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「殿下、緊急事態です」
穏やかな午後の執務室。
私がいつものように「却下」スタンプの素振りをしていた時、血相を変えた近衛騎士が飛び込んできた。
「どうした。また財務大臣が『予算が足りない』と泣きついてきたか?」
クライヴ殿下は書類から目を離さずに問う。
「いえ、違います! 王宮の中庭……薬草園にて、トラブル発生です!」
「薬草園?」
「先日の……例の『自称・親善使節団』の令嬢が侵入し、『聖女の儀式』と称して暴れ回っております!」
ピタリ。
私と殿下の手が同時に止まった。
私はゆっくりと顔を上げ、眼鏡のズレを直した。
「……殿下。損害賠償請求書のフォーマット、印刷しておきましょうか?」
「ああ。三部用意しろ。……行くぞ」
殿下は羽ペンをへし折らんばかりの勢いで立ち上がった。
◇
王宮の薬草園。
そこは、クリフォード王国が誇る、希少な魔法植物の宝庫だ。
専属の庭師たちが、湿度、温度、土壌のpH値をミリ単位で管理している、まさに「聖域」。
その聖域の中心で、あの甲高い声が響き渡っていた。
「えいっ♪ やあっ♪ これできれいになりますよぉ~!」
お花畑のような鼻歌と共に、ピンク色のドレスを着たリリナ嬢が、そこにいた。
彼女は手にスコップを持ち、一心不乱に地面を掘り返している。
周囲では、年老いた庭師長が「や、やめてくだされぇぇ!」と半狂乱で叫んでいた。
「何をしている」
殿下の低い声が、園内に響く。
リリナ嬢がパッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「あ、クライヴ様ぁ! 見てください! 私、お役に立ちたくて雑草抜きをしてあげてるんですぅ!」
彼女の足元には、無惨に引き抜かれた緑の山が築かれていた。
私はその「緑の山」に近づき、片手で葉を拾い上げた。
独特の紫色の斑点。根から漂う甘い香り。
「……ああ」
私は思わず天を仰いだ。
「リリナさん。貴女が今『雑草』と呼んで引き抜いたこれ、何だか分かりますか?」
「え? ただの草でしょぉ? なんか不気味な色してたから、悪い気が溜まってると思ってぇ、私が『聖女パワー』で浄化してあげたんです!」
「これは『月光草』です」
私は淡々と事実を告げた。
「満月の夜にしか花開かず、万病に効く秘薬の原料となる超希少植物です。栽培難易度はSランク。一本あたり金貨五十枚で取引されます」
「えっ……」
「ざっと見たところ、三十本は抜かれていますね。被害総額、金貨一千五百枚です」
「せ、一千……!?」
リリナ嬢が持っていたスコップを取り落とした。
「う、嘘よぉ! だって、こんなのただの草じゃん! 私、良かれと思って……!」
「無知は罪です。特に、善意に包まれた無知ほどタチが悪いものはありません」
私は庭師長に駆け寄った。
彼は土下座して泣いていた。
「すまない、じいさん。……この損害は、必ず犯人(あいつ)に請求させるから」
「ううっ……三十年かけて、やっと株分けできたのにぃ……」
庭師長の慟哭が胸に刺さる。
私は怒りのゲージが静かに振り切れるのを感じた。
「……殿下。許可を」
「許可する。徹底的にやれ」
殿下の目は、昨日以上に冷え切っていた。
私はリリナ嬢に向き直った。
「さて、リリナさん。貴女は先ほど『聖女パワー』と仰いましたね?」
「そ、そうよ! 私、国では『聖女』って呼ばれてるんだから! 私の祈りで、みんなが幸せになるの!」
「ほう。では、その聖女様にお聞きします。なぜ、雑草と薬草の区別もつかないのですか?」
「それは……私は植物図鑑じゃないもん! 私の専門は『癒やし』だもん!」
「癒やし、ですか」
私は一歩、彼女に近づく。
「貴女の言う癒やしとは何ですか? 具体的な効能は? 臨床データはありますか?」
「データとか難しいこと言わないでよぉ! こう、キラキラ~ってして、みんなが『ありがとう』ってなるの!」
「なるほど。つまり『プラシーボ効果』ですね」
「ぷらし……?」
「医学的根拠のない思い込みで、一時的に気分が良くなった気がする現象です。……いいですか、リリナさん。本物の聖女とは、高度な神聖魔術を行使し、物理的に傷を塞ぎ、病を駆逐する専門職(スペシャリスト)のことです。貴女のような『雰囲気だけの自称聖女』とは訳が違います」
「ひどいっ! 私だって、みんなのために祈ってるのに!」
「祈るだけで草が育てば苦労しません。祈るだけで腹は膨れません。貴女のやっていることは『おままごと』です。ですが、ここは幼稚園ではありません」
私は懐から、先ほど用意させた書類を取り出した。
「ハイ、これ」
「な、なにこれぇ……」
「『器物損壊に関する始末書』および『賠償金請求書』です。金貨一千五百枚。耳を揃えて払っていただきます」
「そ、そんな大金、払えるわけないじゃん!」
「払えないなら、体で払っていただきます」
「えっ……い、いやらしい!」
「労働の話です。王宮の地下牢にある『下水処理施設』の人手が不足しています。時給は銅貨二枚。計算上、貴女が二十四時間不眠不休で働いたとして……約三百年で完済できますね」
「さんびゃくねん!?」
リリナ嬢が泡を吹いて倒れそうになる。
「嫌ぁぁ! ジェラルド様ぁ! 助けてぇ!」
「ジェラルド殿下は今、貴女が祖国で撒き散らした『聖女活動(カオス)』の後始末で忙しいそうですよ?」
「え?」
私は今朝届いたばかりの、父からの報告書を読み上げた。
「『リリナ嬢が聖女の奇跡と称して、水源に謎のピンク色の粉末を投入。結果、下流の村で腹痛を訴える者多数。現在、王城前でデモが発生中』……だそうです」
「うそ……あの粉、恋が叶うおまじないの粉なのに……」
「水質汚染です。テロ行為です」
私は書類を彼女の胸に叩きつけた。
「とにかく、この薬草園での狼藉は看過できません。衛兵、彼女を拘束し、迎賓館の自室に軟禁してください。ジェラルド殿下が到着するまで、一歩も外に出さないように」
「はっ!」
衛兵たちが再びリリナ嬢を取り囲む。
「やだぁ! 離してよぉ! 私は聖女なのよぉ! クライヴ様ぁ、助けてぇ!」
リリナ嬢は必死に殿下に縋ろうとするが、殿下は汚いものを見るように一歩下がった。
「……私の庭師を泣かせた罪は重い。独房でないだけ感謝しろ」
「そんなぁぁぁ……!」
リリナ嬢の絶叫が遠ざかっていく。
二度目の強制退場だ。
「……ふぅ」
静けさが戻った薬草園で、私は深くため息をついた。
「また仕事が増えましたね」
「すまない、ニオ。警備を強化させる」
「お願いします。……あ、じいさん。大丈夫、根が残っている株がある。私の『肥料調合理論』を使えば、半年で再生可能です」
私が庭師長に声をかけると、彼は涙目で顔を上げた。
「ほ、本当ですかい!?」
「ええ。ただし、特別コンサル料をいただきますが」
「金かよ!」
殿下が思わず突っ込んだ。
「当然です。技術(スキル)には対価が必要です。……ですがまあ、今回は『福利厚生』の範囲内としておきましょう。庭師長、あとで私の執務室へ。再生プランを練りましょう」
「ありがとうございますぅぅ! ニオ様こそ、本当の聖女様じゃぁ!」
庭師長が私の手を握って拝み始めた。
「やめてください。私は聖女ではなく『計算高い悪女』です。崇めるなら金をください」
「ぶっ……ふふっ」
殿下がまた笑った。
「悪女か。……確かに、悪役令嬢にしては、随分と働き者だな」
「定時で帰るためです。さあ、殿下。油を売っている暇はありません。執務室に戻りますよ」
「ああ、分かったよ。……私の怖い上司殿」
こうして、「聖女騒動・第一幕」は、物理的損害と精神的疲労を残して幕を閉じた。
だが、リリナ嬢の暴走はこれだけでは終わらない。
そして、いよいよ「あの男」が、この国にやってくる。
私の平穏な退職ライフは、まだまだ遠い。
穏やかな午後の執務室。
私がいつものように「却下」スタンプの素振りをしていた時、血相を変えた近衛騎士が飛び込んできた。
「どうした。また財務大臣が『予算が足りない』と泣きついてきたか?」
クライヴ殿下は書類から目を離さずに問う。
「いえ、違います! 王宮の中庭……薬草園にて、トラブル発生です!」
「薬草園?」
「先日の……例の『自称・親善使節団』の令嬢が侵入し、『聖女の儀式』と称して暴れ回っております!」
ピタリ。
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彼女は手にスコップを持ち、一心不乱に地面を掘り返している。
周囲では、年老いた庭師長が「や、やめてくだされぇぇ!」と半狂乱で叫んでいた。
「何をしている」
殿下の低い声が、園内に響く。
リリナ嬢がパッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。
「あ、クライヴ様ぁ! 見てください! 私、お役に立ちたくて雑草抜きをしてあげてるんですぅ!」
彼女の足元には、無惨に引き抜かれた緑の山が築かれていた。
私はその「緑の山」に近づき、片手で葉を拾い上げた。
独特の紫色の斑点。根から漂う甘い香り。
「……ああ」
私は思わず天を仰いだ。
「リリナさん。貴女が今『雑草』と呼んで引き抜いたこれ、何だか分かりますか?」
「え? ただの草でしょぉ? なんか不気味な色してたから、悪い気が溜まってると思ってぇ、私が『聖女パワー』で浄化してあげたんです!」
「これは『月光草』です」
私は淡々と事実を告げた。
「満月の夜にしか花開かず、万病に効く秘薬の原料となる超希少植物です。栽培難易度はSランク。一本あたり金貨五十枚で取引されます」
「えっ……」
「ざっと見たところ、三十本は抜かれていますね。被害総額、金貨一千五百枚です」
「せ、一千……!?」
リリナ嬢が持っていたスコップを取り落とした。
「う、嘘よぉ! だって、こんなのただの草じゃん! 私、良かれと思って……!」
「無知は罪です。特に、善意に包まれた無知ほどタチが悪いものはありません」
私は庭師長に駆け寄った。
彼は土下座して泣いていた。
「すまない、じいさん。……この損害は、必ず犯人(あいつ)に請求させるから」
「ううっ……三十年かけて、やっと株分けできたのにぃ……」
庭師長の慟哭が胸に刺さる。
私は怒りのゲージが静かに振り切れるのを感じた。
「……殿下。許可を」
「許可する。徹底的にやれ」
殿下の目は、昨日以上に冷え切っていた。
私はリリナ嬢に向き直った。
「さて、リリナさん。貴女は先ほど『聖女パワー』と仰いましたね?」
「そ、そうよ! 私、国では『聖女』って呼ばれてるんだから! 私の祈りで、みんなが幸せになるの!」
「ほう。では、その聖女様にお聞きします。なぜ、雑草と薬草の区別もつかないのですか?」
「それは……私は植物図鑑じゃないもん! 私の専門は『癒やし』だもん!」
「癒やし、ですか」
私は一歩、彼女に近づく。
「貴女の言う癒やしとは何ですか? 具体的な効能は? 臨床データはありますか?」
「データとか難しいこと言わないでよぉ! こう、キラキラ~ってして、みんなが『ありがとう』ってなるの!」
「なるほど。つまり『プラシーボ効果』ですね」
「ぷらし……?」
「医学的根拠のない思い込みで、一時的に気分が良くなった気がする現象です。……いいですか、リリナさん。本物の聖女とは、高度な神聖魔術を行使し、物理的に傷を塞ぎ、病を駆逐する専門職(スペシャリスト)のことです。貴女のような『雰囲気だけの自称聖女』とは訳が違います」
「ひどいっ! 私だって、みんなのために祈ってるのに!」
「祈るだけで草が育てば苦労しません。祈るだけで腹は膨れません。貴女のやっていることは『おままごと』です。ですが、ここは幼稚園ではありません」
私は懐から、先ほど用意させた書類を取り出した。
「ハイ、これ」
「な、なにこれぇ……」
「『器物損壊に関する始末書』および『賠償金請求書』です。金貨一千五百枚。耳を揃えて払っていただきます」
「そ、そんな大金、払えるわけないじゃん!」
「払えないなら、体で払っていただきます」
「えっ……い、いやらしい!」
「労働の話です。王宮の地下牢にある『下水処理施設』の人手が不足しています。時給は銅貨二枚。計算上、貴女が二十四時間不眠不休で働いたとして……約三百年で完済できますね」
「さんびゃくねん!?」
リリナ嬢が泡を吹いて倒れそうになる。
「嫌ぁぁ! ジェラルド様ぁ! 助けてぇ!」
「ジェラルド殿下は今、貴女が祖国で撒き散らした『聖女活動(カオス)』の後始末で忙しいそうですよ?」
「え?」
私は今朝届いたばかりの、父からの報告書を読み上げた。
「『リリナ嬢が聖女の奇跡と称して、水源に謎のピンク色の粉末を投入。結果、下流の村で腹痛を訴える者多数。現在、王城前でデモが発生中』……だそうです」
「うそ……あの粉、恋が叶うおまじないの粉なのに……」
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私は書類を彼女の胸に叩きつけた。
「とにかく、この薬草園での狼藉は看過できません。衛兵、彼女を拘束し、迎賓館の自室に軟禁してください。ジェラルド殿下が到着するまで、一歩も外に出さないように」
「はっ!」
衛兵たちが再びリリナ嬢を取り囲む。
「やだぁ! 離してよぉ! 私は聖女なのよぉ! クライヴ様ぁ、助けてぇ!」
リリナ嬢は必死に殿下に縋ろうとするが、殿下は汚いものを見るように一歩下がった。
「……私の庭師を泣かせた罪は重い。独房でないだけ感謝しろ」
「そんなぁぁぁ……!」
リリナ嬢の絶叫が遠ざかっていく。
二度目の強制退場だ。
「……ふぅ」
静けさが戻った薬草園で、私は深くため息をついた。
「また仕事が増えましたね」
「すまない、ニオ。警備を強化させる」
「お願いします。……あ、じいさん。大丈夫、根が残っている株がある。私の『肥料調合理論』を使えば、半年で再生可能です」
私が庭師長に声をかけると、彼は涙目で顔を上げた。
「ほ、本当ですかい!?」
「ええ。ただし、特別コンサル料をいただきますが」
「金かよ!」
殿下が思わず突っ込んだ。
「当然です。技術(スキル)には対価が必要です。……ですがまあ、今回は『福利厚生』の範囲内としておきましょう。庭師長、あとで私の執務室へ。再生プランを練りましょう」
「ありがとうございますぅぅ! ニオ様こそ、本当の聖女様じゃぁ!」
庭師長が私の手を握って拝み始めた。
「やめてください。私は聖女ではなく『計算高い悪女』です。崇めるなら金をください」
「ぶっ……ふふっ」
殿下がまた笑った。
「悪女か。……確かに、悪役令嬢にしては、随分と働き者だな」
「定時で帰るためです。さあ、殿下。油を売っている暇はありません。執務室に戻りますよ」
「ああ、分かったよ。……私の怖い上司殿」
こうして、「聖女騒動・第一幕」は、物理的損害と精神的疲労を残して幕を閉じた。
だが、リリナ嬢の暴走はこれだけでは終わらない。
そして、いよいよ「あの男」が、この国にやってくる。
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