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「……ウィルヘルミナ嬢」
「はい、なんでしょう」
「……あーん、はしないでもらえないだろうか」
「あら、失礼しました。つい、餌付けするような気分で」
閉店後の『マッスル・パラダイス』。
照明を落とした薄暗い店内のVIPルーム(元倉庫)で、私とレオナルド様は向かい合っていた。
テーブルの上には、本日四皿目のプロテインパンケーキ。
そして、それをフォークで突き出し、レオナルド様の口元に運ぼうとしている私。
「自分で食べられる。子供扱いしないでくれ」
レオナルド様は少し顔を赤らめ、私の手からフォークを奪い取った。
「残念ですわ。上腕二頭筋が収縮する様を、至近距離(ゼロ距離)で観察するチャンスでしたのに」
「……やはり、目的はそっちか」
レオナルド様は呆れたようにため息をつき、パンケーキを口に運んだ。
もぐもぐと咀嚼する頬が可愛い。
リスのようだ。いや、サイズ的にはヒグマだが。
「しかし、貴女という人は……本当に変わっているな」
レオナルド様は不意に、真面目なトーンで言った。
「俺の顔を見ても悲鳴を上げないどころか、身体中をじろじろと見てくる。……俺のこの傷や、化け物のような図体が怖くないのか?」
彼は左頬の古傷を指でなぞった。
コンプレックスなのだろう。
私は即答した。
「全く。むしろ、その傷は大胸筋への視線誘導(アイキャッチ)として最高です」
「……は?」
「それに、その図体とおっしゃいますが、それは日々の鍛錬の賜物(結晶)でしょう? 重い鎧を着て、剣を振り続けた歴史そのものです。美しい以外の言葉が見つかりません」
「う、美しい……?」
レオナルド様が目を白黒させる。
「ええ。美術品を見て『怖い』と言う人がいますか? ルーブル……いえ、王立美術館の彫像と同じです。貴方の筋肉は、国宝級のアートなのです!」
私は熱弁を振るった。
机をバン! と叩き、身を乗り出す。
「特に素晴らしいのが、その僧帽筋(首の横の筋肉)の盛り上がり! そこになら住めます! テントを張ってキャンプができます!」
「いや、住めないと思うが……」
「そして前腕の血管! まるで大河の支流のよう! ああ、その血管に沿って地図を描きたい!」
「……」
レオナルド様はポカンと口を開けていたが、やがて「くっ、くくっ……」と肩を震わせ始めた。
そして、低い声で笑い出した。
「はははッ! 筋肉に住む、か。そんなことを言われたのは初めてだ」
「笑い事ではありません。私は至って真剣です」
「ああ、分かっている。……貴女の目は、いつだって真剣だ」
彼は笑い収めると、穏やかな瞳で私を見つめた。
その眼差しに、私の心臓がトクンと跳ねる。
「貴女は……不思議な人だ。俺の中身(筋肉)ばかり見ているようで、実は誰よりも俺自身(・・・)を見てくれている気がする」
「え?」
「俺を『魔獣』とも『騎士団長』とも呼ばず、ただの『筋肉ダルマ』として扱ってくれる。……それが、これほど心地よいとはな」
「筋肉ダルマは褒め言葉ですので」
「ああ、今はそう受け取っておこう」
レオナルド様は、最後のパンケーキを飲み込み、ナプキンで口を拭った。
「ウィルヘルミナ嬢。……いや、ミーナ」
不意に名前を呼ばれた。
「は、はい」
「貴女は、なぜそこまで筋肉に執着するんだ? やはり、何かきっかけが?」
彼は探るような目をした。
私は少し考え、正直に答えることにした。
「……裏切らないからです」
「裏切らない?」
「ええ。言葉は嘘をつきます。愛だの恋だの、永遠だの……口先だけでなら、いくらでも綺麗な言葉を紡げますわ」
脳裏に、元婚約者・セドリック殿下の顔がよぎる。
『愛しているよ、ミーナ』と言いながら、裏ではリリィ様といちゃついていたあの薄っぺらい男。
「でも、筋肉は違います。筋肉は、トレーニングした分だけ応えてくれます。サボれば落ちるし、頑張ればつく。嘘をつきません」
私は自分の拳を握りしめた。
「努力がそのまま形になる。それが筋肉です。だから私は、鍛え上げられた肉体を見ると安心するのです。『ああ、この人は自分に嘘をつかない人だ』と」
「……なるほど」
レオナルド様は深く頷いた。
「確かに、剣の道も同じだ。一日怠れば己が知り、二日怠れば敵が知る」
「でしょう? だからレオナルド様、貴方のその身体は、貴方がどれほど誠実に生きてきたかの証明書なのです。私が貴方を信頼するのは、言葉ではなく、その上腕三頭筋が真実を語っているからです」
少し熱くなりすぎただろうか。
私はハッとして口をつぐんだ。
「……なんて、ただのフェチの言い訳ですけれど」
照れ隠しに笑おうとした時だった。
ガシッ。
レオナルド様の大きく、温かい手が、テーブル越しに私の手を包み込んだ。
「!!」
「……嬉しいな」
彼は真っ直ぐに私を見ていた。
サングラスを外したその瞳は、吸い込まれそうなほど深い碧色(あお)だった。
「俺の筋肉(これ)が、貴女の信頼に足るものだと言ってくれるなら……俺は、一生鍛え続けよう」
「え……?」
「貴女に失望されたくない。貴女の前では、常に最高の『証明書』でありたいと思う」
それって。
それって、つまり。
『一生、貴女のために筋肉を維持します』=『一生、貴女のそばにいます』という意味に取ってもよろしいのでしょうか!?
私の脳内回路がショート寸前になる。
顔が熱い。
心拍数が有酸素運動時並みに上がっている。
「レ、レオナルド様……それは、その……」
「ん? どうした? 顔が赤いぞ」
「……プロテインの飲み過ぎかもしれません」
「プロテインで酔うのか?」
彼は鈍感だった。
天然記念物級の鈍感マッチョだった。
「はぁ……」
私はがっくりと項垂れたが、握られた手の温かさは心地よかった。
「とにかく、契約更新です」
「契約?」
「はい。これからも毎日、その筋肉を見せに来てください。その代わり、パンケーキは一生サービスします」
「本当か!? 一生か!?」
「ええ、一生です(私の寿命が尽きるか、貴方の筋肉が衰えるまで)」
「約束だぞ!」
レオナルド様は子供のように指切りを求めてきた。
その小指の太さが、私の親指くらいある。
私たちは指切りをした。
太い指と、細い指が絡み合う。
「指切りげんまん、嘘ついたら……スクワット一万回」
「厳しいな!」
レオナルド様が笑い、私もつられて笑った。
穏やかな夜。
甘いパンケーキの香りと、頼もしい筋肉の気配。
この幸せがずっと続けばいい。
本気でそう思っていた。
――だが。
神様は(あるいは作者は)、そう簡単に平穏を与えてはくれないらしい。
翌日。
私の店に、とんでもない「珍客」が訪れることになる。
それは、私が最も会いたくなかった人物の「新しい恋人」だった。
「はい、なんでしょう」
「……あーん、はしないでもらえないだろうか」
「あら、失礼しました。つい、餌付けするような気分で」
閉店後の『マッスル・パラダイス』。
照明を落とした薄暗い店内のVIPルーム(元倉庫)で、私とレオナルド様は向かい合っていた。
テーブルの上には、本日四皿目のプロテインパンケーキ。
そして、それをフォークで突き出し、レオナルド様の口元に運ぼうとしている私。
「自分で食べられる。子供扱いしないでくれ」
レオナルド様は少し顔を赤らめ、私の手からフォークを奪い取った。
「残念ですわ。上腕二頭筋が収縮する様を、至近距離(ゼロ距離)で観察するチャンスでしたのに」
「……やはり、目的はそっちか」
レオナルド様は呆れたようにため息をつき、パンケーキを口に運んだ。
もぐもぐと咀嚼する頬が可愛い。
リスのようだ。いや、サイズ的にはヒグマだが。
「しかし、貴女という人は……本当に変わっているな」
レオナルド様は不意に、真面目なトーンで言った。
「俺の顔を見ても悲鳴を上げないどころか、身体中をじろじろと見てくる。……俺のこの傷や、化け物のような図体が怖くないのか?」
彼は左頬の古傷を指でなぞった。
コンプレックスなのだろう。
私は即答した。
「全く。むしろ、その傷は大胸筋への視線誘導(アイキャッチ)として最高です」
「……は?」
「それに、その図体とおっしゃいますが、それは日々の鍛錬の賜物(結晶)でしょう? 重い鎧を着て、剣を振り続けた歴史そのものです。美しい以外の言葉が見つかりません」
「う、美しい……?」
レオナルド様が目を白黒させる。
「ええ。美術品を見て『怖い』と言う人がいますか? ルーブル……いえ、王立美術館の彫像と同じです。貴方の筋肉は、国宝級のアートなのです!」
私は熱弁を振るった。
机をバン! と叩き、身を乗り出す。
「特に素晴らしいのが、その僧帽筋(首の横の筋肉)の盛り上がり! そこになら住めます! テントを張ってキャンプができます!」
「いや、住めないと思うが……」
「そして前腕の血管! まるで大河の支流のよう! ああ、その血管に沿って地図を描きたい!」
「……」
レオナルド様はポカンと口を開けていたが、やがて「くっ、くくっ……」と肩を震わせ始めた。
そして、低い声で笑い出した。
「はははッ! 筋肉に住む、か。そんなことを言われたのは初めてだ」
「笑い事ではありません。私は至って真剣です」
「ああ、分かっている。……貴女の目は、いつだって真剣だ」
彼は笑い収めると、穏やかな瞳で私を見つめた。
その眼差しに、私の心臓がトクンと跳ねる。
「貴女は……不思議な人だ。俺の中身(筋肉)ばかり見ているようで、実は誰よりも俺自身(・・・)を見てくれている気がする」
「え?」
「俺を『魔獣』とも『騎士団長』とも呼ばず、ただの『筋肉ダルマ』として扱ってくれる。……それが、これほど心地よいとはな」
「筋肉ダルマは褒め言葉ですので」
「ああ、今はそう受け取っておこう」
レオナルド様は、最後のパンケーキを飲み込み、ナプキンで口を拭った。
「ウィルヘルミナ嬢。……いや、ミーナ」
不意に名前を呼ばれた。
「は、はい」
「貴女は、なぜそこまで筋肉に執着するんだ? やはり、何かきっかけが?」
彼は探るような目をした。
私は少し考え、正直に答えることにした。
「……裏切らないからです」
「裏切らない?」
「ええ。言葉は嘘をつきます。愛だの恋だの、永遠だの……口先だけでなら、いくらでも綺麗な言葉を紡げますわ」
脳裏に、元婚約者・セドリック殿下の顔がよぎる。
『愛しているよ、ミーナ』と言いながら、裏ではリリィ様といちゃついていたあの薄っぺらい男。
「でも、筋肉は違います。筋肉は、トレーニングした分だけ応えてくれます。サボれば落ちるし、頑張ればつく。嘘をつきません」
私は自分の拳を握りしめた。
「努力がそのまま形になる。それが筋肉です。だから私は、鍛え上げられた肉体を見ると安心するのです。『ああ、この人は自分に嘘をつかない人だ』と」
「……なるほど」
レオナルド様は深く頷いた。
「確かに、剣の道も同じだ。一日怠れば己が知り、二日怠れば敵が知る」
「でしょう? だからレオナルド様、貴方のその身体は、貴方がどれほど誠実に生きてきたかの証明書なのです。私が貴方を信頼するのは、言葉ではなく、その上腕三頭筋が真実を語っているからです」
少し熱くなりすぎただろうか。
私はハッとして口をつぐんだ。
「……なんて、ただのフェチの言い訳ですけれど」
照れ隠しに笑おうとした時だった。
ガシッ。
レオナルド様の大きく、温かい手が、テーブル越しに私の手を包み込んだ。
「!!」
「……嬉しいな」
彼は真っ直ぐに私を見ていた。
サングラスを外したその瞳は、吸い込まれそうなほど深い碧色(あお)だった。
「俺の筋肉(これ)が、貴女の信頼に足るものだと言ってくれるなら……俺は、一生鍛え続けよう」
「え……?」
「貴女に失望されたくない。貴女の前では、常に最高の『証明書』でありたいと思う」
それって。
それって、つまり。
『一生、貴女のために筋肉を維持します』=『一生、貴女のそばにいます』という意味に取ってもよろしいのでしょうか!?
私の脳内回路がショート寸前になる。
顔が熱い。
心拍数が有酸素運動時並みに上がっている。
「レ、レオナルド様……それは、その……」
「ん? どうした? 顔が赤いぞ」
「……プロテインの飲み過ぎかもしれません」
「プロテインで酔うのか?」
彼は鈍感だった。
天然記念物級の鈍感マッチョだった。
「はぁ……」
私はがっくりと項垂れたが、握られた手の温かさは心地よかった。
「とにかく、契約更新です」
「契約?」
「はい。これからも毎日、その筋肉を見せに来てください。その代わり、パンケーキは一生サービスします」
「本当か!? 一生か!?」
「ええ、一生です(私の寿命が尽きるか、貴方の筋肉が衰えるまで)」
「約束だぞ!」
レオナルド様は子供のように指切りを求めてきた。
その小指の太さが、私の親指くらいある。
私たちは指切りをした。
太い指と、細い指が絡み合う。
「指切りげんまん、嘘ついたら……スクワット一万回」
「厳しいな!」
レオナルド様が笑い、私もつられて笑った。
穏やかな夜。
甘いパンケーキの香りと、頼もしい筋肉の気配。
この幸せがずっと続けばいい。
本気でそう思っていた。
――だが。
神様は(あるいは作者は)、そう簡単に平穏を与えてはくれないらしい。
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