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「――それでですね、昨日の夜会でも、セドリック様ったら酷いんです!」
昼下がりの『カフェ・マッスル・パラダイス』。
カウンターの端席(指定席)で、リリィ様がフォークを片手に憤慨していた。
その目の前には、本日二皿目の『特製マッスル・ローストビーフ丼(米抜き・肉増し)』が鎮座している。
「ほう、昨日は何を?」
私はグラスを磨きながら、相槌を打つ。
すっかり常連……というより、もはや「住人」と化しているリリィ様との会話は、最近の日課になっていた。
「『君のドレスの赤は、僕の情熱の炎には勝てないけれど』って言いながら、私のドレスの裾を踏んづけたんですよ!? おかげで転びそうになって、手に持っていたカナッペを落としちゃったんです!」
「まあ、それは大罪(ギルティ)ですね」
「でしょう!? あの海老のカナッペ、すごく美味しそうだったのに……!」
リリィ様が悔しそうにローストビーフを噛みちぎる。
彼女にとって、ドレスの汚れよりもカナッペの喪失の方が重大らしい。
「それに、最近は『ミーナの呪いかもしれない』とか言い出して……」
「呪い?」
「はい。『僕の完璧な計画が狂うのは、悪女ミーナが黒魔術を使っているからに違いない』って。……自分の手際が悪いだけなのに」
「ふふっ、光栄ですわ。私の筋肉(じつりょく)を黒魔術と勘違いされるなんて」
私はクスクスと笑った。
この店に通うようになってから、リリィ様は随分と逞しくなった。
最初はオドオドしていた小動物のような瞳も、今では「肉を狙う狩人」のような鋭さを帯びている。
「それにしても、ミーナ様」
リリィ様がふと手を止め、店内を見渡した。
「このお店、本当に居心地がいいですね。……王城より、ずっと息がしやすいです」
「それは良かったです。マイナスイオンと、フェロモン(男気)が充満していますから」
「ふふっ。……あ、噂の『熊さん』が来ましたよ」
リリィ様の視線の先。
裏口のドアがギイィ……と開き、巨大な影が入ってきた。
目深に被ったフード、サングラス、そして隠しきれない筋肉の鎧。
レオナルド様だ。
「お、お邪魔する……」
彼はコソコソと入店し、私の姿を見つけると安堵の息を吐いた。
「いらっしゃいませ、レオナルド様。今日も『隠密行動(バレバレ)』お疲れ様です」
「うむ。……今日はいつもの席(VIPルーム)は空いているか?」
「ええ、空いていますが……今日は先客がお一人」
私はチラリとリリィ様を見た。
レオナルド様がサングラス越しに彼女を見る。
そして、ビクッ! と身体を強張らせた。
「そ、その髪色は……まさか、男爵令嬢のリリィ嬢か!?」
「ひっ!?」
リリィ様も、巨大な不審者(レオナルド様)に怯えてスプーンを取り落とした。
「き、騎士団長様……!?」
「し、静かに! 声が大きい!」
レオナルド様は慌てて人差し指を口に当てた。
その拍子に、二の腕の筋肉が盛り上がり、着ていたシャツの縫い目がピチッと悲鳴を上げる。
「な、なぜここに……? ここは危険だぞ、お嬢さん!」
「き、危険……?」
「ああ。ここは魔境だ。一度足を踏み入れたら、胃袋と常識を掴まれて抜け出せなくなる……!」
レオナルド様は真剣な顔で言った。
私は思わず吹き出した。
「レオナルド様、営業妨害ですわ。それに、リリィ様はもう手遅れ(常連)です」
「え?」
レオナルド様がリリィ様の皿を見る。
山盛りのローストビーフ。
そして、リリィ様の口の周りについた肉汁(ソース)。
「……同志か」
レオナルド様が呟いた。
「はい……お肉の、虜です」
リリィ様がおずおずと頷く。
その瞬間、二人の間に奇妙な連帯感が生まれたようだった。
「……そうか。ならば、相席でも構わんか?」
「は、はい。どうぞ……」
こうして、世にも奇妙な『お茶会』が始まった。
メンバーは、悪役令嬢(店主)、ヒロイン(大食い)、騎士団長(甘党の熊)。
普通なら国が傾くような組み合わせだ。
「――それで、そのパンケーキは美味しいのですか?」
「うむ、絶品だ。このクリームの海に溺れたくなる」
「一口、いいですか?」
「……む。一口だけだぞ。その代わり、そのローストビーフを一枚所望する」
「……交換条件ですね。いいでしょう」
驚くべきことに、リリィ様とレオナルド様はすぐに打ち解けた。
『食』という共通言語は、身分や立場の壁を軽々と超えるらしい。
小柄なリリィ様と、巨漢のレオナルド様が、スイーツとお肉を交換し合っている光景は、まるで『森のくまさんとリス』の童話のようだ。
(尊い……)
私はカウンターからその様子を眺め、至福の溜息をついた。
私の城(カフェ)で、かつての敵と、憧れの筋肉が仲良く談笑している。
これ以上の幸せがあるだろうか。
「平和ねぇ……」
ガロンさんが隣で呟いた。
「ああ、平和ね。一生この時間が続けばいいのに」
そう私が答えた、まさにその時だった。
バンッ!!!
店の入り口の扉が、乱暴に開け放たれた。
「見つけたぞ!! ウィルヘルミナァァァッ!!」
店内の空気が凍りついた。
その場にいた全員の視線が、入り口に集中する。
そこに立っていたのは、金髪をなびかせ、派手な服を着た細身の男。
背後には、困惑顔の近衛兵を数名従えている。
「セ、セドリック殿下!?」
リリィ様が小声で悲鳴を上げた。
そう、平和の破壊者。
元婚約者、セドリック王子の登場である。
「ふはははは! やはりここか! 薄暗い路地裏、怪しげな看板! 貴様が隠れるにはお誂え向きの場所だな!」
王子はカツカツと靴音を鳴らし、店内に踏み込んできた。
客席の貴婦人たちが「キャーッ、王子様よ!」「でも何しに来たの?」とざわめく。
私はため息をつき、布巾を置いた。
(本当に来たわね……。しかも、一番忙しいランチタイムに)
私はカウンターを出て、王子の前に立ちはだかった。
「いらっしゃいませ、セドリック殿下。ご予約は?」
「予約などあるか! 今日は貴様の悪事を暴きに来たのだ!」
「悪事?」
「とぼけるな! リリィが行方不明になっていると聞いた! 貴様が拐(かどわ)かして、この薄汚いアジトに監禁しているのだろう!」
王子はビシッと私を指さした。
その指の細さに、私は「カルシウム不足ね」と冷静に診断する。
「人聞きの悪い。リリィ様なら、そこにいらっしゃいますけれど?」
私は親指で背後を指した。
「え?」
王子が視線を移す。
そこには、口いっぱいにパンケーキを頬張り、レオナルド様の巨大な背中の影に隠れようとしているリリィ様の姿があった。
「リ、リリィ!? 無事だったのか!」
王子が駆け寄ろうとする。
「むぐっ!?」
リリィ様は慌てて飲み込み、「来ないで」と言いたげに首を振ったが、王子には通じない。
「可哀想に……! こんなむさ苦しい店に閉じ込められて、恐怖で声も出ないんだね!」
「いえ、パンケーキが喉に……」
「安心したまえ! 僕が今すぐ助け出してあげるからね!」
王子はリリィ様の手を取ろうとした。
その時。
ヌゥ……と。
リリィ様の隣に座っていた「黒い山」が立ち上がった。
「……殿下。お控えください」
低い、地響きのような声。
レオナルド様だ。
サングラスをしたままの彼は、その巨体で王子の前に立ちはだかった。
「ひいっ!?」
王子が悲鳴を上げて後ずさる。
「な、なんだ貴様は!? この店の用心棒か!? さてはミーナの手下のゴロツキだな!」
「……」
レオナルド様はサングラスを外そうとしたが、私が目配せで止めた。
(まだ正体を明かすのは早いですわ、レオナルド様。もう少し遊びましょう)
(……悪趣味だな、店主殿)
レオナルド様は肩をすくめると、サングラスのまま腕組みをした。
その上腕二頭筋が、威圧的に膨れ上がる。
「リリィ嬢は、食事を楽しんでおられる。邪魔をするのは無粋というもの」
「な、生意気な! 衛兵! この筋肉ダルマを排除しろ!」
王子が叫ぶが、近衛兵たちは動けない。
彼らもまた、目の前の男から放たれる「只者ではないオーラ(覇気)」に気圧されているのだ。
「ええい、役立たず共め!」
王子は地団駄を踏んだ。
そして、再び私に向き直る。
「ウィルヘルミナ! 貴様、こんなゴロツキを集めて、一体何を企んでいる! 国家転覆か!? それとも黒魔術の儀式か!?」
「いいえ。カフェ経営です」
「嘘をつけ! カフェの店員が全員タンクトップでマッチョなわけがあるか!」
「それがコンセプトですので」
「ふざけるな! 大体なんだ、その店の名前は! 『マッスル・パラダイス』だと? 品性のかけらもない!」
王子は言いたい放題だ。
私の眉間の血管が、ピクリと反応した。
私の店を。
私の愛するスタッフ(筋肉)たちを。
そして私の夢を、侮辱したわね?
「……殿下」
私は一歩踏み出した。
笑顔だが、目は笑っていない自信がある。
「お客様、他のお客様のご迷惑になります。お引き取り願えますか?」
「はっ! 誰が帰るか! リリィを返してもらうまでは……」
「強制退場(つまみだ)しますよ?」
私はパチンと指を鳴らした。
その合図と共に。
「へい、姐さん!」
「おうッ!」
厨房から、ガロンさん、岩鉄さん、その他スタッフ総勢8名が、武器(フライパンやおたま)を持って飛び出してきた。
全員、筋肉隆々のタンクトップ姿。
彼らは王子の周りをぐるりと取り囲んだ。
「ひっ……!」
王子が小さくなった。
「い、いつの間に……!?」
「当店自慢の『マッスル・ウォール(筋肉の壁)』です。防音性・遮断性に優れております」
私は冷ややかに告げた。
「さあ、殿下。ご自分の足でお帰りになりますか? それとも、彼らの手によって『空の旅(フライ・アウェイ)』をお楽しみになりますか?」
ガロンさんがボキボキと指を鳴らす。
岩鉄さんがニカッと笑う。
王子の顔色が、青を通り越して白になった。
「お、覚えてろよウィルヘルミナ! この屈辱、必ず晴らしてやるからな! リリィ、待っていてくれ! 必ず軍隊を連れて助けに来るから!」
捨て台詞を残し、王子は近衛兵を押しのけて逃げ出した。
その背中は、かつてないほど小さく、そして情けなかった。
「……行ったか」
レオナルド様がサングラスを外した。
「やれやれ、騒がしい男だ」
「ごめんなさい……ミーナ様、レオナルド様……」
リリィ様が申し訳なさそうに縮こまる。
「私のせいで……」
「いいえ、リリィ様のせいではありません。あの方の『想像力』と『被害妄想』が豊かすぎるだけです」
私はニッコリと笑った。
「それに、ちょうどいい宣伝になりましたわ」
「宣伝?」
「ええ。『王子ですら尻尾を巻いて逃げる店』。最高にクールなキャッチコピーじゃありませんか」
店内から、ドッと笑いが起きた。
客たちも、このコントのような騒動を楽しんでいたようだ。
こうして、王子の「初襲撃」は、私の完全勝利(と筋肉による威圧)で幕を閉じた。
だが、私は知っていた。
あの王子は、馬鹿だが諦めは悪い。
次はもっと面倒な手を使ってくるだろう。
そして、その時こそ――この店最強のカード、『魔獣』レオナルド様の出番となるはずだ。
私はチラリとレオナルド様を見た。
彼はリリィ様に「ほら、食後の茶だ」と優しく紅茶を注いでいる。
(……ふふっ。頼もしい用心棒がいるから、まあ大丈夫かしら)
嵐の予感は去っていないが、とりあえず今は、この奇妙で温かいティータイムを楽しむことにしよう。
マッスル・パラダイスの伝説は、まだ始まったばかりなのだから。
昼下がりの『カフェ・マッスル・パラダイス』。
カウンターの端席(指定席)で、リリィ様がフォークを片手に憤慨していた。
その目の前には、本日二皿目の『特製マッスル・ローストビーフ丼(米抜き・肉増し)』が鎮座している。
「ほう、昨日は何を?」
私はグラスを磨きながら、相槌を打つ。
すっかり常連……というより、もはや「住人」と化しているリリィ様との会話は、最近の日課になっていた。
「『君のドレスの赤は、僕の情熱の炎には勝てないけれど』って言いながら、私のドレスの裾を踏んづけたんですよ!? おかげで転びそうになって、手に持っていたカナッペを落としちゃったんです!」
「まあ、それは大罪(ギルティ)ですね」
「でしょう!? あの海老のカナッペ、すごく美味しそうだったのに……!」
リリィ様が悔しそうにローストビーフを噛みちぎる。
彼女にとって、ドレスの汚れよりもカナッペの喪失の方が重大らしい。
「それに、最近は『ミーナの呪いかもしれない』とか言い出して……」
「呪い?」
「はい。『僕の完璧な計画が狂うのは、悪女ミーナが黒魔術を使っているからに違いない』って。……自分の手際が悪いだけなのに」
「ふふっ、光栄ですわ。私の筋肉(じつりょく)を黒魔術と勘違いされるなんて」
私はクスクスと笑った。
この店に通うようになってから、リリィ様は随分と逞しくなった。
最初はオドオドしていた小動物のような瞳も、今では「肉を狙う狩人」のような鋭さを帯びている。
「それにしても、ミーナ様」
リリィ様がふと手を止め、店内を見渡した。
「このお店、本当に居心地がいいですね。……王城より、ずっと息がしやすいです」
「それは良かったです。マイナスイオンと、フェロモン(男気)が充満していますから」
「ふふっ。……あ、噂の『熊さん』が来ましたよ」
リリィ様の視線の先。
裏口のドアがギイィ……と開き、巨大な影が入ってきた。
目深に被ったフード、サングラス、そして隠しきれない筋肉の鎧。
レオナルド様だ。
「お、お邪魔する……」
彼はコソコソと入店し、私の姿を見つけると安堵の息を吐いた。
「いらっしゃいませ、レオナルド様。今日も『隠密行動(バレバレ)』お疲れ様です」
「うむ。……今日はいつもの席(VIPルーム)は空いているか?」
「ええ、空いていますが……今日は先客がお一人」
私はチラリとリリィ様を見た。
レオナルド様がサングラス越しに彼女を見る。
そして、ビクッ! と身体を強張らせた。
「そ、その髪色は……まさか、男爵令嬢のリリィ嬢か!?」
「ひっ!?」
リリィ様も、巨大な不審者(レオナルド様)に怯えてスプーンを取り落とした。
「き、騎士団長様……!?」
「し、静かに! 声が大きい!」
レオナルド様は慌てて人差し指を口に当てた。
その拍子に、二の腕の筋肉が盛り上がり、着ていたシャツの縫い目がピチッと悲鳴を上げる。
「な、なぜここに……? ここは危険だぞ、お嬢さん!」
「き、危険……?」
「ああ。ここは魔境だ。一度足を踏み入れたら、胃袋と常識を掴まれて抜け出せなくなる……!」
レオナルド様は真剣な顔で言った。
私は思わず吹き出した。
「レオナルド様、営業妨害ですわ。それに、リリィ様はもう手遅れ(常連)です」
「え?」
レオナルド様がリリィ様の皿を見る。
山盛りのローストビーフ。
そして、リリィ様の口の周りについた肉汁(ソース)。
「……同志か」
レオナルド様が呟いた。
「はい……お肉の、虜です」
リリィ様がおずおずと頷く。
その瞬間、二人の間に奇妙な連帯感が生まれたようだった。
「……そうか。ならば、相席でも構わんか?」
「は、はい。どうぞ……」
こうして、世にも奇妙な『お茶会』が始まった。
メンバーは、悪役令嬢(店主)、ヒロイン(大食い)、騎士団長(甘党の熊)。
普通なら国が傾くような組み合わせだ。
「――それで、そのパンケーキは美味しいのですか?」
「うむ、絶品だ。このクリームの海に溺れたくなる」
「一口、いいですか?」
「……む。一口だけだぞ。その代わり、そのローストビーフを一枚所望する」
「……交換条件ですね。いいでしょう」
驚くべきことに、リリィ様とレオナルド様はすぐに打ち解けた。
『食』という共通言語は、身分や立場の壁を軽々と超えるらしい。
小柄なリリィ様と、巨漢のレオナルド様が、スイーツとお肉を交換し合っている光景は、まるで『森のくまさんとリス』の童話のようだ。
(尊い……)
私はカウンターからその様子を眺め、至福の溜息をついた。
私の城(カフェ)で、かつての敵と、憧れの筋肉が仲良く談笑している。
これ以上の幸せがあるだろうか。
「平和ねぇ……」
ガロンさんが隣で呟いた。
「ああ、平和ね。一生この時間が続けばいいのに」
そう私が答えた、まさにその時だった。
バンッ!!!
店の入り口の扉が、乱暴に開け放たれた。
「見つけたぞ!! ウィルヘルミナァァァッ!!」
店内の空気が凍りついた。
その場にいた全員の視線が、入り口に集中する。
そこに立っていたのは、金髪をなびかせ、派手な服を着た細身の男。
背後には、困惑顔の近衛兵を数名従えている。
「セ、セドリック殿下!?」
リリィ様が小声で悲鳴を上げた。
そう、平和の破壊者。
元婚約者、セドリック王子の登場である。
「ふはははは! やはりここか! 薄暗い路地裏、怪しげな看板! 貴様が隠れるにはお誂え向きの場所だな!」
王子はカツカツと靴音を鳴らし、店内に踏み込んできた。
客席の貴婦人たちが「キャーッ、王子様よ!」「でも何しに来たの?」とざわめく。
私はため息をつき、布巾を置いた。
(本当に来たわね……。しかも、一番忙しいランチタイムに)
私はカウンターを出て、王子の前に立ちはだかった。
「いらっしゃいませ、セドリック殿下。ご予約は?」
「予約などあるか! 今日は貴様の悪事を暴きに来たのだ!」
「悪事?」
「とぼけるな! リリィが行方不明になっていると聞いた! 貴様が拐(かどわ)かして、この薄汚いアジトに監禁しているのだろう!」
王子はビシッと私を指さした。
その指の細さに、私は「カルシウム不足ね」と冷静に診断する。
「人聞きの悪い。リリィ様なら、そこにいらっしゃいますけれど?」
私は親指で背後を指した。
「え?」
王子が視線を移す。
そこには、口いっぱいにパンケーキを頬張り、レオナルド様の巨大な背中の影に隠れようとしているリリィ様の姿があった。
「リ、リリィ!? 無事だったのか!」
王子が駆け寄ろうとする。
「むぐっ!?」
リリィ様は慌てて飲み込み、「来ないで」と言いたげに首を振ったが、王子には通じない。
「可哀想に……! こんなむさ苦しい店に閉じ込められて、恐怖で声も出ないんだね!」
「いえ、パンケーキが喉に……」
「安心したまえ! 僕が今すぐ助け出してあげるからね!」
王子はリリィ様の手を取ろうとした。
その時。
ヌゥ……と。
リリィ様の隣に座っていた「黒い山」が立ち上がった。
「……殿下。お控えください」
低い、地響きのような声。
レオナルド様だ。
サングラスをしたままの彼は、その巨体で王子の前に立ちはだかった。
「ひいっ!?」
王子が悲鳴を上げて後ずさる。
「な、なんだ貴様は!? この店の用心棒か!? さてはミーナの手下のゴロツキだな!」
「……」
レオナルド様はサングラスを外そうとしたが、私が目配せで止めた。
(まだ正体を明かすのは早いですわ、レオナルド様。もう少し遊びましょう)
(……悪趣味だな、店主殿)
レオナルド様は肩をすくめると、サングラスのまま腕組みをした。
その上腕二頭筋が、威圧的に膨れ上がる。
「リリィ嬢は、食事を楽しんでおられる。邪魔をするのは無粋というもの」
「な、生意気な! 衛兵! この筋肉ダルマを排除しろ!」
王子が叫ぶが、近衛兵たちは動けない。
彼らもまた、目の前の男から放たれる「只者ではないオーラ(覇気)」に気圧されているのだ。
「ええい、役立たず共め!」
王子は地団駄を踏んだ。
そして、再び私に向き直る。
「ウィルヘルミナ! 貴様、こんなゴロツキを集めて、一体何を企んでいる! 国家転覆か!? それとも黒魔術の儀式か!?」
「いいえ。カフェ経営です」
「嘘をつけ! カフェの店員が全員タンクトップでマッチョなわけがあるか!」
「それがコンセプトですので」
「ふざけるな! 大体なんだ、その店の名前は! 『マッスル・パラダイス』だと? 品性のかけらもない!」
王子は言いたい放題だ。
私の眉間の血管が、ピクリと反応した。
私の店を。
私の愛するスタッフ(筋肉)たちを。
そして私の夢を、侮辱したわね?
「……殿下」
私は一歩踏み出した。
笑顔だが、目は笑っていない自信がある。
「お客様、他のお客様のご迷惑になります。お引き取り願えますか?」
「はっ! 誰が帰るか! リリィを返してもらうまでは……」
「強制退場(つまみだ)しますよ?」
私はパチンと指を鳴らした。
その合図と共に。
「へい、姐さん!」
「おうッ!」
厨房から、ガロンさん、岩鉄さん、その他スタッフ総勢8名が、武器(フライパンやおたま)を持って飛び出してきた。
全員、筋肉隆々のタンクトップ姿。
彼らは王子の周りをぐるりと取り囲んだ。
「ひっ……!」
王子が小さくなった。
「い、いつの間に……!?」
「当店自慢の『マッスル・ウォール(筋肉の壁)』です。防音性・遮断性に優れております」
私は冷ややかに告げた。
「さあ、殿下。ご自分の足でお帰りになりますか? それとも、彼らの手によって『空の旅(フライ・アウェイ)』をお楽しみになりますか?」
ガロンさんがボキボキと指を鳴らす。
岩鉄さんがニカッと笑う。
王子の顔色が、青を通り越して白になった。
「お、覚えてろよウィルヘルミナ! この屈辱、必ず晴らしてやるからな! リリィ、待っていてくれ! 必ず軍隊を連れて助けに来るから!」
捨て台詞を残し、王子は近衛兵を押しのけて逃げ出した。
その背中は、かつてないほど小さく、そして情けなかった。
「……行ったか」
レオナルド様がサングラスを外した。
「やれやれ、騒がしい男だ」
「ごめんなさい……ミーナ様、レオナルド様……」
リリィ様が申し訳なさそうに縮こまる。
「私のせいで……」
「いいえ、リリィ様のせいではありません。あの方の『想像力』と『被害妄想』が豊かすぎるだけです」
私はニッコリと笑った。
「それに、ちょうどいい宣伝になりましたわ」
「宣伝?」
「ええ。『王子ですら尻尾を巻いて逃げる店』。最高にクールなキャッチコピーじゃありませんか」
店内から、ドッと笑いが起きた。
客たちも、このコントのような騒動を楽しんでいたようだ。
こうして、王子の「初襲撃」は、私の完全勝利(と筋肉による威圧)で幕を閉じた。
だが、私は知っていた。
あの王子は、馬鹿だが諦めは悪い。
次はもっと面倒な手を使ってくるだろう。
そして、その時こそ――この店最強のカード、『魔獣』レオナルド様の出番となるはずだ。
私はチラリとレオナルド様を見た。
彼はリリィ様に「ほら、食後の茶だ」と優しく紅茶を注いでいる。
(……ふふっ。頼もしい用心棒がいるから、まあ大丈夫かしら)
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