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29.猿どもの聖域を突っ切る
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二人はようやく丘を越えた。
タブノキやビロウ、樅や杉が混然と群生した原生林に足を踏み入れた。
そこからはくだり坂となっていた。
蒸し暑く、墓場のように静かで、いたるところからまとわりつくような視線を感じた。不吉な聖域であった。
杉の大木の高い位置にある枝には、いくつもの猿らしき影がうずくまっていた。
そこにはひ弱な動物特有の、敵を値踏みするような警戒や、いまにも威嚇してきそうな張りつめた空気はない。そもそも顔なじみである平泉がいるのだ。むしろ、交野が何者であるかを俯瞰から見定めようとしているような、冷めたものを感じた。たとえるならば、空港の金属探知機のゲートをくぐるまえの心境にさせられた。
猿の群れを見まわした。
『狒々もどき』は混じっていない。あの人猿たちは見くだされ、群れのなかに加わる資格がないほど虐げられているのだろう。
とすれば、彼らはふだん、どこに潜伏しているのか?
交野は先ほど聞かされた衝撃の話と、蒸し器に閉じこめられたみたいな暑さのせいで頭がクラクラしていた。
二人が林を海岸に向けてくだるにつれ、猿たちも成り行きが気になるのか、枝から枝へ飛び移り、あとを追ってきた。
声を殺し、音もたてず、杉の葉も落とさず、地の利に長けた者たちの冷ややかな尾行に、交野は身ぶるいした。
「あんたは顔見知りだから、この先を行くのはゆるされるとして、おれはしょせん外部の人間だ。ほんとに襲われる心配はないよな?」
平泉は応じず、うしろをふり返り、
「気をつけろよ。落ち葉の積み重なった坂はすべりやすい。おまえが尻餅ついたら、おれまで巻きぞえ食っちまう」と、言った。このあたりはイバラのついた藪も途切れ、歩くのもはかどった。「猿だって選り好みしないともかぎらないがな。おまえと同様、納骨堂までついてくる物好きはいる。幸いにしておれが同伴してるかぎり、過去に襲われた例はない。いまの猿どもは賢いさ。食うべき相手か否か、分別がある」
「分別ね。……だといいが」
林をくだりきると、急に視界が開けた。
大きな岩が突き出た岩礁が広がり、波しぶきが砕けていた。
このあたりはコンクリートの波止場周辺とはちがって浅瀬で、エメラルドグリーンの宝石みたいな水面を透かして、色とりどりの珊瑚礁が見えた。
波打ち際で数えきれないほどのカツオドリが羽を休ませていた。が、二人がテリトリーを冒したせいでいっせいに舞いあがり、時ならぬ侵犯者をなじるかのようにけたたましく鳴いた。
沖の向こうで天空のシンバルが打ち鳴らされた。
やがて小雨が下界を叩きはじめた。
平泉はかるい足取りで、飛び石みたいに海面から突き出た岩場を渡り歩いた。あとを追う交野は何度も靴を濡らすはめになった。
そのうち平泉は島のへりを左に曲がっていった。曲がった先は奇岩が林立する入り江となっており、その内陸部には屏風のごとき岩壁がそびえ、下にはほら穴が黒い口を開けていた。
平泉はあごをしゃくった。
「ほれ、あれが例の納骨堂でもあり、こないだおまえたちが言ってた――」
「まさか、猿神伝説に出てくる洞窟のことか」
「島の古老たちはそう信じて疑わねえがな」
「奥は広いのか?」
「いや、伝説みたいに大空洞なんてものはない。あれは神聖な地に近づかせないため、でっちあげたんだろう。なにせ、ここは遺体の片割れが眠る場所だ。むやみにほじくり返されては困るからな。どこかの大学教授のように……。おっと、いいけねえ。口がすべっちまった」
交野は唇を吊あげた。
「なるほど。こないだ、あんたが言ってたワイロで取材を申し込んだ先生のことか。はるばるここまでついてきたわけだな」
「忘れろ。忘れるんだ。いまのはなかったことにしてくれ」
と、平泉は言い、舌を出した。
「その人は結局、島の秘密に迫れたのか? だとしたら、猿葬に関する論文でも発表したんだろうか。そんなセンセーショナルな研究報告なら、たちまち世間から槍玉にあげられるだろ」
「ところが水際でとどまった」
「なら、どうやってねじ伏せた?」
「……そんなことより、雨が強くなってきた。納骨袋を濡らすべきじゃないな。とにかく先を急ぐぞ」
平泉は雨に打たれながら言い、入り江を目指した。
交野もそれに従った。
タブノキやビロウ、樅や杉が混然と群生した原生林に足を踏み入れた。
そこからはくだり坂となっていた。
蒸し暑く、墓場のように静かで、いたるところからまとわりつくような視線を感じた。不吉な聖域であった。
杉の大木の高い位置にある枝には、いくつもの猿らしき影がうずくまっていた。
そこにはひ弱な動物特有の、敵を値踏みするような警戒や、いまにも威嚇してきそうな張りつめた空気はない。そもそも顔なじみである平泉がいるのだ。むしろ、交野が何者であるかを俯瞰から見定めようとしているような、冷めたものを感じた。たとえるならば、空港の金属探知機のゲートをくぐるまえの心境にさせられた。
猿の群れを見まわした。
『狒々もどき』は混じっていない。あの人猿たちは見くだされ、群れのなかに加わる資格がないほど虐げられているのだろう。
とすれば、彼らはふだん、どこに潜伏しているのか?
交野は先ほど聞かされた衝撃の話と、蒸し器に閉じこめられたみたいな暑さのせいで頭がクラクラしていた。
二人が林を海岸に向けてくだるにつれ、猿たちも成り行きが気になるのか、枝から枝へ飛び移り、あとを追ってきた。
声を殺し、音もたてず、杉の葉も落とさず、地の利に長けた者たちの冷ややかな尾行に、交野は身ぶるいした。
「あんたは顔見知りだから、この先を行くのはゆるされるとして、おれはしょせん外部の人間だ。ほんとに襲われる心配はないよな?」
平泉は応じず、うしろをふり返り、
「気をつけろよ。落ち葉の積み重なった坂はすべりやすい。おまえが尻餅ついたら、おれまで巻きぞえ食っちまう」と、言った。このあたりはイバラのついた藪も途切れ、歩くのもはかどった。「猿だって選り好みしないともかぎらないがな。おまえと同様、納骨堂までついてくる物好きはいる。幸いにしておれが同伴してるかぎり、過去に襲われた例はない。いまの猿どもは賢いさ。食うべき相手か否か、分別がある」
「分別ね。……だといいが」
林をくだりきると、急に視界が開けた。
大きな岩が突き出た岩礁が広がり、波しぶきが砕けていた。
このあたりはコンクリートの波止場周辺とはちがって浅瀬で、エメラルドグリーンの宝石みたいな水面を透かして、色とりどりの珊瑚礁が見えた。
波打ち際で数えきれないほどのカツオドリが羽を休ませていた。が、二人がテリトリーを冒したせいでいっせいに舞いあがり、時ならぬ侵犯者をなじるかのようにけたたましく鳴いた。
沖の向こうで天空のシンバルが打ち鳴らされた。
やがて小雨が下界を叩きはじめた。
平泉はかるい足取りで、飛び石みたいに海面から突き出た岩場を渡り歩いた。あとを追う交野は何度も靴を濡らすはめになった。
そのうち平泉は島のへりを左に曲がっていった。曲がった先は奇岩が林立する入り江となっており、その内陸部には屏風のごとき岩壁がそびえ、下にはほら穴が黒い口を開けていた。
平泉はあごをしゃくった。
「ほれ、あれが例の納骨堂でもあり、こないだおまえたちが言ってた――」
「まさか、猿神伝説に出てくる洞窟のことか」
「島の古老たちはそう信じて疑わねえがな」
「奥は広いのか?」
「いや、伝説みたいに大空洞なんてものはない。あれは神聖な地に近づかせないため、でっちあげたんだろう。なにせ、ここは遺体の片割れが眠る場所だ。むやみにほじくり返されては困るからな。どこかの大学教授のように……。おっと、いいけねえ。口がすべっちまった」
交野は唇を吊あげた。
「なるほど。こないだ、あんたが言ってたワイロで取材を申し込んだ先生のことか。はるばるここまでついてきたわけだな」
「忘れろ。忘れるんだ。いまのはなかったことにしてくれ」
と、平泉は言い、舌を出した。
「その人は結局、島の秘密に迫れたのか? だとしたら、猿葬に関する論文でも発表したんだろうか。そんなセンセーショナルな研究報告なら、たちまち世間から槍玉にあげられるだろ」
「ところが水際でとどまった」
「なら、どうやってねじ伏せた?」
「……そんなことより、雨が強くなってきた。納骨袋を濡らすべきじゃないな。とにかく先を急ぐぞ」
平泉は雨に打たれながら言い、入り江を目指した。
交野もそれに従った。
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