4 / 28
4
しおりを挟む
馬車が屋敷の裏門へと差し掛かったその時、松明の明かりが行く手を遮りました。
そこには、憤怒で顔を真っ赤に染めた父、エヴァンス公爵が立ち塞がっていました。
「止まれ! どこへ行こうというのだ、ナタリー!」
御者が怯えて馬を止めると、ナタリーは溜息をつきながら馬車の窓から顔を出しました。
そこには、かつての従順な娘の面影はありません。
「お父様、夜風に当たるには少しばかり物騒な時間ではございませんか? そんなところで仁王立ちしていると、持病の腰痛が悪化いたしますわよ」
「黙れ! 貴様、パーティーで何を仕かしてくれた! 殿下から婚約破棄を突きつけられ、挙句の果てに捨て台詞を吐いて逃げ出すとは……我が公爵家の泥を塗るにも程がある!」
公爵は地響きのような声で怒鳴り散らしました。
その後ろには、武装した家臣たちが数名、困惑した表情で控えています。
「泥を塗ったのは殿下の方ですわ。私はただ、その泥を綺麗に拭い去って、自由という名の新しい塗装を施そうとしているだけです」
「ふざけるな! 今すぐ馬車を降りて、私の前で跪け! 明日、殿下の元へ這ってでも行き、涙ながらに謝罪するのだ。そうすれば、まだ側室としての道が……」
「側室? お父様、お耳の掃除が必要なようですわね」
ナタリーは馬車の扉を蹴るようにして開き、地面に飛び降りました。
その身軽な動作と、令嬢らしからぬ乗馬服姿に、公爵は絶句しました。
「あんなナルシスト王子の二番手、三番手になるくらいなら、私は野良犬と骨を奪い合って生きる方を選びますわ。いえ、野良犬だってあんな男は選ばないでしょうね、胃もたれしますもの」
「き、貴様……! 父親に向かって、そして王族に向かってなんという不敬を!」
「不敬も何も、私はもうエヴァンス公爵家の人間をやめるつもりですから。お父様、ちょうど良かったですわ。ここでハッキリさせておきましょう」
ナタリーは一歩、また一歩と公爵へ歩み寄りました。
その瞳に宿る圧倒的な意志の強さに、公爵は思わず気圧されて後ずさります。
「私はこれまで、あなたの操り人形として完璧な令嬢を演じてきました。お茶の作法、刺繍、退屈な外交。すべては公爵家の利益のため。でも、もうおしまいです。今日、この瞬間をもって、私はナタリー・エヴァンスという名を捨てます」
「な……何を馬鹿なことを……!」
「お父様が私を廃嫡してくだされば、殿下への面目も立つでしょう?『不祥事を起こした娘は縁を切った』と仰れば、公爵家への追及も最小限で済みますわ。ほら、名案でしょう?」
ナタリーはニッコリと、しかし目は全く笑わずに提案しました。
公爵は怒りで肩を震わせ、拳を握りしめました。
「……本気か? 公爵家の後ろ盾を失えば、貴様のような女が外でどうなるか分かっているのか! 一晩と持たずに泣き言を言ってくるに決まっている!」
「その時は、どこかの道端で筋肉でも鍛えて忘れることにしますわ。さあ、お父様。早く仰って?『貴様のような出来損ないは勘当だ!』と」
「言われずともそうしてやる! ナタリー! 貴様をエヴァンス公爵家から追放し、家系図から抹消してやる! 二度と、二度とその面を見せるな! 一シリングの援助もしてやらんからな!」
公爵が叫ぶように宣告した瞬間、ナタリーは深々と、そしてこれ以上ないほど晴れやかな笑みで頭を下げました。
「ありがとうございます、お父様! その言葉を待っておりましたわ!」
「……は?」
「あ、今の言葉、ここにいる家臣の皆様が証人ですからね。言質は取りましたわよ。それではアン、行きましょう! 自由の天地へ!」
ナタリーは呆然とする公爵を置き去りにして、軽快に馬車へと戻りました。
中からアンが「お見事でした、お嬢様」と冷めた、しかしどこか楽しげな声をかけます。
「おい、待て! ナタリー! 貴様、何を喜んで……! 待てと言っているんだ!」
公爵が慌てて追いかけようとしましたが、ナタリーは馬車の窓から最後の手振りをしました。
「さようなら、お父様! 腰痛とお血圧にはお気をつけて! あ、私の部屋に残したガラクタは勝手に処分してくださって結構ですからね! 大事なものは全部ここにありますの!」
馬車が急発進し、立ち上る土煙が公爵の姿を隠しました。
夜の闇の中へ消えていく馬車の中で、ナタリーは背もたれに深く体を預け、大きく伸びをしました。
「ふう……! これで正真正銘、ただのナタリーになったわ!」
「おめでとうございます、ナタリー様。……で、これからどうされるんですか? 宿の当てもありませんし、公爵家の追っ手が来ないうちに王都を出るべきでしょうが」
「そうね、アン。まずは王都の北門を目指しましょう。あっちには大きな街道があるし、身を隠すにはちょうどいい街も多いわ。それに……」
ナタリーはトランクの中にある、ずっしりと重い金貨の袋を撫でました。
「この資金があれば、しばらくは贅沢できるわ。でも、まずは腹ごしらえね。あーあ、結局パーティーのメインディッシュを食べ損ねちゃった。どこか美味しい屋台でも開いてないかしら?」
「お嬢様……いえ、ナタリー様。追放された直後の女性が最初に心配するのが、食事の内容とは。この先の苦労が目に浮かびますわ」
「いいじゃない、お腹が空いては自由も謳歌できないわ。さあ、全速力で出してちょうだい!」
馬車は夜の街道を、希望と空腹を乗せて突き進んでいくのでした。
そこには、憤怒で顔を真っ赤に染めた父、エヴァンス公爵が立ち塞がっていました。
「止まれ! どこへ行こうというのだ、ナタリー!」
御者が怯えて馬を止めると、ナタリーは溜息をつきながら馬車の窓から顔を出しました。
そこには、かつての従順な娘の面影はありません。
「お父様、夜風に当たるには少しばかり物騒な時間ではございませんか? そんなところで仁王立ちしていると、持病の腰痛が悪化いたしますわよ」
「黙れ! 貴様、パーティーで何を仕かしてくれた! 殿下から婚約破棄を突きつけられ、挙句の果てに捨て台詞を吐いて逃げ出すとは……我が公爵家の泥を塗るにも程がある!」
公爵は地響きのような声で怒鳴り散らしました。
その後ろには、武装した家臣たちが数名、困惑した表情で控えています。
「泥を塗ったのは殿下の方ですわ。私はただ、その泥を綺麗に拭い去って、自由という名の新しい塗装を施そうとしているだけです」
「ふざけるな! 今すぐ馬車を降りて、私の前で跪け! 明日、殿下の元へ這ってでも行き、涙ながらに謝罪するのだ。そうすれば、まだ側室としての道が……」
「側室? お父様、お耳の掃除が必要なようですわね」
ナタリーは馬車の扉を蹴るようにして開き、地面に飛び降りました。
その身軽な動作と、令嬢らしからぬ乗馬服姿に、公爵は絶句しました。
「あんなナルシスト王子の二番手、三番手になるくらいなら、私は野良犬と骨を奪い合って生きる方を選びますわ。いえ、野良犬だってあんな男は選ばないでしょうね、胃もたれしますもの」
「き、貴様……! 父親に向かって、そして王族に向かってなんという不敬を!」
「不敬も何も、私はもうエヴァンス公爵家の人間をやめるつもりですから。お父様、ちょうど良かったですわ。ここでハッキリさせておきましょう」
ナタリーは一歩、また一歩と公爵へ歩み寄りました。
その瞳に宿る圧倒的な意志の強さに、公爵は思わず気圧されて後ずさります。
「私はこれまで、あなたの操り人形として完璧な令嬢を演じてきました。お茶の作法、刺繍、退屈な外交。すべては公爵家の利益のため。でも、もうおしまいです。今日、この瞬間をもって、私はナタリー・エヴァンスという名を捨てます」
「な……何を馬鹿なことを……!」
「お父様が私を廃嫡してくだされば、殿下への面目も立つでしょう?『不祥事を起こした娘は縁を切った』と仰れば、公爵家への追及も最小限で済みますわ。ほら、名案でしょう?」
ナタリーはニッコリと、しかし目は全く笑わずに提案しました。
公爵は怒りで肩を震わせ、拳を握りしめました。
「……本気か? 公爵家の後ろ盾を失えば、貴様のような女が外でどうなるか分かっているのか! 一晩と持たずに泣き言を言ってくるに決まっている!」
「その時は、どこかの道端で筋肉でも鍛えて忘れることにしますわ。さあ、お父様。早く仰って?『貴様のような出来損ないは勘当だ!』と」
「言われずともそうしてやる! ナタリー! 貴様をエヴァンス公爵家から追放し、家系図から抹消してやる! 二度と、二度とその面を見せるな! 一シリングの援助もしてやらんからな!」
公爵が叫ぶように宣告した瞬間、ナタリーは深々と、そしてこれ以上ないほど晴れやかな笑みで頭を下げました。
「ありがとうございます、お父様! その言葉を待っておりましたわ!」
「……は?」
「あ、今の言葉、ここにいる家臣の皆様が証人ですからね。言質は取りましたわよ。それではアン、行きましょう! 自由の天地へ!」
ナタリーは呆然とする公爵を置き去りにして、軽快に馬車へと戻りました。
中からアンが「お見事でした、お嬢様」と冷めた、しかしどこか楽しげな声をかけます。
「おい、待て! ナタリー! 貴様、何を喜んで……! 待てと言っているんだ!」
公爵が慌てて追いかけようとしましたが、ナタリーは馬車の窓から最後の手振りをしました。
「さようなら、お父様! 腰痛とお血圧にはお気をつけて! あ、私の部屋に残したガラクタは勝手に処分してくださって結構ですからね! 大事なものは全部ここにありますの!」
馬車が急発進し、立ち上る土煙が公爵の姿を隠しました。
夜の闇の中へ消えていく馬車の中で、ナタリーは背もたれに深く体を預け、大きく伸びをしました。
「ふう……! これで正真正銘、ただのナタリーになったわ!」
「おめでとうございます、ナタリー様。……で、これからどうされるんですか? 宿の当てもありませんし、公爵家の追っ手が来ないうちに王都を出るべきでしょうが」
「そうね、アン。まずは王都の北門を目指しましょう。あっちには大きな街道があるし、身を隠すにはちょうどいい街も多いわ。それに……」
ナタリーはトランクの中にある、ずっしりと重い金貨の袋を撫でました。
「この資金があれば、しばらくは贅沢できるわ。でも、まずは腹ごしらえね。あーあ、結局パーティーのメインディッシュを食べ損ねちゃった。どこか美味しい屋台でも開いてないかしら?」
「お嬢様……いえ、ナタリー様。追放された直後の女性が最初に心配するのが、食事の内容とは。この先の苦労が目に浮かびますわ」
「いいじゃない、お腹が空いては自由も謳歌できないわ。さあ、全速力で出してちょうだい!」
馬車は夜の街道を、希望と空腹を乗せて突き進んでいくのでした。
0
あなたにおすすめの小説
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話
ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。
リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。
婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。
どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。
死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて……
※正常な人があまりいない話です。
俺の妻になれと言われたので秒でお断りしてみた
ましろ
恋愛
「俺の妻になれ」
「嫌ですけど」
何かしら、今の台詞は。
思わず脊髄反射的にお断りしてしまいました。
ちなみに『俺』とは皇太子殿下で私は伯爵令嬢。立派に不敬罪なのかもしれません。
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
✻R-15は保険です。
完結 貴族生活を棄てたら王子が追って来てメンドクサイ。
音爽(ネソウ)
恋愛
王子の婚約者になってから様々な嫌がらせを受けるようになった侯爵令嬢。
王子は助けてくれないし、母親と妹まで嫉妬を向ける始末。
貴族社会が嫌になった彼女は家出を決行した。
だが、有能がゆえに王子妃に選ばれた彼女は追われることに……
頑張らない政略結婚
ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」
結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。
好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。
ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ!
五話完結、毎日更新
王命での結婚がうまくいかなかったので公妾になりました。
しゃーりん
恋愛
婚約解消したばかりのルクレツィアに王命での結婚が舞い込んだ。
相手は10歳年上の公爵ユーグンド。
昔の恋人を探し求める公爵は有名で、国王陛下が公爵家の跡継ぎを危惧して王命を出したのだ。
しかし、公爵はルクレツィアと結婚しても興味の欠片も示さなかった。
それどころか、子供は養子をとる。邪魔をしなければ自由だと言う。
実家の跡継ぎも必要なルクレツィアは子供を産みたかった。
国王陛下に王命の取り消しをお願いすると三年後になると言われた。
無駄な三年を過ごしたくないルクレツィアは国王陛下に提案された公妾になって子供を産み、三年後に離婚するという計画に乗ったお話です。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる