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王都を離れ、街道沿いにあるベルンハルト辺境伯家御用達の宿場町。
厳重に警備された高級宿の一室で、ナタリーは山盛りのステーキを咀嚼しながら、向かいに座る男をじっと見つめていました。
「……で、ルードヴィヒ様。さっきから私の顔を熱心に観察して、何か付いていますの? ソースかしら。それとも食べ方が野蛮すぎて見惚れてしまった?」
ナタリーがナイフを置くと、ルードヴィヒは組んでいた腕を解き、椅子の背もたれに深く体を預けました。
その動作一つをとっても、無駄のない筋肉の動きが服の上から伝わってきます。
「ナタリー、お前は面白いな。普通、婚約破棄されて追放された令嬢というのは、もっとこう……儚げに泣くか、絶望して食欲を失うものだと思っていたが」
「あいにくですが、涙を流しても金貨は増えませんし、絶望しても筋肉は育ちませんわ。泣く暇があるなら、そのカロリーを明日の生存戦略に回すのが私の主義ですの」
ナタリーは赤ワインを優雅に飲み干しました。その所作だけは完璧な公爵令嬢そのものですが、口にする内容は極めて現実的です。
「ますます気に入った。……単刀直入に言う。俺の妻になれ」
「ブッ!!」
横で給仕をしていたアンが、見事な勢いで噴き出しました。
ナタリーも一瞬だけ目を見開きましたが、数秒後には真顔に戻り、持っていたフォークを静かに置きました。
「……ルードヴィヒ様。冗談にしては少しばかり趣味がよろしくありませんわよ。それとも、北の地では食後のデザート代わりに求婚するのが流行りなのですか?」
「冗談に見えるか? 俺は至って正気だ。俺の領地は魔物が跳梁跋扈し、冬になれば凍土と化す厳しい地だ。王都から来たひ弱な令嬢どもを何度か見合いさせたが、どいつもこいつも三日と持たずに泣いて逃げ帰った」
ルードヴィヒは鋭い瞳でナタリーを射抜きました。
「だが必要なのは、魔物を前にしても腰を抜かさず、むしろ金貨の袋で殴り殺すような強欲で図太い女だ。……お前なら、俺の隣で笑っていられるだろう」
ナタリーは顎に手を当て、真剣な表情で考え込みました。
通常であれば「なんて失礼な!」と怒るか、「真実の愛ですね!」と頬を染める場面でしょう。
しかし、彼女の脳内にある計算機は、今まさにフル稼働していました。
「……条件を伺ってもよろしいかしら? まずはお給料……いえ、自由形式の予算。それから休日、並びに『辺境伯夫人』としての職務権限。そして何より重要な、退職金制度について」
「……退職金?」
ルードヴィヒが虚を突かれたような顔をしました。
「ええ。もし私たちが将来的に価値観の相違……例えば、私があなたの筋肉に飽きたり、あなたが私の毒舌に耐えられなくなったりして契約解除……いわゆる離縁に至った場合、その後の私の生活を保障する制度ですわ」
ナタリーは懐から手帳を取り出し、さらさらと項目を書き出し始めました。
「第一に、私には領地経営における一定の裁量権を認めること。第二に、私の趣味……つまり貯金と筋トレを妨げないこと。第三に、ジュリアン王子が何か言ってきた場合、物理的にシャットアウトすること。これらが守られるのでしたら、『契約結婚』として検討の余地がありますわ」
ルードヴィヒは、目の前の女性が自分を「夫候補」ではなく「共同経営者」か「雇い主」のような目で見ていることに気づき、腹の底から笑い声を上げました。
「ははは! 退職金の交渉から入る婚約者など、前代未聞だ! いいだろう、すべて飲もう。予算も、権限も、物理的な守護も。お前が俺の城を好きに改造しても文句は言わん」
「あら、話が早くて助かりますわ。……あ、もう一つ。これが一番重要です」
ナタリーは身を乗り出し、ルードヴィヒの逞しい上腕二頭筋を指差しました。
「毎日最低十分間、あなたの筋肉の収縮を間近で観察、および計測する権利を要求します」
「……計測?」
「ええ。私の美学のために必要な儀式ですの。それが認められないのであれば、この話はなかったことに」
ルードヴィヒは一瞬、困惑したように自身の腕を見つめましたが、すぐに諦めたように溜息をつき、口角を上げました。
「……勝手にしろ。ただし、俺もタダでは見せん。お前にはそれ相応の『面白い仕事』をたっぷりこなしてもらうからな」
「望むところですわ。退屈ほど人生を浪費するものはありませんもの」
二人は食卓越しに、まるでお互いの首を狙い合う獣のような、あるいは最強のタッグを組む戦友のような不敵な握手を交わしました。
「……ナタリー様。本当にこれでいいのですか? あなたはさっきまで『自由の身だ!』と叫んでいたはずですが」
「アン、何を言っているの。これこそが究極の自由よ。強力な後ろ盾(筋肉)と、無限の資金源、そして誰にも文句を言われない地位。これを手に入れた上で、思う存分暴れる……これ以上の贅沢があるかしら?」
ナタリーは満足げに、冷めてしまったステーキの最後の一切れを口に運びました。
「さて、そうと決まればまずは北への旅の準備ね。ルードヴィヒ様、明日からはあなたのことを『旦那様(仮)』と呼ばせていただくわ。せいぜい私の期待を裏切らないでちょうだいね?」
「ああ。地獄の果てまで付き合ってもらうぞ、ナタリー」
王都を追放された悪役令嬢。
彼女は今、最強の辺境伯を「契約社員」ならぬ「契約夫」として手に入れ、さらなるカオスな未来へと突き進み始めたのでした。
厳重に警備された高級宿の一室で、ナタリーは山盛りのステーキを咀嚼しながら、向かいに座る男をじっと見つめていました。
「……で、ルードヴィヒ様。さっきから私の顔を熱心に観察して、何か付いていますの? ソースかしら。それとも食べ方が野蛮すぎて見惚れてしまった?」
ナタリーがナイフを置くと、ルードヴィヒは組んでいた腕を解き、椅子の背もたれに深く体を預けました。
その動作一つをとっても、無駄のない筋肉の動きが服の上から伝わってきます。
「ナタリー、お前は面白いな。普通、婚約破棄されて追放された令嬢というのは、もっとこう……儚げに泣くか、絶望して食欲を失うものだと思っていたが」
「あいにくですが、涙を流しても金貨は増えませんし、絶望しても筋肉は育ちませんわ。泣く暇があるなら、そのカロリーを明日の生存戦略に回すのが私の主義ですの」
ナタリーは赤ワインを優雅に飲み干しました。その所作だけは完璧な公爵令嬢そのものですが、口にする内容は極めて現実的です。
「ますます気に入った。……単刀直入に言う。俺の妻になれ」
「ブッ!!」
横で給仕をしていたアンが、見事な勢いで噴き出しました。
ナタリーも一瞬だけ目を見開きましたが、数秒後には真顔に戻り、持っていたフォークを静かに置きました。
「……ルードヴィヒ様。冗談にしては少しばかり趣味がよろしくありませんわよ。それとも、北の地では食後のデザート代わりに求婚するのが流行りなのですか?」
「冗談に見えるか? 俺は至って正気だ。俺の領地は魔物が跳梁跋扈し、冬になれば凍土と化す厳しい地だ。王都から来たひ弱な令嬢どもを何度か見合いさせたが、どいつもこいつも三日と持たずに泣いて逃げ帰った」
ルードヴィヒは鋭い瞳でナタリーを射抜きました。
「だが必要なのは、魔物を前にしても腰を抜かさず、むしろ金貨の袋で殴り殺すような強欲で図太い女だ。……お前なら、俺の隣で笑っていられるだろう」
ナタリーは顎に手を当て、真剣な表情で考え込みました。
通常であれば「なんて失礼な!」と怒るか、「真実の愛ですね!」と頬を染める場面でしょう。
しかし、彼女の脳内にある計算機は、今まさにフル稼働していました。
「……条件を伺ってもよろしいかしら? まずはお給料……いえ、自由形式の予算。それから休日、並びに『辺境伯夫人』としての職務権限。そして何より重要な、退職金制度について」
「……退職金?」
ルードヴィヒが虚を突かれたような顔をしました。
「ええ。もし私たちが将来的に価値観の相違……例えば、私があなたの筋肉に飽きたり、あなたが私の毒舌に耐えられなくなったりして契約解除……いわゆる離縁に至った場合、その後の私の生活を保障する制度ですわ」
ナタリーは懐から手帳を取り出し、さらさらと項目を書き出し始めました。
「第一に、私には領地経営における一定の裁量権を認めること。第二に、私の趣味……つまり貯金と筋トレを妨げないこと。第三に、ジュリアン王子が何か言ってきた場合、物理的にシャットアウトすること。これらが守られるのでしたら、『契約結婚』として検討の余地がありますわ」
ルードヴィヒは、目の前の女性が自分を「夫候補」ではなく「共同経営者」か「雇い主」のような目で見ていることに気づき、腹の底から笑い声を上げました。
「ははは! 退職金の交渉から入る婚約者など、前代未聞だ! いいだろう、すべて飲もう。予算も、権限も、物理的な守護も。お前が俺の城を好きに改造しても文句は言わん」
「あら、話が早くて助かりますわ。……あ、もう一つ。これが一番重要です」
ナタリーは身を乗り出し、ルードヴィヒの逞しい上腕二頭筋を指差しました。
「毎日最低十分間、あなたの筋肉の収縮を間近で観察、および計測する権利を要求します」
「……計測?」
「ええ。私の美学のために必要な儀式ですの。それが認められないのであれば、この話はなかったことに」
ルードヴィヒは一瞬、困惑したように自身の腕を見つめましたが、すぐに諦めたように溜息をつき、口角を上げました。
「……勝手にしろ。ただし、俺もタダでは見せん。お前にはそれ相応の『面白い仕事』をたっぷりこなしてもらうからな」
「望むところですわ。退屈ほど人生を浪費するものはありませんもの」
二人は食卓越しに、まるでお互いの首を狙い合う獣のような、あるいは最強のタッグを組む戦友のような不敵な握手を交わしました。
「……ナタリー様。本当にこれでいいのですか? あなたはさっきまで『自由の身だ!』と叫んでいたはずですが」
「アン、何を言っているの。これこそが究極の自由よ。強力な後ろ盾(筋肉)と、無限の資金源、そして誰にも文句を言われない地位。これを手に入れた上で、思う存分暴れる……これ以上の贅沢があるかしら?」
ナタリーは満足げに、冷めてしまったステーキの最後の一切れを口に運びました。
「さて、そうと決まればまずは北への旅の準備ね。ルードヴィヒ様、明日からはあなたのことを『旦那様(仮)』と呼ばせていただくわ。せいぜい私の期待を裏切らないでちょうだいね?」
「ああ。地獄の果てまで付き合ってもらうぞ、ナタリー」
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