今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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ついに、その日がやってきた。

『カフェ・マッスル・パラダイス』、グランドオープンの日である。

天気は快晴。

絶好の筋肉日和だ。

「さあ、みんな! 準備はよろしくて!?」

私は開店前のミーティングで、並み居るスタッフたちに檄(げき)を飛ばした。

ズラリと整列したのは、元冒険者のガロンさんをはじめ、内装工事からそのままスカウトした元大工、元傭兵、元港の荷揚げ作業員といった、選りすぐりの屈強な男たちだ。

彼らの身を包むのは、私が夜なべしてデザイン(発注)した特注の制服。

その名も『魅せる! ピチピチ・タンクトップ(黒)』と、『大臀筋強調パンツ』である。

「姐さん……これ、恥ずかしくねぇか?」

ガロンさんが、ピタピタのタンクトップの裾を引っ張りながら顔を赤らめる。

「何を言っているのですか! その素晴らしい上腕三頭筋を隠すなんて、世界遺産にシートを被せるようなものです! 自信を持って!」

「は、はい……」

「エプロンの紐は、背中でクロスさせるのがポイントよ。広背筋の谷間が強調されるからね」

私は一人ひとりの服装チェックを行う。

(ふむ、素晴らしい……。黒い布地が日焼けした肌を引き立てているわ。まるでギリシャ彫刻の展示会ね)

開店前から、私のテンションは最高潮だった。

「いいこと? 当店のコンセプトは『力強さと癒やし』です。お客様には、貴方たちの逞しさに守られているという安心感を提供してください。笑顔は?」

「ニカッ!」

男たちが一斉に歯を見せて笑う。

……怖い。

どう見ても、これから山賊行為に及ぶ集団にしか見えない。

「……ま、まあ、笑顔は徐々に練習していきましょう。まずは元気よく挨拶です! いらっしゃいませ!」

「らっしゃいませぇぇッ!!」

怒号のような声が店内に轟いた。

ガラスがビリビリと震える。

「声量は合格! では、オープンです!」

私は店の入り口の札を『OPEN』に裏返した。

さあ、来るがいい、王都の淑女たちよ!

ここで極上のプロテインと、眼福の筋肉を味わうがよい!

          ◇

一時間後。

「……来ねぇな」

ガロンさんがカウンターで頬杖をついた。

「来ませんわね」

私も頬杖をついた。

店内には、私たちの溜息と、時計の針の音だけが響いている。

客足は、見事なまでにゼロだった。

「なんでだ? チラシも撒いたんだろ?」

「ええ。『王宮御用達(予定)! イケメン騎士団長も絶賛(したパンケーキがある)!』って書いたチラシを、貴族街にばら撒きました」

「詐欺スレスレじゃねぇか」

「事実は事実です」

私は店の外を覗き込んだ。

店の前を通る人はいる。

だが、みんな一様に店の看板を見て、次にガラス越しに見えるマッチョ軍団(待機中)を見て、慌てて目を逸らして早足で去っていくのだ。

「……怖がられてますね」

「そりゃそうだろ。赤熊通りの元廃墟に、黒タンクトップのゴロツキが屯(たむろ)してんだぞ。ヤクザの事務所と間違われてるんじゃねぇか?」

「失礼な。愛と健康のサンクチュアリです」

私は腕組みをして考え込んだ。

場所が悪かったか。

いや、不動産屋の親父も言っていた。「普通の商売は無理だ」と。

だが、ここで諦める私ではない。

「ガロンさん、呼び込みに行きましょう」

「へ? 俺がか?」

「ええ。その素敵な筋肉を見せつければ、お客様は磁石のように吸い寄せられるはずです」

「悲鳴上げて逃げるんじゃねぇかな……」

ガロンさんは渋々立ち上がり、店の外に出た。

ちょうどそこに、買い物かごを持った主婦が通りかかる。

ガロンさんはぎこちない笑顔(ひきつった顔)を作り、野太い声で叫んだ。

「お、奥さん! いい筋肉、ありやすぜ!」

「ヒィッ!?」

主婦はカゴを取り落としそうになりながら、脱兎のごとく逃げ出した。

「……駄目じゃねぇか、姐さん」

「言葉選びのミスですね。『いい筋肉』ではなく『美味しいパンケーキ』と言うべきでした」

「そこか?」

前途多難である。

このままでは、大量に仕入れた鶏むね肉とブロッコリーが廃棄処分になってしまう。

スタッフの賄いにするにしても、限度がある。

その時だった。

ガガガッ……ゴトッ!

店の前の通りで、大きな音がした。

見ると、一台の立派な馬車が立ち往生している。

車輪が、路面の深い窪みにハマってしまったようだ。

御者が慌てて鞭を入れるが、馬はいななくだけで動かない。

「あら、チャンス到来ですわ」

私は目を輝かせた。

「チャンス?」

「ガロンさん、岩鉄さん! 出番です! あの馬車を助けて差し上げなさい!」

「おう、そういうことなら任せな!」

男たちが店から飛び出した。

「ど、どうしよう……」

馬車の中からは、身なりの良い初老の婦人が困り果てた顔で外を覗いていた。

そこへ、黒タンクトップの男たちが群がる。

「ひっ!?」

婦人が青ざめた。

盗賊に囲まれたと思ったのだろう。

しかし、男たちは武器を構える代わりに、馬車の下に潜り込んだ。

「せーのっ、フンッ!!」

岩鉄さんの掛け声と共に、男たちの全身の筋肉が膨れ上がる。

僧帽筋が盛り上がり、上腕二頭筋が唸りを上げる。

ズズズッ……!

重たい馬車が、いとも簡単に持ち上がった。

「ええっ!?」

婦人が目を丸くする。

「よし、そのまま横にずらすぞ! 足腰を使え、腰を痛めるなよ!」

「おうッ!」

ドスン。

馬車は安全な平地に移動された。

ほんの数秒の早業である。

「だ、大丈夫ですか、奥様」

ガロンさんが、額の汗を拭いながら婦人に声をかけた。

その汗が、太陽の光を浴びてキラリと輝く。

「あ……ありがとう……ございます……」

婦人は呆然としていたが、次第にその頬がポッと赤らんだ。

「なんて……なんて力持ちなのかしら……」

彼女の視線は、ガロンさんの太い腕と、岩鉄さんの分厚い胸板に釘付けになっていた。

私はすかさず駆け寄った。

「お怪我はありませんか、マダム?」

「え、ええ。この方々が助けてくださって……」

「それは良かったです。彼らは当店の自慢のスタッフなんです。もしよろしければ、中で一休みしていきませんか? 驚いて喉が渇いたでしょう?」

私は満面の笑みで営業をかけた。

「お店……? ここは……」

婦人は看板を見上げた。

『カフェ・マッスル・パラダイス』。

怪しさ満点だ。

しかし、目の前には自分を助けてくれた、汗ばむイイ男たち。

「……お茶を、いただけるのかしら?」

「ええ、最高のお茶と、ヘルシーなスイーツがございます」

「じゃあ……少しだけ」

勝った。

私は心の中でガッツポーズをした。

「ガロンさん、『お姫様抱っこ』でエスコートして差し上げて!」

「はぁっ!? い、いいのか!?」

「マダム、足元が悪いですから。失礼いたします」

ガロンさんは戸惑いながらも、婦人を軽々と抱き上げた。

「きゃっ!」

婦人が小さく悲鳴を上げるが、その顔は満更でもなさそうだ。

むしろ、逞しい腕に包まれて、少女のような顔になっている。

「ご案内いたします」

ガロンさんは婦人を抱いたまま、店の中へと入っていった。

まるで王子様――にしては野獣すぎるが――のように。

席に下ろされた婦人は、夢見心地でほうっと息を吐いた。

「すごいわ……。私、お姫様抱っこなんて、何十年ぶりかしら……」

「ご注文はいかがなさいますか?」

私がメニューを差し出す。

「おすすめは『低糖質パンケーキ』と『ハーブティー』です」

「それを頂くわ。……あの、あの方(ガロンさん)に運んでいただけるのかしら?」

「もちろんでございます。当店は『指名制』も承っております(今決めた)」

数分後。

ガロンさんがぎこちない手つきでパンケーキを運んできた。

その太い指先が、繊細なティーカップを持つ様子は、まさに『美女と野獣』のコントラスト。

婦人はパンケーキを一口食べ、目を細めた。

「美味しい……! 甘さ控えめで、罪悪感がないわ」

「でしょう?」

「それに何より……」

婦人はチラリと厨房の方を見た。

そこでは、他のスタッフたちが小麦粉の袋を担いだり、プロテインをシェイクしたりしている。

その躍動する筋肉。

「目の保養になるわねぇ……」

婦人はうっとりと呟いた。

「主人はお腹が出ているし、最近はときめきなんて忘れていたけれど……なんだか若返った気分だわ」

「ありがとうございます! そのお言葉が何よりの報酬です!」

私は深く頷いた。

わかります、マダム。

筋肉はアンチエイジング。

筋肉は心の美容液なのです。

婦人はその後、追加でプロテインシェイク(飲みやすいココア味)も注文し、上機嫌で帰っていった。

帰り際、彼女は言った。

「来週ののお茶会、ここで開いてもよろしくて? 友人たちにも、この『素晴らしい景色』を見せてあげたいの」

「!! もちろんでございます! 貸切でも構いませんわ!」

馬車が見えなくなるまで、私たちは手を振って見送った。

「やった……やったわ……!」

私はガロンさんの背中をバシバシ叩いた。

「痛ぇよ姐さん!」

「第一号のお客様にして、太客(ふときゃく)ゲットよ! マダムの口コミ網(ネットワーク)は最強の宣伝ツールだわ!」

私は確信した。

需要はある。

隠れているだけで、世の女性たちは「癒やし」と「非日常の逞しさ」を求めているのだ。

「さあ、みんな! 明日はもっと忙しくなるわよ! パンプアップを怠らないように!」

「「イエッサー!!」」

男たちの声が弾んでいた。

こうして、『マッスル・パラダイス』は、予想外の方向から――「マダムたちの隠れ家」として、その歴史的な第一歩を踏み出したのである。

しかし、順風満帆に見えた私に、まもなく「元婚約者」という名の厄介な横槍が入ることを、浮かれた私はすっかり忘れていたのだった。
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