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ベルンハルト要塞に、突如として激しい鐘の音が鳴り響きました。
それは「お笑い特訓」の最中にいたナタリーとルードヴィヒの鼓膜を、容赦なく突き刺しました。
「な、何事ですの!? 今の鐘の音は、私のギャグへの合格サインかしら!」
ナタリーが期待のまなざしを向けると、ルードヴィヒは瞬時に「領主の顔」に戻り、床に脱ぎ捨てていたシャツを掴み取りました。
「違う。緊急招集の鐘だ。……バルカス! 何が出た!」
地下室の扉を蹴り開けるようにして、バルカスが飛び込んできました。
その額には汗が浮かび、ただ事ではない雰囲気を漂わせています。
「旦那様! 北の岩壁から『グレート・ロックボア』の群れが出現しました! その数、およそ二十。先頭の一体は、通常の三倍はあろうかという巨体です!」
「岩猪(ロックボア)か……。あの硬い毛皮と突進力は厄介だな。よし、私が出る。騎士団を整列させろ!」
ルードヴィヒが部屋を出ようとしたその時、背後から「ちょっと待った!」という鋭い声が掛かりました。
「……ナタリー? お前はアンと一緒に、城の奥の安全な場所へ避難していろ。あいつらは文字通り岩のような魔物だ。巻き込まれたら骨が砕けるぞ」
「何を仰るんですの、旦那様! 『グレート』なんて冠詞が付くほどの猪……それってつまり、最高級の『極太ポーク』が向こうから歩いてきているということでしょう!?」
ナタリーの瞳には、恐怖の欠片もありませんでした。
そこにあるのは、獲物を見定めたハンターのぎらつきと、あくなき食欲、そしてタンパク質への情熱です。
「いいですか、旦那様。あんな巨大な獲物を、ただの騎士団に任せてはもったいないわ。彼らの剣では肉が傷ついて、せっかくの筋繊維がズタズタになってしまいます」
「お前、今から食うことしか考えていないのか……」
「失礼ね、効率の問題ですわ。……アン! 例のモノを持ってきて!」
アンは「やっぱりこうなるのね……」と溜息をつきながら、ずっしりと重い「黒い大きな袋」をナタリーに差し出しました。
ナタリーが中から取り出したのは、厚みのある、特注の超重量級キャストアイアン(鋳鉄)製の特大フライパンでした。
「ナタリー様、それは料理道具であって武器ではありませんわ」
「いいえ、アン。これは『重力と遠心力を利用した、打撃系マッサージ器具』よ。……旦那様、行きましょう! あなたの剣で猪の注意を引き、私が背後からその広背筋を……いえ、急所を叩き潰してあげますわ!」
「……正気か。だが、お前をここに置いていっても、勝手に裏口から飛び出しそうだな」
ルードヴィヒは観念したように笑うと、背中の大剣を抜き放ちました。
「わかった。俺の背中は貸してやる。だが、危なくなったらすぐに下がれ。いいな、師匠?」
「ふふ、弟子の心配をするほど、私はヤワじゃありませんわよ!」
二人は要塞の正門を駆け抜け、荒野へと飛び出しました。
前方からは、巨大な岩のような猪の群れが、土煙を上げて迫ってきます。
大地を揺らす突進。騎士団が防衛線を張っていますが、先頭の巨体によって次々と弾き飛ばされています。
「ルードヴィヒ様だ! 旦那様がお出ましだぞ!」
「……と、隣にいるのはナタリー様か!? なぜフライパンを構えていらっしゃるんだ!」
兵士たちの困惑をよそに、ルードヴィヒは大剣を一閃させ、先頭の猪の突進を真っ向から受け止めました。
「フンッ!!」
凄まじい衝撃波。ルードヴィヒの筋肉が、岩猪の巨体と拮抗しています。
しかし、さすがは『グレート』。一対一ではルードヴィヒの力をもってしても、押し切るには時間がかかりそうです。
「今よ、ナタリー!」
「任せなさい! この『猪突猛進』な筋肉に、正しい力の逃がし方を教えてあげるわ!」
ナタリーは、ルードヴィヒが作り出した死角から、驚異的な跳躍を見せました。
空中で特大フライパンを大きく振りかぶり、全身のバネを一点に集中させます。
「これぞ、筋肉共同作業! 名付けて……『フライパン・プレス・オブ・ジャスティス』!!」
ガギィィィィィン!!
硬い岩猪の頭蓋骨に、逃げ場のない衝撃が叩き込まれました。
ナタリーの正確無比な一撃は、猪の突進エネルギーをそのまま反転させ、脳震盪を引き起こさせます。
ドスゥゥゥゥゥン……!!
巨大な猪が、白目を剥いて横倒しになりました。
その瞬間、後に続いていた群れたちも、親玉の無惨な姿を見て、一斉に尻尾を巻いて逃げ出していきました。
「……ふぅ。いい手応えだったわ。やっぱり、厚手の鋳鉄は熱伝導率も衝撃伝導率も最高ね」
ナタリーは、額の汗を拭いながら、フライパンを肩に担ぎました。
ルードヴィヒは剣を納め、呆然と倒れた猪と、その傍らで微笑む婚約者を見つめました。
「……ナタリー。お前、本当に令嬢だったんだよな? 今の一撃、俺の部下でも数人は気絶するぞ」
「あら、旦那様のホールドが完璧だったからですわ。これぞ夫婦……いえ、最強タッグの初めての共同作業ね」
ナタリーはルードヴィヒに歩み寄り、戦いの高揚でパンパンに張った彼の背筋を、そっと撫でました。
「お疲れ様、旦那様。……さて、騎士の皆さん! ボヤボヤしないで、この猪を解体するわよ! 今夜は極上の『岩猪のポークソテー・プロテイン盛り』よ! 美味しいお肉を食べて、みんなでバルクアップ(筋肉増量)しましょう!」
「「「うおおおおお!! ナタリー様、万歳!!」」」
さっきまでの恐怖はどこへやら、兵士たちはナタリーの号令の下、歓喜の声を上げて解体作業に取り掛かりました。
戦い終えて、夕日に照らされる二人。
ルードヴィヒは、自分の背中を叩くナタリーの手の温もりを感じながら、思いました。
この女なら、本当にこの極寒の地を、笑いと筋肉で埋め尽くしてしまうかもしれない、と。
「……ナタリー。次は、もう少しお淑やかな作業に誘わせてくれ。例えば、庭の散歩とかな」
「あら、お散歩もいいですわね。鉄の重りでも担いで、負荷をかけながら歩きましょうか?」
「……前言撤回だ。大人しくお前のメニューに従うよ」
二人の絆は、魔物の血……ではなく、美味しいお肉の約束と共に、さらに深まっていくのでした。
それは「お笑い特訓」の最中にいたナタリーとルードヴィヒの鼓膜を、容赦なく突き刺しました。
「な、何事ですの!? 今の鐘の音は、私のギャグへの合格サインかしら!」
ナタリーが期待のまなざしを向けると、ルードヴィヒは瞬時に「領主の顔」に戻り、床に脱ぎ捨てていたシャツを掴み取りました。
「違う。緊急招集の鐘だ。……バルカス! 何が出た!」
地下室の扉を蹴り開けるようにして、バルカスが飛び込んできました。
その額には汗が浮かび、ただ事ではない雰囲気を漂わせています。
「旦那様! 北の岩壁から『グレート・ロックボア』の群れが出現しました! その数、およそ二十。先頭の一体は、通常の三倍はあろうかという巨体です!」
「岩猪(ロックボア)か……。あの硬い毛皮と突進力は厄介だな。よし、私が出る。騎士団を整列させろ!」
ルードヴィヒが部屋を出ようとしたその時、背後から「ちょっと待った!」という鋭い声が掛かりました。
「……ナタリー? お前はアンと一緒に、城の奥の安全な場所へ避難していろ。あいつらは文字通り岩のような魔物だ。巻き込まれたら骨が砕けるぞ」
「何を仰るんですの、旦那様! 『グレート』なんて冠詞が付くほどの猪……それってつまり、最高級の『極太ポーク』が向こうから歩いてきているということでしょう!?」
ナタリーの瞳には、恐怖の欠片もありませんでした。
そこにあるのは、獲物を見定めたハンターのぎらつきと、あくなき食欲、そしてタンパク質への情熱です。
「いいですか、旦那様。あんな巨大な獲物を、ただの騎士団に任せてはもったいないわ。彼らの剣では肉が傷ついて、せっかくの筋繊維がズタズタになってしまいます」
「お前、今から食うことしか考えていないのか……」
「失礼ね、効率の問題ですわ。……アン! 例のモノを持ってきて!」
アンは「やっぱりこうなるのね……」と溜息をつきながら、ずっしりと重い「黒い大きな袋」をナタリーに差し出しました。
ナタリーが中から取り出したのは、厚みのある、特注の超重量級キャストアイアン(鋳鉄)製の特大フライパンでした。
「ナタリー様、それは料理道具であって武器ではありませんわ」
「いいえ、アン。これは『重力と遠心力を利用した、打撃系マッサージ器具』よ。……旦那様、行きましょう! あなたの剣で猪の注意を引き、私が背後からその広背筋を……いえ、急所を叩き潰してあげますわ!」
「……正気か。だが、お前をここに置いていっても、勝手に裏口から飛び出しそうだな」
ルードヴィヒは観念したように笑うと、背中の大剣を抜き放ちました。
「わかった。俺の背中は貸してやる。だが、危なくなったらすぐに下がれ。いいな、師匠?」
「ふふ、弟子の心配をするほど、私はヤワじゃありませんわよ!」
二人は要塞の正門を駆け抜け、荒野へと飛び出しました。
前方からは、巨大な岩のような猪の群れが、土煙を上げて迫ってきます。
大地を揺らす突進。騎士団が防衛線を張っていますが、先頭の巨体によって次々と弾き飛ばされています。
「ルードヴィヒ様だ! 旦那様がお出ましだぞ!」
「……と、隣にいるのはナタリー様か!? なぜフライパンを構えていらっしゃるんだ!」
兵士たちの困惑をよそに、ルードヴィヒは大剣を一閃させ、先頭の猪の突進を真っ向から受け止めました。
「フンッ!!」
凄まじい衝撃波。ルードヴィヒの筋肉が、岩猪の巨体と拮抗しています。
しかし、さすがは『グレート』。一対一ではルードヴィヒの力をもってしても、押し切るには時間がかかりそうです。
「今よ、ナタリー!」
「任せなさい! この『猪突猛進』な筋肉に、正しい力の逃がし方を教えてあげるわ!」
ナタリーは、ルードヴィヒが作り出した死角から、驚異的な跳躍を見せました。
空中で特大フライパンを大きく振りかぶり、全身のバネを一点に集中させます。
「これぞ、筋肉共同作業! 名付けて……『フライパン・プレス・オブ・ジャスティス』!!」
ガギィィィィィン!!
硬い岩猪の頭蓋骨に、逃げ場のない衝撃が叩き込まれました。
ナタリーの正確無比な一撃は、猪の突進エネルギーをそのまま反転させ、脳震盪を引き起こさせます。
ドスゥゥゥゥゥン……!!
巨大な猪が、白目を剥いて横倒しになりました。
その瞬間、後に続いていた群れたちも、親玉の無惨な姿を見て、一斉に尻尾を巻いて逃げ出していきました。
「……ふぅ。いい手応えだったわ。やっぱり、厚手の鋳鉄は熱伝導率も衝撃伝導率も最高ね」
ナタリーは、額の汗を拭いながら、フライパンを肩に担ぎました。
ルードヴィヒは剣を納め、呆然と倒れた猪と、その傍らで微笑む婚約者を見つめました。
「……ナタリー。お前、本当に令嬢だったんだよな? 今の一撃、俺の部下でも数人は気絶するぞ」
「あら、旦那様のホールドが完璧だったからですわ。これぞ夫婦……いえ、最強タッグの初めての共同作業ね」
ナタリーはルードヴィヒに歩み寄り、戦いの高揚でパンパンに張った彼の背筋を、そっと撫でました。
「お疲れ様、旦那様。……さて、騎士の皆さん! ボヤボヤしないで、この猪を解体するわよ! 今夜は極上の『岩猪のポークソテー・プロテイン盛り』よ! 美味しいお肉を食べて、みんなでバルクアップ(筋肉増量)しましょう!」
「「「うおおおおお!! ナタリー様、万歳!!」」」
さっきまでの恐怖はどこへやら、兵士たちはナタリーの号令の下、歓喜の声を上げて解体作業に取り掛かりました。
戦い終えて、夕日に照らされる二人。
ルードヴィヒは、自分の背中を叩くナタリーの手の温もりを感じながら、思いました。
この女なら、本当にこの極寒の地を、笑いと筋肉で埋め尽くしてしまうかもしれない、と。
「……ナタリー。次は、もう少しお淑やかな作業に誘わせてくれ。例えば、庭の散歩とかな」
「あら、お散歩もいいですわね。鉄の重りでも担いで、負荷をかけながら歩きましょうか?」
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