今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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「いらっしゃいませぇッ!! ご注文はお決まりでしょうかぁッ!!」

「声がデカいですわ、リリィちゃん。そこは腹式呼吸ではなく、もっと可愛らしく」

「は、はいっ! いらっしゃいませ♡ ご注文は肉ですか? それとも筋肉ですか?」

「メニューを聞いてください」

『カフェ・マッスル・パラダイス』の開店前。

店内では、新人スタッフの研修が行われていた。

その新人とは、先日まで「悲劇のヒロイン」として王宮で名を馳せていた、男爵令嬢リリィ様だ。

彼女は今、フリルのついた可愛らしいエプロンドレスに身を包み、メモ帳を片手に奮闘していた。

「うう……難しいです、ミーナ店長。笑顔を作りながら、お客様のオーダーを聞きつつ、厨房から漂うハンバーグの匂いに耐えるなんて……高度なマルチタスクすぎます!」

リリィ様が涙目で訴える。

口の端には、うっすらとよだれが光っていた。

「耐えてください。それが仕事です」

私はビシッと言った。

「貴女のポジションは『ホール兼マスコット』です。当店のマッチョたちは無骨すぎますから、貴女の愛らしさで中和(緩和)するのが狙いです」

「愛らしさ……! 任せてください! 猫を被るのは得意です!」

リリィ様は自信満々に拳を握った。

元々、王子に取り入るために可愛さを磨いてきた彼女だ。

接客スキル自体は高いはず……なのだが。

「お待たせしましたー! 『特製・大胸筋オムライス』です……あっ!」

ドテッ!

リリィ様は何もないところで躓き、盛大に転んだ。

宙を舞うオムライス。

「危ねぇッ!」

ヒュンッ!

厨房からガロンさんが飛び出し、スライディングしながら皿をキャッチした。

「セ、セーフ……! 大丈夫か、リリィ!」

「は、はい……すみません、ガロンさん……」

リリィ様は床に座り込んだまま、頬を朱に染めてガロンさんを見上げた。

ガロンさんの腕には、オムライスを守った際の筋浮きが見える。

「あぁ……素敵……。オムライスよりも、その上腕屈筋群を食べちゃいたい……」

「……え?」

「い、いいえ! なんでもありません!」

リリィ様は慌てて立ち上がり、オムライスを受け取った。

「ありがとうございます! ガロンさんって、本当に頼りになりますね! まるで熊さんのような包容力……♡」

「そ、そうか? へへっ……」

ガロンさんが照れて鼻の下を擦る。

その様子を、私はカウンターの陰から冷ややかに観察していた。

(……職場内恋愛禁止、とは言っていないけれど。まさかガロンさんとリリィ様がねぇ)

美女と野獣カップルの誕生かもしれない。

それはそれで微笑ましいが、仕事はおろそかにしてもらっては困る。

「リリィちゃん。ガロンさんに見惚れている暇があったら、テーブルを拭いて」

「は、はいっ! すみません!」

リリィ様はパタパタと働き始めた。

しかし、彼女の試練はここからだった。

ランチタイムが始まると、厨房からは次々と料理が運ばれてくる。

焼きたてのパンケーキ、ジューシーなハンバーグ、そして香ばしいローストチキン。

「はい、3番テーブルへ運んで!」

「了解です! ……くんくん」

リリィ様はトレイを持ったまま、鼻をひくつかせた。

「いい匂い……。このチキンの皮のパリパリ感……。一口だけなら……」

彼女の手が、無意識にチキンに伸びる。

「ストップ」

背後から私が声をかけると、リリィ様は「ヒィッ!?」と飛び上がった。

「つ、つまみ食いなんてしてません!」

「まだ何も言っていませんよ。……給料から天引きされたくなければ、その手を引っ込めなさい」

「ううぅ……拷問ですぅ……!」

リリィ様は泣きながら客席へ走っていった。

食いしん坊の彼女にとって、この職場は天国であり地獄でもあるようだ。

          ◇

夕方。

嵐のようなランチタイムが終わり、スタッフたちは賄い(まかない)の時間となった。

「お疲れ様でした! 今日はリリィちゃんの歓迎会も兼ねて、特製カレーですわよ!」

私が大鍋をドン! と置くと、男たちが歓声を上げた。

「うおー! カレーだ!」

「タンパク質たっぷりのチキンカレーだぜ!」

リリィ様も、目を輝かせて皿を持った。

「いただきまーすッ!」

彼女はスプーンを持つと、まるで重機のような勢いでカレーを吸い込み始めた。

「んん~ッ! おいしぃ~ッ! スパイスが五臓六腑に染み渡るぅ~!」

幸せそうに頬張るその顔。

見ていて気持ちがいいほどの食べっぷりだ。

その時、裏口のドアが開いた。

「……いい匂いだな」

疲れ切った顔のレオナルド様が入ってきた。

「あ、レオナルド様! お疲れ様です!」

私は駆け寄った。

今日の彼は、いつもの数倍、疲労の色が濃い。

肩が落ち、自慢の大胸筋も心なしか萎んでいるように見える。

「……地獄だった」

レオナルド様は椅子に座り込むなり、深いため息をついた。

「王子の……教育係は、想像を絶する重労働だ」

「あら、セドリック殿下はそんなに手が掛かりますか?」

「手が掛かるどころではない。スクワットを十回させただけで『足が折れた! 医者を呼べ!』と叫び、ランニングをさせれば『空気が薄い! 酸素ボンベを!』と騒ぐ」

レオナルド様は頭を抱えた。

「その上、『僕の汗はダイヤモンドの滴だ』などとポエムを詠み始める始末……。精神的に削られる」

「お察しします……」

私は同情し、カレーを山盛りにした皿を差し出した。

「さあ、これを食べて回復してください。スパイスに含まれるクルクミンが、脳の疲労を和らげますから」

「かたじけない……」

レオナルド様はスプーンを手に取り、カレーを口に運んだ。

一口食べた瞬間、その目に光が戻る。

「……美味い。生き返るようだ」

「ふふっ、良かったです」

すると、向かいの席でカレーを食べていたリリィ様が、口元を黄色くしながら顔を上げた。

「レオナルド様! 王子は……セドリック様は、少しは反省していましたか?」

「……反省、か」

レオナルド様は苦笑した。

「口では『父上に見直してもらうんだ!』と言っているが、根性はまだまだだな。だが……」

「だが?」

「今日、休憩時間に泥だらけのおにぎりを食べて、『こんな硬い飯が食えるか!』と怒っていたが、結局完食していたぞ。『腹が減っては戦ができん』と言ってな」

「……ふふっ」

リリィ様が小さく笑った。

「あの方、意外と適応能力があるのかもしれませんね。王宮のご飯より、泥付きのおにぎりの方が似合っているかも」

「辛辣ですね、リリィちゃん」

「だって、私を置いてきぼりにしたんですもの。……フンッだ!」

リリィ様は鼻を鳴らし、再びカレーに集中した。

その横顔を見て、ガロンさんがボソリと言った。

「……なんか、リリィ嬢ちゃんって、見てて飽きねぇな」

「えっ?」

リリィ様が顔を上げる。

「食ってる時の顔が、一番いい顔してる。……見てるこっちまで腹が減ってくるぜ」

ガロンさんの何気ない一言。

それに、私はピンときた。

「……それです!」

「え? 何がです?」

「リリィちゃんの才能ですわ!」

私はバシッと指を鳴らした。

「リリィちゃん、明日から貴女の仕事を変更します」

「ええっ!? クビですか!?」

「いいえ。……『サクラ』です」

「サクラ?」

「ええ。貴女はお店の窓際の一番目立つ席で、ひたすら美味しそうに料理を食べ続けてください。それが貴女の仕事です!」

「た、食べてるだけでいいんですか!?」

リリィ様の目が、金貨のように輝いた。

「そうです。貴女のその『幸せそうな食べっぷり』は、最強の広告になります。道行く人々が、貴女を見て『あれは何だ? そんなに美味いのか?』と吸い寄せられるはずです!」

これぞ、究極の『飯テロ』作戦。

可愛い女の子が、巨大な肉料理をガツガツ食べるギャップ。

これに勝る宣伝はない。

「やります! 私、その仕事に命をかけます!」

リリィ様は立ち上がり、敬礼した。

「報酬は?」

「もちろん、食べた料理はすべてタダ! さらに新作メニューの試食権もつけます!」

「一生ついていきます、ミーナ店長!!」

こうして、元ヒロイン・リリィ様は、カフェの『公式フードファイター兼マスコット』として覚醒した。

その日から、店の窓際で肉の塔を攻略する美少女の姿が、王都の名物となるのだが……それはまた別のお話。

一方、レオナルド様は、カレーを食べ終えて満足げに息をついた。

「……平和だな」

「ええ」

「この平和が、ずっと続けばいいのだが」

彼はふと、遠くを見る目をした。

「……何か、懸念でも?」

私が尋ねると、レオナルド様は声を潜めた。

「実は……隣国の動きが怪しいという情報が入っている」

「隣国?」

「ああ。軍事国家『バルバロス』だ。……最近、国境付近で不穏な動きがあるらしい。もしもの時は、私も出陣しなければならなくなるかもしれん」

店内の空気が、一瞬にして冷えた。

戦争。

それは、筋肉とプロテインの楽園から最も遠い言葉だ。

「……大丈夫ですわ、レオナルド様」

私は努めて明るく言った。

「貴方の筋肉なら、戦車の一台や二台、素手でひっくり返せますもの」

「ははっ、買いかぶりすぎだ」

レオナルド様は笑ったが、その瞳の奥には、騎士団長としての厳しい光が宿っていた。

平和な日常に、忍び寄る不穏な影。

私たちの筋肉ライフは、またしても波乱の予感を孕み始めていた。
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