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暗がりに立つ男、ルードヴィヒが、ゆっくりと光の当たる場所へ足を踏み出しました。
松明の火に照らされたその顔は、彫りの深い野性的な美貌。
しかし、その右頬には浅い傷跡があり、彼がくぐり抜けてきた修羅場の多さを物語っていました。
「刺激的な場所、か。その言い草、今の私には最高のご馳走に聞こえるわね」
ナタリーは、手に持っていた「金貨のブラックジャック」を懐にしまいながら、挑発的な視線を返しました。
一方、後ろに控えるアンは、男の放つ尋常ではない威圧感に、ガタガタと膝を震わせています。
「な、ナタリー様……あの方、ただ者ではありませんわ。あの漆黒の毛皮に、首元の銀の紋章……あれは北方を統べる『ベルンハルト辺境伯家』の……」
「辺境伯? あら、王都のひ弱な貴族たちとは、種族からして違うみたいね。見てよ、アン。あの腕。丸太みたいじゃない。あれに絞め殺されるなら、淑女として本望だわ」
「お嬢様、落ち着いてください! 目が獲物を狙う猛獣のそれになっていますわよ!」
ルードヴィヒは、ナタリーの「熱視線」の正体が純粋な恐怖ではなく、筋肉へのあくなき探究心であることに気づいたのか、片方の眉を面白そうに上げました。
「ほう……俺の姿を見て、開口一番に筋肉の評価を下す女は初めてだ。普通は悲鳴を上げるか、腰を抜かすものだがな」
「悲鳴を上げてもお腹は膨れませんもの。それよりルードヴィヒ様とお呼びすればよろしいかしら? さっきの『刺激的な場所』というお誘い、具体的にお伺いしたいわ」
ルードヴィヒは低く笑い、ナタリーの目の前まで歩み寄りました。
見上げるほどの長身。ナタリーの鼻腔に、夜の森のような冷たい香りと、微かな鉄の匂いが届きます。
「俺は今、王都での退屈な公務を終えて領地へ帰るところだ。だが、あいにく道中が退屈でな。お前のような『面白い拾い物』があるなら、馬車の座席を一つ空けてやってもいい」
「タダより高いものはない、と言いますけれど? 私があなたについていくメリットは?」
「第一に、王都の検問を俺の権限で無検査で通してやる。第二に、北の地での衣食住を保証しよう。そして第三に……」
ルードヴィヒは顔を近づけ、ナタリーの耳元で囁きました。
「俺の領地には、お前のその『暴力的な才能』を存分に発揮できる場所がいくらでもある。どうだ、悪くない話だろう?」
「……食費は別、あるいは現物支給でよろしいかしら?」
「ああ、好きなだけ食え。肉でも岩でもな」
ナタリーの頭の中で、爆速の計算機が弾き出されました。
王都の追っ手から逃れられ、安全な隠れ家(辺境)を確保でき、さらに毎日この最高級の筋肉を拝める環境。
しかも食いっぱぐれがない。
(完璧。完璧すぎるわ! ジュリアン王子の細っこい二の腕を見て溜まっていたフラストレーションが、一気に解消されそうだわ!)
「決まりね。あなたの提案、謹んでお受けいたしますわ。あ、でも私の侍女もセットよ。彼女、お給料にはうるさいけれど、仕事は確かなの」
「お嬢様!? 本当にいいのですか、こんな素性の知れない恐ろしい方についていって!」
アンが悲鳴を上げましたが、ナタリーは彼女の肩をガシッと掴みました。
「いい? アン。素性が知れている王子と、素性が知れない辺境伯。どちらが生存確率が高いか考えなさい。答えは明白よ、筋肉よ!」
「もはや論理が崩壊していますわ……!」
ルードヴィヒは、この状況で自分を「便利な避難先」として即座に利用しようとするナタリーの肝の据わり方に、今度は声を上げて笑いました。
「ははは! いい、実にな。その図太さ、北の連中も驚くだろう。おい、お前」
ルードヴィヒが背後の暗がりに声をかけると、数人の屈強な騎士たちが音もなく姿を現しました。
「辺境伯様、お呼びでしょうか」
「馬車を一台追加しろ。賓客だ。……ああ、それと、これからはこの女を賓客として扱う。名は……おい、名前を聞いていなかったな」
ナタリーはマントの裾を払い、かつてないほど清々しい礼をしました。
「ナタリー。今日からただのナタリーですわ。よろしくね、ルードヴィヒ様。あなたの領地が、私にとっての『天国』であることを期待しているわ」
「ああ、期待していろ。……地獄のようだと泣きついても、もう返してはやらないからな」
こうして、婚約破棄されたばかりの元公爵令嬢は、王都の闇に紛れて、さらに物騒な「黒狼の棲処」へと旅立つことになったのです。
ナタリーの心にあるのは、捨てた過去への未練ではなく、北の大地に待っているであろう「未知の筋肉」への期待だけでした。
松明の火に照らされたその顔は、彫りの深い野性的な美貌。
しかし、その右頬には浅い傷跡があり、彼がくぐり抜けてきた修羅場の多さを物語っていました。
「刺激的な場所、か。その言い草、今の私には最高のご馳走に聞こえるわね」
ナタリーは、手に持っていた「金貨のブラックジャック」を懐にしまいながら、挑発的な視線を返しました。
一方、後ろに控えるアンは、男の放つ尋常ではない威圧感に、ガタガタと膝を震わせています。
「な、ナタリー様……あの方、ただ者ではありませんわ。あの漆黒の毛皮に、首元の銀の紋章……あれは北方を統べる『ベルンハルト辺境伯家』の……」
「辺境伯? あら、王都のひ弱な貴族たちとは、種族からして違うみたいね。見てよ、アン。あの腕。丸太みたいじゃない。あれに絞め殺されるなら、淑女として本望だわ」
「お嬢様、落ち着いてください! 目が獲物を狙う猛獣のそれになっていますわよ!」
ルードヴィヒは、ナタリーの「熱視線」の正体が純粋な恐怖ではなく、筋肉へのあくなき探究心であることに気づいたのか、片方の眉を面白そうに上げました。
「ほう……俺の姿を見て、開口一番に筋肉の評価を下す女は初めてだ。普通は悲鳴を上げるか、腰を抜かすものだがな」
「悲鳴を上げてもお腹は膨れませんもの。それよりルードヴィヒ様とお呼びすればよろしいかしら? さっきの『刺激的な場所』というお誘い、具体的にお伺いしたいわ」
ルードヴィヒは低く笑い、ナタリーの目の前まで歩み寄りました。
見上げるほどの長身。ナタリーの鼻腔に、夜の森のような冷たい香りと、微かな鉄の匂いが届きます。
「俺は今、王都での退屈な公務を終えて領地へ帰るところだ。だが、あいにく道中が退屈でな。お前のような『面白い拾い物』があるなら、馬車の座席を一つ空けてやってもいい」
「タダより高いものはない、と言いますけれど? 私があなたについていくメリットは?」
「第一に、王都の検問を俺の権限で無検査で通してやる。第二に、北の地での衣食住を保証しよう。そして第三に……」
ルードヴィヒは顔を近づけ、ナタリーの耳元で囁きました。
「俺の領地には、お前のその『暴力的な才能』を存分に発揮できる場所がいくらでもある。どうだ、悪くない話だろう?」
「……食費は別、あるいは現物支給でよろしいかしら?」
「ああ、好きなだけ食え。肉でも岩でもな」
ナタリーの頭の中で、爆速の計算機が弾き出されました。
王都の追っ手から逃れられ、安全な隠れ家(辺境)を確保でき、さらに毎日この最高級の筋肉を拝める環境。
しかも食いっぱぐれがない。
(完璧。完璧すぎるわ! ジュリアン王子の細っこい二の腕を見て溜まっていたフラストレーションが、一気に解消されそうだわ!)
「決まりね。あなたの提案、謹んでお受けいたしますわ。あ、でも私の侍女もセットよ。彼女、お給料にはうるさいけれど、仕事は確かなの」
「お嬢様!? 本当にいいのですか、こんな素性の知れない恐ろしい方についていって!」
アンが悲鳴を上げましたが、ナタリーは彼女の肩をガシッと掴みました。
「いい? アン。素性が知れている王子と、素性が知れない辺境伯。どちらが生存確率が高いか考えなさい。答えは明白よ、筋肉よ!」
「もはや論理が崩壊していますわ……!」
ルードヴィヒは、この状況で自分を「便利な避難先」として即座に利用しようとするナタリーの肝の据わり方に、今度は声を上げて笑いました。
「ははは! いい、実にな。その図太さ、北の連中も驚くだろう。おい、お前」
ルードヴィヒが背後の暗がりに声をかけると、数人の屈強な騎士たちが音もなく姿を現しました。
「辺境伯様、お呼びでしょうか」
「馬車を一台追加しろ。賓客だ。……ああ、それと、これからはこの女を賓客として扱う。名は……おい、名前を聞いていなかったな」
ナタリーはマントの裾を払い、かつてないほど清々しい礼をしました。
「ナタリー。今日からただのナタリーですわ。よろしくね、ルードヴィヒ様。あなたの領地が、私にとっての『天国』であることを期待しているわ」
「ああ、期待していろ。……地獄のようだと泣きついても、もう返してはやらないからな」
こうして、婚約破棄されたばかりの元公爵令嬢は、王都の闇に紛れて、さらに物騒な「黒狼の棲処」へと旅立つことになったのです。
ナタリーの心にあるのは、捨てた過去への未練ではなく、北の大地に待っているであろう「未知の筋肉」への期待だけでした。
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