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5.5番レジのジンクス
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「おかしなもので、機械が苦手な人がおっかなびっくり操作すると、ふしぎと調子が悪くなることがあるんだ。それも、ふだんお目にかからないエラーが発生したり、マシントラブルにつながったりする。大のパソコン嫌いの人がキーボードに触れてしばらくすると、モニターから黒い煙が立ちのぼったってなあ、漫画みたいな事例まで聞いたことがあるさ。まんざらありえない話でもないと思うがね」
夢の内容を話すと、盛田は慰めてくれた。
「やけにリアルだったんで、起きあがったときは全身、汗でグッショリでした」
「あんたは内心、機械に対して苦手意識が強すぎるから、そんな悪い夢を見るんだよ。しかしまあ、寝てても仕事してるなんて、苦労が絶えないね。……そこまで心配しなさんな。レジスターは噛みつきゃしない。もっと自信をもって仕事しな。だったら、こう念じてやればいいさ。『おまえなんざ、単なる箱のついた計算機じゃねえか。ちょっとばかし、でかい図体になっただけの。人間さまに盾突こうってんのなら、頭から水、ぶっかけてやるぞ。そしたら文字どおり、お払い箱だ』って強気に出りゃ、あんがい機械って、言うこと聞くもんだよ」
「ですよね。『もし、ここで故障してしまったらどうしょう』って、マイナス思考になったとき、えてしてこんなトラブルが起こりがちのような気がします。そう言っていただいて、なんだか肩の力が抜けました。盛田さんのおかげです」
「いんや、気にすんな。あんたの力になれてなによりだ」と、盛田は谷原の肩をやさしく叩いた。ふと野菜売り場の方に眼を向け、「……おっと、いけね。あっちに尾井川の旦那がいやがる。立ち話ばかりしてたら、あんたがとばっちり食っちゃいけない。そろそろ退散するよ。なんだったら、夕方ごろ手伝いにくるけど」
「月曜日だから、昨日ほどのお客さまは来ないと思うんで、なんとかしのげると思います。どうかお気遣いなく」
「あそう。だったら僕は今日、早出だったんで、そろそろあがらせてもらいますから」と、盛田は手をあげたあと、背を向けてヒョコヒョコ左脚を引きずりながら歩き出した。しばらく行ってからふり向き、「……まずい。逆だった」と、舌を出したあと、あらためて右脚を引きずって去っていった。
そういえば、彼は谷原とはウマが合ったが、ほかのレジ打ちのメンバーとはほとんど言葉を交わさなかった。サッカーとして手伝ってくれるのは5番レジのみだ。
道上など、眼すら合わせようともしないのは解せなかった。
時計は3時15分を指した。
谷原は休憩をとることにした。ひとり、搬入口に通じる通路を歩いていた。
ロッカールームのまえに着くなり、ハタと足をとめた。
小部屋のなかから、「谷原さんが……」と名指しした会話が聞こえてきたような気がしたからだ。
足を忍ばせて扉に近づき、耳をそばだてた。
「あの子、たまに尾井川の奴に呼び出し食らうじゃない。相当まいってるせいだと思うんだけど」
言ったのは道上の声だった。
三時きっかりに休憩した組であり、本来なら10分で切りあげなければならないのに、話に夢中になっているのか気づいていないようだ。
谷原は思い切って乱入して、休憩の交替です、とでも告げようかと思ったが、ドアノブに手をかけたところで、
「4番レジで仕事してると、ときどき聞こえちゃうのよ。あの子、例の人と話し込んでるの。暇なときにかぎって、くっちゃべってばかりいて、うっとうしいったらありゃしない。あの人、やたらと肩入れしてるのよ。私のレジには近寄りもしないくせに」
「それはそうと、昨日も事務所でこってりしぼられたみたいね。栗田主任が言ってた。でも、あたしはこう邪推するのよ」
と、小声で言ったのは佐伯だ。
よく聞き取れないので、扉を少し開けた。
すき間からのぞき見た。
2人ともパイプ椅子に座って脚を組み、盛大にタバコを吹かしていた。アイシャドーは濃いうえ、派手な色のグロスを唇に塗りたくり、場末のホステスと見まがうばかりだ。
「どう思うわけ?」
「あんがい尾井川軍曹とデキてたりしてね。アイツってSだから、ああいう言いなりにできそうな子を性奴隷にしてたりして」
「ぷ!」と、道上が吹き出した。「定時をすぎたら、首輪つけて調教してるわけ?」
「軍曹も50まわるっていうのに、てんで女っ気がないのはおかしいって。アイツ、仕事はクソ真面目だけど、酒が入ったとたん、人格崩壊するので知られてるんだから」
「さすが佐伯さん。『いぬい』歴17年の見立てはすごい」
「過去に何人か、パート従業員に手を出してるからね。なかには人の奥さんと不倫しちゃって、エライ目にあってるの。いちばん有名なのは、平成23年の『8・26、台風12号土下座事件』。大雨暴風警報が発令されたうえ、停電になって店がてんやわんやしてるときに、相手の旦那がゴルフクラブ手にしてのり込んできてね。完全におかんむりよ。あのときの軍曹のうろたえぶりったらなかったわ。お尻、こんなふうにプリッと突き出して平謝りしたんだから」
道上が口もとを隠しながら笑い、
「まあ、店長があの子とデキていようがいまいが、どうだっていいんだけど。――むしろ、私としてはあの人とくっちゃべりながら仕事してるのが気になって仕方がないの。パトロンにでもする気じゃないの?」
「おっさんは無害だって。もともと変わってる人だし。谷原さんがおかしいのはね、ズバリ、5番レジをまかされてるからよ。――そ。いわくつきの5番レジを担当してるせい」
「きた――5番レジのジンクスの件?」
道上が声を落とした。
谷原もその話は初耳だ。
思わず身をのり出した。
5番レジのジンクス?
佐伯が工場の煙突みたいにタバコの煙を吐いた。唇をまるめ、器用に煙で輪っかを放ち、
「そ。5番レジの呪いだと、あたしはにらんでる」
呪い――?
「またまた、私をおどかそうとして。まさか、呪いなんて」
「ところが『いぬい』の七不思議のひとつなのよ。5番レジとあのレーン全体は、寒くなる季節、ちょうどいまごろの時間になると、向かいの建物の日影がかかって、妙にどよーんと陰気臭くなるでしょ。あの子が『いぬい』に来るまえ、ちょっとのあいだ5番レジをやったことあるからわかるの。あそこにはなにかある。ただでさえ、太い柱が死角になってるせいで、客も並びたがらない。それにレジスターやスキャナーの不具合が5つのレジのうち、いちばん起こりやすいのはまえにも話したとおりでしょ。せっかく新調しても、3年ともたず壊れちゃう。どう考えたっておかしいって」
「ふだんはなんの変哲もない直線道路なのに、やたらと事故が多発する道とか、テナントで、どんな商売をやっても、ぜんぶ潰れちゃう店ってあるわね。あんな感じ?」
谷原には思い当たるふしがあった。
悪夢で見たように、スキャナーが急に読みこまなくなるのは序の口で、レジスターの表示画面にバグが発生したり、タッチパネルやテンキーが入力不能になるのはよくあることだった。ドロアーが開かなくなって難儀することもあった。
繁盛期ほど起こりやすく、客足がとだえると、調子が元に戻った。この半年のあいだだけで、十指で数えきれないほど起きていた。
「じつはここだけの話」佐伯は相手の方に身をのり出し、声をひそめた。「5番レジを担当した人は、ことごとく辞めちゃってるわけ。あの子のまえが千葉さん。そのまえが荒川さん。そのまたまえが堀口さん……。みんな辞めてる。3年ともった試しがない。いままで10人できかないほどの人間がダメになってしまったらしい。大抵はほかのレジ打ちの人間と気が合わず、自滅する形と言った方が正しいかも」
「たまたまでしょ、退職の連鎖なんて。それとも先輩方がイジワルするもんで、イヤになるんじゃないの?」
「あたし、知ってる。知ってるんだ」佐伯は鼻息を荒くした。「そもそもの発端は、20年まえに5番レジをつとめたある人物が、自宅で首を吊って死んで以来なのだそう。それから『いぬい』の歯車が狂ってしまったってわけ。きっと亡くなってもなお、職場に来てるのかも。ましてや彼が死んだあとは、別の従業員が5番レジを陣取ってるわけじゃない? それで悪さしてやれって思うのかもしれない……」と、佐伯は言い、ヒュードロドロドロ……と口真似で効果音を入れ、両手をダラリとさげて道上にせまった。これでライトを下から当てれば申し分ない。
「ちょっと……よしなさいよ、佐伯さん」と、道上は悲鳴をあげて、我が身を抱いてのけ反らせた。「そのある人物って、いったいどなた?」
佐伯は両手をおろして、ひざを叩いた。思いつめた表情をして、
「それが盛田さんて人よ。元トラック運転手。名人級のサッカーの腕をもってたんだけど、末期ガンが見つかってから、急にこの世を儚んだっていうケースよ」
今度は谷原が悲鳴をあげる番だった。
通路じゅう響きわたり、ロッカールームの2人は飛びあがる思いをした。
谷原は頭を抱え、壁にぶつかりながらもと来た道を走っていった。
夢の内容を話すと、盛田は慰めてくれた。
「やけにリアルだったんで、起きあがったときは全身、汗でグッショリでした」
「あんたは内心、機械に対して苦手意識が強すぎるから、そんな悪い夢を見るんだよ。しかしまあ、寝てても仕事してるなんて、苦労が絶えないね。……そこまで心配しなさんな。レジスターは噛みつきゃしない。もっと自信をもって仕事しな。だったら、こう念じてやればいいさ。『おまえなんざ、単なる箱のついた計算機じゃねえか。ちょっとばかし、でかい図体になっただけの。人間さまに盾突こうってんのなら、頭から水、ぶっかけてやるぞ。そしたら文字どおり、お払い箱だ』って強気に出りゃ、あんがい機械って、言うこと聞くもんだよ」
「ですよね。『もし、ここで故障してしまったらどうしょう』って、マイナス思考になったとき、えてしてこんなトラブルが起こりがちのような気がします。そう言っていただいて、なんだか肩の力が抜けました。盛田さんのおかげです」
「いんや、気にすんな。あんたの力になれてなによりだ」と、盛田は谷原の肩をやさしく叩いた。ふと野菜売り場の方に眼を向け、「……おっと、いけね。あっちに尾井川の旦那がいやがる。立ち話ばかりしてたら、あんたがとばっちり食っちゃいけない。そろそろ退散するよ。なんだったら、夕方ごろ手伝いにくるけど」
「月曜日だから、昨日ほどのお客さまは来ないと思うんで、なんとかしのげると思います。どうかお気遣いなく」
「あそう。だったら僕は今日、早出だったんで、そろそろあがらせてもらいますから」と、盛田は手をあげたあと、背を向けてヒョコヒョコ左脚を引きずりながら歩き出した。しばらく行ってからふり向き、「……まずい。逆だった」と、舌を出したあと、あらためて右脚を引きずって去っていった。
そういえば、彼は谷原とはウマが合ったが、ほかのレジ打ちのメンバーとはほとんど言葉を交わさなかった。サッカーとして手伝ってくれるのは5番レジのみだ。
道上など、眼すら合わせようともしないのは解せなかった。
時計は3時15分を指した。
谷原は休憩をとることにした。ひとり、搬入口に通じる通路を歩いていた。
ロッカールームのまえに着くなり、ハタと足をとめた。
小部屋のなかから、「谷原さんが……」と名指しした会話が聞こえてきたような気がしたからだ。
足を忍ばせて扉に近づき、耳をそばだてた。
「あの子、たまに尾井川の奴に呼び出し食らうじゃない。相当まいってるせいだと思うんだけど」
言ったのは道上の声だった。
三時きっかりに休憩した組であり、本来なら10分で切りあげなければならないのに、話に夢中になっているのか気づいていないようだ。
谷原は思い切って乱入して、休憩の交替です、とでも告げようかと思ったが、ドアノブに手をかけたところで、
「4番レジで仕事してると、ときどき聞こえちゃうのよ。あの子、例の人と話し込んでるの。暇なときにかぎって、くっちゃべってばかりいて、うっとうしいったらありゃしない。あの人、やたらと肩入れしてるのよ。私のレジには近寄りもしないくせに」
「それはそうと、昨日も事務所でこってりしぼられたみたいね。栗田主任が言ってた。でも、あたしはこう邪推するのよ」
と、小声で言ったのは佐伯だ。
よく聞き取れないので、扉を少し開けた。
すき間からのぞき見た。
2人ともパイプ椅子に座って脚を組み、盛大にタバコを吹かしていた。アイシャドーは濃いうえ、派手な色のグロスを唇に塗りたくり、場末のホステスと見まがうばかりだ。
「どう思うわけ?」
「あんがい尾井川軍曹とデキてたりしてね。アイツってSだから、ああいう言いなりにできそうな子を性奴隷にしてたりして」
「ぷ!」と、道上が吹き出した。「定時をすぎたら、首輪つけて調教してるわけ?」
「軍曹も50まわるっていうのに、てんで女っ気がないのはおかしいって。アイツ、仕事はクソ真面目だけど、酒が入ったとたん、人格崩壊するので知られてるんだから」
「さすが佐伯さん。『いぬい』歴17年の見立てはすごい」
「過去に何人か、パート従業員に手を出してるからね。なかには人の奥さんと不倫しちゃって、エライ目にあってるの。いちばん有名なのは、平成23年の『8・26、台風12号土下座事件』。大雨暴風警報が発令されたうえ、停電になって店がてんやわんやしてるときに、相手の旦那がゴルフクラブ手にしてのり込んできてね。完全におかんむりよ。あのときの軍曹のうろたえぶりったらなかったわ。お尻、こんなふうにプリッと突き出して平謝りしたんだから」
道上が口もとを隠しながら笑い、
「まあ、店長があの子とデキていようがいまいが、どうだっていいんだけど。――むしろ、私としてはあの人とくっちゃべりながら仕事してるのが気になって仕方がないの。パトロンにでもする気じゃないの?」
「おっさんは無害だって。もともと変わってる人だし。谷原さんがおかしいのはね、ズバリ、5番レジをまかされてるからよ。――そ。いわくつきの5番レジを担当してるせい」
「きた――5番レジのジンクスの件?」
道上が声を落とした。
谷原もその話は初耳だ。
思わず身をのり出した。
5番レジのジンクス?
佐伯が工場の煙突みたいにタバコの煙を吐いた。唇をまるめ、器用に煙で輪っかを放ち、
「そ。5番レジの呪いだと、あたしはにらんでる」
呪い――?
「またまた、私をおどかそうとして。まさか、呪いなんて」
「ところが『いぬい』の七不思議のひとつなのよ。5番レジとあのレーン全体は、寒くなる季節、ちょうどいまごろの時間になると、向かいの建物の日影がかかって、妙にどよーんと陰気臭くなるでしょ。あの子が『いぬい』に来るまえ、ちょっとのあいだ5番レジをやったことあるからわかるの。あそこにはなにかある。ただでさえ、太い柱が死角になってるせいで、客も並びたがらない。それにレジスターやスキャナーの不具合が5つのレジのうち、いちばん起こりやすいのはまえにも話したとおりでしょ。せっかく新調しても、3年ともたず壊れちゃう。どう考えたっておかしいって」
「ふだんはなんの変哲もない直線道路なのに、やたらと事故が多発する道とか、テナントで、どんな商売をやっても、ぜんぶ潰れちゃう店ってあるわね。あんな感じ?」
谷原には思い当たるふしがあった。
悪夢で見たように、スキャナーが急に読みこまなくなるのは序の口で、レジスターの表示画面にバグが発生したり、タッチパネルやテンキーが入力不能になるのはよくあることだった。ドロアーが開かなくなって難儀することもあった。
繁盛期ほど起こりやすく、客足がとだえると、調子が元に戻った。この半年のあいだだけで、十指で数えきれないほど起きていた。
「じつはここだけの話」佐伯は相手の方に身をのり出し、声をひそめた。「5番レジを担当した人は、ことごとく辞めちゃってるわけ。あの子のまえが千葉さん。そのまえが荒川さん。そのまたまえが堀口さん……。みんな辞めてる。3年ともった試しがない。いままで10人できかないほどの人間がダメになってしまったらしい。大抵はほかのレジ打ちの人間と気が合わず、自滅する形と言った方が正しいかも」
「たまたまでしょ、退職の連鎖なんて。それとも先輩方がイジワルするもんで、イヤになるんじゃないの?」
「あたし、知ってる。知ってるんだ」佐伯は鼻息を荒くした。「そもそもの発端は、20年まえに5番レジをつとめたある人物が、自宅で首を吊って死んで以来なのだそう。それから『いぬい』の歯車が狂ってしまったってわけ。きっと亡くなってもなお、職場に来てるのかも。ましてや彼が死んだあとは、別の従業員が5番レジを陣取ってるわけじゃない? それで悪さしてやれって思うのかもしれない……」と、佐伯は言い、ヒュードロドロドロ……と口真似で効果音を入れ、両手をダラリとさげて道上にせまった。これでライトを下から当てれば申し分ない。
「ちょっと……よしなさいよ、佐伯さん」と、道上は悲鳴をあげて、我が身を抱いてのけ反らせた。「そのある人物って、いったいどなた?」
佐伯は両手をおろして、ひざを叩いた。思いつめた表情をして、
「それが盛田さんて人よ。元トラック運転手。名人級のサッカーの腕をもってたんだけど、末期ガンが見つかってから、急にこの世を儚んだっていうケースよ」
今度は谷原が悲鳴をあげる番だった。
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