今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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「――面を上げよ」

謁見の間。

重厚な玉座から、国王陛下の厳粛な声が降り注ぐ。

磨き上げられた大理石の床には、三人の姿があった。

中央に、青ざめて震えるセドリック王子。

その右側に、涼しい顔で佇む私、ウィルヘルミナ。

そして左側に、微動だにせず控える騎士団長レオナルド様。

「セドリックよ。……余がなぜ、其方を呼び出したか分かっておるな?」

「は、はい……! もちろん父上! あ、いえ、陛下!」

王子は必死に顔を上げた。

「私の正当性を証明してくださるのですね! この悪女ウィルヘルミナが、黒魔術を使って国政を停滞させ、私の評判を貶めている件について!」

「……はぁ」

陛下は深く、重いため息をついた。

その横顔には、疲労の色が濃い。

「まだ申すか。……余の元には、財務大臣、外務大臣、そして衛生管理局長から、山のような嘆願書が届いておるぞ」

陛下は手元の書類をバサリと投げた。

「『王子が独断で法外な税を課そうとした』『公的な衛生検査を私怨に利用した』『決裁書類が滞りすぎて国が回らない』……。これらもすべて、黒魔術のせいだと申すか?」

「そ、そうです! あいつが呪いで私のペンを重くしたのです!」

王子が私を指差す。

私は静かに口を開いた。

「陛下。訂正させていただいてもよろしいでしょうか」

「許す。申してみよ」

「ペンの重さは変わりません。殿下の『前腕伸筋群(ぜんわんしんきんぐん)』が退化しているだけです」

「なっ……!?」

「日頃の運動不足により、わずか数グラムのペンすら支えられないほど筋力が低下しているのです。これを医学用語で『自業自得』と呼びます」

「き、貴様ぁ……!」

「静粛に!」

陛下の喝が飛ぶ。

王子はビクリと縮み上がった。

「ウィルヘルミナ嬢の申す通りだ。……セドリック、お前はウィルヘルミナ嬢に頼りすぎていた。彼女がいなくなり、お前の無能さが露呈しただけのこと」

「そ、そんな……父上まで私を見捨てるのですか!? 私は次期国王ですよ!?」

「その資格があるか、今問うておるのだ!」

陛下の怒声が響き渡る。

「さらに、お前はリリィ嬢に対しても、不誠実な振る舞いをしていると聞く」

「え? リリィ?」

王子がキョトンとした。

「まさか! 私はリリィを誰よりも愛しています! 毎日愛の詩を捧げ、彼女の美しさを讃えています!」

「その『愛の詩』が問題なのだ」

陛下はこめかみを押さえた。

「リリィ嬢から直訴状が届いておる。『食事中にポエムを聞かされるのが苦痛で、胃炎になりそうです。至急、王子を黙らせてください』とな」

「な、なんだとォォォッ!?」

王子は信じられないという顔で絶叫した。

「嘘だ! リリィは僕の詩を聞いて、いつも涙を流して喜んでいたはずだ!」

「あれは感動の涙ではありません。あくびを噛み殺した時の生理現象です」

私は冷静に補足した。

「そ、そんな馬鹿な……! 私の詩は芸術だ! 世に出せば吟遊詩人も裸足で逃げ出す傑作だぞ!」

王子は錯乱し始めた。

こうなると手がつけられない。

私は懐に手を入れた。

ここだ。今こそ、最強のカードを切る時だ。

「……殿下がそこまで自信をお持ちなら、ここで皆様にご披露してはいかがですか?」

「なに?」

私は懐から、一冊の手帳を取り出した。

表紙には、金文字で『セドリック・愛の詩集 Vol.1~15』と書かれている。

これは婚約期間中、私が彼から強制的に送りつけられ、几帳面に保管(という名の証拠保全)しておいた直筆のポエムノートだ。

「や、やめろ……! それは……!」

王子の顔色が土気色に変わった。

「私が特に感銘を受けた一節を、ここで朗読させていただきます。……第3巻、14ページ。『君の耳たぶは、茹でたてのマカロニのように愛おしい』」

シーン……。

謁見の間が、凍りついたような静寂に包まれた。

衛兵の一人が、プルプルと肩を震わせて笑いを堪えている。

「や、やめろぉぉぉッ!!」

「続きます。第5巻、2ページ。『僕の心は君という名の沼に沈むカバだ。泥まみれになっても、君を愛す』」

「ぶふっ!」

ついにレオナルド様が吹き出した。

「カバ……だと?」

「待ってくれ! 頼む! それ以上は!」

王子が悲鳴を上げて私に飛びかかろうとするが、レオナルド様が片手でガシッと制止した。

「まだありますわ。第8巻、『君の鼻の穴の膨らみは、宇宙の神秘を感じさせる』」

「ひぃぃぃぃぃッ!!」

王子はその場に崩れ落ち、両手で耳を塞いだ。

「殺せ! いっそ殺してくれぇぇぇ!」

完全に心が折れたようだ。

精神的ダメージ(公開処刑)は、物理攻撃よりも効く場合がある。

私は手帳をパタンと閉じた。

「……これらが、リリィ嬢、そしてかつての私に送られた『精神的攻撃(ハラスメント)』の証拠です。陛下、これでもまだ、殿下の正当性を認められますか?」

「……いや、もうよい」

陛下は遠い目をして首を横に振った。

「セドリックよ。……お前の詩の才能が壊滅的であること、そして女性心が全く分かっていないことはよく分かった」

「ち、父上……」

「これ以上、恥を晒すな」

陛下は冷徹に告げた。

「セドリック。其方を本日付で、王位継承権第二位へ降格とする。代わりに、留学中の第二王子エドワードを呼び戻す」

「なっ……廃嫡!? そんな殺生な!」

「さらに、其方には『再教育』を命じる」

「さ、再教育……?」

陛下はニヤリと笑い、レオナルド様を見た。

「レオナルドよ」

「はッ」

「この愚息を預ける。騎士団の新人寮に放り込み、一から根性を叩き直してやれ」

「!!」

王子の目が飛び出そうになった。

「き、騎士団!? あの汗臭い、筋肉だらけの巣窟にか!?」

「御意」

レオナルド様は、この日一番の悪魔的な笑みを浮かべた。

「お任せください、陛下。私の『特別メニュー』で、心身ともに、そして筋肉も……徹底的にパンプアップさせてみせましょう」

「ひ、ひぃぃぃぃッ!! 嫌だぁぁぁ! 私は王族だぞ! スクワットなんてしたくないぃぃぃ!」

王子の絶叫がこだまする。

だが、レオナルド様は容赦なく王子の襟首を掴み、軽々と持ち上げた。

「さあ、行きますぞ、セドリック二等兵。まずは基礎体力作り、王都一周ランニングからです」

「助けてぇぇぇ! ママァァァァ!」

王子は手足をバタつかせながら、レオナルド様に連行されていった。

その情けない姿を見送りながら、私は胸がすくような思いだった。

「……ふぅ。これで一件落着ですね」

「うむ。……ウィルヘルミナ嬢よ」

陛下が私に向き直った。

その表情は、少し申し訳なさそうだ。

「此度の件、息子が多大な迷惑をかけた。……詫びる」

「もったいないお言葉です」

「其方には、何か褒美を取らせたいと思うが……何がよい? 公爵家への復帰か? それとも、別の貴族との縁談か?」

陛下は気を遣ってくださったが、私の答えは決まっていた。

「いいえ、陛下。家名も、地位もいりません」

私は真っ直ぐに陛下を見つめた。

「ただ一つ。……私の店への『営業許可証』の永久更新と、最高級のプロテイン一年分をいただければ」

「……ぷろていん?」

陛下はポカンとしたが、やがて「くっ、ははは!」と豪快に笑った。

「欲のない娘だ! よかろう、すぐに手配させよう!」

「ありがとうございます!」

私は深々とカーテシーをした。

これで、私の平穏なカフェライフは守られた。

邪魔者は消え、資金も潤沢、そして何より――。

私はチラリと出口を見た。

そこには、王子を引きずっていくレオナルド様の、頼もしくも愛おしい後ろ姿があった。

(……最強のパートナーも、手に入りそうですしね)

私は弾むような足取りで、謁見の間を後にした。

待っててね、私の筋肉たち。

今日からまた、最高のマッスル・ライフの始まりよ!

――と、思ったのだが。

「待て、ウィルヘルミナ!」

廊下に出たところで、誰かに呼び止められた。

振り返ると、そこには息を切らせて走ってくる、ピンクブロンドの少女。

「リ、リリィ様?」

「はぁ、はぁ……間に合った……!」

リリィ様は私の前で立ち止まり、真剣な眼差しで私を見上げた。

「ミーナ様! 私、決めました!」

「何をですか?」

「私……王子とは別れて、ミーナ様のお店で働きますッ!!」

「……はい?」

予想外の展開に、私の思考が一瞬停止した。

ヒロインが、悪役令嬢の店に就職希望?

「だって、王宮のご飯より、ミーナ様のお店の方が美味しいんですもん! それに……」

リリィ様は頬を染めて、モジモジと言った。

「ガロンさんの……二の腕が、忘れられなくて……」

「……あー」

なるほど。

どうやらこの筋肉ウイルスは、感染力が高いらしい。

私はため息をつき、そしてニカっと笑った。

「歓迎しますわ、リリィ様。ただし、うちは厳しいですよ? つまみ食いは給料から天引きですからね!」

「望むところですッ!」

こうして、私の店には新たなトラブルメーカー……もとい、強力な新人が加わることになったのである。
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