準備をする者――各々が覚悟を胸に、無言のまま上官の指示を待っていた。
僕もその列の端に立ち、固く結ばれた荷縄を確認する。
軍が部族に提供する物資が積まれた木箱だ。干し肉、乾パン、水袋、簡易の医薬品に、冬用の毛布。いずれもこの地域では手に入りにくいものばかりだ。
これで、ミスティ族との約束は守られる……
そして砦の門がゆっくりと開かれ、先頭を行く兵士たちが地を蹴って出発した。
荷車を引く馬の蹄が、まだ霜の残る地面を打つ音が響き、列がじわじわと動き出す。僕たちも、そのあとに続くように歩き出した。
谷を抜け、導き石の光をたどりながら、再び山道へと入っていく。前回と違うのは、今回は兵の列が続いていることだ。
万が一、敵の斥候に見つかれば、すぐにでも戦いになるだろう。その張り詰めた空気のなか、僕らは慎重に移動する。
そして数時間後――
山間部にひっそりと広がる、ミスティ族の集落が見えてきた。粗末な柵の向こうには、いくつかの小屋が点在し、焚き火の煙がゆらゆらと昇っている。
子どもたちが警戒するように隠れ、大人たちは静かに武器を手に取った。すぐにナルが彼らの前に歩み出て、何事かを告げると、緊張の空気が少し和らぐ。
僕らは集落の外に陣を敷き、物資の荷下ろしを始めた。
帝国軍の兵士たちは規律正しく動き、木箱を慎重に並べていく。その様子を見ていた部族の女たちが、躊躇いがちに近づいてきて、手を差し出す。
言葉は交わさなくとも、静かな信頼の証だった。僕はその場から少し離れ、小高い岩の上に立った。
そこからは、集落の中心に立つ大きな天幕が見えた。その前に、帝国軍の上級士官たちが並び、部族の族長に深く頭を下げているのが見えた。
族長は飾りのない杖を握り、まっすぐに士官の目を見つめている。言葉ではなく、魂の重さを量るかのように。
……信頼を築くのは簡単なことじゃない。
それでも物資が運び込まれ、約束が果たされたことで、彼らの表情にはわずかながらも柔らかさが見え始めていた。
誰もが互いを完全に信用しているわけではない。けれど同じ空の下、同じ目的をもって動いているという事実だけは確かだった。
その瞬間、ふと風が吹き抜けた。山の匂い、焚き火の煙、乾いた木の皮の香り。そして――遠くに漂う戦の気配。いよいよ〈商業連邦〉との本格的な戦いが始まる。
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