今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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「ごちそうさまでした。……生き返った心地だ」

レオナルド様は、皿に残った最後のソースまで綺麗に拭い取ると、満足げに息を吐いた。

テーブル(急ごしらえの木箱)の上には、空になった皿が五枚。

プロテインパンケーキ五人前を、彼はものの十分で平らげてしまった。

驚異的な代謝効率だ。

「お粗末様でした。糖質とタンパク質のゴールデンタイムに間に合ってよかったですわ」

私は空いた皿を下げながら、レオナルド様の身体をさりげなく、しかし舐めるように観察する。

食事を終えて血行が良くなったのか、彼の肌艶は先ほどよりも良くなっている。

特に、テーブルに置かれた丸太のような腕。

リラックスしている状態でも、上腕三頭筋の馬蹄形がうっすらと浮かび上がっている。

(素晴らしい……。食事中、咀嚼(そしゃく)するたびに動く側頭筋と胸鎖乳突筋の連動も芸術的だったわ)

私は心の中で拍手を送った。

「さて……」

レオナルド様が立ち上がった。

その瞬間、店内の空気が圧迫されるような錯覚に陥る。

やはりデカい。

天井の梁(はり)に頭がぶつかりそうだ。

「礼を言わねばな、店主殿。代金だが……すまない、今は一文無しだ。必ず後で部下に届けさせる」

「お気になさらないでください。試作品のモニター代わりだと思っていただければ」

「いや、騎士の名折れだ。借りは返す」

彼は律儀に頭を下げた。

その真面目さ。

武骨な外見に似合わない、誠実な人柄。

そして何より、この圧倒的な肉体美。

(……逃がす手はないわ)

私の「オーナー」としての、そして「筋肉マニア」としての直感が警鐘を鳴らした。

この素材(いつざい)を、ただの客として帰していいのか?

いいや、駄目だ。

彼こそが、この『マッスル・パラダイス』の象徴(アイコン)になるべき存在なのだ!

「あの、レオナルド様」

私は帰りかけた彼を呼び止めた。

「なんだろうか?」

「単刀直入に申し上げます」

私は彼に詰め寄った。

身長差がありすぎて、彼のアゴを見上げる形になる。

至近距離で見ると、首の太さが際立つ。

「貴方、転職する気はありませんか?」

「……は?」

レオナルド様が目を丸くした。

「てん、しょく……?」

「はい。今の職場……騎士団でしたっけ? そこは貴方の筋肉(さいのう)を正当に評価してくれていますか?」

「え、あ、いや……評価というか、俺は団長だから……」

「団長! つまり管理職ですね。デスクワークも多いのでは?」

「うむ、まあ……書類仕事は苦手だが、避けられん」

「なんてこと!」

私は大袈裟に嘆いてみせた。

「国家的な損失ですわ! その大胸筋を机と椅子の間に押し込めておくなんて! 筋肉が『もっと動きたい』と泣いています!」

「な、泣いてはいないと思うが……」

レオナルド様が困惑して後ずさる。

私はさらに一歩踏み込んだ。

「レオナルド様。当店で働きませんか?」

「……ここで?」

「ええ。業務内容はシンプルです。タンクトップ……いえ、上半身裸にエプロン姿で、お客様にプロテインを運ぶ。時々、リクエストに応じてポージングをとる。それだけです」

「……」

「給与は騎士団長の倍……は無理かもしれませんが、美味しいパンケーキと特製プロテインは食べ放題・飲み放題です!」

私は自信満々に条件を提示した。

衣食住(主に食)の保証と、筋肉を披露できる環境。

これ以上の好条件はないはずだ。

しかし、レオナルド様は困ったように眉を下げた。

「……魅力的な提案ではある」

「でしょう!?」

「だが、すまない。俺は騎士だ」

彼の瞳から、迷いが消えた。

「俺は、国王陛下に剣を捧げている。この身は国と民を守るためにあるんだ。……それに、部下たちを放り出すわけにはいかん」

「……」

「パンケーキは死ぬほど美味かったが、騎士を辞めるわけにはいかない。申し訳ない」

彼は深く頭を下げた。

断られた。

しかも、ド正論で。

普通ならここで引き下がるか、残念がるところだろう。

だが、私は違った。

(……尊い)

私の胸の奥で、何かがキュンと音を立てた。

忠義。

責任感。

そして、揺るぎない信念。

それらが、彼の強靭な肉体を内側から支えているのだ。

精神(メンタル)のマッチョさも兼ね備えているなんて、完璧すぎて目眩がする。

「……わかりました。引き下がりましょう」

私はため息をつくふりをして、口元の緩みを隠した。

「騎士団長様を引き抜こうなんて、不敬罪ものでしたわね」

「いや、その……気持ちは嬉しかった。俺のような強面の男を、怖がらずに雇おうとしてくれたのは、貴女が初めてだ」

レオナルド様が、頬の傷を指でかいた。

「大抵の人間は、俺を見ると悲鳴を上げて逃げ出すか、命乞いを始めるからな」

「まあ。世間の皆様は眼科に行った方がよろしいですわね」

私は心底不思議に思って言った。

「こんなに美しい上腕二頭筋を見て、恐怖を感じるなんて」

「……え?」

「あ、いいえ、何でもありません」

私はコホンと咳払いをした。

スカウトは失敗した。

だが、転んでもただでは起きないのが私、ウィルヘルミナだ。

「では、レオナルド様。一つだけお願いがございます」

「なんだ? 俺にできることなら何でもしよう」

「騎士団がお休みの時や、任務の合間に……また当店にいらしていただけませんか?」

「……客としてか?」

「はい。もちろん、パンケーキはいつでも『特別盛り』でサービスさせていただきます」

「!」

レオナルド様の目が輝いた。

「ほ、本当か? 迷惑ではないか?」

「迷惑だなんてとんでもない! 貴方様が店に座っているだけで、店の格(と筋肉密度)が上がります!」

私は力説した。

そう、働いてもらえないなら、客として通ってもらえばいい。

『騎士団長御用達』という肩書きは宣伝になるし、何より私が定期的に彼の筋肉を拝める。

まさにウィンウィンだ。

「……わかった。必ず来る」

レオナルド様は、不器用な笑みを浮かべた。

「貴女の淹れる茶と、あのパンケーキ……正直、虜になりそうだ」

「ふふっ、光栄です。いつでもお待ちしておりますわ、最高の筋肉(おきゃく)様」

「ん? 今、筋肉と……」

「気のせいです」

私はニッコリと微笑んだ。

レオナルド様は、マントを翻して店の出口へと向かう。

その背中の広さ。

歩くたびに躍動する脊柱起立筋。

ああ、ずっと見ていたい。

「あ、そうだ」

出口で、レオナルド様が振り返った。

「名前……まだ聞いていなかったな」

「! ……申し遅れました」

私はスカートの裾をつまみ、カーテシーをした。

「ウィルヘルミナと申します。しがないカフェのオーナー兼、筋肉愛好家です」

「ウィルヘルミナ……。いい名だ」

彼は短くそう言い残し、今度こそ店を出て行った。

扉が閉まる音と共に、店内に静寂が戻る。

「……はぁぁぁぁ……」

私はその場にへたり込んだ。

「姐さん! 大丈夫か!?」

奥からガロンさんが飛び出してくる。

「あんな化け物相手に、よく平気で喋れるな……。俺なんか、隠れて震えてたぜ」

「ガロンさん、失礼よ。あの方は化け物じゃないわ」

私は熱っぽい顔を上げた。

「あの方は……神様が遣わした、筋肉の天使よ」

「……眼科行った方がいいのは姐さんの方じゃねぇか?」

ガロンさんのツッコミは無視した。

私の手帳には、新たな項目が書き加えられた。

『VIP顧客リスト:レオナルド様(最重要・保護対象)』

こうして、開店前から最強の常連客をゲットした『マッスル・パラダイス』。

私の野望は、順調すぎるほど順調に滑り出したのである。

……まあ、この数日後に、私のことを「嫉妬深い悪女」と信じて疑わない元婚約者が、怒鳴り込んでくることなど、今の私は知る由もなかったのだが。
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