婚約破棄はokですが、復縁要請は却下します!

桃瀬ももな

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「……何事ですか、これは」

翌朝。
私がいつものように執務室の扉を開けると、そこは別世界になっていた。

薔薇。
百合。
蘭。
その他、名前も知らない色とりどりの花々。

執務室の床、棚、そして私のデスクに至るまで、隙間なく花瓶が置かれている。
まるで植物園の温室か、あるいは高位貴族の葬儀会場だ。

「……花粉症の誘発実験ですか? だとしたら、労働安全衛生法違反で訴えますが」

私がハンカチで鼻を覆いながら入室すると、奥のデスクからクライヴ殿下が立ち上がった。

「おはよう、ニオ。……実験ではない」

殿下はなぜか、髪をいつもより念入りにセットし、キラキラとした笑顔(営業用ではなく本気のやつ)を浮かべていた。

「君への贈り物だ」

「……は?」

「昨日は『眼精疲労』と言っていたからな。緑や美しいものは目に良いと聞いた。だから、執務室を癒やしの空間に改装してみたんだ」

殿下は両手を広げ、花畑の中心でポーズを取った。

「どうだ? 感動したか?」

私は無表情で、足元の薔薇の鉢植えを跨いだ。

「感動というより、困惑です。足の踏み場がありません」

「……」

「それに、この花々の総額。市場価格でざっと見積もって金貨五十枚。昨日のリリナ嬢の借金回収が終わっていない段階で、このような散財……財務感覚を疑います」

「くっ……! これは私のポケットマネーだと言っただろう!」

殿下の笑顔が早くも引きつり始める。

「それに、君は昨日『恋ではない』と否定したが、私は諦めていないぞ」

殿下はズカズカと(花瓶を避けながら)私に近づいてきた。

「これはアプローチだ。正式な求愛行動だ。花を贈るのは、淑女への求愛の基本だろう?」

「……誰に吹き込まれたんですか、その昭和……いえ、古臭い知識」

「近衛騎士団長のガストンだ。『女は花束に弱い。数で押せば落ちる』と言っていた」

「あのアホ筋肉ダルマですか。後で減給処分にしておきます」

私は溜息をつき、自分のデスクにたどり着いた。
デスクの上も花で占領され、書類を広げるスペースがない。

「殿下。お気持ちは受け取りますが、業務の邪魔です。撤去してください」

「待て! まだメインディッシュが残っている!」

殿下は私のデスクの中央に鎮座している、一際大きな鉢植えを指差した。

見たことのない花だ。
紫色の花弁に、太い茎。
そして、土から少しだけ顔を出している、ゴツゴツとした芋のような根っこ。

「……何ですか、これ」

「『月下美人』の亜種で、東方の国から取り寄せた希少種だ。花言葉は『一途な愛』。……どうだ、美しいだろう?」

殿下は自信満々に胸を張った。

私は眼鏡の位置を直し、その植物をじっくりと観察した。
葉の形状。
茎の太さ。
そして、独特の土の香り。

私の脳内データベースが検索を開始する。
検索完了。

「……殿下」

「なんだ。美しさに言葉を失ったか?」

「これ、『キャッサバ』の親戚ですね?」

「……き、きゃっさば?」

「東方の国では『命の根』と呼ばれる植物です。花も咲きますが、メインはこの根っこです。非常にデンプン質が豊富で、加熱処理すれば食用になります。保存も効く、優秀な炭水化物源です」

私は鉢植えを持ち上げ、しげしげと眺めた。

「なるほど……。昨今の食料事情を鑑み、万が一の籠城戦や災害時に備えた『非常食』の備蓄ということですね?」

「ちがーーう!!」

殿下が頭を抱えて叫んだ。

「観賞用だ! 愛の告白用だ! 誰が芋を贈って求愛するんだ!」

「ですが、見てくださいこの立派な芋。一本で成人男性の三日分のカロリーを賄えます。花より団子、愛より芋です。非常に合理的で素晴らしいプレゼントです」

私はニッコリと笑った。
今日一番の、心からの笑顔で。

「ありがとうございます、殿下。お昼のスープの具材にさせていただきます」

「……食べるのか」

「もちろんです。枯らしては勿体ない。花はサラダに、根はシチューに。……ああ、この葉も天ぷらにできそうですね」

私は懐から剪定バサミ(事務用ハサミ)を取り出し、チョキチョキと収穫を始めた。

殿下はその場に膝をつき、項垂れた。

「……ガストンの嘘つきめ。『珍しい花ならイチコロです』とか言っておいて……まさか食材扱いされるとは……」

「殿下、落ち込まないでください」

私は切り取った芋(根)をハンカチで包みながら言った。

「普通の薔薇百本より、私はこの芋一本の方が百倍嬉しいですよ。私の生存率を上げてくれるアイテムですから」

「……それは、喜んでいいのか?」

「もちろんです。私の『胃袋』は掴まれました」

「……胃袋かよ」

殿下は力なく立ち上がり、苦笑した。

「まあいい。君が笑顔になったなら、結果オーライだ」

「はい。今日の昼食が楽しみです」

私は上機嫌で芋をデスクの引き出し(おやつ入れ)にしまった。

「……ところで、他の花はどうする? まだ大量にあるが」

「そうですね……」

私は室内を見渡した。

「セバスを呼んで、ドライフラワーにしてポプリを作りましょう。それを小袋に詰めて城下で売れば、リリナ嬢の借金の補填になります」

「……君は、どこまでも転んでもタダでは起きないな」

「資源の有効活用(リサイクル)です。殿下の愛(花)が、お金に変わる。素晴らしい錬金術ではありませんか」

「……ロマンのかけらもない」

殿下は呆れつつも、私と一緒に花の片付けを手伝ってくれた。

「これ、トゲがあるから気をつけろ」

「はい。……あ、殿下。この百合の根も、もしかして食べられるのでは?」

「やめろ。それは高級品種だ。食うな」

二人で花を分類し、片付ける作業。
ロマンチックな告白イベントは、いつの間にか「農作業」のような空気に変わっていた。

でも。

(……悪くないですね)

私は横目で、袖をまくって働く殿下を見た。
高価な花を惜しげもなく「売ればいい」と笑ってくれる、この器の大きさ。
そして、私の変な価値観(芋>花)を否定せずに受け入れてくれる優しさ。

ドクン。

また、心臓が小さく跳ねた。

眼精疲労の薬は、あまり効いていないらしい。
それとも、この芋に含まれる成分のせいだろうか?

「……どうした、ニオ? 手が止まっているぞ」

「いえ。……この芋、どんな味がするのか想像していただけです」

私は誤魔化し、作業に戻った。

こうして、殿下の「露骨なアプローチ」は、色気のない「食料配給イベント」として幕を閉じた。
しかし、私の『老後資金口座』には売上金が、そして心の『何か』の口座には、少しだけ温かいものが貯蓄されたのだった。

だが。
そんなのん気な日常は、唐突に終わりを告げる。

その日の午後。
片付けを終えたばかりの執務室に、一通の緊急連絡(ホットライン)が入ったのだ。
それは、もう二度と関わることはないと思っていた、あの「祖国」からのSOSだった。
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