今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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『カフェ・マッスル・パラダイス』の開店から数日。

私の予想通り、いや予想以上に、店は奇妙な活気に包まれていた。

「いらっしゃいませぇッ!! お嬢様、こちらへどうぞッ!!」

「ヒィッ……あ、ありがとうございます……」

昼下がりの店内。

客席を埋めているのは、口コミを聞きつけた貴族の奥様や令嬢たちだ。

彼女たちは一様に、最初は怯え、次に戸惑い、最後には――。

「見て、あの店員さんの大胸筋……。お盆を乗せられそうよ」

「紅茶を注ぐ時の上腕の筋が素敵……」

と、熱っぽい視線を送って頬を染めている。

素晴らしい。

需要と供給が完全に一致している。

私はカウンターの中で、満足げに頷いた。

「順調ね。この調子なら、今月の売上で新しいベンチプレス台が買えるわ」

「姐さん、それはいいんだが……」

接客の合間に、ガロンさんが血相を変えて厨房に飛び込んできた。

「やべぇぞ。表に『不審者』がいる」

「不審者?」

「ああ。さっきから店の前をウロウロしてるデカい男だ。真っ黒なマントにサングラスで、顔を隠してやがる。同業者(ゴロツキ)か、あるいは強盗の下見かもしれねぇ」

「まあ」

私は目を細めた。

私の城を荒らす輩は許さない。

たとえ相手が誰であろうと、私の自慢のスタッフ(筋肉軍団)で返り討ちにして、そのままジムの会員(従業員)にしてやるまでだ。

「私が様子を見てきます。ガロンさんはプロテインの補充をお願い」

「き、気をつけてくれよ姐さん!」

私はエプロンを締め直し、店の外へと出た。

通りの向かい側の街路樹の陰。

そこに、その「不審者」はいた。

(……デカい)

街路樹の幹よりも太い胴体。

怪しげな黒いマント。

そして、顔の半分を覆うようなサングラス。

どう見ても不審者だ。通報レベルだ。

しかし、私はそのシルエットに見覚えがあった。

あの肩幅。

あの立ち姿の重心の低さ。

そして何より、マント越しでも伝わってくる、圧倒的な筋肉のプレッシャー。

私は忍び足で近づき、背後から声をかけた。

「お客様、入店待ちでしょうか?」

「うおっ!?」

男は飛び上がった。

その拍子にサングラスがズレる。

「……あ、いや、これは、その……」

焦ってサングラスを直そうとするその手には、見覚えのある大きな古傷。

「あら、レオナルド様ではありませんか」

「!!」

男――レオナルド様は、バツが悪そうに肩を落とした。

「……バレたか」

「バレるも何も、その体格を隠せる変装など、着ぐるみ以外に存在しませんわ」

私は呆れてため息をついた。

「どうなさったんですか? そんなコソ泥のような格好で」

「コソ泥とは心外な……。これは『お忍び』だ」

「お忍び?」

「騎士団長たる私が、昼日中にカフェでスイーツを貪っているなどと知られたら、威厳に関わるからな」

レオナルド様は真剣な顔で言った。

「部下の手前、『魔獣』のイメージを守らねばならんのだ」

「はぁ……」

なるほど。

可愛い悩みだ。

「では、他のお客様にバレないよう、奥の個室(VIP席)にご案内しますわ。どうぞ」

「すまない。恩に着る」

レオナルド様はマントの襟を立て、周囲を警戒しながら(余計に目立っていたが)店に入った。

          ◇

案内したのは、店の奥まった場所にある半個室。

元々は倉庫だったスペースを、「筋肉(スタッフ)の休憩所」兼「VIPルーム」として改装した場所だ。

「ここなら誰にも見られませんわ。ごゆっくりどうぞ」

「うむ……落ち着く空間だ」

レオナルド様は、窮屈そうに椅子に座った。

ミシミシ……と椅子が悲鳴を上げる。

「ご注文は?」

「……いつもの、アレを頼む」

「プロテインパンケーキですね」

「うむ。それと……その……」

彼は言い淀み、チラリと私を見た。

サングラスの奥の瞳が、少し泳いでいる。

「なんだろうか、今日はトレーニングでかなり消耗してな。その……カロリーが必要なんだ」

「はい」

「だから、その……上に乗っている白いフワフワしたやつ……」

「ホイップクリームですか?」

「そう! それをだ! ……『増量』してもらえないだろうか? あくまで栄養補給のためだぞ!」

必死の言い訳だ。

私は吹き出しそうになるのを堪え、真顔で頷いた。

「承知いたしました。筋肉の回復には糖分も必要ですものね。特盛りの『マッスル・マウンテン仕様』でご用意します」

「うむ。頼んだ」

数分後。

私は皿の上に、パンケーキが見えなくなるほどのクリームの塔を築き上げて運んだ。

「お待たせいたしました。『プロテインパンケーキ・生クリーム3倍増し』です」

「おお……!」

レオナルド様がサングラスを外した。

その強面が、ぱあっと輝く。

まるでクリスマスプレゼントをもらった子供のような笑顔だ。

「素晴らしい……! まさに白銀の山脈……!」

「どうぞ、溶けないうちに」

「いただく!」

彼はフォークを手に取り、豪快に、かつ繊細にパンケーキを切り分けた。

そして、たっぷりとクリームを絡めて口に運ぶ。

パクッ。

「ん~~~~ッ!!」

レオナルド様が天を仰いだ。

「うまいッ! この暴力的なまでの甘さ! 疲れた体に染み渡るようだ……!」

彼は無我夢中で食べ進める。

頬についたクリームさえ気にせず、幸せそうに咀嚼するその姿。

普段の「魔獣」と呼ばれる恐ろしさは微塵もない。

私はその様子を、トレイを持ったままじっと見守っていた。

(可愛い……)

不覚にも、ときめいてしまった。

いや、私が好きなのは筋肉だ。

彼の上腕二頭筋と広背筋だ。

けれど、このギャップはどうだろう。

鋼のような肉体を持つ男が、甘いパンケーキに頬を緩ませている。

これは新たな萌えジャンルではないか?

『甘党マッチョ』。

悪くない。いや、最高だ。

「……ふぅ」

あっという間に完食したレオナルド様は、満足げに腹をさすった。

「極上だった。……店主殿、このクリームは何を使っているんだ?」

「豆乳ベースのクリームに、低カロリー甘味料を使っています。これだけ食べても、通常のショートケーキの半分以下のカロリーですよ」

「なんと!?」

レオナルド様が驚愕した。

「そ、それでは……もう一皿食べても問題ないということか?」

「理論上は」

「おかわりを頼む!!」

「はいはい」

結局、彼は三皿のパンケーキを平らげた。

帰り際、レオナルド様は真剣な顔で私に言った。

「ウィルヘルミナ嬢。……いや、オーナー」

「はい」

「俺は決めた。……この店の『会員』になる」

「会員?」

「ああ。毎日通うという意味だ。このパンケーキがある限り、俺の筋肉(と精神)は安泰だ」

彼はニカっと笑った。

その笑顔は、サングラスなしでも眩しかった。

「ありがとうございます。では、次回からは裏口からどうぞ。専用の入り口を作っておきますから」

「気が利くな! さすがだ!」

レオナルド様は上機嫌で、再び変装をして帰っていった。

その背中を見送りながら、ガロンさんが引きつった顔で近づいてきた。

「姐さん……あいつ、本当に騎士団長か? ただの食いしん坊の熊に見えたが」

「失礼ね。彼は当店の最重要顧客(VIP)よ」

私は伝票を見つめてニヤリとした。

「それに、彼が通ってくれれば、騎士団の他の団員も釣られて来るかもしれないわ。マッチョの芋づる式よ」

「表現が怖ぇよ」

こうして、レオナルド様は『マッスル・パラダイス』の常連となった。

毎日夕方になると、裏口からコソコソと入ってきては、山盛りのパンケーキを食べて帰っていく巨大な影。

それはいつしか、スタッフの間で「森のくまさん」という隠語で呼ばれるようになるのだが、本人がそれを知る日は来ないだろう。

……そして。

平和な筋肉ライフを満喫していた私の元に、ついに「あの男」がやってくる。

私の平穏(筋肉鑑賞タイム)を乱す、最大の邪魔者が。
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